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 リザベルが中に入ると、王宮に勤める役人が待っていた。変人と名高いものの、その頭脳や手腕は誰からも認められる天才、ディアン・ヨーゼキである。

「お待ちしておりました、カービネナ様」

「本日も宜しくお願いします、ヨーゼキ様」

 黒髪に濃緑色の瞳を持った、理知的な青年がリザベルに笑い掛ける。といっても目の前の当時を称した言葉であり、確か今は30歳だ。24歳の目の前の姿だと、青年と言っても差し支えない程に生き生きとした若さを持っている。美丈夫であることも含めると、彼とリザベルが2人きりというのは些か不安なところであるが、扉はきちんと開かれているためその辺りの配慮もされているようだ。

 それでも落ち着かないのは、当時の俺が知らなかったせいだろうか。

「ではそこに座ってください。今日は何処からでしたっけ」

「セクルグ国建国20年前からです」

「あぁそうでしたね。相変わらず賢い」

 モノクルを上げながら、ディアンがくすくすと笑う。リザベルが微笑みを浮かべて褒め言葉を流すと、そのまま和やかに授業が始まった。

 やはり、これは王妃教育だ。

 俺はこの時次期国王としての教育は緩められ、人脈作りに勤しめと指示されていたが、リザベルは変わらず王妃教育を施されてたらしい。むしろ家庭以外での学習が学園に王宮に、と増えたことでかなり負担にもなっていただろう。それなのに俺はリザベルが放課後すぐに居なくなるのは避けられているからだと勘違いしていた。それは俺の実家とも言える王宮に居て、かつ王妃教育を施されていたからだというのに、何て浅はかだったのだろう。少しでも自分から歩み寄れば良かった。そのくらいなら答えてくれた筈なのだから。

 何故なら、リザベルに話を振って一言も返って来なかった時は、いつも彼女について聞いた時だけだったから。

 たまには義務以外で何かしら贈り物をしようと、好きなものや趣味、最近あった楽しいことを聞こうとしたことがあった。けれどリザベルは常に王妃教育に追われる身。家では家族からも使用人からも虐げられ、昼夜問わず膨大な量の教育を受け続ける日々。そんな中で好きなものは生まれるだろうか。趣味に費やす時間なんてあるだろうか。だからきっと、リザベルはいつも答えに困っていた。答えなかったのではなく、答えられなかったのだ。

 分からないから。

 知らないから。

 俺に趣味があることを、もしかしたら疑問に思ったかもしれない。何故自分にはそんな余裕がないのだろうと、考えたかもしれない。前提の量や厳しさが違うのだから当然なのだが、リザベルはそんなことを知る由もないのだからきっと言い出せない。暇の少なさを憂うのではなく、自分よりも楽しそうなフィルマに怒るのではなく、自分が不甲斐ないせいだと考えてしまうのだろう。リザベルの不自由はリザベルのせいだと言われて生きて来たから。趣味に費やす時間もないことが露呈したらきっと怒られる。殴られてしまう。そんな考えを抱くのも無理はない程に、リザベルは抑圧されて生きていた。

「では、いつも通りもう1度」

「はい」

 教科書の読み合わせの声が聞こえて来て、ハッと我に返った。この時のリザベルを何を習っていたのだろうと、慌てて耳を傾ける。そして、ディアンに促されたリザベルが口を開いたところで俺は硬直した。リザベルの視線が落ちている教科書を覗き込み、愕然とする。リザベルの口からスルスルと出て来たのは、この国で遥か昔に使われていたという古語だった。その言葉を読める者など貴族社会にはほとんどいない。俺も当然読めないし、父や母も読めるかは分からない。何せ普段使っている文字の倍が読みの形として使われており、尚且つ書き言葉に至っては数千数万といった数が存在する。

 リザベルの手元にある教科書は、現代語で書かれていた。つまりリザベルは、現代語を読みながら脳内で古語に変換しそのまま声に出しているのだ。混乱するような作業を顔色一つ変えずやってのける。俺では正解なのかもわからない。けれどディアンの満足そうな顔を見る限り、リザベルは完璧に訳せているようだ。教科書の見開きページを丸々読み終えると、ディアンから拍手が上がる。にっこりと笑ってリザベルを褒め称えた。

「流石で御座います。教師として鼻が高いです」

「…ありがとうございます」

 褒められたのに、リザベルは何処となくぎこちない。その様子を見て、ディアンは向かいの席に腰掛けた。向かい合うような姿勢で足を組み、リザベルに困ったような笑みを向けた。

「…私は貴方に危害を加える気はありませんよ」

 ディアンの言葉に、俺は耳を疑った。リザベルは一瞬びくりと肩を跳ねさせ、ゆっくりと顔を上げる。

「存じ上げております」

「けど信用はしてない、って顔ですね。まぁ無理もないとは思いますが」

 ディアンは、知っていたのだろうか。リザベルが理不尽な暴力に遭っていることも、それによって痣だらけの肌を持つことも、全て。

「私が貴方を褒めるのは全て本心です。貴方はその齢で誰よりも努力をしていますし、その結果も出しています。王妃教育の域を超える知識と礼儀、その身に必要なものは全て、評価以上に身に付けられております。私が言うのだから間違いありません」

「…はい」

 ディアンの言う通り、リザベルの身に付けている知識や礼儀などは必要以上だ。質が高く量も豊富。これらを比較する試験などがあれば、リザベルの右に出る者はいないだろう。もしかしたら左にいるかも分からない。付随出来る者がいるかどうかも怪しいのだ。それなのに、褒められる度リザベルは不安そうな顔をする。1人でいる時以外に笑顔が崩れるのを見るのは、これが初めてだった。

「それでも、貴方のご家族は満足なさらないのですね」

 ディアンの言葉に、リザベルは俯く。その言葉で、やっとリザベルの不安がわかった。


 褒められても、その評価を信じられないのだ。


 リザベルは家で常に罵倒されている。見下され、口にするのも憚られる程の罵詈雑言を浴びて生きている。使用人達に、適当な口実を並べた暴力を振るわれている。その内容はいつも「教育のため」とか「馬鹿で愚図なアンタのため」と言った適当なものばかりだったけれど、王妃教育について誰かと比べることが出来ないリザベルは、それを事実として受け止めてしまっていた。自分勝手な理由で身勝手に正当化されたそれらを、甘んじて受け入れてしまっているのだ。だからこそ本当の評価を今更出されたところで受け止めることが出来ない。上げて落とされるのではないかと、いつか家族が壊れた時のように豹変するのではないかと怯え、最初から期待しないようになってしまったのだ。

「私は見た目通りしがない一役人ですが、貴方の教師を任される程には王からの信頼を得ています。そろそろ貴方の現状を報告しま──」

「いいえ!」

 せんか?

 そう続けようとしたディアンの提案を、リザベルは食い気味に拒絶した。ハッと我に返ったリザベルは慌てて謝罪し、取り繕った笑みを浮かべる。けれどディアンにはお見通しで、「今日こそ、理由を聞いても?」と返されてしまった。今日こそ、ということはこの勉強会の度に聞かれていることなのだろう。リザベルは言葉を詰まらせたが、視線を泳がせた後で、ゆっくりとディアンに目を向ける。彼はリザベルが話し出すまで何も言う気はないようで、やがてリザベルは観念したように震える唇を開いた。

「昔、私の状況に怒った侍女がいました。彼女は若くて器用だったから、入ってすぐに私の湯浴みを担当することになりました。そこで目にした私の肌の色に憤慨したようで、両親に直談判したのです。使用人が犯人だろうと叫んでいました」

 それは半分正解で、半分間違いだ。教育係や実母も犯人である。リザベルの体の傷は、カービネナ家のほとんどが関わっているのだ。

「そして彼女はその翌日に、遺体となりました。表向きは不慮の事故として処理されました」

 絶句した。言葉が出て来ない。

 王太子の婚約者の肌に傷を付けたとなれば、それが故意でなくともそれなりの処罰が下される。そんなこと国民の誰もが知っていることだ。だからこそ露呈を恐れて口封じをしたのだろう。そんな恐ろしいことが平然と起こる家なのだと、改めて思い知らされる。

「それから、もっと勉強することになって。若い人は私の側付きにならなくなりました。()()()()()()()()()が私の側付きになって、()()()()()()()()()()()()()。父とは顔を合わせることなく、兄もそのままで、変わったのはそれくらいでした」

 リザベルが希望を持たぬよう、誰かに言えば更に苛烈になると教え込んで、自身の立場が危うくならないよう仕向けた。考え方も行動も愚物のそれである。怒りが込み上げてくるのは、ディアンも一緒なのだろう。愕然としたその瞳の中には、燃えるような炎が散っている。

 それを真っ直ぐ見つめながら、リザベルはいつも通り微笑んだ。いつも通り、学んだ通り、最も美しい笑みで。

「ヨーゼキ様は賢明な方ですから。私からお話し出来ることは以上になります」

 最後に釘を刺して、この話はお開きになった。

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