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 リザベルはディアンとの授業を終え、とっぷり耽た夜の中を馬車に揺られて帰宅する。王家の馬車で来たからかそのまま王家の馬車で送られていた。俺は時折この馬車を見掛けていたが、誰か大人が帰るのだと勘違いしていた記憶がある。リザベルについて本当に何も知らなかったのだ。俺がもう少し気に掛けていれば違う未来もあったかもしれないのに。リザベルをあそこまで追い詰めることなく、心からの笑顔を見ることが出来たかもしれないのに。いつまでも自分勝手なのは、リザベルの周囲も俺も同じだ。気付かなかった俺も同罪だ。こんな不可思議な遡りがなければ、今も愚鈍な俺は気付かなかったのだろう。


 そんな反省をしていると、いつの間にか場面が大きく変わっている。時刻は昼休みだろうか。裏庭が騒がしい。それらを遠巻きに眺める人も多いが、リザベルは全くといっていいほど関心を向けなかった。気付いていないというより、それは婚約者の業務外だからやることはないと判断してのようだった。しかしリザベルの意思とは関係なく、騒ぎの中心から現れた女子生徒がリザベルを見つけるや否や、「カービネナ様!」と大声を上げる。ピタリと足を止めたリザベルは、彼女に呼ばれ案内されるまま騒がしい裏庭へと歩みを進めた。真ん中には倒れ込んだ女子生徒と、彼女を囲うように立っている数人の女子生徒達がいる。ざっと見回せば、囲んでいる側はかなり高位の貴族令嬢であることがわかる。具体的に言えば、リザベルと親交があってもおかしくない身分。つまるところリザベルの取り巻きだ。この言い方はあまりよろしくないけれど。

 どこの時代、どこの場所においても権威者に引っ付いてその利益を貪ろうとする輩はいるもので、彼女達はその代表格だった。十中八九、倒れ込んでいる女子生徒は彼女らに何かされたのだろう。

 明るい桃色掛かった金髪に見覚えがあり、俺は心の中で「おや」と首を傾げる。そういえば学園に入ってから1度も姿を見ていなかった。


 彼女の名は、リリィ・チャルファン。


 恐らくリザベルを呼びに来たのはリリィの友人だろう。慌てようと人混みから飛び出て彼女たちよりも更に地位の高いリザベルを見つけた瞬間の喜びようから、相当リリィに入れ込んでいるらしい。彼女は確かに同性にも人気があったが、この友人からはそれ以上に可愛がられていたのだと察して余る態度だ。全身でリリィの身を案じ、リザベルが助けてくれると疑う様子もない。

 しかしリザベルは困惑したような様子で、チラチラと視線を彷徨わせていた。

「これは一体…?」

「リザベル様!?」

 リザベルの登場に気付いた囲んでいた側の女子生徒達、もとい高位の貴族令嬢達はどよめく。まさか貴方の威光を笠に好き放題やってました、なんて言えないだろう。しおらしく静かになった彼女らと、涙で瞳を潤ませるリリィ。それらを囲んでいる生徒達は、我関せずか野次馬か。中には囲んでいる側と同じくらいの高位貴族もいるのに、誰1人として声を上げることはない。


 どうしてこんな近くに他の高位貴族もいるのに、わざわざリザベルを呼んだんだ…?


 そんな疑問を払うように、沈黙の中で切羽詰まった声が響いた。声の主はリリィの友人らしき、リザベルを呼びに来た少女だ。

「カービネナ様、どうかリリィをお助けください…っ」

 泣き縋られたリザベルは視線を、話し掛けて来た少女と、リリィと、囲んでいる女達と、順繰りに回す。何かを言おうとして一瞬口を閉じ、最後にポツリと呟いた。


「…どうして?」


 更なる沈黙が場に落ちた後、1歩遅れて騒めきが辺りを支配する。生徒達が固まったのも一瞬で、噂を伝播させるようにヒソヒソと話が広がっていく。

 俺の思考も一瞬止まった。しかしそれを取り戻したのは、何よりも聞き覚えのある間抜けな声が聞こえて来たからだ。

「どうした?」

 そこに現れたのは、この当時の(フィルマ)である。騒ぎを聞きつけてやって来たらしい。フィルマはリリィが倒れているのを見つけ、すぐに駆け寄って支えた。その様子を見て、俺は自分の意思では動かせない瞼をぱちぱちと瞬く。俺がリリィをリリィとして認識したのはまだ先の筈だが、俺は既にリリィと出会っていたらしい。知らなかった。特に印象に残らなかったのだろうか、この時の出会いは完全に忘れ去られていた。

 フィルマはリリィを労わりながら、自分が汚れることも厭わず助け起こす。国を背負う者として、そもそも正義感のある人間として当然の行いだと思うが、ここにいる生徒達からしたらそうではないらしい。リリィを遠巻きに見つめている男達も、行動に移す様子はなかったからだ。涙で瞳を潤ませたリリィは、じっとフィルマの姿を見つめている。よろけながらもフィルマの肩を借りて立ち上がる姿は、健気で保護欲を掻き立てるものだった。

「で、殿下っ…!」

「これは、その…」

「違いますわ…っ!」

「違う?何がだ?君達がやったのか?」

「ご、誤解ですわ!急に話し掛けたせいか驚いてしまったようで、転んでしまって…!」

「わたくしたちも驚いてしまって…!」

「…今後は気を付けるんだな」

「は、はいっ」

 何かしらの言い訳を募ろうとしていたようだが、フィルマの鋭い視線と衆人環視に耐え切れなかったようで、わざと作り出した逃げ道に縋ってそのまま逃げ出してしまった。リザベルの友人のふりを出来るだけあり、当然彼女達は高位貴族だ。下手に騒ぎ立てて糾弾すれば、彼女達の家を敵に回しかねない。弱き者を詰るなど業腹だが、そうと知って行動出来ないのも貴族というものである。

 そんな中、フィルマはざわざわと戸惑う人の中でリザベルの姿を見つけた。フィルマのきょとんと驚いた姿は、今気付いたとでも言いたげである。実際、今気付いたのだろう。

「リザベル」

「はい」

 呼び掛ければ、リザベルは返事をして俺のところへ進み出る。その間に事情を聞いたフィルマは、リザベルの発言に眉を顰めた。非難するような目を向けながら、疑問としてその責を投げ掛ける。

「何故助け起こさなかった?」

「何故、とは」

「彼女は困っていたのだろう。なら上に立つ者として助けるのは当然だろう?」

 フィルマの言に、リザベルの視界が少しだけ広がる。きっと誰にもわからないほど僅かな変化だった。息を呑む音が聞こえたのも、憑依している俺だけだろう。そのままリザベルの口から紡がれたのは、平坦に聞こえる本心だった。

「困っていたの、ですか」

「え?」

 リザベルの独り言のような反芻に、フィルマは困惑の表情を示したまま言葉を零す。リザベルの表情を見ているが、そこに映る彼女の表情に煽りなどといった感情は読み取れない。だからこそフィルマはますます困惑して、しどろもどろになりながら説明した。

「いや、それはそうだろう?あの土のつき方なら転ばされたか…突き飛ばされたかだろう。立派な暴力じゃないか」

「暴力…」

 繰り返したリザベルは、顔色ひとつ変えず疑問をそのまま口にした。

「暴力を振るわれると、困るのですか?」

「は?」

 リザベルの発言に、フィルマだけでなく囲んでいた野次馬も戸惑い始めた。

 俺はここでようやく、リザベルが先程零した「…どうして?」の意に気付いた。

 日常的にあれ以上の暴力を受けているリザベルは、彼ら彼女らの罪を正しく認識出来ていない。当然だろう、彼女の認識を正す者もいなければ、そもそも加害に気付いている者がほとんどいない。ならば加害者に教え込まれた価値観こそがリザベルの価値観を作り上げるもので、暴力の理由をリザベルの不手際に当て嵌めればきっと、暴力の一方性と不当性には気付くことすら出来ないのだ。

 その価値観の差異もあるが、そもそもリザベルの中には彼らを悪者にしたくないという気持ちがあるらしい。リザベルは幼い頃の家族や使用人の優しさを知っている。変わってしまったのは、自分が第一王位継承者の婚約者になってから。努力をする必要性を知ってから。皆、彼らの暴力性をリザベルのせいにするのだから、リザベルも変化の理由を自分に押し付ける。暴力は悪じゃない。教育の一環であり、リザベルを更生させる1つの手段だ。


 だって。


 だってそう考えなければ、リザベルが愛した人達はリザベルに"悪いこと"をしている人になる。

 大切な家族や使用人たちが悪い人になってしまう。

 だからそんな筈ない。

 突き飛ばすことも、殴ることも蹴ることも、みんなみんな暴力じゃないし、悪いことじゃない。

 きっと、最初の「どうして?」は本当に知らなかったせい。そして「暴力を振るわれると、困るのですか?」という問いは、認めたくなかったからこそ喉を這い出た問い掛け。自分の大切な人は誰1人悪いことをしていない、そう考えるために聞いたのに、認めたくなくて問うたのに、リザベルははっきりと断言されてしまった。

 初めて気付いたのだ。

 自分の置かれている状況が"おかしい"と。

「当たり前だ。一方的な暴力は卑劣で最低なことだ。許されることじゃない」

 それは決定打となる。フィルマの言葉は、リザベルを守って来た何かを壊してしまった。呆然としたままリザベルはフィルマの言葉に頷き、静かに淑女の礼(カーテシー)をして踵を返した。きっと頭の中は疑問でいっぱいだったのだろう。必要だと思っていた暴力が、自分の責ではない理由で振るわれていた可能性を知ってしまったから。

 何を言うことも出来ず、スカートの裾を翻す。その姿を見ていた人々は、リザベルの背でザワザワと憶測の情報整理を始めた。

「どういうこと?」

「暴力は悪いこととか…そんなことも知らないの?」

「振るわれたことがないから、きっと知らないのよ!」

「今回の件も、黒幕なんじゃないか?」

「人を困らせてたことを初めて知ったって?」

「馬鹿じゃないの」

「あんなのが、未来の王妃…?」

 リザベルの事情を知らない彼らは、リザベルの性格に原因を押し付ける。懐疑的になっていく生徒達。それはきっと、リザベルが婚約者の立場を失う第一歩となってしまった。

 この日を境に、リザベルの噂は良くないものへと変わり始めたのである。

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