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 知らなかった事実が次々と明らかになる。カービネナ侯爵家は誰が見ても仲睦まじい家族だった。兄と妹はいつも仲良さそうにお喋りをし、侯爵夫婦はいつまでも仲の良い夫婦として有名な、誰が見ても幸せな家庭。そんなカービネナ家がこんなにも冷え切っていたことなど、王太子であるフィルマの耳にも入っていなかった。

 リザベルは少しずつ、王太子の婚約者として社交が始まっていく。デビュタントと呼ばれる文化はこの国になく、大体8歳頃から親の判断で社交の場に同行させるようになる。初めての参加だからと祝われることもなく、数人のデビューが重なれば当人同士で盛り上がる、その程度のものだった。リザベルの社交も同じく8歳頃に始まり、回数を重ねるごとにパーティの堅苦しさにも慣れていったようだった。会場では良くしてくれる者も多く、家に安寧の地がないリザベルにとって社交の場こそが安息の場所になっていた。フィルマと共に挨拶を交わし、様々な令息・令嬢と知り合っていく。

 そんな中でもフィルマはリザベルの異変に気付かず、いつも通りだ。馬鹿じゃないのか。俺が今すぐ出て行けるのなら、自分自身をぶん殴ってリザベルをここから連れ出しているだろう。それくらい悔しかった。ずっと見てきたリザベルの境遇があまりにも悲しくて、悔しくて、苦しかったからだ。最近はずっとどうしたら助けられるかばかりを考えている。

 だが、リザベルの悲劇はまだ終わらないようだった。


 家での酷い扱いに耐えながら、社交に出ればフィルマの婚約者として相応しく振る舞う。そんな日々が何年も続いたある日の社交界。フィルマが王太子として大人と挨拶をしなければならないために、リザベルは1人取り残された。共に行くことは出来ない、現王族のみが行くべき挨拶回りであったからだ。それでも心細く思うことなく、侯爵家令嬢として、また次期国王候補の婚約者として挨拶を済ませるのは流石だが、フィルマがいなくなった瞬間、リザベルを囲んでいた者達の目付きや雰囲気が変わった。11歳になった彼ら彼女らは、来年から貴族として学園に通うようになる。つまり子供として社交界に出るのはこれが最後だ。学園にいる間、生徒は学園に関するパーティにしか出席することが出来ない。しかし王子とその婚約者は別だ。いずれ来る国の顔としての責務を果たすため、2人で寄り添ってパーティに出る必要があるのだ。それらは今出席しているような煌びやかで楽しいおしゃべりの場所というより、失敗出来ないという重責の方が大きい堅苦しいものばかり。しかしまだ子供である彼らはその違いを知らない。だからこそ無邪気に、残酷にリザベルに嫉妬を向ける。

「あの麗しい王太子殿下の隣に並べるなんて良い御身分ですね」

「本当、羨ましいですわ」

「何故喋らないの?口が付いていないのかしら」

「聞くことしか能がないのか?無様だな」

 唐突な皮肉・嫌味の応酬に、リザベルごと硬直する。家庭の事情により口を閉じるようになったことすら罵倒され、何を感じるよりもまず驚きが勝ってしまった。表面にすら出ていない俺の驚きなど露知らず、彼らは反応を返さないリザベルに眉を顰め、更に悪口(あっこう)を連ねていく。内容からしてフィルマは思ったより同年代の貴族から好かれていたようで、もしかしたら身分への憧れかもしれないが、区別の付かない彼らはその隣に座るリザベルを妬み、侮蔑の言葉を投げた。

「殿下がいないと何も出来ないの?」

「嫌だわ、こんな人が治める国なんて信用ならない」

「あり得ない。どんな手を使って婚約者になったんだ」

 5歳の子供が利己的に婚約者になれるわけがない。当たり前のことなのにそれを考える脳もないのか、それとも嫉妬で思考回路が焼けているのか、彼らは次々とリザベルに詰め寄った。リザベルは今まで仲良くしていた令息・令嬢に急に詰られたことに戸惑っているようで、困惑した様子だった。それでも教育のせいかいつも通り笑顔を浮かべ、聞き手に回っている。口を開くことはない。少しだけ首を傾げ、困ったように笑うだけだ。激昂しない判断は、大人な対応である。しかしその対応がまた癪に触ったのか、子供達は思い付いたままに行動を始めた。1人の令嬢が、手に持ったジュースをリザベルのドレスに掛けたのだ。彼女に良く似合うサファイア色のドレスは、シミを作ってじわじわと濡れていく。

「あら、ごめんなさい。手が滑ったわ」

 高笑いをする令嬢に対し、リザベルは固まったまま動かない。フィルマの方を見るが、彼は大人達と話すことに必死でリザベルの様子に気付いていない。馬鹿なのか。婚約者の様子くらい気に掛けておけよ、と心の中で幼い自分を詰る。けれど様子を伺っていたのは他の子供達も同じだったようで、殿下が来ないことを確信した彼らは更に口角を上げた。

「心配もされないなんて、愛されてないんじゃない?」

「見せかけだけなんだな。可哀想に」

「まぁ、自分勝手なお前を聡明な殿下が好きになる筈ないしな」

 自分勝手なのはどちらなんだと、今すぐ襟を掴んでぶん投げたい気分である。けれどリザベルは言われるがままであった。その対応に、何故言い返さないんだと見当違いにもリザベルに詰め寄りたくなってしまう。確かに家庭での教育により口を噤む癖が出来ていたが、こんなに面と向かって悪口を言われたのなら言い返したって誰も責めないだろう。ましてや親や兄弟、教育係といった年上ではない、同年代だ。言い返せる筈だ。頑張れ、と声に出せない声で応援する。けれどそれが届くわけもなく、リザベルは何も言わないままパーティはお開きとなった。

 そしてドレスを汚したこと、別のものに着替えなかったことも含め、家に帰ってすぐに母親と使用人から酷く怒られた。社交場に出て疲れている彼女を労ることもせず、それぞれ何かの鬱憤を晴らすかのように怒鳴り散らした。暴力や暴言も加えた長時間の"教育"により、リザベルが入浴を済ませ自室に1人になる頃にはもう日付が変わっていた。

 リザベルは鏡の前に立ち、自身の姿を見つめる。そこでリザベルの今の姿を確認した俺は、初めて異変に気付いた。その黄緑色の瞳から光が消え、諦めだけが浮かんでいることを。誰かに期待することも、信頼することもやめた瞳を。絶望に染まり、今にも消えてしまいそうな弱々しい姿を。初めて、視認した。


「…死にたい」


 ポツリと呟かれた言葉は、あまりにも衝撃的で。リザベルからそんな言葉を聞いたことも見たこともない俺は、心の底から焦燥に駆られた。今にも首を括ってしまいそうな彼女に何とか声を掛けたい。味方になると言いたい。けれど、当時のリザベルに気付かず婚約解消まで進めた自分が何かを言う資格はないと気付いて、愕然とした。

 鏡に映ったリザベルは、苦しさも痛みも何も感じている様子はなかった。零れた言葉が全てなのだろう。それがあまりにも悲痛で、見ているこちらの方が苦しい。罪悪感と悔恨で押し潰されそうになる。しかしそんな気持ちすら、リザベルにとってはもう信用出来ない何かなのだろうと思うと、頭を掻きむしりたくなった。

 リザベルはもう何も信じていない。家族も友人も、きっと婚約者も。自分すら信じているのか分からない。与えられた婚約者という立場を、教育された事柄に沿って演じるだけ。笑うのも話すのも全部、婚約者として必要だから行っているだけ。それがあまりにも痛々しくて、辛かった。


 リザベル。


 声を掛けても届かない。過去の彼女から見る視点は、いつも苦しい。助けたいと手を伸ばしても、触れることすら出来ず空を掻く。

 どうすればいいだろうか。

 どうしたら昔のように笑ってくれるだろうか。

 そんな俺の悩みを嘲笑うように、リザベルの時間は進んでいく。

 舞台は、学園へと移り変わって行った。

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