姉妹格差に関する覚書
最近、学園でわたくしのあとをつけてくる人間がいます。
幼少のころから命を狙われる経験はありましたが、今回は異質。
どこに行くのにもついてくる足音があるのです。
幽霊なのに、どうして足音なんてあるというのでしょう。
そもそも、淑女ならば足音など立てずに、頭のてっぺんから糸でつられているように背筋を伸ばし、すうーっと滑る様に廊下を歩くべきだというのに。その足音はパタパタ、ひたひたと音をたてて歩くのです。
別に幽霊なのですから歩く必要なんてありませんのに。
その足音は私のあとをつけてくるのです。
ずっと気づかないふりをしてきました。なんせ、私を殺そうとしている人間とは明らかに違う空気をまとっているのですから。
誰かに危険がおよぶことはないと思っていたのです。
ですが、足音はどんどん近くで聞こえるようになります。
我慢できなくなった私はとうとう、後ろを振り返り、ぴしゃりと言い放ちました。
「一体、わたくしに何の用ですの?」
振り向くとそこには亡霊がいました。
足からだらだらと血が流れる亡霊。
敷物が汚れてしまういそうでひやひやしますが、さすが亡霊。血の一滴も絨毯にはついていません。
「お願いです。助けてください……」
その幽霊はあわれな表情でこちらを見つめます。
その顔を見ると見覚えがありました。その青白い顔には両目の眼球がありませんでした。
先日、王太子殿下が視察に訪れた修道院で見かけた方でした。
幽霊になって困るのは、相手が幽霊かどうかぱっと見わからないことです。
幽霊であるわたくしをみることができる方もいますので。
特に、けがなどしている人は死に近い分、幽霊の存在に気づくことができる方が多いようです。
修道院の中で両目の眼球を失った彼女が不安そうにまよっているとき、わたくしに助けを求めたのです。
そのときのわたくしは単に目が見えない分、感覚が鋭い方がわたくしの気配に気づいただけだと思っていました。
さすがに直接手を引いてさしあげることはできないので、生きている人間の方がその廊下に向かうように促すような細工はすこしいたしましたが。
わたくしは、王太子殿下にあわせてその場を去りました。
「まあ、貴方……亡霊でしたの?」
わたくしは少々面倒におもいながらも彼女との会話を試みます。
ずっと無視をしているのならば聞こえなかったことにもできますが、気づいてしまったのです。
さすがに無視をするのは淑女として許されないことです。
「私の話を聞いてくれるの?」
亡霊は少し嬉しそうでした。
「ええ、もしお話を聞いたら帰ってくださいます?」
わたくしは話を聞く代わりに自分の要求も添えました。
先ほどの雰囲気からいって、この亡霊はとても人に話を聞いてほしそうでした。
相手が一番に求めるものを差し出し、それに合わせてこちらの小さな要求を提示する。
この方法で相手がこちらの要求を却下することはほとんどありません。一番欲しかったものをさしだされているのですから当然です。ほしかったものを手に入れらるという喜びで大抵の人間はこちらのささやかなお願いも聞いてくれるようになるのです。
でも、一つだけこの交渉方法にも例外はあります。
そう、相手が自分の欲望に夢中でこちらの要求がまったく耳に入っていない時です。その場合は……あきらめるしかありません。
仕方なくわたくしは彼女を自分の部屋に招き入れました。
誰も使っていない寮一棟まるごとわたくしの寮とされていました。
わたくしが生活していることを示すように週に二回は掃除のためにメイドが出入りしますし、紅茶くらいは置いてあるはずです。
「紅茶でよろしいかしら? ミルクはないのだけれど……」
尋ねると亡霊はとても嬉しそうでした。
わたくしは仕方なく自分でお茶の準備を始めます。
お湯を沸かし、ティーセットを温め、紅茶を蒸らします。
もちろん、調節実際にそれらを手にとることはできませんが、それらの魂だけを使ってこちらがわ……そう幽霊ならば触れたり飲めたりするお茶をつくることができるのです。
「さあ、お話しください」
わたくしがそう声をかけると、両目ががらんどうの亡霊はゆっくりと話し始めました。
「姉妹格差という言葉があるけれど……私の家でのそれはとてもひどいものだったの。
人生の最後に見た光景は夜空を羽ばたく漆黒の鳥だった。
義理の妹がかわいがっていた鳥。
可愛がっていたといっても、庭にくるのでパンくずなんかをあげていただけ。
なんでその小鳥がなぜ私に向かって飛んでくるのかは全く分からなかった。
「餌なんてもってないわ。ほらっ、あっちにおいき!」
そう叫んだにも関わらず、漆黒の鳥が私に襲いかかってきた。
そして、その鋭いくちばしは私の肌を切り裂き、眼球をも抉り出した。
あれは義理の妹の結婚式の前夜のことだった。
義理の妹の結婚が決まってから母は以前にもまして苛立っていた。
母はもとから神経質な人だった。
無理もない。
下級貴族の家に生まれて、十分な教育を受けられずやっとのことで結婚したのに、二人の娘を残してあっけなくその相手は死んでしまったのだから。
何も持たない母は生きるために必死になった。
どこかの家に勉学や楽器の家庭教師をするほどに知識も持たず、庶民として生きるには炊事も洗濯もできない。
何とかして身の回りにあるものでやりくりして、一日でも今の生活を保つ以外の生きる方法なんて知らなかったのだ。
たとえ、その生活はいずれ終わってしまうことが決まっていても。
そんな環境に置かれて精神に異常をきたさない人間なんていない。
そう、母はおかしくなっていたのだ。
義理の妹の結婚式の前夜、母は私にささやいたのだ。
「あの子のと婚約者と同衾しなさい」
私は驚いた。
義理の妹の結婚が決まったことは聞かされていたが、相手について母はいまだに私たち姉妹には教えてくれていなかった。
相手を尋ねると嫌な顔をして押し黙り。
当の本人である義理の妹はその家に行儀見習いに行ったきり、こちらの家には顔を出さないのだから。
義理の妹がいなくて荒れるだろうと思った屋敷は意外なくらい片付いていた。
義理の妹の結婚相手の家はずいぶんお金持ちで伝統のある家らしい。その家からメイドが何人か派遣され、家のことはいろいろと世話を焼いてくれていた。
「嫌です。あの子の結婚相手となんて。どこの誰かも知らないんですよ」
「お前は、相手について聞いたらもっと恐れるから黙っていたのよ」
母はそういって笑った。それはあまりにも空虚で、母の顔にある双眸は洞窟のように真っ暗だった。
男性に触れたことなど一度もない私にとっては男性だってことだけでも等しく恐ろしいというのに、更に恐れる要素があるなんて、義理の妹の相手は毛むくじゃらの野獣なのだろうか。
私が身震いしていると、母は急に猫なで声でこう言った。
「お姉ちゃんの脚を直してあげたくないの?」
「……お姉ちゃんの」
そう、私の姉は先日の妹の婚約騒ぎの際に肉切り包丁で母に切りつけられていた。もう、歩くことは叶わないだろうと医者には言われた。
だけれど、母の声はねっとりとあまく私の耳のなかに流れ込む。
「お金持ちなら、きっとお姉ちゃんの脚を直してくれるように魔法使いだって雇ってくれるよ」
私はその悪魔のささやきに頷くことしかできなかった。
まずしい家で歩くこともできなければ、どこにも嫁ぐことなんてできない。姉の人生は母のものより悲惨であることは明らかだった。
「何も本当にあの子からフィアンセを奪えって言ってるわけじゃない。それっぽい形だけあればいいんだ。お前は純潔のまま。ただ、相手が勘違いしてくれればいい。そうすれば、正妻とはいかなくても、愛人……そうお前のほしいものくらいは買ってくれるだろうよ。それだけの力がある男なんだ。あの子の結婚相手は」
私の心が揺らぐのを見て、母はそう畳みかけた。
母のがらんどうの二つの双眸、足を悪してベッドで横たわり衰弱していく姉。
それらを見ると私の選択肢は一つしかなかった。
悪事というのは想像以上にばれるのが早い。
結婚式の前夜は実家で過ごすのがこの国の習わしだ。
実家にいるところを夜明けとともに家から連れ去り、そのまま結婚式を挙げる。それがこの国の伝統的な結婚式のイニシエーションだった。
義理の妹は久しぶりに家に戻ってきた。
相手の家で行儀見習いなどしたら、疲れ切っているだろうと思っていたのに、義理の妹は以前にもまして光り輝くように美しかった。
ブロンドの髪は豊かになり、ゆったりとベルベットのリボンで結われていた。
幸せそうなバラ色の頬。
一年で一番天気の良い日の空のような青い瞳。
久しぶりに会って、私は思い出したのだ。
義理の妹はとても美しいということを。
母はいつも義理の妹と私たち姉妹を比べていた。
美しい義理の妹は美しく、基本的な教育も十分に与えられていた。
もしなにかあってもきっと誰かが手を差し伸べてくれる。
だけれど、そんな義理の妹を母は誰よりも愛し、憎んでいた。
まだ幼い義理の妹に家事をやらせたのも母の愛情であった。
自分のように何かの手違いですべてを失いそうになったとき、男性に頼らずとも生きていけるように。愛するひとがいればどんな身分の相手であっても結婚できるようにと母は義理の妹には家事を覚えさせた。
それを見た私たち姉妹も母に「やってみたいわ。お母さま」と訴えたが取り合ってもらえなかった。
恐らく、私たちは半分は母の血を継いでいて、もう半分は父の血が混ざっているからだろう。
特別美しくもなく、賢くもない女に育つことは目に見えていた。
家事を覚えたとてそれを生かすような運命の愛にであうこともない。
おとなしく定められたとおりの運命を全うすれば十分。
貧しく夫をなくした教養のない女と不細工で早死にした男の娘である私たちの人生に母は期待などしていなかったのだ。
でも、義理の妹に対しては違った。
息をのむような美しさ。そして、十分な教育の賜物である優雅な物腰や上品な話し方。
彼女にはなんとしても幸せな人生を歩ませようと母は思っていた。
そして、義理の妹はそれらも上手にこなした。
何もできなく、美しくもない私たち姉妹と違って妹はなんでも完璧だった。
母はいつも嬉しそうだった。
「あの子はあんなに素晴らしいのに、お前たちときたら……」
それが、義理の妹がいない場での母の口癖だった。
あの子が真の幸せを手に入れること、それが母の人生の目標になっていた。
実の娘の幸せよりも、あの子の幸せを願っていた。
だから、母が義理の妹の婚約者と関係を持つように私に言うなんておかしいと思った。
義理の妹の幸せを願うのなら、そんな不誠実なことをする男と結婚させるはずなんてないのだから。
結婚式のために義理の妹は婚約者と我が家にやってきた。
あくまで結婚式の前の夜、正確には明け方に妹を家からさらうというのは儀式であるので、婚約者はあらかじめ花嫁の実家に一晩泊まる。
婚約者の顔はどこかで見たことがあるような気がしたがよく思い出せない。
でも、有力な貴族なのは確かなのだろう。
身に着けている衣装一つとっても、普通の貴族とは違うことが一目でわかった。
義理の妹はとっても幸せそうだった。
まるで、物語の中の花婿と花嫁のようだ。
母は義理の妹のために、豪華な食事やワインを用意していたが、それらは義理の妹の婚約者が食材から料理人まですべて持ち込んだことによって供されることはなかった。
母が必死に義理の妹のために用意したものより、婚約者が持参したものの方がすべてにおいて優れていたから。
母はがっかりすると同時に、婚約者が義理の妹に素晴らしいものを惜しげもなく与える様子に満足していた。
なぜ、母が私にあのようなことを命じたのか分からない。
義理の妹の幸せを願うのならば、もっと別な方法もあるというのに。
真夜中、母は私の部屋にやってきた。
娼婦のような下着を私が身にまとっていることを確認して頷く。
そして、義理の妹の婚約者が眠る部屋までの隠し通路の扉を開けた。
古い貴族の屋敷には隠し通路があるときいていたが、何年もこの家に住んでいるのに私はその存在自体知らなかった。
母に追い立てられるように真っ黒な廊下を進む。
室内用の布の靴はその廊下を歩くのには頼りなく、杖をつく母の
――コツ、コツ。
と杖を突きながら、歩く音は何かに追い回されているようで怖かった。
義理の妹の婚約者の眠る部屋の扉を開けたとき、そこには小さな夜が飛んでいた。
夜空と同じ色をしたカラスが、隠し扉をあけた私のことをとらえ襲い掛かってきた。
鋭いくちばしが肌をさき、髪を引き抜き、そして私の眼球を抉り啄ばんだ。
あの日、私は光を失った。
ああ、これで姉を助けることもできないのかと思うと。
喪失感とともにどこか安堵感が湧き出た。
もう、容姿のことで義理の妹と比べられても私はそれを確認する手段をもたない。
視力を失った私は姉を助けることができない。
母の冷たい視線も分からない。
義理の妹の婚約者の護衛に押さえつけられた私は全身の力が抜けていくのが分かった。同時に肩の荷も下りた。
私があまりにも大人しいので私を取り押さえた人々は訝しんでいた。
だけれど、ほっとしたのだ。
これで私を縛るものは何もない。
私はやっと自由になれたのだ。
私はなぜだか王族暗殺の容疑がかけられていたが、修道院に送られるだけで済んだ。どうやら、義理の妹の口添えのおかげららしい。妹の婚約者はやはり有力な貴族だったようだ。見ればわかるといえばそれまでだが、今の私には見ることもできないのでブラックジョークになってしまう。
なんでもいい。ここでの生活は幸せだった。
朝、目覚めても自分の顔をみてがっかりしなくてもいいし。
できることは限られているけれど、周りの助けを借りながら新しいことにチャレンジした。
神さまに祈り、神さまのために歌った。
目が見えない分、助けを借りることもあったけれど、前の生活よりも自分の力でやることができた。
幸せだった。
すべてを手に入れたなんてとても言えないけれど、肩の荷がおりた。
息苦しさも責任感からも解放された。
ただ一つ気になるとすれば、義理の妹のことだろう。
きっと、婚約者を義理の姉に寝取られそうになったなんて義理の妹はひどく傷ついているだろう。
いくら姉のためとはいえ、いくら本当に既成事実を作るつもりがなかったとはい
え、義理の妹の結婚に傷をつけそうになったのは事実である。
一言謝りたい。
だけれど、そんなことできるはずがなかった。
私が今いる修道院はおそらく義理の妹と婚約者から遠く離れた場所にある。
そもそも言葉も訛りと異国の言葉が混ざり合っている。
きっと、辺境にある修道院に送り込まれているのだろう。
どこだってかまわない。
視力を失った私にここからでる手段はないのだから。
ただ、触り、感じ、覚えて生活をする。
わざわざ修道院に閉じ込めなくても、私はこの体に閉じ込められていた。
いや、むしろこのすべてが質素で潔癖な場所は私にとって普通の場所と違い安全なのかもしれない。
私は、多くの人々のために祈り、そして妹の幸せを願った。
ある日、いつも恐ろしいくらい静かな修道院に一つのにぎやかな噂が飛び交った。
王太子とその花嫁がお忍びの新婚旅行でこの修道院を訪れるという話。
花嫁探しのパーティーを開くなど何かと話題性のある王太子だからデマだろうと思った。
一方でそんな根拠のないデマがこの修道院で流れるなんてあまりにも不似合いだ。
その噂話はあっというまに大きくなり、静かな修道院のなかに少しだけお祭りのような空気が流れた。
「あなたに会いたいと言っている人がいますがどうしますか?」
ある日、修道女の一人が私を呼びにきた。
心当たりなどなかった。
母は私に興味なんてないし、姉はどこか異国の物好きな金持ちの後妻として嫁いでいった。どうやら、足が小さいことを美徳とする国があるらしい。
母によって足の指を骨ごと切り落とされ小さくなり包帯を巻かれた姉の足は確かに小さいともいえなくない。
だれも私に会いに来るはずなんてない。
だから勘違いだ。
人違いならばあってその人にあなたが探しているのは別なひとですよと教えてあげなければいけない。
「人違いでしょう。でも、なにか私ができることがないかお話を聞いてみたいと思います」
私は人を待たせている部屋に向かう。
なんだか、修道院の空気は以前よりもさらにお祭りのような明るい空気で満たされていた。
まるでクリスマス直前の子供たちのよう。
暖かな空気とクッキーが焼ける香り、賛美歌の練習。
感じるすべてが美しかった。
部屋にはいると同時に、何かが私を抱きしめた。
「継姉さま、お久しぶりです。会いたかった」
聞き覚えのある声だった。
私よりも優れ、私から母も姉も奪った美しい義理の妹の声だった。
「ひさしぶりね」
失った視界で何かがキラリと光り、私は義理の妹に謝ることができなかった。」
その話をしたあと、その亡霊は満足そうにため息をついて、お茶を飲みほした。
どんなに話が長かろうと、幽霊の入れた概念だけのお茶なのでお茶はあつあつのままだというのに。
「それは盛大な人生でしたわね……」
わたくしは、あいまいな返事をいたします。
「ええ、妹ばかりずるいと思いません? 結局、妹は母からも愛され、王族と結ばれて……私にはなにも残ってないのですよ。今何が起きているか知ることさえもみることができません」
わたくしは、ふと異国で幸せになったとても幸運な女性の名前がおもいあたりました。
「もしよろしければ、義理の妹さんのお名前を聞いても?」
「ええ、シンデレラよ」
最初から人生の主役になれないことができない彼女はいまいましげにつぶやきました。