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閑話 奇特なひと

 転移魔術の光が消えていく。目を開けて真っ先にディズジェーロの視界に飛び込んできたのは、大きな窓だった。早朝の空はまだ白み始めたばかりで、ガラス窓の向こう側に見える世界は薄暗い。

 所狭しと高層の建物が立ち並ぶ、科学帝国テンペスタ。自然と宗教色にあふれたイーリスとは対照的に、科学と技術を追求する、ディズジェーロの祖国だ。生まれ育った国に愛着を感じたことはないが、機能美を追求した道具があちらこちらに溢れている光景を目にすると、帰ってきたという感慨が浮かぶのだから不思議なものだ。

 

「屋内への転移魔術は禁止されていますよ、ディズジェーロ」

 

 生真面目な声に振り向くと、眼鏡をかけた水色の髪の女性が不機嫌そうにディズジェーロを睨みつけていた。一切の隙なく整えられた髪型と、質素なドレス姿は、イーリスから通信したときの装いそのものだ。本棚に囲まれた書斎の中央で、彼女は呆れたように眼鏡をくいと押し上げた。


「イーリスへの出張期間が長すぎて、規則まで忘れてしまったようですね」

「やむにやまれぬ事情がございましたゆえ、失礼をお許しください。エヴァンジェリン様」

「義姉と呼んでくださって構わないと何度申し上げればよろしいのでしょう。それから、事情などという御大層な言葉でごまかすものではありませんよ。あなたは実家に顔を出したくないだけではなくて?」


 棘のある言葉を聞き流しつつ、ディズジェーロは粛々と返事をする。

 

「公爵家の屋敷を家と思ったことはございません。ベイグラント公爵閣下も、ベイグラント夫人も、同じご意見でしょう」

「仮にも家族が嘆かわしいこと」

 

 ため息をついたエヴァンジェリンは、ディズジェーロに席を勧めつつ、戸棚から茶葉を取り出した。高位貴族にあるまじき慣れた手つきで紅茶を淹れるエヴァンジェリンは、嫁いだ後も教育と研究に身を捧げる変わり者だ。使用人を必要最低限しか近くに置かないこともあって、彼女の書斎は転移先として都合が良かった。


「どうぞ」


 ディズジェーロの向かいに腰を下ろしながら、エヴァンジェリンが湯気を立てる紅茶を差し出してくる。

 茶の芳香が辺りに漂い、鼻の奥をつんと刺す。一級品の茶葉なのだろうが、如何せんディズジェーロにとっては香りが強すぎる。一応の礼儀として申し訳程度に口をつけてはみたものの、それ以上飲む気にはなれなかった。

 ぴんと背筋を伸ばして座るエヴァンジェリンは、そんなディズジェーロをまじまじと見つめながら、「あなたが時間をともにしていた方は、ガイドだったのですね」と呟いた。

 

「なぜそう思われるのですか」

「見れば分かります。正確には、場をともにすれば、と言いましょうか。普段は十分と経たずに気分が悪くなるようなひどい気配ですが、今のあなたの気配は、随分と落ち着いていますから。……少し、手を触らせていただける?」

「それは……」


 反射的に抵抗を感じるが、それを察したかのように、苦笑しながらエヴァンジェリンは言葉を付け足した。

 

「数秒探るだけです。調律はいたしませんし、できません。わたくしにとってもあなたにとっても、毒にしかなりませんから」


 エヴァンジェリンはガイドの力を持っていた。

 ただし、規格外の力を持つディズジェーロと比較すると、エヴァンジェリンのガイド能力は、ごく一般的な範囲にとどまる。公爵家の命令のもと、エヴァンジェリンはディズジェーロの調律をたびたび試みてきたが、成功した試しがない。加えて互いの力の相性が壊滅的に悪いため、調律と称して手に触れるたび、ディズジェーロは磁石が反発するかのような抵抗感と壮絶な不快感に苦しみ、エヴァンジェリンは真っ青な顔をして卒倒するのが常であった。

 一時期は近くに寄ることすら避けられていたはずなのに、どういう風の吹き回しなのか。


「悪いようにはいたしませんから、安心してください」

「……承知いたしました」

 

 訝しみながらも手を差し出せば、ほっとしたようにエヴァンジェリンが両手でディズジェーロの手を握った。

 力を繋げられる違和感とともに、ぞわりと全身に怖気が走る。向かいに座るエヴァンジェリンもまた、一気に青ざめ、耐えるように唇を噛んだ。不快感に堪えかねて手を振り払いかけた瞬間、エヴァンジェリンはぱっとディズジェーロの手を離す。

 

「相変わらず、暴れ馬のような力ですこと。あなたを調律できるガイドが存在したなど、実際に探ってみても信じられない。もっとも、訓練を受けた方ではないようですけれど。荒く、危険な調律です」

 

 冷や汗を浮かべながら、エヴァンジェリンが呟く。その言葉を受けて、ディズジェーロはぴくりと眉を動かした。

 手を握っただけで何が分かるというのか。ディズジェーロの苦痛を和らげてくれたのは、昔も今も、アシエルただひとりだけだった。

 言葉に引っかかりを覚えたことを察したのか、エヴァンジェリンは宥めるように口を開く。

 

「怖い顔をなさらないで。少し独特な調律の仕方をされているようだから、ガイドの方の負担が気にかかったというだけですよ。あなたのガイドを悪く言ったわけではありません」

「私のガイドではありません」

()()()()?」

 

 からかうようにエヴァンジェリンは唇の端を上げた。

 

「手に入れてしまえばよろしいのでは? 専属で雇っても良いですし、身分が釣り合う女性であれば、婚姻という手段を取ってもよろしいでしょう。調律しても壊れることのない、あなたと相性が合うガイドなど、初めてではありませんか。私的な空間に迎え入れるほど、気に入ったガイドなのでしょう?」

「別に、ガイドだからという理由で彼を気にかけているのではありません」

 

 黙って流せばいいだけだとは分かっていたが、好き勝手な言われ様をされるのは、不愉快だった。

 

「……彼? 男性なのですね」


 目を見開くエヴァンジェリンに、ディズジェーロは「平民の男です」と淡々と返す。

 

「彼のガイドの力に救われたことは事実です。ですが、ガイドとして手に入れるだけでは意味がない。本人の心が祖国と忠誠に繋がれているというのであれば、なおのこと。そちらに対処してからでなければ、手には入らない。雇用や婚姻でどうにかなるなら、どれほど簡単なことか」

 

 イーリスの人間だから。勇者だから。王女に恩があるから。

 ディズジェーロにとってはなぜしがらみになるのかすら分からない理由をあげ連ねた挙句、こちらの努力の末にようやく得た関係すら、勝手に断ち切ろうとするのがアシエルという人間だ。テンペスタへ戻る前日に交わした会話を思い出すだけで、怒りが蘇ってくる。

 半ば独白のような言葉を漏らしたディズジェーロを前に、エヴァンジェリンはティーカップを手に持ったまま、目を見開いて絶句した。淑女らしからぬ表情を訝しく思いつつ、ディズジェーロは眉を顰めて問いかける。

 

「何かおかしなことを申しましたか」

「……わたくし、あなたは欲のない方だとばかり思っていました。ご自分の意見も持たず、何かを欲しがることもせず、誰を慕うこともない。他者への共感能力に欠ける傾向を知性で補っている節すらある、不名誉な二つ名通りの恐ろしい方だと」

「そうですか」

 

 心が無いだの血も涙もないだの、その手のことは言われ慣れている。適当に相槌を打てば、エヴァンジェリンは憂いを含んだため息をついた。

 

「認識を改めましょう。あなたはただ、これまで何も求めてこなかっただけなのですね。どれだけの手間をかけたとしても、その方の力と関心、お心すべてを自分に向けてほしいと言っているように聞こえます」

 

 エヴァンジェリンの瞳には、理解の及ばぬものへの嫌悪に近い感情が浮かんでいた。じわじわと速さを増していく脈拍の音からして、恐怖まで感じられているらしい。

 

「欲深いこと。友愛にしては粘着質で、所有欲にしては回りくどい。恋慕にしても重すぎます。あなたはその方とどんな関係を結びたいのですか」

「おっしゃっている意味が分かりません」

「……お父様は、あなたの情操教育にも気を配るべきでしたね」

 

 ため息をついたエヴァンジェリンは、途方に暮れた様子で俯いた。気分を落ち着けるように紅茶を味わう姿は、いつも通り上品ではあるものの、どこかやけになっているようにも思える。

 紅茶を一杯飲み終えるころには、エヴァンジェリンは普段通りの無表情を取り戻していた。

 

「客室を用意してあります。休んで身なりを整えてから、軍部に向かうとよろしいでしょう。わたくしと夫は明日からしばらく屋敷を開けますから、何かあればあなたの判断で対処してくださいませ」

「どちらへ向かわれるのですか」

「イーリスへ。友人の晴れ舞台のお祝いをしに参ります」

 

 晴れ舞台という言葉に、ディズジェーロは内心で首を傾げる。

 エヴァンジェリンは名門ベイグラント公爵家の娘であり、嫁いだ今は、ヴァレンティーノ公爵夫人でもある。皇家に次ぐ高い身分の彼女が、自ら足を運ぶほどの出来事など、イーリスで予定されていた覚えはない。

 

「ご友人のお名前は?」

「ユリアさまとおっしゃいます」

 

 それはイーリスの第一王女ではなかったか。訝しむディズジェーロに、エヴァンジェリンは感情を伺わせない微笑みを返した。

 

「わたくしは、わたくしにできることをいたします。……あなたの心に触れた奇特なガイドの方とも、話す機会があれば良いのですけれど」

 

 返事に迷って、ディズジェーロはそっと目を伏せた。

 窓辺に朝日が差し込んでくる。建物に反射する白い光が、凍えそうなほど冷たく見えた。

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