ざまぁと正義と水戸黄門
ざまぁ系が大好きなんですよ。
テンプレだとわかっていても、読むまでもなくこの先の展開がわかっていても、いい加減食傷気味であったりもするんだけれど、
それでもついつい読んじゃうんですよ、ざまぁ系。
ある時は馬鹿王子が、
ある時は毒継母&クソ妹コンビが、
ある時はNTRビッチ幼馴染が、
ある時は傲慢勇者パーティーが、
ざまぁされて惨めに失意の底に沈んでいくのを見ると、なんというか、こう、こころがほっこり癒されるというか……
ランキングにもこれだけたくさんざまぁ要素がある小説が上がってるってことは、それだけみんな好きなんですよね、
ざまぁが。
なぜざまぁはこれほど人を惹き付けて止まないのか?
それは正義への希求ではないか、と思うわけです。
『悪いことをした人は、その報いを受けて欲しい』
現実社会では悪人が必ずしも報いを受けるわけでもない。
憎まれっ子世に憚るって言葉もあるように、万人に憎まれつつ畳の上で極楽往生する輩はごまんといるわけで。
虐げられた人が必ず救われるわけでもない。
だからそこ、せめてフィクションの世界ぐらいでは、悪い奴らはズンバラリンと成敗されて欲しい。
そんな思いが人をざまぁへと駆り立てているのかもしれない。
かつてお茶の間で愛されていた、前時代の勧善懲悪な時代劇もそんな要素ありますよね。
誰がどう見ても100%ワルな悪代官を、スタタカタンッとシバき倒して懐より取り出したる葵の御紋、越後の縮緬問屋さん。
悪人を、スケさんカクさんという暴力装置で圧倒した挙句、副将軍の権力でねじ伏せる。
ああああああああぁああぁあーっぎもぢいぃぃーっ
これぞ、ざまぁ、って感じですよ。
つまるところ、昔っからみんなざまぁが大好きってことで。