遠距離恋愛したら裏切られた
「美紅って、変わってるね」と言ったとき、
彼女はちょっと困ったように笑っていた。
「よく言われる。でも、自分じゃ分からないなあ……」
控えめで、言葉少なで、でも誰かを否定したことが一度もない。
誰よりも優しくて、繊細な人だった。
そんな彼女が、俺を好きになってくれたのが、ずっと不思議だった。
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大学三年の秋。
合コンで偶然隣になった美紅は、地元企業で働き始めたばかりの社会人だった。
その日、俺は完全に場違いで、ずっとお茶を飲んで黙っていた。
「疲れてる?」
そう声をかけてくれたのが、美紅だった。
俺のような“冴えない学生”にも、まっすぐに接してくれた。
“起業したい”なんて話も、笑わずに聞いてくれた。
「すごいね。……私、そういうの、応援したくなるタイプかも」
それだけで、胸が軽くなった。
意外にも告白はすんなり通って、
そこから、少しぎこちない遠距離恋愛が始まった。
彼女は東北、俺は東京。
毎日のLINEと、夜の電話。
「今日も湊くんと話せて良かった」
そう言ってくれる事が、俺のモチベーションだった。
⸻
アプリが伸びたのは、大学四年の冬。
SNSで話題になり、少しだけ名前が知られるようになった。
投資も入り始めて、会社は忙しくなった。
LINEは返せないことも増え、電話を後回しにする日も増えた。
それでも、美紅は変わらなかった。
「……返事遅くても大丈夫だよ」
「でも、ちゃんと寝てね」
俺の忙しさを受け止めようとしてくれていた。
けれど、その優しさに、俺は甘えすぎてしまった。
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ある日、美紅から、慎重な口調で連絡が来た。
《ごめんね。……今、ちょっとパソコンが壊れてて。買い替えないと仕事にならなくて》
《……無理だったら、断ってね》
そう書かれたLINEに、俺は即答した。
《大丈夫。すぐ送る》
彼女は、それに対してすぐに「ありがとう」と返してきた。
それが、俺と彼女の“ちいさなズレ”の始まりだった。
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「これ……美紅、じゃない?」
大学時代の友人が送ってきた動画。
暗い店内、ソファに座って、顔を赤くして笑っている女の子。
髪型、表情──美紅だった。
けれど、彼女は騒いでもいなかった。
男の肩に少し寄りかかって、頬を火照らせて、ただ座っていた。
それでも──
その姿に、心臓が凍った。
俺はLINEで訊ねた。
《この動画……本当に、美紅?》
数分後、既読がついて、そして一言。
「ごめんなさい」
それ以降、彼女からの連絡は途絶えた。
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傷ついたとか、怒ったとか、そういう感情よりも先に、
ただ、穴が空いたような感覚だった。
何を信じていいか分からないまま、
だけど仕事だけは手を止めずに、気づけば数年が経っていた。
俺は若手経営者として、名前だけはそれなりに知られるようになっていた。
そんなある日、取引先の会食で訪れたラウンジで
再会した。
「本日ご案内するのは、No.1の美紅です」
紹介された名前に、息が止まった。
彼女が、俺の前に立っていた。
真っ白なドレスを着ていたけど、目の奥はあの頃と変わっていなかった。
「……湊くん?」
小さな声。あの日と同じように、静かで、まっすぐな声だった。
⸻
その夜、俺たちはふたりで話した。
最初は何も言わず、ただ静かに酒を飲んでいた。
やがて、美紅がぽつりと言った。
「……あの動画。見たんだよね」
「うん」
しばらくの沈黙のあと、美紅が話し始めた。
「ほんとは、あの日……ただ、少しだけ外に出たくなっただけだったの」
「仕事がうまくいってなかった。なんか、全部がダメな気がして。……一人で夜の街を、歩いてた」
「そしたら、男の人に声をかけられて。優しくされて、断れなかった。……パーティーがあるって言われて、流されてしまった」
「場所に着いてから、怖くなったけど……周りは初対面の人ばかりで、うまく逃げられなかった」
「飲んで、頭がぼーっとして。気づいたら、あの動画が出回ってた。……自分でも、何が起きたのか分からなかった」
彼女は、俯いたまま言った。
「湊くんに、どう言えばよかったのか分からなかった。……怒られるのも、嫌われるのも、怖かった」
「でも、本当は、ちゃんと話すべきだった。ごめんなさい」
声は震えていたけど、言葉はまっすぐだった。
その言葉が、ずっと聞きたかった。
「……今さらだけど、もう一度、やり直せたらって……思ってる」
彼女は、そう言って、黙った。
俺は、しばらく何も言わずにいた。
それから、言った。
「……一緒に、また暮らしてみるか」
美紅は驚いたように顔を上げた。
「……いいの?」
「……俺も、ちゃんと向き合えてなかった。やり直そう‥」
「‥‥うん」
それだけだった。
それで、よかった。
今、俺たちは一緒に暮らしている。
昔のようにLINEばかりじゃなくて、
目を見て「おはよう」と言える生活。
今最高に幸せだ。




