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日中歩き回った弊害か、睡眠不足という身体の重さも相まって欠伸が絶え間なく続くが、残りの日付を省みても今寝るわけにはいかない。疲労をコーヒーで誤魔化して、今日までに提出された資料をまとめた。
「…ネーガルー公爵は一体、何が目的なんだろうな」
唐突に呟いたその声に、従者がぴくりと反応する。
「次期王妃の実家という立場では?」
「いや。それを狙ってるのはブランフェル侯爵家だ。同様にチャルファン男爵家とスレラト侯爵家は財力を欲しがっているようだし、ネーガルー公爵は何らかの伝手を用いてそれを渡している。チャルファン男爵家は、ブランフェル家の権力欲と引き換えに娘を渡しているな。だからこそ、それらを与える代わりにネーガルー公爵家も何か欲しいものを手に入るよう計画している筈だ。権力でも財力でもない、何かを。その何かが、全く分からないのだが」
「ネーガルー公爵がしたことと言えば、ブランフェル侯爵家の前でわざとカービネナ侯爵家の栄光を讃えたり、カービネナ侯爵に愛人をけしかけたりですかね」
「あぁ。前者はそれによってリザベルの兄がリザベルに加害を加えるきっかけになっているし、後者は……母がリザベルに加害を加えるきっかけに、なっているな」
話しながら整理していると、どちらもリザベルへの加害に繋がっていることに気付く。そしてそれは、カービネナ侯爵家の解体に繋がっている。
「カービネナ侯爵家の崩壊…か?」
「まさか」
「いやでも、あり得なくはないだろう」
「それは…」
カービネナ侯爵家は元々公爵家に次ぐ高い地位を保持していた。次期王妃を輩出した絵柄となれば、叙爵もあり得ただろう。そう考えると、ネーガルー公爵家の方が立場は上だが狙う理由にはなり得る。
「しかしネーガルー公爵家も安泰な立場。わざわざ狙わずとも」
「行動に出さない理由もある。しかし行動に出す理由もあるのだ。実際、事が起こってるしな」
「…では一度その線で調査を行います」
「あぁ、頼む」
話し合いを終え、従者が部屋の外に出るのを見送ってから、時計を確認する。そろそろ昨夜出発した時刻だ。クローゼットから闇に紛れる黒い衣服を取り出し、それに着替える。着替え終わりと同時くらいにノックの音が聞こえ、合言葉を挟んで対面すれば影の姿。昨日と同様頭を抱えた彼は、虚ろな目でじとりとこちらを見つめた。
「…本日もご同行するつもりでしょうか?」
「当たり前だ。ネーガルー公爵家だろう?」
先程の従者との話もある。今回の企てに最も関与しているのはネーガルー公爵家で間違いないだろうが、その動機が未だ不明瞭だ。このまま断罪に臨んでものらりくらりと躱され、また同じ悲劇が起こるだろう。それを回避するために、少しでも多く情報が欲しいのだ。そしてその為には、上がってくる情報を待つだけでは足りない。現場に赴いて必要な情報を整理することと、目星を付けた事柄についてその場で更に情報を集めること、この2つが必要なのだ。これは今回の件において全ての情報を管理している俺でなければ出来ないことである。危険など気にしている場合ではない。
「承知致しました。けれど、何か起これば1番に貴方を連れ出します」
そう言いながらこちらを見つめる影の瞳には、昨日にはなかった鋭い嗜めが宿っている。それだけネーガルー公爵家のセキュリティは高く、今日までの調査で結果が出せていないのだ。
「あぁ、わかっている」
すまないもありがとうもまだ言えない。それが口に出来るのは、何事もなく無事に帰って言葉を交わせた時だ。
「では、行くぞ」
「はっ」
また屋根裏を伝って、外へ繰り出す。宵闇に紛れながら、人が歩く筈のない場所を選んで進んでいく。
事を起こすのは明後日の王宮なのだから、今この瞬間王都から遠い自身の領地に計画が存在するとは考えられない。第一王位継承者の婚約解消と新たな婚約者の派遣がきっかけになるのであれば、そこから始動する何かが必ずある筈なのだ。それを遠くにある彼らの領地に置いておけば、タイムラグが生まれる。王家の崩壊をきっかけに動きたいのであれば、そのラグは出来るだけ取り除くべきだ。そしてその為には、今王都にある屋敷に計画の端々を置いておくことが最低条件となる。
高位貴族であるほど王宮に近く良い立地を与えられる都合上、あっという間に到着した。広大な敷地を、一般の侵入者ではまずあり得ない屋根の上から見下ろして、詰めた息を吐く。
「殿下、本当に王太子か疑いたくなる程我々の身のこなしが変わりませんよね」
「暴漢対策だよ」
「それだけじゃありませんよね?」
影のじとりとした目を躱しながら、俺は何処から侵入するのかを問い掛ける。話題の変換に不満そうにしていた影だったが、決して城から抜け出すのを繰り返したことでこの身体能力が身に付いたわけではないため安心して欲しい。
「まぁ、いいです。えぇと、我々が向かうのは…」
予め分担された順路を示され、俺は素直に従った。昨日の潜入部隊が見つけ出した屋根裏への順路を辿り、音を立てないよう慎重に目的の部屋へ向かう。本当は俺が屋根の上に待機して情報を受け取る度にもっと必要だと判断した情報を持ち帰るよう指示する方が早いのだろうが、本来いる筈のない場所に人影があると、見つかるリスクも上がるので仕方ない。そうして連れて来られたのは、最も危険な執務室から遠く離れた、長らく使われていないであろう空き部屋であった。
「…ここに何かあるのか?」
「場合によっては」
空き部屋に見せておいて重要なものを隠すというのは、まぁあり得なくはない。けれど影の様子を見る限り、その可能性はゼロに近いように見える。屋根の上にいると目立つから、応接室からも執務室からも遠く、何なら公爵家の私室からも遠い比較的安全圏に貴人を置いておきたいのだろう。そんな思惑が透けて見える。更に言えば使用人棟も遠いので、人の出入りは全くないと言って良さそうだ。
「中継地点と合流地点を兼ねています。箱や本が積まれているため何かが隠されている可能性も御座いますので、こちらをお調べください」
「…調べたいと申し出る私を、人通りの少ないここに押し込める程には危険ということか」
「察しが良くて大変助かります」
少なくとも影よりはこういった調査に慣れていない俺を連れて行くには、あまりにもリスクが高いということだろう。昨日のスレラト侯爵家では全く警戒されていなかったのに、このネーガルー公爵家では対策を行うということは、それだけ警戒体制が雲泥の差なのだと理解する。文句を言える立場にはないため黙って頷くしかなかった。一応、この場にヒントがないとは限らないのだ。
「では。くれぐれも見つからぬよう」
「分かっている。お前らもな」
ヒソヒソと会話を交わした後で、俺は物置部屋のように箱や物の積まれた部屋の中へ降りる。なるべく音を立てないように降りたつもりだが、安全確認のために様子を伺っても人っ子1人来る気配がない。安心して探索を開始し、一つ一つ本をめくったり物を観察したりし始めた。
1時間掛けて見回った部屋の、調べられるものたちは全て、ガラクタの山でしかなかった。




