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 幸せになりたいのなら、君を幸せにしたいと思っている人と一緒に居れば良いんだよ。

 出来れば私が、その人になれたらいいな。


 そう言ったのは誰だっけ。太陽の下で煌びやかに光る美しい糸のような髪が、青い空に翻ったのは覚えている。その瞳の色も、どんな顔をしていたのかも、何も思い出せないけれど。その言葉だけは何故か、ずっと覚えている。



 ~*~*~*~



 1週間後、ちょうど俺の誕生日に学園の卒業パーティが行われる。その会場で、俺ことフィルマ・セクルグは婚約者のリザベル・カービネナとの婚約解消を発表する。既に父母である国王と王妃の許可は得ており、婚約者の父母であるカービネナ侯爵と侯爵夫人の調印も今さっき得たところだ。リザベル本人にも先んじて話したところ、引き止める様子もなく「わかりました」と短く答えられただけだった。

 あまりにも呆気なくて驚いたが、リザベルは昔からそうだった。出会ったばかりの時は無邪気で愛らしい少女だった記憶があるが、それも14年前の話である。婚約後初めての顔合わせの時には、今のように従順で物静かな令嬢になっていた。何かあったのかと問い掛けようとしたが、王太子の婚約者となったことによる王妃教育の成果だろうと考え、彼女の努力に水を差すわけにはいかないと聞くのをやめた。しかし彼女は2人きりになってもその態度をやめなかった。そのせいで婚約者とは思えないほど当たり障りのない距離を保ち、恋人らしい振る舞いもないまま成長した。同い年なので同時に学園へ入学し、互いに切磋琢磨した。俺は入学前から同様学園の勉強の他に王となるための教育も施され、リザベルも王妃教育が続いているようだった。だから王城で顔を合わせる機会は何度もあったが、俺とリザベルは段々と疎遠になっていった。

 誰にでも分け隔てなく接する、優しい令嬢。落ち着いた雰囲気で大人しく、聞き上手の物静かな女性。入学当初からずっとそう噂されていた筈の彼女は、その通りの性質を持つ筈なのに、いつの間にかそれを覆すような噂が付いて回っていた。その質は大体悪に偏ったもので、暴力的な女だとか、他人にキツく当たるだとか、果ては男を侍らせているというものまで数多くの噂がついて回っていた。そもそも仮にも次期王妃と噂される人物が不用意に男性と2人きりになることなど周囲が許さないし、前者のような性格をしていたとしたらここまで王妃教育を施す前に気付かれていただろう。だから嘘だと、嫉妬の念に駆られた誰かが流した戯言だろうと、気にも留めていなかった。

 しかし気付けば学園に通う貴族達、その親、親戚、更にその遠縁に至るまで彼女の噂は轟いていた。流石に無視出来ないと父である国王に言われ、リザベル本人に問い掛けに行ったことがある。そんなことをする彼女ではないと思っていたが、ここまで噂が広がれば確認せざるを得なかったのだ。勿論否定してもらえると思って、リザベルと婚約者としての交流会、もとい茶会をしている時に問い掛けた。

「リザベル。最近君についての噂をよく耳にするのだが、心当たりはあるか?」

 紅茶に口を付けていた彼女は、静かにカップを置いた後で真っ直ぐにこちらを向いた。

「どんな噂ですか」

「確か、君が暴力や陰口を許容しているとか、悪気なく平然と行うとかがあったな。学園内での悪い出来事は大体君が裏を引いているという荒唐無稽な話もあった。更に、平民にも分け隔てなく接するのは手を出すためだとか、学園中の男をたぶらかしているだとか…色事に関するものも多かったな。あとは、男爵家の令嬢を虐めているというものもあった」

 聞かれた分、思いついたものを次々と挙げていった。宙に目を向け、指折り数えて告げる。言い終えてリザベルの方を向くと、彼女の瞳には諦念のような何かが浮かんでいた。どういう感情なのか図りかねていると、リザベルは立ち上がって淑女の礼(カーテシー)を行った。指先まで揃えられた礼は、いつ見たって美しい。

「申し訳ありません。気分が優れないので、このまま失礼させていただきます」

「あ、あぁ…」

 困惑に目を瞬いていると、リザベルは何も言わずに部屋を出て行ってしまった。その瞳から、一瞬光が消えたのが見えた気がした。

「どうしたんだ…?」

 思わず呟くと、近くに控えていた老齢のメイドがふん、と鼻を鳴らして返事をした。

「図星だったから、否定も肯定も出来ずに誤魔化して逃げたんじゃないですか」

 軽蔑するような声にハッとして、リザベルの行動を思い返した。確かに俺の問いに否定も肯定もしていない。ならば事実なのだろうか。嫌な予感が背筋を震わせる。

 この時初めて、俺はリザベルに落胆し軽蔑した。そんな相手とこれから人生を共にし、更に国母にまで押し上げるなんて我慢ならなかった。国を担う女性に、我儘で自分勝手な者を置くわけにはいかないからだ。

 けれど証拠もないので誰に言うことも出来ず、心の中で葛藤していたある日のこと。太陽のような天使のような少女に、俺は出会ってしまった。明るい桃色掛かった金の髪。理知的で艶やかな紫色の瞳。天真爛漫な性格と、誰に対しても優しく平等なその姿に、俺はすぐに心を惹かれてしまった。彼女の名前はリリィ・チャルファン。名前の通り目を引く百合の花のような彼女の言動に惹かれ、いつしか彼女が婚約者であったなら、と考えるようになった。リリィは学園での人気も高く、誰からも好かれていた。好奇心で少し身辺を洗ってみたが、悪い噂など何処にもない。婚約者であるリザベルと何もかもが違う彼女に、どんどん心を惹かれていった。関わるごとに好きなところが増えていく。そんな俺に、リリィも想いを返してくれているようだった。そのお陰か、学園内では俺とリリィこそ国を率いる人物に相応しいという噂が流れ始めた。婚約破棄を提案するような声もあったが、流石にそれは難しい。俺の一存で決められるものではないし、第一リザベルも怒るだろう。彼女は昔から王妃教育を立派に勤め上げてきたのだ。例えその裏で遊び呆けていようとも、その積み重ねは簡単に覆せるものではない。王妃教育は一朝一夕で行えるものではない上、今からリリィに施したところで俺の戴冠には間に合わないだろう。だから俺はこの恋心に線を引いて、きちんとリザベルと向き合おうと考えた。


 そう思っていたのだが、あっさりと国からの許可が下りた。理由は簡単だった。リザベルの悪い噂とリリィの良い噂が城下でも聞かれるようになったことだった。恐らく貴族が使用人にでも愚痴った話が、そのまま民衆へと流れ出たのだろう。リザベルは、人を人とも思わない言動に怒り狂った国民から罵倒を受けるようになり、国母に相応しくないと毎日暴動が起きるようになった。流石にここまで激しく動かれては、シラを切り通すことも無視することも出来そうにない。実際、国王と王妃もそこまで酷評される女性を王室に引き上げることも難しいと考えていたようで、話し合いの結果、リザベルとの婚約解消が決まった。

 代わりにリリィを召し上げることも。

 それを報告しにカービネナ侯爵邸に向かったが、先程も述べた通り「わかりました」の一言だった。彼女は縋ることも怒ることも、泣くことさえしなかった。いつも通り従順に淡々と述べられた了承の返事に、俺は少し落胆した。俺はリザベルの心の隅にすら居なかったのだと告げられた気分だった。悲しかったけれど、仕方ない。

 この悲しみを癒やしてもらうため、その足でチャルファン男爵邸へと向かった。愛しいリリィに婚約の旨を伝えるために。


 早く、会いたい。


 そんな思いを堰き止めるかのように、体がガクンと大きく揺らいだ。驚いたのも束の間、馬車の傾き方が悪かったのか、俺は間抜けにも頭を思いっきり打ち付けて気を失った。

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