変り者のエリ2
「こんな夜中に出歩いては門限を過ぎてしまっているんじゃなくて? それとも、新入りいびりの肝試しでもやっているのかしら」
目の前の少女はちょっと怒ったように眉をひそめた。
怒りという感情を相手に伝えるための最小限の仕草だった。
普通の人は怒るとそれが表にでてしまうというのに、目の前の少女のは、「私は怒っていますよ」ということを相手に伝えるために眉をひそめている。
そんなちょっとの変化なのに、美人がやると迫力がすごい。それとも、この圧倒され有無を言わせないのは彼女の威厳によるものだろうか。
私とそう年齢も変わらない少女が、これだけの気品と威厳を身に着けているということに只々驚いた。
「あの……道に迷ってしまって」
「あら? そうでしたの。じゃあ、帰り道は分からないということですね。困りましたね……さすがに私が送って差し上げることもできませんし……」
目の前の少女は表情を緩めて、思案する。
私は安堵から急に寒さを感じて震えだす。
その様子をみて目の前の少女は、ちょっと困ったような顔をしてほほ笑んでいってくれた。
「もしよければ、お茶を一杯いかがかしら。見回りの人間の巡回まではまだ時間があるので」
そういって、彼女は有無を言わさず私を温室に招き入れた。
温室にはいるとき彼女の手に偶然触れてしまったが、彼女の手は冷たかった。それに比べて、怒って見せたり、震えている人間をみて放っておけなかったり、手が冷たい人は心が温かいという話は本当なんだなと思った。
温室の中は、外から見るよりも素晴らしかった。
暖かな空気と花々の香りに一気につつまれるその空間はまるで現実に存在しないかのようだった。
明るい場所でよくよく見ると招き入れてくれた少女は暗がりでみるよりも綺麗だった。
月の光を紡いだような銀色の髪に白い肌、青い瞳はまるで明るい夜空のように星がちりばめられていた。
「私の顔、何かついているかしら?」
ふと、こちらの視線に気づいて首をかしげる姿はあどけなくて可愛らしかった。ふと、どこかで彼女の姿を見たような気がするけれど思い出せなった。
「いえ、その……その銀色の髪がとてもきれいだなあって……」
言い訳をしてもしかたないので、私は仕方なく本心を述べた。
艶やかな銀色の髪は本当に綺麗だった。金色の髪をした子供ならたくさんみたことがあったが、たいていの場合は大人になるとみんな色がくすんでいく。
銀色の髪というのだけでも珍しいのに、彼女の子供は幼い子供のもののように細く艶やかでとてもやわらかそうだった。
「ありがとう。私もちょっと気に入っているの」
彼女は謙遜することなく、ほほ笑んだ。
ああ、この人は本当に高貴な身分の方なんだなと思った。
学園に入って貴族にも種類があることが分かった。
一つは、庶民から成りあがったようなタイプだ。どこか卑屈だったりコンプレックスを抱えている。ただの庶民であれば金持ちとして横柄な態度をとることもできるのに、貴族になったことで上には上がいることを知ってどこかおびえている。
そして、もう一つはもとから高貴な方々。彼らは圧倒的に恵まれている。何事にも卑屈にならない。家や自信の名誉を重んじる。
どちらがいいかはよく分からなかった。
貴族と言えば雲の上の存在で、想像もできないような暮らしをしているのかと思っていたが、彼らにも彼らなりの悩みがあるようだ。
いや、本質は貴族も庶民も変わらないのかもしれない。
みんな常に周囲の目を気にしている。
自分がどうみられるか、誰かに陰口をたたかれてやしないか。
庶民でも貴族でも変わらずに彼らは周りを気にしているのだ。
雲の上のような存在で、私たちただの庶民ができないこともやすやすとできる彼らは悩みが違うと思っていたのに。
学園にくれば、村で野良仕事と噂話と雑用に追われる人生よりも、誰かのために何かを実現できる人生になると思っていたのに。
なにも変わらなかった。
私は何も成し遂げられていない。
目の前にいる綺麗な女の子はきっと私の気持ちなんて分からないだろう。
貴族の家に生まれ、美しい容姿に恵まれた彼女はきっと何一つ苦労なんて感じたことがないだろう。
「ねえ、申し訳ないけれど、ここには侍女がいなくて……紅茶をいれてくださらない? とっても失礼なことだというのは分かっているのだけれど」
目の前の少女は申し訳なさそうに私に言った。
「わかりました」
私はちょっと面喰いながら返事をした。
だって、紅茶を飲まないかと誘っておきながら、侍女がいなければ紅茶をいれることもできないなんて。
さすがお貴族様だ。
庶民を純粋に助けたのではなく、きっと自分で紅茶を飲みたいのに召使がいないから、偶然いた庶民にいれさせようとしたのだろう。
そう思うと腹が立った。
とても高貴な貴族とかそんなのは関係ない。
この学園にいる連中はみんな腐っている。
私は腹がたった。
紅茶くらい自分で用意すればいいのに。
私はわざとガチャガチャと音を立てながらお茶の準備をした。
がさつだと思われてもかまわない。
彼女の方を見ると眉をひそめていた。
ちょっとだけ胸がすっとする。
「もう少し静かにできないかしら?」
彼女が心配そうにこちらを見るので、
「あいにく、私はここの《《召使》》ではないので不慣れなもので」
と嫌味で返す。
「そうね……でも、あんまりうるさくしていると警備の人がくるので気を付けてね」
高貴な彼女が困った顔をするのはちょっとだけ私の心に甘い感覚をもたらすと同時に、罪悪感があった。
なんというか彼女はとても不思議な存在だった。
たぶん、かなり恵まれた貴族なのにも関わらず、彼女のティーセットはちょっとだけ誇りを被っていた。
もしかして、彼女は召使にいじめられているのだろうか。
そんな思いもよぎるが、初対面からあんなにはっきりと圧力を感じさせた彼女に限ってありえないことだ。
どう考えても生まれながら人の上にたってきた彼女が召使ごときに邪険にされることに甘んじるわけがない。
そうなると、彼女はあまりこの温室ではお茶をたしなまないのだろうか。
「お茶が入りました、お嬢様」
私はわざと慇懃に彼女に言った。
嫌味のつもりだった。だけれど、彼女は、
「ありがとう。じゃあ、召し上がって」
そう言ってにっこりとほほ笑んだ。
「えっ、召し上がらないのですか?」
「ええ、ごめんなさい。ちょっと花の手入れがあって手が離せないの。それにこのお茶はあなたのためのものだから」
「お砂糖は好きなだけいれてちょうだい」そう彼女は付け加えると、花々の間をすべるように歩いていった。
女主人にすすめられたし、許可もあったことから私は好きなだけお砂糖をいれさせてもらうことにする。
真っ白な角砂糖なんて物語のなかでしか知らない。
私はここぞとばかりに少々熱すぎる紅茶に大量の角砂糖を放り込んだ。