20.怨嗟に狂った研究者⑥
裂けた体が完全に繋がる前に、咄嗟にアシエルは、モーガンの半身を遠くへ蹴り飛ばした。
「勘弁しろよ。怪談か何かか?」
「ひ、ひひ……ひどいじゃないか。どこへ行くんだい、勇者」
焦点の合わぬ両目で、モーガンはアシエルだけを見つめていた。ふたつに分かれた体が、半分に割けた口を同時に動かし、話している。アシエルがペンダントなしに魔術を使うことができたなら、光の弾丸で即座に蜂の巣にしていた自信がある程度には、気色の悪い光景だった。
分かたれた体で斧を掴んだモーガンは、地を這いながら距離を詰めてくる。しかし、引き寄せられるようにアシエルに手を伸ばした瞬間、モーガンの体は再度幾筋もの氷柱に貫かれ、動きを止めた。
ぱたぱたと揺られ続ける手を気味悪く眺めていると、不意に隣から「面白いな」と酷薄な声が響いた。視線を向ければ、言葉とは裏腹に冷えきった目をしたディズジェーロが、実験動物でも眺めるかのようにモーガンを見据えている。
「これでも凍らないのか。次は焼いてみようか。水分を抜き取って干物にしてみてもいい。それとも魔力を抜き取って抜け殻にすれば止まるのか?」
「先ほどから、何だね君は。僕、は……忙シイんだ。邪魔を、しないでくれたまえ」
歩く死体のようなモーガンと、淡々と冷酷な言葉を紡ぐディズジェーロ。どちらとも距離を置きたい気分には蓋をして、アシエルはディズジェーロに「面白がってる場合かよ」と声を掛ける。
「真面目な話、どうすりゃいいんだよ、あれ。首を折っても胴体を斬っても死なないなんて、人間どころか魔物だってあり得ない」
ちらりとアシエルに視線を寄越したディズジェーロは、訓練兵に座学の講義でも行うかのように、淡々と言葉を返した。
「生物の体を構成する成分は決まっている。人間も魔物も亜人種でさえ、例外はない。どれほど再生能力に優れていようとも、大枠だけを見れば差異はないはずだ」
「回りくどい。簡単に言ってくれねえ?」
「焼き殺す。相手が有機物である以上、理論上は焼けば炭になるまで燃え続けるはずだ」
「こんな閉じた場所で火なんてつけたら、俺たちだって死ぬだろうが。助けてくれたことに感謝はしてるけど、さすがに心中はごめんだぞ、ディー」
「安心しろ。私も心中など望んでいない」
痙攣し続けるモーガンに視線を据えたまま、ディズジェーロがわずかに口角を上げた。
「この場所もろとも壊して焼けば済む話だ」
言うが早いか、ディズジェーロの手の上に真っ赤な魔法陣が浮かび上がった。手元に展開された複雑な魔法陣は、弾けるように広がると、床と天井を覆いつくす巨大な陣へと変化する。
「馬鹿野郎! 脳筋!」
天井に穴を空ける気だと悟ったアシエルは、慌てて両手で耳を塞ぎつつ、地面に伏せた。
身構えるのが早かったか、術の展開が早かったか。爆撃されたのかと疑うような轟音が聞こえたときには、石さえ瞬時に溶かす高温の火柱が、天井を貫きながら立ち上っていた。そこらかしこから壁が軋む音が聞こえ、不穏な揺れが一秒ごとに強くなる。
もはやモーガンに構っている余裕もない。一刻も早く脱出しなければ、アシエルまで施設の崩壊に巻き込まれて死ぬ。出口はどこだと辺りを見渡した直後に、ディズジェーロが出入口はすべて破壊済みだと言っていたことを思い出し、絶望した。
「何をきょろきょろと遊んでいる。逃げなければ、いくらお前でも死ぬぞ。アシエル」
「言われなくても分かってるっつーの! 逃げようにも出口がないんだよ、あんたのせいでな! 俺がここで死んだら、死ぬまで恨むからな!」
支離滅裂なことを口走っている自覚はあったが、落ちてくる瓦礫を必死でかわし、煙を吸わぬように口元を押さえている状況で冷静でいられるはずもない。喚くアシエルを不思議そうに眺めて、ディズジェーロは意味が分からないとばかりに小首を傾げた。
「転移すればいいだけの話だろう。お前の探し物とやらも、後からあの男の遺体を探ればいい。何をそんなに焦ることがある?」
「……できないんだよ!」
訝しげに眉根を寄せたディズジェーロに向けて、半ば叫ぶようにアシエルは言い返す。
「使えねえの! くそ! こういうことやるならやる前に言えこの馬鹿魔王!」
「使えない? そんなはずはない。記録では転移魔術を使っていたはずだ。魔封じも解いた。ならば、なぜ……?」
つらつらと何事か呟いていたディズジェーロは、数秒としないうちに、何かに思い至ったかのように目を伏せた。
「あの石、まさか――」
「ああもう何でもいいから逃げるぞ! 崩れる!」
叫びながら、アシエルは立ち尽くすディズジェーロの腕を強く掴んだ。転移できないのはアシエルだけで、ディズジェーロの心配などする必要はないのだが、焦りのあまりアシエルはすっかり忘れていた。
天井に入ったヒビは見る間に深さを増し、施設そのものが崩壊の兆しを見せている。もはや一刻の猶予もない。
何事か考え込んでいたディズジェーロは、ようやく悠長に会話をしている状況ではないことを思い出したらしい。アシエルの体を抱き寄せると、瞬きの合間に転移の魔術を展開した。
音が消え、視界すべてが白く染まる。ぐるりと三半規管が振り回されるような不快感の後、アシエルの目の前には石作りの廃墟が広がっていた。天井が崩れ落ちる轟音を遠くで聞きながら、アシエルはぽつりと囁きかける。
「……ありがとう。またあんたに助けられた。今回、借りひとつどころじゃねえな。そのうち返す」
「すべてついでだ。必要ない」
「俺の気分の問題だ」
ディズジェーロから体を離したアシエルは、素早く辺りに視線を走らせる。火を噴く大穴の周囲には、火柱に乗って打ち上げられたと思わしき瓦礫の残骸が転がっていた。辺りに人気はなく、荒れた建物ばかりが立ち並んでいる。
「再開発予定区域、か? この間からどうも縁があるな」
血の海に浸かったせいで色を変えた髪を後ろに撫でつけながら、アシエルはうんざりとぼやいた。
「やっぱり王都の地下だったのか。ここなら巡回の目も薄いからって、下になんてもの作ってやがる」
「考えごとは後にした方がいい。害獣どもの数が多い」
「害獣? ……なんだあれ!」
ディズジェーロの忠告から間を置かずして、大穴から魔獣の群れが沸き出してきた。肥大化したドブネズミや、スライムと狼を混ぜたような気色の悪い見た目の魔物ならばまだいい方で、中には頭が三つに分かれた鳥の魔獣や、人型に似た奇形の魔物まで混ざっている。どれもこれも、自然にはありえない異様な姿をしていた。
「見たことねえ魔獣だな」
「実験体だろう」
「あの火で死ななかったのか? 本当に、あの気色悪い場所で何を作ってたんだよ……」
ナイフを握り直して、アシエルは自身の横を通り過ぎようとする魔獣の首を落とした。小さな魔獣とはいえ、下町になだれ込ませるわけにはいかない。警備が固い貴族街や血気盛んな者の多い職人街ならばいざ知らず、日々を慎ましく生きる下町の民にとっては、弱い魔獣でさえ大きな脅威になりかねない。
盛られた薬のせいで本調子ではない上、多数の魔獣をナイフ一本で相手取るのは骨が折れる。数体処理した時点で、アシエルは思うように体が動かぬ苛立ちに、奥歯を噛み締めた。
まともな武器もなく、魔術も使えないアシエルを哀れに思ったのか、ディズジェーロは魔獣を処理する傍らで、アシエルに向けて指をひと振りした。途端に、朱色の炎がとぐろを巻いて、ナイフにまとわりつく。
「火? ……の割に熱くねえな」
首を傾げていると、魔獣を処理する傍らでディズジェーロが短く答えた。
「切れ味が増す程度の効果はあるだろう」
「どうも。いちいち器用だよな」
「大した手間でもない」
言いながら、ディズジェーロは馬防柵にも似た凶悪な氷柱を生み出し、何体もの魔獣を一掃した。たしかに補助の魔術のひとつやふたつ、この男にとっては手間ではないのだろう。
「つーか、あのクソ野郎はどこ行ったんだ?」
「そこにいる」
ディズジェーロが顎で穴の近くを示す。煙の中に目を凝らせば、燃え上がる炎の塊が見えた。
「だいぶ焼けたが、もう少しかかるだろう。待て」
「焼き肉みたいに言うなよ」
恐ろしいことをさらりと言うディズジェーロに頬を引きつらせつつ、アシエルは燃える塊をじっとのぞき込む。アシエルの視線に気づいたように、炎の塊は呻き声を上げながら、弱弱しく蠢いた。
「ひ、ひ、ひ……勇、者……勇者ぁ! 僕は、死なない……こんな炎ごときで……!」
全身が黒く焼けているにも関わらず、モーガンはいまだに動きを止めてはいなかった。どろりと皮膚が溶け落ちる。焦点の合っていない眼球がぎょろりぎょろりと動いて揺れる。モーガンの体は、焼け落ちた端から膨れ上がっては、大きさを増していた。
「こいつ、どうなってるんだ?」
「炭になるまで炎は消えない。心配するな」
――本当に?
裸の眼球。溶け落ちる皮膚。肥大する体躯。死体が動いているかのようなおぞましさ。アシエルには、すべて既視感がある。
『あれ……本当に生きてます?』
『心臓の音は聞こえない』
『じゃあ、死んでるじゃないっすか』
テスの町でゲオール大佐と交わした会話を思い出す。スタンピードの原因となった異形も、モーガンと同じような性質を示してはいなかったか。
「動く死体」
言葉が口から滑り落ちていた。
そんな存在はあり得ない。死者は決して生き返らない。それは、神がこの世に定めた不文律だ。
けれど、目の前にいるモーガンの姿は、それ以外に表現しようがなかった。笑いながら炎に炙られているこの男は、たしかに一度死んだはずなのだ。狂気に呑まれ、憎しみだけで永らえている姿は、ただひたすらに悍ましく、痛ましかった。
気づけば、アシエルは懇願するように口を開いていた。
「なあ、ディー。あんた、光の魔術は使えねえの」
「使えない。光とは相性が悪い」
ディズジェーロの返答に、アシエルは奥歯を噛みしめる。魔力はアシエル自身のものではなく、魔術は本来アシエルの力ではない。けれど今は、イカサマじみたあの力が使いたくてたまらなかった。
突拍子もないアシエルの問いを受けて、ディズジェーロは静かに問い返す。
「なぜ」
「前に、似たようなやつを見たんだ。炎も剣もきかなかったけど、光の魔術一発で止まった。だから、光ならあいつを殺せるんじゃないかと思っただけだ」
「わざわざ手を下さずとも、炭になれば死ぬ。遅いか早いかだけの差だ」
「どうせ殺すなら、無意味に苦しめるのは趣味じゃない」
「それは慈悲か? これはすでに何十人も殺している。同じだけ苦しめればいい。己自身もいたぶられて、追い回されたくせに、よくもそんな甘さを見せる気になるものだ。さすがは勇者と呼ばれるだけのことはある」
冷笑とともにディズジェーロが唇の端をつり上げた。嘲りを隠さぬ真っ赤な瞳が、周囲を覆う炎と同じ容赦のなさでアシエルを見据える。
「そんないいもんじゃねえよ。趣味じゃねえって言っただろ。ただの、俺の気分の問題だ」
「……お前は面白い。アシエル」
言葉とは裏腹に、ディズジェーロの笑みにはわずかな苦さが混じっていた。魔獣たちを片手間に処理しつつ、ディズジェーロはゆるりと優雅な仕草で手を差し出す。
「何だよ」
意図を測りかねたアシエルは、差し出された手のひらと、ディズジェーロの顔とを交互に眺めた。
「魔術を使えない勇者の、『諸事情』の代替に。お前はガイドだろう、アシエル。精神を繋ぐことができるのなら、魔力を繋ぐことができない理由はないはずだ」
「無茶苦茶なこと言いやがる」
けれど、挑発するように言われてしまえば、試しもしないうちからできませんと言えるはずもない。大股でディズジェーロに近寄ったアシエルは、乱暴にその手を取り、ディズジェーロを睨みつけた。
「後でまとめて礼はする。覚えとけ」
「承知した」
触れなければディズジェーロのセンチネルとしての気配すら感じられないほど、今のアシエルはガイドとしての感覚が鈍化した状態だ。互いを繋ぐことに不安がなかったわけではないが、やると言った以上、後に退く気はなかった。
「っ、く」
精神を繋いだ瞬間流れ込むディズジェーロの力にも、頭を殴られるような衝撃にも、いい加減慣れてきた。身構えてさえいれば、大した問題でもない。
むしろ今問題なのは、流れ込んでくるディズジェーロの感情の方だ。おそらくは戦闘に興奮しているのだろうが、ぞくぞくと体の中心から熱を与えるような感情が、奔流となってアシエルを内側から嬲ってくる。薬のせいで、普段はできる細かな調整がうまく利かない。自分のものではない感情に引きずられる前に、アシエルは必死でディズジェーロの中から魔力を引きずり出した。一度要領さえ理解してしまえば、普段ペンダントから魔力を引き出すのと大した違いはない。
「ゆう、しゃ……ぼくの……勇者……名誉、人間を超えた……けひ、くふ、ふふふふふ、ゥううう、なんで、体、動かない……騙され、た?」
ぶつぶつと呟くモーガンの声を聞き流しながら、アシエルは使い慣れた白く輝く魔法陣を手元に作る。妄執に取りつかれたモーガンを憐れむように、アシエルはそっと祈りを捧げた。
「神よ、お許しください。死んだ生き物は生き返らない。生き返ってはいけない。モーガン、あんたが今動いているのも、きっと何かの間違いだった」
「く、ふ、ふふふふふふ! ははは、ァははは! 神? そんなもの、いないよお。いもしないものを信じて、かわいそうにねえ! あひ、ァ」
宗教国家イーリスで叫べば、狂人としか認識されないだろう狂言だ。もはや言葉の体を為していない哄笑を聞き流しながら、アシエルは術式の引き金を引く。
生み出された光の矢は、人ではなくなってしまったモーガンを容赦なく貫いた。柔らかく膨らんだ白い光が、音もなく炎の塊を飲み込んでいく。
まばゆい光が弱まり、モーガンの笑い声が途切れると同時に、血の色の宝石がからりと音を立てて地面に転がった。モーガンがいたはずの場所には、ペンダントの核である宝石と、それを取り囲む赤黒い液体だけが残されていた。
モーガンの死を見届けた瞬間、アシエルの膝から力が抜ける。崩れかけた体は、繋いだ手を通じてディズジェーロに引き寄せられ、支えられていた。
「悪ぃ」
アシエルの謝罪に、ディズジェーロは肩をすくめて返した。




