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リリィはにこにことリザベルに愛らしい笑みを向けている。けれど何故か今の俺には、その笑顔が薄気味悪く見えた。あんなに好きだった笑顔なのに、いつもと変わらない優しくて可愛らしい笑みなのに、何故か貼り付けられたような薄気味悪さを感じた。
「初めまして、リザベル様!」
その言葉に、俺はギョッとした。我が国の貴族において、ファーストネームは親密な関係でしか呼ばないものだ。家族や親友同士、婚約者や恋人などごく限られた関係でしか呼ばない。長年リザベルの教育係を務め上げているディアンだって、リザベルのことは"カービネナ様"と呼んだ。リザベルの熱狂的なファンだった彼ら彼女らだって、リザベルのことをファーストネームで呼ぶことはなかった。呼んでいるのは婚約者である俺や、一応友人という立場の高位貴族令嬢くらいである。それなのに初対面で初っ端から名前を呼ぶとは、どういうことだろうか。
「…初めまして。カービネナ侯爵家のリザベルと申します」
リザベルは改めて挨拶をした。本来名乗ることだって位の高い者からは行わない行為。けれどリリィがいつまで経ってもにこにこしたままなので、仕方なく自己紹介したようだ。リザベルは国中の貴族の名前を覚えていたし、リリィは俺と噂になっていたから名前も位も知っていただろう。だから遠回しに注意をするために、わざわざ家名と爵位まで述べた。
それなのにリリィは、その自己紹介にパッと顔を明るくし、不躾にもリザベルの手を両手で握った。ぎゅっと力を込められたことで青痣が抉られ、リザベルの顔が一瞬険しくなる。リリィは一瞬手元に視線を向けて、けれど遠慮なくリザベルの手を握り締めた。ぴょんぴょんと無駄に跳ねて喜びを表現している。
「こんなに可愛らしい方とお話し出来るなんて、幸せですわ!」
お前から話し掛けて来たのに何を言っているんだ。
段々とリリィの態度に嫌悪感を抱き始める。リザベルへの無礼も、未だに名乗らない非常識さも、何も魅力的に感じない。以前の俺は、身分に縛られないその点こそが愛らしく感じていた筈なのに。
「あの、お名前をお伺いしても?」
「あっ、私ったらすみません!つい興奮してしまって…えぇと、リリィ・チャルファンです」
家名さえ名乗れば、例え知らなかったとしてもリザベルは爵位も当主の顔も全て思い出せる。だからきっとはっきりと分かった筈だ。フィルマが気に入っているらしい男爵家令嬢の、目に余る無礼を。
「…そう。チャルファン様はおしゃべりがお好きなのですね」
「はい!大好きです!だから…」
「では世間話の種に1つ、挨拶の仕方について周囲の方にご教授願うと宜しいかと。…申し訳ありません、私、この後用事が御座いまして。ご機嫌よう」
リザベルは淑女の礼もせず、淡々とその場を後にした。少し離れたところで騒がしい声が聞こえ、振り返ると、いつの間にかリリィの周りにはたくさんの子息令嬢が集まって来ていた。彼らは公の場であるにも関わらず、はしたない大声で喚き散らしていた。そのお陰でこちらにも聞こえて来る彼らの会話から察するに、どうやらリリィが瞳を潤ませ、今のやり取りを捻じ曲げて告げたらしい。盛り上がる人だかりは、リリィの味方をして息巻いている。
「なんだって!?カービネナ様に意地悪をされた!?」
「何てこと…リリィはカービネナ様と話がしたかっただけなんだよね…?」
「あの冷血女!許せないわ!」
あの状況を客観的に見ればリリィが10割悪いし、リザベルの皮肉だって優しいものだった。自分の婚約者に擦り寄る女への対応にしては、むしろ温かいものだった。ほとんど注意にも取れるあの言い方は、本来貴族社会ではあまり宜しくないものだ。けれどそれをしてまで教えたのは、リザベルの優しさ故である。
貴族は常に腹の探り合いだ。あの程度の嫌味で堪えるようなら貴族には向いていない。あの態度といい平民と同類だ。むしろ平民の方がこちらを畏敬する分マシかもしれない。リリィは平民からの成り上がりでも何でもなく、生粋の男爵令嬢の筈なのだがどういうことだろうか。
その理由は、次に彼女とリザベルが邂逅した日に明らかとなった。




