38
帰宅後、秘密裏にリザベルを部屋に送り届けて、朝からずっと王城にいたふりをして自室に戻る。今日の外出に伴っていた者とは別の従者が待ち構えていた。
「お帰りなさいませ」
「ただいま。調査の方はどうだ?」
「こちらに」
視線を向ければ、執務机の上に書類が載せられている。今置いたのだろう、リザベルに関する書類であることが包み隠さず晒されている。着替えながら書類を手に取れば、昨日調査を進めたブランフェル侯爵家、スレラト侯爵家、そしてカービネナ侯爵家についての罪状が分かりやすくまとめられていた。ディアン・ヨーゼキと裁判長がまた楽しそうに話していたそうで、彼らは当日の段取りも決めてくれているらしい。全てを自分1人でやるのは無理だと思っていたが、これほどまでに頼りになるとは。感謝と共に申し訳なさが込み上げてくる。そんな今はどうしようもない気持ちを振り払って、もう一度資料に目を落とした。簡潔にまとめられた罪状だけでも、彼らの爵位剥奪は確実だ。派遣されている影の者達も呼び戻していいかもしれない。そう告げれば、既に休息を取っているとのことだった。頼りにはしているが無理はしてほしくないため、この素早い判断はありがたい。
「こっちの書類は…」
「そちらはネーガルー公爵家の方です」
昨日から進めていたネーガルー公爵家についての報告書は、他の家よりも薄く僅か1枚だけだった。
「…ネーガルー公爵家はこれしか出て来なかったのか」
「えぇ。他と比べてかなり厳重でした」
「他が阿保過ぎる可能性もあるがな」
そもそも気付いたのが他と比べて遅かった。秘密裏に調査してボロボロと証拠が出て来る方がおかしく、ネーガルー公爵家のように何も出て来ない方が普通だろう。この国にどれだけいるのか分からないが、潔白な貴族だったとしても報告書は同じようになるだろう。案の定、スレラト侯爵家とブランフェル侯爵家は昨日の侵入にも気付いていないようだ。情報をすっぱ抜かれても気付かない阿保が辿り着く場所は、地獄への入り口、ただそれだけだろう。
「…"何か"はありそうなんだけどな」
引っ掛かったことはいくつかある。昔のリザベルに憑依していた時、リザベルがネーガルー公爵の視線から逃れるような仕草をしたこと。そんなネーガルー公爵は出世欲に取り憑かれているブランフェル侯爵と侯爵夫人に対し、煽るようなことを言ったこと。そしてそのブランフェル家の2人がリザベルの兄にあることないこと吹き込み、カービネナ家の崩壊が始まったこと。
全て、連鎖しているのだ。偶然に見えるが、所々に作為が絡む余地がある。もしネーガルー公爵にカービネナ侯爵家を崩壊させる意図があったなら、この行動は極めて的確だ。各人の性格と他者の操り方を心得た上で起こされた、極めて人為的な偶然だ。
嫌な予感が背筋を伝う。
リザベルへの直接的な加害は、もう一つある。兄から妹への態度を皮切りに起こった使用人の虐待と、もう一つ。家庭教師と実母からリザベルへの虐待だ。昔見た、最初の記憶のカービネナ夫婦はとても仲睦まじかったのに。
歯車が壊れたのは、何処からだっただろう。
気付いてしまったのは、昨日の夜スレラト侯爵家であの2人を見てしまったせいだろうか。
「…カービネナ侯爵の愛人に、話を聞きたい」
命じると従者はすぐに畏まり、部屋を後にした。
カービネナ侯爵夫人が娘に辛く当たるようになったのは、カービネナ侯爵に愛人が出来てからだった。当時は分からなかったが、使用人が仕事中に無駄口を叩いていたから知ってしまった。リザベルは両親の不仲を知り、母親の怒りが何処から来ているのかに気付いた。それでも歪んだ認識では八つ当たりを正しく八つ当たりと考えられず、やはりここでも耐え忍ぶ選択をしてしまったのだけれど。
カービネナ家崩壊のきっかけを担ったであろう女の元へ、従者と共に向かう。貴人牢ではなく簡素な石畳の敷かれた牢屋に居たのは、草臥れた様子が微塵もない上品な女性だった。
「こんばんは、王太子殿下」
こちらに気付いて、開いていた本を隣に置く。その仕草一つ一つが貴族に負けず劣らず丁寧な所作で、育ちの良さを感じさせる。カービネナ侯爵共々調査をした際に判明した彼女の出身は、遠い異国の地の没落貴族とのことだった。その後国や地位を転々とし、とうとうカービネナ侯爵の愛人に収まった、もいうわけだ。
くすくすと笑う姿は妖艶で、何も知らなければ引き込まれてしまいそうだ。着飾っているわけでもないのに、慈悲を求めて縋りたくなるような魅力がある。
「こんな夜更けにレディの元に訪ねるなんて、誤解されてしまいますわよ」
「ご忠告どうも。折角ならその忠告に則って、単刀直入に言おうか」
鉄柵越しに向けられた瞳が、笑うように細められる。けれど弧を描いた唇が隠れれば酷く冷たい、そんな瞳だった。
「カービネナ侯爵と出会ったのは、どうしてだ」
「あら、他人の色恋沙汰に興味が?」
「御託はいい。必要最低限だけ話せ」
愉快そうに表情が動き、呼吸を一つした後に女は話し出す。
「年月は覚えておりませんが、城下で踊り子をしていた時のことです。そこは何処ぞのご貴族様が出資していたようで、身分のお高そうな方も時々いらっしゃいました。逆にこちらが出向くこともあり、私が彼の方と出会ったのは丁度その催し物があった時のことです。確か、スレラト侯爵様の邸宅だったかと」
「…!」
「わたくし達は代わる代わる舞を披露し、その場に居た方々を楽しませていました。時折気に入られた女の子は他の部屋に通されることもあり。そんな子は後日呼び出されてからはもう2度と、姿を見ることはありませんでしたね」
そういった売買も行う店だったので、と最後に息を吐く。
スレラト侯爵家が手を付けていた人身売買、横領、謎の収入源。あの場にあった書類以上の悍ましい事柄が、目の前の女の口から紡がれる。彼が側に置いている愛人も、それによって見初めたのかもしれない。
「そうそう。それでその日は解放されたのですけれど。その中で一際見目麗しい男性がいらっしゃって、よく覚えていたのです。そんな方が後日わたくし達の常駐する公演会場にいらっしゃって、お食事に誘われました。年甲斐もなくはしゃいでしまって、けれど上に文句を言われることも折檻されることもなく。今思えば、相手が国有数の貴族だったからなんですね」
記憶を辿るように、懐かしむように。彼女は目を伏せながら過去を語る。そこから先はまるで初々しい恋人同士のように仲を深め、互いの意思を確認して邸宅に引き取られたのだとか。先程の他の女性を称する時とは異なり、売買に関する単語が出て来ない。しかし仕組みを見る限り、駆け落ちでも何でもなく、金銭の絡む取引があったことは明らかだ。カービネナ侯爵家ならば、人1人買うくらいで懐は傷まない。それでもそう称したということは、当人の間では同意に基づいた取引だったからだろう。それが周囲に与える影響も痛みも、何も考えていない。
「なるほど。そうして君はカービネナ侯爵の愛人となったのか」
「まぁ、愛人なんて」
緩やかに微笑む表情とは裏腹に、その瞳には鋭い光が宿る。あくまでたおやかな姿勢は崩さないけれど、言葉に侮蔑を感じ憤慨していることは、見て取れた。
「わたくし達は出会ったのが少し遅かっただけの関係です。互いに愛し愛されているという意味で言えば"愛人"なのかもしれませんが、貴族の婚姻など愛がなくて当然でしょう?夫婦かそれ以外かで括られる謂れはありませんわ」
カービネナ侯爵と愛人は同意の上で関係を持ち、同意の上で貴族の別邸で暮らしていた。貴族の血筋を残すための子は既に成したため本邸には寄り付かず、実子に目を掛ける様子もなかった。そうして助けを失ったのはリザベルだけでなく、リザベルの兄もなのかもしれない。いつの間にか父は自分も家族も省みず、ただ愛した見知らぬ女と暮らしを共にする。その憎悪を晴らす機会には、いつだって自身より弱き者が標的になる。
「わたくしは真に愛する人との仲を深めていただけ。そしてその愛する人は家の為に血を紡ぐ必要があっただけ。それならば血を紡いだ後に少しだけ、自分の為に生きる時間くらいあっても宜しいのではなくて?」
こういった言説は、正論のように聞こえて来るのだからたちが悪い。都合の良いところだけを切り取った、つぎはぎだらけの理論であるのにも関わらず、だ。
「では紡がれた血を育てる必要はないと」
「まぁ。そんなことは言っておりませんわ?勿論家には夫人がいるんですもの。能力として足りずとも、子のために尽くすのは夫人の役目ですわ」
「そうか。では君の家が没落しなかったとして。旦那が育児を全て任せて外へ出て行っても、黙って受け入れるというのだな」
「はぁ?何を」
「頬が動いた」
ピッと指をさす。相変わらず微笑んでいるが、その頬はピクピクと痙攣していた。
「君は俺の言葉に"怒り"を抱いた。何を言ってるのか分からないからではなく、その状況に自身があることを想像して」
今度は分かりやすく眉を顰める。しかしそれでも当たり散らすのではなく、心底理解が出来ないと惚けているかのようだ。惚けているのか、本当に理解していないのかは不明だけれど。
「つまり君は、夫人の立場を嫌がったんだ。それはそうだろう。家の為とはいえ共に暮らしていく筈のパートナーが、子育てという義務を放棄し好き勝手遊んでいるのだから。考えるだけで腑が煮え繰り返る。君は、他人にその役目を押し付けたんだ」
「仰ってる意味が…」
「君は、逐一説明しなければ理解出来ない愚か者ではない。分かっていて目を逸らしているだけだ」
言われれば、理論の曖昧性を活かして別の意味に捻じ曲げ、「被害と加害」の関係を「夫人と自身」から「子供と夫人」にすり替え、糾弾する。穴を突かれればのらりくらりと躱しつつ、話を変える隙を伺う。おっとりとした雰囲気で誤魔化しているようだが、彼女は常にこちらを丸め込もうとしていた。頭の回転が速く、保身と攻撃を無意識下で同時に繰り出せる。そう見抜ければ簡単だ。逃げ場を潰して突きつければ良い。それを認めることは非常に苦痛で屈辱的なことだろうが、知ったことではない。
「だからこそ敢えて言おう。君は愛と傲慢を履き違えた、ただの盗人だ」
そう言えば目を見開いて、怒りに震える唇を噛んだ。
「貴方に何が分かるの………っ!」
「分からないな。貴方と私では考え方が違う」
「っでしょう」
「私は、愛する者と必ずしも添い遂げるべきとは思わないからな」
「……ね」
怒りに任せた肯定が、尻すぼみになって戸惑いに変わる。こちらを伺う瞳が、困惑の色に染まっていた。
「愛する人が幸せならば、隣に自身が必要だとは思わない。私が隣に居ない状況が最幸というのなら、無理に入り込むつもりはない」
「…そんな、の…」
「そういう形もあるのだよ。愛しい人を手に入れることが全てではない。逆に言えば、愛しい人を手に入れるためにすることは全て許される、というわけでもない。それは大義名分にならないんだ」
例えば、俺がリリィ・チャルファンに恋をしたとして。結ばれるためにリザベル・カービネナを蹴落とす行為は許されることではないし、許されてはいけないことなのだ。そうするくらいならそれ以外の全てを自身が捨てるべきで、相手にも捨てる覚悟を持たせるべきなのだ。そんな覚悟は出来ない。俺はリリィを王宮に巻き込むことは嫌だったし、それ故に結ばれようとは思わなかった。リザベルに対しても王家から解放してやりたい一心で動いているし、今改めて芽生えてしまった彼女への心は、彼女の幸せの前に邪魔になるのであれば秘め置くべきなのだ。
少なくとも俺は、そう考えてしまう人種なのだ。
「貴方は聡い。そして理性もある。何処かでは理解していたのだろう。いや、どちらかというと理解した上で知らないふりをしていた」
「…わたくし、は」
目を伏せた彼女が、また理知的な瞬きを取り戻す。先程の分かりやすい憤慨は、こちらを煙に巻く為の演技だったのだ。
「…わたくしは元々、遠い遠い国の没落した貴族の娘でした。母の愚かさで、わたくしは石を投げられる生活を余儀なくされたのです。店も転々として、日銭を稼ぐ毎日でした。ようやく辿り着いたあの店で、わたくしは踊り子として評価され、そして貴族の邸宅に招かれました。先程語った通り、スレラト侯爵様の家です。わたくしは貴族として過ごしていた遠い記憶への未練が、這い出てきました。今更、と抑えようとしていたところに話し掛けて来た男がいました。新たな価値観の授受の礼に、お教えしましょう。ネーガルー現公爵様です」
「…!」
「彼の方はわたくしに囁きました。隙のあるとある貴族の話を。…カービネナ侯爵様の好みを。囁き声による手解きでしたが、わたくしはそれを見事再現致しました。再現出来て、しまいました。結果、夫人を差し置いてこちらに迫る殿方の出来上がり、ということですわ」
その表情には哀しげな色合いが浮かんでいる。胸を痛めている様子から、いつしか本当に彼を愛してしまったのだろうと察しが付いた。始まりは打算だった筈なのに、夫人を差し置いて愛し合ってしまった。社会として文化として許されぬ愛を、育んでしまった。それを責め続けることは苦しいから、逃げ道として愛に狂った道化を演じていたのかもしれない。
「今思えば、ネーガルー公爵様は気付いていたのでしょうね。遠い昔に挨拶を交わした記憶が、朧げながら御座いますから」
その言葉を最後に、彼女は静かに目を伏せた。これ以上語ることはないと告げるように。俺は静かに立ち上がり、聞こえるかどうかも分からない大きさで、小さく感謝を告げた。
少しだけ、彼女の唇が哀しげに笑った気がした。




