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12歳。貴族の子息令嬢は、世間を学ぶために学園に入らなければならない歳である。例外なく、リザベルもフィルマも学園に通うことになった。俺はこの時、他貴族との交流や味方を見つけることも王となる為の教育です、と言われて少しだけ座学が緩んだ。かといって遊び呆けて良いというわけではなく、身分関係なく色々な人に話を聞いて審美眼を養うのが目的だった。勿論歳が近い高位階級の友人が監視役としてついていたし、多少は自分で考えて行動することを覚える為の指示だった。俺は自ら机に向かうタイプではなかったので、教科書よりも実践的で温度のある"人と話す"ことが出来て凄く嬉しかったのをよく覚えている。けれどこの時もまた、婚約者であるリザベルと上手くいっていなかった。リザベルは学園に入ってから更に口を開かなくなり、"婚約者"としての姿しか見せてくれなくなっていた。それは以前もそうだったのだが、何というか、学園に入ったことで余計心の距離が空いたように感じた。恐らくクラスメイトも俺達が2人でいるところを見たことなどないだろう。事実、当人の俺ですら覚えがない。そもそもリザベルは誰かと常にいるようなタイプではなかったし、放課後はすぐに何処かへと消えていた。たまには茶会に誘おうと思ったが、探した時には既にいないのだ。避けられているのかと感じた当時の俺は悲しみを覚え、ますますリザベルから距離を取っていた。
俺は当時から、リザベルのことを嫌ってはいなかった。いつも笑顔で接してくれたし、物静かで聞き上手だ。話すのが好きな俺からしたら良い女だと思う。ただ聞くことに徹しすぎて、俺が話題を振っても答えが一言返ってくる程度しか会話が続かないことが少々難点だったと思う。逆に言えばそのくらいしか、俺がリザベルに対して挙げられる欠点はなかった。今ならどうしてリザベルが会話を続けられないのかという理由も分かっているが、当時の俺は全く気付かず馬鹿みたいな思い違いばかりしていた。子供っぽい俺と一緒に居たくないのだろうかとか、俺のことを信用してないのではないかとか、自分本位なことばかり考えていた。後者はあながち間違いではないが、ベクトルが違う。リザベルの心の負担も見抜けないで、何故信用してもらえると思っていたのだろうか。
自嘲していると、いつの間にか放課後になっていた。リザベルはスッと音もなく立つと、すぐに何処かへと向かって歩き出す。挨拶をされればきちんと立ち止まって美しい礼を返し、返された相手は頬を染めてパタパタと走り去って行った。入学したばかりの頃はまだ、リザベルにも味方はいたのだ。
美しくたなびく銀糸の髪。春の草原を思い起こさせる若草色の瞳。白く透き通るような柔肌と、艶やかに色付く薔薇色の頬。人形よりも精巧な麗しい顔立ちをしたリザベルは、長年の王妃教育によって立ち居振る舞いまでもが完璧である。まるで本の中に出て来る精霊や妖精のようで、その美貌に誰もが見惚れ、王太子の婚約者でなければ所構わず口説かれていただろう。事実、同性である少女達も頬を赤く染めてその相貌に見惚れている。
この間のパーティ内でリザベルに喧嘩を売っていた者達は、ほんの一部のようだ。あの時の少女達は身分が高い方であったこと、少年達は逆に身分が低い方であったことを考慮すると、その根本に僻みがあることが分かる。リザベルに敵わないから、陰で貶めることしか出来ない。怒らせたいけれど誰かに報告はされたくない。そしてリザベルは"誰かに告げる"ということをしない。これらを全て理解しての行動だった。リザベルが俺か王宮の者に報告していれば、彼ら彼女らには一瞬で処罰が下るというのに、リザベルは何も言わず1人耐えていた。恐らくそれは優しいからという理由ではなく、もう誰も信用することが出来なくなっていた故なのだろうが。
言っていて、悲しくなる。
ふと考え事に耽っていると、ガタンっと体が揺れた。何事かと思って顔を上げると、いつの間にか馬車の中に腰掛けている。とはいっても現在に戻って来たわけではない。リザベルの過去の中で、俺はリザベルの体ごと馬車に乗ったのだ。
この意匠には見覚えがある。王宮のものだ。あまり豪華絢爛には飾らず、実用性を重視しながらも品の良い一級品を用いた王家自慢の馬車。何故リザベルが王宮の馬車の中に、と考えたところでハッとする。リザベルが放課後向かっていたのは、恐らく。
黙って見守っていると、すぐに王宮に辿り着いた。
リザベルは所作一つ一つを丁寧に熟しながら城の中を歩いて行く。低いヒールが絨毯を踏みしめ、慣れた足取りで一つの部屋へと向かって行った。リザベルがノックをして開いたそこは、大量の書物が並べられた小さな部屋。
王妃教育用に誂えられた、静かな小部屋だった。