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 各人の罪の洗い出しと、それを取りまとめた書類の作成、卒業パーティとそれに伴う断罪の準備などを同時に行うのは、体力的にも気力的にもかなり厳しいものがあった。リザベルを被害者として連れ出さなければ証言が取れないこともあり、彼女に更なる心労を掛けることも申し訳なさに拍車を掛けていく。

 あと2日。

 3日後には卒業パーティとなり、そこで全てが終わる。リザベルに後ろ指をさして嘲笑っていたやつを、地獄から這い出した俺が引き()り落としてやる。

 そんなことを考えながら、欠伸(あくび)を噛み殺す。今日は昼前からリリィ・チャルファンの後見人としてつく予定の家へ向かい、リザベルとの婚約解消を餌に他の悪事についても抜き出しに行く予定である。馬車は歩くより大分早いが、それでも遠くまで行くのには時間が掛かる。夜まで掛かると思われるので、いつも夜にまとめている調書やそれについての話し合いを先に済ませておこうと、今朝から王宮内を歩き回っていた。

「…あ」

 カツカツと靴を鳴らして歩いていると、客間の1つを通り過ぎるところだった。俺の専属護衛から人員を割いて回したその部屋は、1日中部屋の主人を守り続けている。


 今日の挨拶はまだだったな。挨拶して行くか。


 そんなことを思いながら、足を止めて衛兵に声を掛ける。ここはリザベルが療養している部屋だ。寝ていたら起こさず、来たことも特に伝えなくて構わないと告げてから、侍女に確認しに行ってもらった。王太子を部屋の外で待たせるなど通常は不敬に当たるが、衛兵と侍女には俺よりリザベルの方が位を上と見て接するよう指示してある。彼らは戸惑いつつも従ってくれていた。しばらくして衛兵が「どうぞ」と中に通してくれる。どうやらリザベルは起きているらしい。挨拶をして中に入ると、リザベルはソファに腰掛けて窓の外を見ていた。銀糸のような髪は緩やかに肩に落ち、若草色の瞳は何処か遠くを眺めている。穏やかな色合いを引き締めるような濃い緑色のワンピースドレスを身に付けているその姿は、まるで森を守護する女神のよう。ここが王宮の客間であることも忘れてしまいそうなその美貌に、思わず見惚れてしまった。昔から見ていた筈のその姿に、こんなにも心を揺さぶられるのはどうしてなのだろうか。

「リザベル」

 慌てて声を掛けると、リザベルはゆっくりとこちらに顔を向けた。話は通してもらった筈だが、リザベルは何処(どこ)かぼんやりとした様子で座り込んでいる。俺が来た時の淑女の礼(カーテシー)も何もしなくて良いと伝えたせいか、どうしたら良いのか分からない様子だった。気安い関係がどう挨拶するのかすら、リザベルは知らないのだ。その事実に胸が痛む。

 向かいに座って他愛のない話をすることよりも、さっさと挨拶を済ませて出た方が良いだろう。リザベルを追い詰めたのは俺も同じなのだから。

「リザベル、手を見せてもらってもいいか?」

 リザベルの様子を確認したらすぐに出るつもりだったが、ふと怪我の様子が気になって声を掛ける。リザベルはこくりと頷いて、目の前に(ひざまず)いた俺に両手を差し出した。最後に見た時よりも少しだけ薄くなった(あざ)の色に、思わず安堵(あんど)の息を吐く。薬は効いている。書類上は医者から報告を受けているが、見ないことには信用出来なかった。リザベルの周りには、そうやって誤魔化して嘘を吐く者ばかりだったから。

「手以外も痕は薄くなっているか?」

 確認を込めて問うと、リザベルはこくんと頷いた。少しだけドレスの(すそ)(つま)んで持ち上げる。ふくらはぎにあった(つた)のように這う青痣が、少しだけ薄くなっていた。俺が確認しにくいところもしっかりと治療は進んでいるらしい。ホッと安堵して、リザベルに「ありがとう」と返す。その言葉を受けて裾を直し膝に手を戻したリザベルは、またぼんやりと窓の外を見つめ始めた。

「リザベル?」

「…そと」

「外?」

 今日は生憎の雨だ。王国自慢の庭園も、曇り空の下で心なしか哀しげに揺らめいている。それを眺めながら、リザベルはポツリと呟いた。


「外に、行き、たい」


 それはお願いとしてではなく、婚約者としての義務を果たそうとするでもなく、ただ思ったことが声に出てしまったかのような言葉だった。リザベルはハッとしてすぐに口を(つぐ)む。驚いて目を2、3回ぱちぱちと瞬いていたので間が空いてしまったが、それがリザベルの願いだというのなら叶えない理由はない。「行こうか」と笑って告げれば、リザベルは目を丸くして振り向いた。

「どうした?」

「いいの、ですか?」

「いいよ。ここに連れて来た時、最初に言っただろう?」


 外に出たい時は俺を呼んでくれ。


 リザベルを傷付ける(やから)が何処に潜んでいるか分からないため、俺という盾がない時は外に出すことが躊躇(ためら)われた。だからこそそう言ったのだ。馬鹿どもの罪状を洗い出さなければならないが、それよりもリザベルが望むなら優先したい。その上で睡眠時間が削られようとも、今までしでかして来たことに比べたら安いものだ。

「そう、でしたね」

 リザベルはポツリと呟いて、俺の手を取って立ち上がった。エスコートしながら、侍女に視線で指示を出す。

 しとしとと雨の降り注ぐ音を聞きながら、ゆっくりと庭園へ続く通路を歩いた。


 とりあえず庭園が眺められる場所に出たが、リザベルはぼーっとしたまま外を見つめるだけだ。雨露に冷えた風が、月光のように淡く輝く銀の髪を優しく揺らす。白い肌を撫でるそれは、透き通ってキラキラと僅かな光を反射していた。春の訪れを感じさせるような鮮やかな新芽の色を称える瞳は、庭の咲き誇る花に視線を集中させている。何かを我慢するように薄い唇が横一文字に結ばれているのに気付き、そっと声を掛けた。

「庭園に出るか?」

 その言葉に、リザベルはこちらを振り返って目をまん丸に見開いた。先程から声を掛ける度に驚かれている気がする。どうしたのかと首を傾げれば、視線を迷い子のように彷徨わせて震える声で呟いた。

「淑女は、雨の日に、わざわざ庭園に出て、ドレスを汚すようなことは……」

 きっと、"教育"として誰かに言われたことなのだろう。確かに多くの貴族令嬢は服や自身を汚すことを嫌うし、洗濯する侍女からしても泥汚れは面倒な部類だ。だから教育と称して、自分達に都合の悪いことはさせないようにして来たのだろう。外聞か、他人に合わせるためか、それとも自分の手間を省くためか。理由などは分からない。けれどそうして奪われた自由を、今もなお奪い続ける理由はない。

「傘を」

 振り返って言葉を掛ければ、優秀な侍女がもう既に大きな傘を用意していた。受け取って、2人を覆うように差すとまたリザベルが驚いたような顔をした。俺は微笑んで、そのまま庭へと促す。躊躇っていたようだが、本心には勝てなかったのかゆっくりと足を踏み出した。露に濡れた柔らかい草の絨毯を踏み、1番近くに咲く花の前へと向かう。俺はリザベルに傘を傾けながら、転ばないようもう片方の手で支えつつ花の元へ進んだ。リザベルを迎えてくれたのは、幾重(いくえ)にも花弁を寄せて薄桃色に咲く、可愛らしい大輪の花だ。その花びらを雫に濡らしながらも、凛と咲き誇る美しい花である。

「…」

 無言でそれを見つめるリザベルは、とても美しかった。

「部屋に飾るか?」

 俺のこの言葉にも驚くリザベル。令嬢が花を愛でるなんて特に珍しいことではないので、流石にこの反応には疑問を感じた。

 問えば、リザベルはゆっくりと昔言われた言葉を繰り返す。

「…必要でない時に外に出ることは禁じられてました。花の世話が大変だからと、仕事を増やすなと言われておりましたので」

 リザベルを縛ったのは、何とも自分勝手な侍女の言い分だった。リザベルの聞き分けが良いからこそ出来たことだろう。職務怠慢も良いところだ。

「花を愛でることは良いことだ。自然を愛し、また自然に愛されるのも貴族の娯楽。全てを使用人に任せることは確かに良くないことだが、仕事の一つであるそれを感情的な理由で放棄し、主人の行動を縛ることの方が余程罰せられるべきことだ。手を上げ、罵倒したのなら尚更」

 思い出してしまったせいでつい忌々しげな言葉遣いになってしまったが、慌てて取り繕う。するとこちらを見ていたリザベルが、きょとんとした顔で呟いた。

「どうして」

「え?」


「どうして、手を上げたり罵倒したりしてはいけないのですか?」


 その疑問に、言葉を失った。リザベルは本気で言っている。傷付けられ続けて来た彼女は、それを常識として飲み込んでしまっているのだ。

 不思議そうに若草色の瞳を向けて来るリザベルの手を、傘を持っていない方の手で取る。傷口に触れないように手の平を上に向け、まだ痕の残る痛々しい青を優しく包んだ。

「傷が付くと痛いだろう。痕が残ると思い出して苦しいだろう。人は他人に、故意にそんな思いをさせてはいけないんだ。何度も繰り返していたら、取り返しの付かないことを引き起こしてしまう」

「取り返しの付かないこと…?」

「死を選ばせることだ」

 俺の言葉に、リザベルは僅かに息を呑んだ。今日はリザベルの感情がよく動く。気まずそうに視線を泳がせたことで、俺の中で確信が出来た。

 やはりリザベルは、あの日。

 俺が婚約解消を申し入れたあの日に。


 自殺するつもりだったのだ。

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