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悪役令嬢と世界で一番有名な鏡の話

 幽霊としての生活は令嬢の生活と比べるととても自由で気ままなものです。

 朝から晩までなにかしらの予定や行事、しきたりに追われていたのに、幽霊になると私をしばるものはなにものもありません。

 そして、誰からも注目されていないため自由気ままにふるまうことができるのです。

 人であれば禁じられた場所であっても、幽霊であれば入りこむことができるのです。


 古い学園の中は思ったよりいろいろなものがありました。

 今はもう幻と言われている書籍やいにしえの王族の婚礼衣装。

 様々なものが忘れられたまま放っておかれたり、はたまた継承者を決めて代々手入れをしながらそっとその場に潜ませているのでした。


 その中で、最近特に気にいったのが、とある鏡でした。

 なんと、その鏡はものを尋ねるとちゃんと返事をするのです。

 どんな質問にも返事をしてくれます。

 正しくないこともございますがそれはそれで一興というもの。

 私はときどき退屈そうにしている鏡のところに行って尋ねるのです。

 幼い頃疑問に思ったことやふとその時思いついた言葉をもとに物語を作ってもらうのです。

 それは子供のころ、物語を読んでくれるように両親にせがんだ時のような不思議な楽しさがありました。

 私は、今日は鏡に話しかけると、おそらく彼はけだるげに物語を紡ぐのを聞くのです。


「鏡よ、鏡。もし、よろしければ、貴方がここに来るまでの物語を聞かせてくださらない?」


 鏡についたほこりをはらうようにして尋ねます。

 もちろん、そこに幽霊である私は映りません。

 ですが、鏡の魔法は発動してちゃんと物語を紡いでくれるのです。



『ああ、俺の退屈な日々が変わったときの話をしよう。


「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」

「もちろん貴方です。女王様」


 こんな茶番を何度繰り返したのだろう。

 正直もう嫌だった。

 俺は魔法の鏡だ。こんなくだらない質問よりももっとできることはたくさんある。

 明日の天気を聞いてくれれば、農民たちは作物を守れるかもしれない。

 この国ではびこる噂話について聞いてくれれば、もしかしたら隣国からの侵略に備えられるかもしれない。

 魔法の鏡は全治全能ではない。答えるのは持ち主に聞かれたことだけ。知ることができる内容も持ち主次第だ。

 一国の女王となった彼女なら俺をもっと有効に活用できるはずなのに。

 だけれど目の前にいる私の主であるこの女は自分のことしか見えていない。


 昔はあんなに美しかった少女は変わってしまった。


 出会ったころのあの子はとても可哀想だった。

 一枚しかない黒のワンピース。香油など知らない肌と髪。

 だけれど、けなげで生きるのに一生懸命なあの子の笑顔は世界で一番美しかった。


 魔法の鏡である俺に対して、たいていのやつらは利用しようと媚へつらうか、最初から自分の道具として扱おうとするのに。あの子は、俺にこう言ったんだ。


「はじめまして。私はコルビナっていうの。お友達になってくれると嬉しいな」


 友達だなんていわれたのは初めてだった。

 あの子――コルビナのためだったらなんでもしてやろうと思った。

 魔力を持って生まれたのに、何の後ろ盾もない孤児だったあの子。

 そんなあの子が後妻とはいえ、今は一国の王妃。

 俺の力もあるけれど、あの子の努力が実を結んだんだ。


 だけれど、あの子はおかしくなってしまった。

 無理もない。

 魔法というのは心の動きが力の源なのに、あの子は愛してもいない国王と結婚してしまったのだから。

 そして、その国王がかつて愛した女が残した美しい少女が同じ城に住んでいる。

 コルビナの心は愛情ではなく、悲しみや恐れでいっぱいになってしまうのも時間の問題だった。

 見ていられなかった。

 だから、俺はあの日、いつもと違う答えを口にした。


「鏡よ、鏡。世界で一番美しいのは誰?」

「それは、白雪です」


 別に、魔法の鏡は嘘をついてはいけないなんて決まりはない。もちろん、ついたことはないけれど。

 そして、俺は別に嘘はついていない。

 昨日まで、「貴方です。女王さま」と答えていたのはこの国における価値観の美醜の問題であって、今日答えた「白雪です」というのは今後の世界、そう未来までも含めた話であるのだから。

 美しさだなんて、基準をどこに置くかでいくらでも答えが変わる質問だ。

 魔法の鏡という特別な道具を手に入れながら、過去に何人も主人が入れ替わってきたのはこの質問の難しさだろう。

 正確に質問をしなければ、正確な回答は返ってこないのだ。

 欲望に引きずられ冷静さを失えば、正しく道具を使えず身を破滅させる。

 ただ、それだけだった。


 人の運命の乱高下を見るのが暇つぶしみたいなものだった。人間になんか特に興味はなかった。持ち主がどんなに富と権力を持とうが、その様子が俺に映し出されるだけ。金貨だの宝石だのそんなものに興味はない。

 そんなものよりも、もっと広い世界を見たかった。

 美しい自然や小さな動物。

 いつも破滅の前には無駄に豪奢な家具と金貨が映し出されるのがお決まりだ。

 そんなものはとっくに見飽きた。

 森の木々の間から覗く月や冬の一番初めに降ってくる雪を見てみたかった。


 持ち主に飽きれば俺は持ち主の身が破滅するように鏡のお告げを用意する。

 相手の質問に従順であるふりをしながら、相手にとって一番よくない選択をする答えを。

 人間なんてつまらない。

 ある程度まで上り詰めて、それを転落させる。そんな暇つぶしの相手だと思っていた。

 だから、今、目の前にいる女王コルビナがもっともながい付き合いのある相手だと言っても過言ではない。

 コルビナとの日々は楽しかった。

 貧しく何もないコルビナの部屋に俺のアドバイスのおかげで物が増えていくのは面白かった。

 温かい毛布に柔らかなクッション。新しい服を手に入れたコルビナがそれを着て回ってみせてくれたときはコルビナと一緒に嬉しい気持ちになった。

 毎晩、俺に質問をしたあとコルビナは鏡をやさしく磨いてくれる。

 最初は彼女の一着しかない服の袖で拭かれていたのが、綿のハンカチへ、そして絹のハンカチとだんだんコルビナの生活が豊かになっていった。

 今は、鏡を磨く専門の侍女がいる。

 コルビナと言えば寝る前にそっと小さな絹の布で人ぬぐいするだけ。

 昔のように俺を磨きながら色んな話をしてくれることはなくなった。


「鏡よ、鏡……。とうとうやったわ。私。やりきったの」


 ある日、コルビナはいつもと違う時間に俺にはなしかけた。

 頬は高揚し、目は異様なくらいぎらぎらと輝いていた。


「私、とうとうあの娘を殺したわ! これでやっと安心できる」


 そういうと女王は高らかに笑った。

 今まで、人を殺めた持ち主は何人もいたが、その誰ともにつかない笑い声だった。

 その日、コルビナは俺に世界で一番美しいのは誰かと尋ねることなく眠った。

 だけど、俺は知っている。

 コルビナは人殺しなんてできやしない。


 しばらくたったある日、コルビナは再び俺にあのつまらない質問をした。青ざめた顔には不安が濃い影となっていた。


「鏡よ、鏡。世界で一番美しいのは誰……お願い、私といってちょうだい」

「それは……」


 俺はコルビナの名前を口にしなかった。

 前回と同じ名前を口にする。


「嘘よ、あの子は死んだはず」


 コルビナの顔色は青ざめるのを通り越し、色が消えていた。


「いいか。コルビナ。人を殺すっていうのは案外難しいものなんだ。殺すならば、ちゃんと相手が息の根をとめたかちゃんと確認しなければいけない」


 俺はコルビナにいいきかせた。

 まるで、小さなころのようだ。何も知らないコルビナが俺に頼ってきて、ちゃんということを聞いてくれた。あの頃はよかった。

 コルビナが学び、成長していくのが嬉しかった。


「わかったわ。次こそはちゃんとやる」


 コルビナはきっぱりと言った。

 それから、コルビナは俺に殺人の方法を相談した。

 証拠が残らずに、そして確実に殺せる方法を。

 殺したあとは焼くことをすすめたが、コルビナはできるだけ白雪が苦しまず、そして死体であっても無残な姿にはしてほしくないという希望だった。

 結局、毒殺という手段に決まった。

 これならば女の身であるコルビナでもひるんで失敗するリスクも少ないし、毒の種類に気をつければ死体も美しいままである。

 準備が整ったあと、俺はコルビナに変装していくように助言をした。

 別に魔法の鏡でなくても、殺人を犯そうとしている人間に対しては常識的なアドバイスだ。


「鏡よ、鏡。行ってくるわね。今度こそちゃんとやりとげてみせるわ」


 コルビナはそう言って出ていった。

 俺は分かっていたけれど。

 この殺人が再び未遂に終わること。

 そして、俺のコルビナの罪は白雪の証言によって露わになり、隣国の王太子によって断罪されるということを。

 コルビナの質問に答えるために、少しずつ見えてきた情報によって分かっていた。


「鏡よ、鏡。鏡さん。とうとうやり遂げたわ」


 返ってくるなり、コルビナは安心したように俺に報告した。


「ああ、おめでとう」


 そろそろ、コルビナとの関係も終わりだなと心の中で計算した。

 思えば、今までの他の主人と比べたらずっと楽しかった。「おめでとう」なんて言った相手も初めてだった。

 だけれど、コルビナは罪を犯した。

 なんの理由もなく、一人の少女の命を奪おうとした。

 美しさになんてとらわれなければもっと幸せな人生を送れたというのに。

 楽しかったけれど、やはりコルビナも今まで主と同じ。己の欲に盲目になった愚かな存在。

 さて、次は俺はどんなやつのもとに行くことになるのだろうか。

 次の人間は破滅までどれくらい楽しませてくれるのだろう。


 いや、だめだ。

 コルビナとの日々より楽しいものなんてあるわけがない。

 たとえ、美しさなんてものにとらわれて殺人を犯そうが俺はコルビナのことが好きだった。


 再婚相手の国王が亡くなったあと、必死で政を行うコルビナ。

 両親に先立たれて悲しむ白雪を慰めるコルビナ。

 国民のために他国との外交を円滑にしようと必死に学ぶコルビナ。


 俺はそんな彼女のことが好きだった。

 とても、真面目で自分のことなんて後回しな彼女のことが大好きだった。


 白雪を殺すのによほど疲れたのか、そのあと女王であるコルビナは何日も眠り続けた。

 その間、俺はコルビナとの思い出をなんども反芻させ懐かしんだ。

 もう、別れのときは近い。


「おい、起きろ」


 真夜中、俺はコルビナに呼びかけた。

 鏡から主人に話しかけるなんてことは普通はしないのだが、今日ばかりは特別だ。

 そう、もう少しでこの城には隣国の兵がやってくる。

 そして、女王であるコルビナを捕らえ、断罪する。

 罪状は――継子殺しというところだろう。

 または、隣国王妃の暗殺未遂にでもするのだろうか。


 寝ぼけて目をこするその姿は、あどけない少女のものだった。

 コルビナはなにも変わっていない。美しさの嫉妬に駆られて殺人を犯すようには見えなかった。


 もうすぐ隣国の兵がこちらに来ること、白雪は死んでないこと、白雪と隣国の王太子が結婚することを俺は手短に伝えた。


「白雪が結婚……じゃあ、私はもう必要ないということ……」


 コルビナはそうひとり呟くと、寝ぼけていた目はたちまち生気を取り戻し、コルビナは着替えはじめた。

 白雪を毒殺しようと集めた庶民の服を着て、身の回りの必要なものをまとめる。


「鏡よ、鏡。鏡さん。どうする。あなたも一緒にくる?」


 コルビナはもうすぐ破滅が迫っているというのに、その身のこなしは軽やかでどこか嬉しそうだった。

 そして、破滅を前にして俺のことを気にかける人間ははじめてだった。

 大抵は俺のことを忘れるか、俺に助けるように命令するか。

 なのにコルビナは俺の意思を聞いたのだ。


「面白い。もう少し一緒にいってやろう。お前がどこまでやれるか見届けてやる」


 俺が言うのを聞いて、コルビナはくすりと笑った。

 昔と同じ、可愛い笑顔がそこにあった。


「やっぱり、鏡。貴方、重いわね」

「お前が、女王の鏡に相応しく宝石やらで飾ったからだろう」

「あら国王の命令よ。ねえ、ほとぼりが収まったらこの宝石売れるかしら?」


 久しぶりにそんな軽口をたたく。

 城の隠し通路から庶民の服を着て颯爽と脱出するコルビナ。


 コルビナは森の中、俺の知らない彼女の秘密を教えてくれた。

 亡き国王からコルビナが聞かされていた国のお告げ。


 隣国の王太子が世界で一番美しい女を手に入れたとき、コルビナたちの国は亡びる。


 だからコルビナは俺に「世界で一番美しいのは誰?」と聞いていたのだ。

 一番美しいとされていたコルビナはそのお告げどおりにならないよう隣国との適切な距離と関係をとっていた。

 世界で一番美しいのが自分であれば、自分が隣国に近寄りすぎなければこの国は守られる。

 隣国から攻め入られればこの国の国民たちは多くの血を流し犠牲をはらうことになってしまう。

 女王として国民を守りたかったコルビナは必死だった。

 だから、白雪が世界で一番美しいとされたとき、彼女を殺すことを企んだのだ。

 彼女をさらい、そしてこの国まで隣国によって侵略されてしまうと思ったから。


 だけれど世界で一番美しい白雪が王太子と愛によって結ばれたのならば、もう心配はいらない。


 もう、コルビナは世界で一番美しくもなく、この国の女王でもない。


「鏡よ、鏡。次はどこに行こうか? どんな景色が見たい?」


 森の中、月明かりだけをたよりに、コルビナは俺に問いかける。

 俺はそっと彼女にとってよりよい未来が見える方向を口にした。』


 私は物語をきいて、ふうとため息をつきました。

 どうやら彼は本当にかの有名な物語の鏡なようでした。


 ですが、どうやってこの学園のこんな忘れられた倉庫にいれられることになったのかは全く語られていません。


 質問の仕方がわるいのか、鏡の意地がわるいのか。


 わたくしは彼の物語、いいや、彼と魔女のものがたりを聞くために、もうしばらくこの場所で彼の話し相手になる必要がありそうでした。


 わたくしもいつか誰かに物語を聞かせたかったとすこしだけほろ苦い気持ちを払いながら、わたくしは今日も語り掛けます。


「鏡よ、鏡……」

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