23.不穏の足音①
容赦なく照りつけてくる陽光を、目を閉じたまま腕で遮る。冬に近い今、日の光は貴重な熱源ではあるが、朝方に窓から入り込む日光だけは受け入れがたいものがあった。
顔を背けたところで眩しいものは眩しいままで、眠れやしない。これだけ完全に日が出ているとなると、もう昼に近い時間帯なのかもしれない。
――昼?
うつらうつらとしていた意識が一気に覚醒する。がばりと身を起こしたアシエルは、慌てて辺りを見渡した。
私物らしい私物もない質素な部屋は、アシエルが寝泊まりをするためだけに借りている、見慣れた宿の一室だ。寝台から降りようとした瞬間、長いローブの裾に足を取られてつんのめる。
明らかに自分の持ち物ではない質の良いローブは、ディズジェーロが着せてくれたものだろう。宿まで届けると言ってはいたが、どうやら律儀に宣言を守ってくれたらしい。そこまで考えたところで、意識を失う直前の出来事を思い出し、アシエルは額を押さえて項垂れた。
ディズジェーロには随分と悪いことをした。薬のせいで己が盛るだけならいざ知らず、興奮を共有しておかしな雰囲気を作り出してしまったのは、ガイドとしての能力を制御しきれなかったアシエルのせいだ。あのとき感じた不自然な眠気は、まず間違いなくディズジェーロの魔術によるものだろう。欲に駆られて襲いかかる前に、意識を落としてくれて助かった。
後で詫びを入れておかなければ、と心に誓う。
項垂れた拍子に、胸元にぶら下がるペンダントが目に入った。モーガンに切られたはずの紐が付け直されているのは、ディズジェーロの手によるものだろうか。そっとペンダントを握り込みながら、アシエルは目を伏せた。
(あいつ、さすがに気づいたよな……)
――魔術を使えない勇者の、『諸事情』の代替に。
モーガンを葬るために魔力を分け与えてくれた、ディズジェーロの言葉を思い出す。魔封じを解かれてなお魔術が使えなかったアシエルを、奇妙に思わぬはずがない。そもそも睡眠の魔術などという、魔力持ちならば掛かるはずもない魔術に掛かってしまった時点で、アシエルに魔力がないという事実は、ごまかしようがない。
なぜディズジェーロは、何も言わなかったのか。
「話を……、いや、それより先に、大佐に連絡を入れねえとか」
ひとり呟き、顔を上げる。ディズジェーロに改めて礼をしたいところではあるが、今は帰還を上司に告げることの方が先だった。任務の最中に消えたきりでは、格好がつかないどころか、殉職扱い待ったなしだ。手早く予備の軍服に着替えたアシエルは、忙しなく階段を降りていく。
入り口の掃き掃除をしていたマリーは、アシエルの姿を見つけるなり生ぬるい笑みを浮かべた。
「アシエル、体はもういいのかい」
「か、体?」
外傷はディズジェーロが治癒魔術で治してくれた。見た目には健康そのもののはずだというのに、マリーはどこまで知っているのか。ひやりとしたところで、マリーは呆れたように「はしゃいで飲み過ぎて倒れるなんて、初めて酒を飲んだわけでもないでしょうに」と呟いた。
「いつ任務から帰ってきたのか知らないけど、あんた、あの黒ずくめのお客さんと一緒に飲んでたんでしょう。寝こけたあんたをおぶってくるもんだから、びっくりしたよ。知らない間に、随分仲良くなったのね」
「あ、ああ……そういうことね……」
どんな言い訳だ。内心でディズジェーロに突っ込みを入れつつ、アシエルは引きつった笑みを浮かべた。
「なあに、あんたまさか記憶なくすまで飲んだの? 汚れた服は着替えさせたって言ってたよ。あとでお礼を言っておいたほうがいいんじゃない」
「ああ、うん……。そうするよ」
酒を覚えたての子どものような扱いをされると、居心地が悪いことこの上ない。あとで覚えてろよ、とこの場にいないディズジェーロに向かって内心で毒付きながら、アシエルはへらりと笑って話題を変えた。
「マリーさん。昨日、下町で何かあったか?」
「何かって、例えば?」
「大きな音がしたとか、どこかが爆発したとか」
「いつも通りだったと思うけど、そうねえ……」
マリーは記憶を探るように、難しい顔をしながら斜め上を睨んだ。
「そういえば、夕方くらいに、花火みたいな音がしてたね。いたずらだったって警備が言ってたけど」
「いたずら、ねえ……」
地下に得体の知れない施設がありましたと公表するわけにもいかないだろうが、爆発事故なり建物の倒壊なり、どうとでも言い様はあっただろうに。ディズジェーロといい上層部といい、アシエルのまわりには言い訳下手な者が多いのかもしれない。
「ちょっと外、出てくるわ」
「はいはい。いってらっしゃい」
ひらりと手を振り、マリーに見送られながら宿を出る。ぐっすりと眠っていた間に二階級特進の手続きが済んでいないことを祈りつつ、アシエルは早足に詰所へ向かった。
* * *
詰所で帰還報告を済ませるなり、アシエルはユリア王女からの召喚命令を受け、ひとり登城していた。膝をついて頭を垂れると、磨き抜かれた床の眩しさが目に沁みる。頼りの上司は任務の最中で連絡がつかず、作法に不慣れなアシエルを助けてくれる者は誰もいない。
「顔を上げなさい」
緊張に体を強張らせながら、アシエルは柔らかな声に従い、ゆっくりと顔を上げた。通常の政務に加え、誘拐事件の対処までを請け負っているユリアは、この城にいる誰より多忙だ。けれどそんな様子をおくびにも出さないユリアは、今日もいつもと変わらぬ優雅な微笑みを浮かべていた。
「おかえり、アシエル。無事の帰還を喜ばしく思う。まずは、クリスティーナを守ってくれてありがとう」
「もったいないお言葉です」
「あの子もお前のことを気にかけていたと聞いている。無事に戻ったと伝えれば、きっと喜ぶことだろう」
「……その、お嬢様は、無事に避難できたのでしょうか」
おそるおそる尋ねれば、ユリアは笑みを深めて頷いた。優秀な部隊の面々がついていたのだから、心配などする必要はないと分かってはいたけれど、ようやく肩の荷がひとつ降りた気がした。
「事件が完全に解決したと確認でき次第、クリスティーナも王都に戻る。そのときに一度、面会の機会を設けよう」
「事件は解決したのですか?」
「確証を得るにはもう少々時間がかかるが、少なくとも地下に敷かれた魔術の気配は消失した。お前が掃除をしてくれたのかな、アシエル」
「いえ――」
何を言うこともできないまま、アシエルは目を泳がせた。モーガンにとどめを刺したのはアシエルだけれど、施設もろとも犯人たちを全滅させたのはディズジェーロだ。
しかし、馬鹿正直に真実を告げるのも憚られた。ディズジェーロに受けた恩を仇で返したくはないという個人的な理由もあるが、そもそも事情聴取すらできぬまますべてが終わってしまったため、犯人たちの動機も正体も不明なままで、報告のしようがないのだ。
口ごもるアシエルを見て、ユリアは真意の測れない微笑みを浮かべたまま、言葉を続けた。
「昨日、再開発地区で爆発が起きた。民を混乱させたくないから公表はしていないが、現場を調べた嗅覚のセンチネルは、濃い血と薬品の香りを報告している。魔獣か人か……魔力を持つものが大量に死んだかのような惨状だとね」
「そう、ですか」
「ここのところ、隣国と内通している軍事施設がいくつも摘発されている。それを思えば、隣国が大胆にも王都の地下にまで手を伸ばしていたとしても、驚きはしない。情けない話だけれどね。もっとも、瓦礫しか残っていないとなると、できるのは推測だけだ。首を傾げていたところに、お前がこうして帰ってきた。護衛任務のついでに、私はお前が国に仇なす施設を破壊してくれたのかと思っていたよ」
「いえ、その」
言外に責められている気分になって、アシエルは冷や汗を滲ませた。くすり、とユリアが笑い声を零す。
「隠し事が下手だね。――その場にいたのだろう、アシエル?」
息が止まりそうになった。
表情こそ柔らかい笑みの形を保っているが、まっすぐにこちらを見るユリアの目は笑っていない。ごまかしを許してくれる気はないらしい。視線から逃げるように、アシエルは深々と頭を下げた。
「……申し訳ございません。隠す気は、ありませんでした」
「分かっている。お前の忠誠を疑ったことはない。目覚めてすぐに詰所まで来たと聞いているから、まだ記憶も混乱しているのだろう? クリスティーナを庇って姿を消してから、詰所に顔を出すまでの間に目にしたことを、順番に話してくれたら、それで構わない」
促されるがまま、アシエルは緊張で強張る口をぎこちなく開いた。
「意識を失って、目覚めた場所が王都の地下施設でした。研究施設のようにも見えましたが、お恥ずかしい話、満足に動ける状態ではなく、詳しい調査は叶いませんでした。ただ、イーリス人とテンペスタ人の両方を確認しております。爆発が起きたその瞬間にも、立ち会わせました」
「その言い方だと、爆発を起こしたのはお前ではないのだね」
「テンペスタの軍人です。以前、任務で顔を見かけました」
「捕縛は――」
言いかけたところで言葉を止めたユリアは、「できていたら手間はないか」と頭を振った。
「何の施設だったのか、手掛かりはある?」
「生き物の研究をしていたように見えました。以前も見かけたような、奇妙な見た目の魔獣と、殺しても死なない歩く死体のような人間が、中にいました」
血の海の中で笑うモーガンを思い出し、アシエルは身震いする。できることならもう、あのようなおぞましい存在とは相対したくない。
「歩く死体――死なない生き物か。結界に手を出そうとした挙句、生き物の命を弄ぶなど、テンペスタの皇帝は、いくつ禁忌に触れれば気が済むのやら」
整った顔をわずかに歪めて、ユリアは吐き捨てるように呟いた。
歯噛みするような表情は、いつも微笑んでいるユリアには珍しい。意外に思いながら見つめていると、アシエルの視線に気付いたのか、ユリアは空気を切り替えるように足を組み変えた。
「まあ、そちらはいい。内輪揉めか証拠の隠滅か知らないが、施設そのものを破壊されてしまった以上、確かめようがないものね。今日お前に来てもらったのは、別件だ」
その言葉に、アシエルは背筋をぴんと正した。と同時に、誘拐事件の件でないのなら、なぜ自分だけなのかと疑問に思う。アシエルの所属は特務部隊であり、たとえ単独任務であろうとも、これまでであれば命令は部隊長経由で下されるのが常だった。
アシエルの胸中を読んだかのように、「お前の上司は部下思いだからね」とユリアが口角を上げる。
「たまにはふたりで話すのも、悪くはないだろう?」
声音こそ優しいが、つまりは部下を尊重するゲオール大佐のいる場ではしにくい話をするということだ。嫌な予感がじわじわと湧き上がってくる。
「諜報に興味はないかな、アシエル」
耳触りの良い声で、ユリアは誘うように問いかけた。完璧な微笑みの中で一層際立つ、冷静な瞳が恐ろしい。
ごくりと唾を飲み込んで、「恐れながら」とアシエルは返答する。
「自分は諜報の訓練を受けておりません。同じ潜入任務でも、囮や撹乱ならばお役に立てるかもしれませんが、センチネルではない自分が諜報に向いているとは思いません」
「ふふ、そうだな。荒事の方が、お前は得意だろうね」
予想通りの返答だとでもいうように、ユリアはたおやかな笑い声をあげた。
「ならば、こういうのはどう? 情報が手に入ればそれで良し。手に入らなければ、とある人物に剣を振るう。危険だけれど、単純な仕事だ」
「え――」
事もなげに紡がれた言葉の内容に、アシエルは凍りつく。それは、アシエルの認識が間違っていなければ、暗殺と呼ばれる仕事だ。標的こそ明言されていないが、話の文脈だけで考えれば、テンペスタの皇帝を指しているとしか思えない。
目を見開いて固まったアシエルの様子を意にも介さず、ユリアはついと窓の外に視線を向ける。組んだ両手を胸元に掲げながら、祈りを捧げるようにユリアは言葉を続けた。
「状況は日々悪化している。いつ戦争が仕掛けられてもおかしくはない。未然に防ぐことができるのであれば、それに越したことはないと思わない?」
「それは……」
膝をついた床は冷たく、芯から体が凍えるようだった。窓から差し込む西日のあたたかさが場違いに思えるほど、その場が寒く感じられた。
気候は崩れ、飢えは広がり、隣国テンペスタとの小競り合いの頻度は増している。それでも自分たちは、いつもと変わらず日々を過ごせるのだと思っていた。国家間の状況がどれほど緊迫したものなのかなど、政情に疎いアシエルには、懇切丁寧に教えてもらわない限り理解できない。分かるのはただ、ユリアが望むのであれば、どんなに危険な任務でも受ける以外にアシエルに選択肢はないということだけだ。たとえ捨て駒にしても惜しくない平民だからという理由であったとしても、ユリアは勇者という名を与えることでアシエルを救ってくれた、恩人なのだから。
強張る体を無理やり動かし、心臓に手を当てながら、アシエルは深く頭を垂れた。
「ユリア様のご命令とあらば、何であろうと成し遂げます」
「お前の忠義に感謝するよ、アシエル」
美しく微笑んだユリアは、今になって気づいたように、むき出しのアシエルの額に視線を留めた。
「ヘッドバンドを失くしてしまったの? 見慣れているからか、ないと落ち着かないな。また用意させよう」
「……ありがとうございます」
ただアシエルを思いやってくれているだけの、優しい言葉だ。そう思うのに、首輪を嵌められるかのような息苦しさを恐ろしさを感じるのはなぜだろう。
「神の教えと民の平穏を、我々の手で守ろう。イーリスの誇る、竜殺しの勇者よ。段取りはすべてこちらで整える。お前は何も心配しなくていい」
「はい」
「話は以上だ。下がって休むといい。休暇と、しばらくの待期期間を取らせよう。ここのところ任務続きで、満足に休む時間もなかっただろう? 思い残すことのないように、存分に楽しんでおくといい」
「ありがとう、ございます」
――思い残すことのないように。
戦争に送られる兵士の、最後の休日のような言い回しには、不穏さしか感じなかった。からからに乾いた口でなんとか返事を紡ぎつつ、冷たくなった体を引きずりながら、アシエルは逃げるように城を出た。




