第35話 イザヨイでござる
アルザが氷精霊の刃を納め、抜刀の構えに入る。
その様子を見て、アカヘビはニヤリと笑った。
「イザヨイ、破れたり。何を企んでいるかわからぬが、それでは我は倒せぬぞ」
確かに、このままでは勝てないと思うのが普通だ。
アルザのやろうとしている事は単純明快。
まず氷の刃で熱の壁を切り裂く。
これはあの業物なら確かにできるだろう。
そして二の太刀でアカヘビに斬りかかる。
だがこの時点で一手遅い。
アカヘビ側から見たなら、見えない壁に向かって素振りしている間抜けなアルザに炎でもぶつければいいのである。
これが赤壁の術の妙である。
破れないこともない、このあえて作られた弱点が嫌らしい。
壁を破る時に必ず一手必要であり、必ず次に先制攻撃を撃てるという絶対優位性がアカヘビは上忍筆頭まで押し上げたのだ。
彼の言う通り、あともう少し早くこの技に至ることができたなら本部の出世レースに勝てていた。縦横無尽に飛び回る熱の壁というだけで恐ろしい。それこそ、ライラ=イザヨイにだって引けを取らない戦いができたのかもしれない。
「どうした? かかって来ぬのか」
「んふふ」
「何がおかしい」
「どうやっても勝つと解ってしまってね」
「ほざけ!」
アカヘビが手を払うと業火が生まれる。
熱の壁から炎が実体化して飛び出たのだろう。
それは大蛇のようにアルザへと襲いかかる。アカヘビとはよく言ったものだ。
だがアルザもイザヨイに至っている。
次々と繰り出される炎の蛇を難なく避けていく。
「素早いだけでは我は倒せぬぞ!」
「ならば、さっさと終いにしましょう」
スタッとアルザが降り立ったのは、墓地の中央にある碑石の上だった。
ちょうど満月を背にするようにしてアルザがアカヘビを睥睨している。
周囲は火の海になり、至る所から野生動物の悲鳴が聞こえる。
そろそろ騒ぎを聞きつけた誰かが通報する、そんな段だ。
「これから見せるのはイザヨイスキル。どれもこれも馬鹿馬鹿しくて、師から受け継いだ時は不可能だと思いましたが――今ならできます」
アルザが碑石の上でイザヨイの構えになった。
「イザヨイスキル、影疾走の術。いざ!」
アカヘビは眉根をひそめた。
そんな技、聞いたことも無い。そもそもイザヨイスキルなるものがあるとは。
構えから察するに、極限までに身体強化された体から放たれる一撃なのだろう。
アルザの居合スキルも鑑みるに、それは超高速の抜刀術。
もしかしたら熱の壁を割いてそのまま首元に届くかもしれない――
だからなんだ。
こちらは一歩引けばいい。
それだけで絶対優位は変わらない。
アカヘビは鼻で笑った。
「無駄だ。貴様の技は見切っておる。いくら速くても――」
ヒュッ!
風切り音。
手裏剣の音だ。
そして。
「なぁ!?」
なんということだろう。
手裏剣が届いたかと思いきや、眼前に影。
アルザが間合いに入っていた。
(虚を突いた超神速か!)
手裏剣を投げたフリをした。
驚きこそしたが、それこそ無駄な捨て手というもの。
結局のところ、アルザが熱の壁を氷の刃で裂いたところで火炎をぶつければいい。
今アルザの抜き付けの一撃が、火花を散らして熱の壁を切り裂いた。
アルザの身体能力ならば、熱の壁が塞がるその前にもう一撃を放つのだろう。
しかしアカヘビは手を振るだけで炎を呼び出せる。
剣が通過した。
馬鹿め、とアカヘビが思った瞬間。
アルザの背後に人形の影ようなものが見えた。
アッと言う間も無く、それはブワッと霧散。
アルザの体脇をすり抜けて、アカヘビに殺到した。
ドッ!
ドドドドドドドッ
アカヘビの体が揺らいだ。
その胸には十字手裏剣。肩にも肘にも脇腹にも太ももにも、ありとあらゆる関節に刺さっている。
いつ放ったと、そう考える前にアカヘビが倒れる。
アルザは納刀しながら一歩引き、再び抜刀体制になった。
「ば、馬鹿な。こんな数をいったいいつ!? お前は投げたフリをしたはず!」
「いいえ、あの時投げましたよ」
そんな事があるはずがない。
だとしても到着があべこべだ。
本来手裏剣が着弾して、アルザが斬りかかるはず。
しかし今起こったのは、アルザが斬りかかり手裏剣が着弾した。
――つまりそれは。
「投げた手裏剣を追い越したというのか!」
そう。
アルザは手裏剣を投げ、それを追い越して斬撃。
遅れて着弾した手裏剣がアカヘビを捉えたのだ。
身体という影に隠れて飛来するおびただしい数の手裏剣が本命であり――
手裏剣を超えて疾る身体は影のように虚であった。
まさしく影疾走の術。
これこそデタラメな身体能力を引き出すイザヨイの秘伝が前提にある、聞けば聞くほど馬鹿馬鹿しい冗談のような、それでいて必殺の技。
イザヨイとはやはり人に非ず、それでいて獣でもない。
強いていうならばそう、化け物であった。
「が、は。体が痺れる……毒か!」
「麻痺毒です。一つ一つの効果は薄い。ですが体中に打たれたそれは、即座に効くものなる」
「貴様、嬲るか!」
「勝負はつきました。ここまでの一件、正直俺だけでは手に余る。あとはニンジャギルド本部に引き渡すことにします」
「!」
「俺を襲ったアカヘビ衆なるニンジャが自白しましたよ。貴方はこの街に根を下ろそうとした。重大なニンジャ憲章違反だ」
アカヘビはそれを聞きサーッと顔を青くする。
アルザは超絶なる境地に至ったが、そもそも毒を操り薬学に長ける。
ならばニンジャにも効く自白剤があってもおかしくはない。
実際にはサキュバスエキスを使っての尋問だったのだが、言葉に「んほおお」と混じりはしたものの効果はバツグンであった。
「あとは檻の中で沙汰を待つことですね」
「ま、待て! お、お前は誤解をしておる。全てはそう、この街の大司教のせいなのだ!」
「大司教?」
「左様。この街のダンジョンで不思議な事が起きなかったか? それはかの大司教が、教会の威を示さんと仕掛けた陰謀だ。それを邪魔したお前を消せと言われた!」
アルザは目を見張る。
流石に大司教の名が出てくるとは思わなかった。
この王都アイングラードの大司教といったなら、王宮、冒険者ギルドと次いで大きな権力だ。この大陸の殆どの信仰は教会に集約し、イベント事もほとんどがこの教えに沿っているほどだ。
「他にも大物はいるぞ。商会ギルドの長に、錬金術師ギルドの長だ。貴様は既にお尋ね者だ。我が囚われたと知ったなら、早晩襲いかかってくるぞ」
「そんな面々が――」
流石の事にアルザも血の気が引く。
それはほとんどこの街にいられないことを意味している。
抗争となったなら自分はいいが、リンネが――
「ククク。甘いな」
「!」
アルザが一瞬心非ずとなったその瞬間を見逃さず、アカヘビが最後の力を振り絞りぱちんと指を鳴らす。
現れたのは小さな魔法陣。招集用合図の簡単な術式だ。
それに伴って現れたのは赤マフラーのニンジャたちだ。
「後備えをしないとでも? 我の術は強すぎる故にな、手裏剣の射程外なのは痛いが。それでもこの数だ」
「――確かに、ダンジョンで囲まれた時の倍、いやそれ以上の数だ。ただ、皆下忍のようですがね」
「下忍とて数が多ければ上忍に勝る。詰みだアルザ!」
声高らかにアカヘビの勝利宣言が響く。
周囲のアカヘビ衆も「イザヨイ死すべし!」と息巻いている。
殺意がうねり、アルザに集まる。
だがアルザはクックと押し殺したように笑った。
「何がおかしい?」
「いや、想像通りだと思ってね」
「!?」
「おおかた俺を疲弊させて、最後の最後にリンネたちを人質にするつもりでしょうけど、甘い。貴方がアカヘビ衆とともにあるように、俺もまたこの街と共にあります」
アルザがバッと手を挙げる。
しん、と間をおいてすぐ。
「ぎゃ!」
「うおああ!」
悲鳴が聞こえた。
アカヘビが驚き目だけで声の場所を見ると、何故かニンジャたちが次々に襲われていた。
「アルザ殿をお助けしろ! ニンジャに容赦するな!」
「「「応!!」」」
ザザッと現れたのは完全装備のフレデリカだった。
「双角鉄剣団だと!?」
「ほっほ。いるわいるわ。この老骨も滾るというものよ」
ヒュッと風鳴りがする。
続いてドサドサと倒れてゆくニンジャたち。
その中央には老爺が一人。
好々爺だが、その手にする両刃剣の刀身には深淵の如き黒い炎が揺らめいている。
その背後には明らかに高レベル帯の冒険者たちが控えていた。
「あれは……冒険者ギルドの長か!?」
「んっふっふ。久々に暴れるのはよいのぉ。ニンジャ相手なら手加減しなくて良い」
「てめーらか! ウチのナナに手え出しやがったのは! それにシュリケンの旦那は俺らドワーフの家族同然だ。親方衆、やっちめえ!」
「「「おうさ!」」」
ドカーンと爆裂音がする。ドワーフの使う爆弾だ。
もくもくと煙が上がる中、のっしのっしと歩いてきたのはナナの父。その後ろには筋肉質なドワーフ達が斧を掲げ、ニンジャたちに勢いよく突進していた。
「ドワーフの連中もか! 貴様いつの間に!」
「リンネが呼んだんだ」
「あの小娘がか!」
「そう。俺がダンジョンから出ると、もう冒険者ギルドからの使者が待機していた。俺はニンジャの存在を伝えて、離れたところで皆に待機してもらったんだ」
「旦那様!」
背後から声がする。見ると幻術が解けたリンネとナナがいた。
その背後にはウサミミ。何やらハイテンションで近づいてくるジャネット博士だった。
「ジャネットまで来てくれたのか」
「いやーすげーゴチャマンだねアーちゃん。リンリンとナナっちはちゃーんと治しといたよ。アーちゃんに貰った気付け薬レシピ、めっちゃキクね!」
いえーいと掲げるのは見慣れた小瓶。そう、アルザお手性の気付け薬のジャネット版だった。これで幻術を解いたのだろう。
結局のところ幻術も脳に作用する催眠術である。薬品により脳天直撃する刺激があれば、難なく目覚めるはずでる。
「旦那様ァ!」
「旦那サン!」
「パミー!」
アルザに走りより、飛びつくリンネ。
アルザはしっかりと受け止めて、頭を撫でる。
首元に巻き付いてきたタワシちゃんの頭も撫でてあげた。
ナナも遠慮しがちにくっついてきたが、引き寄せて頭を撫でてやった。
「すまん。巻き込んでしまった」
「これはシュリケン薬局の出来事ですから、巻き込んだなんて言わないで下さい」
「ごめん」
「それにちゃんとカウンター下の紐を引きましたからね。伝書虫もちゃんと皆ののところに届いたみたいです」
「あれ、そんな意味があったんスね」
側に寄ってきたナナが感心したように手を打った。
そう、リンネは地下室に行く前にカウンター下の紐を引っ張っていた。
それは細いワイヤーで繋がって、天井を超えて屋上の小箱にまで到達している。
パカリと空いたのはナナお手性の虫籠。
暗闇の中、黒金のそれはたとえニンジャが見たとしても排気口と間違えるだろう。
あとはアルザがテイムした虫が、フレデリカや冒険者ギルドへ緊急事態を告げるようになっている。
当然、これに応じる義務など無い。
あくまでこれはアルザのお願いだからだ。
しかしアルザが思っていた以上に皆が応じてくれた。
何故か。
それはアルザがいつも優しく、そして見返りを求めなかったからである。
たとえばナナとトカゲ堂の面々。普通、斧を投げられたらどんな医者でも匙を投げる。
だがアルザは淡々とナナの父の傷を治した。看板の礼は受け取るも、基本的に見返りは求めなかった。他のドワーフたちにもそうだった。
たとえばフレデリカたち。アルザはフレデリカを治した上で、リザードマンを倒す事に助力した。命を救われたと言っていい。その体を一晩預けろと言われても否と言えない大恩だが、アルザは見返りを求めなかった。
たとえばジャネット。彼女のハイテンションで分かりづらかったが、違法錬金術師の工房を発見したのは相当な収穫だ。冤罪スレスレまで疑ったがアルザは無罪。詰め寄られても文句は言われないのに、アルザはただただ笑うだけだった。
たとえばギルド長。腰が痛かったのは本当だ。しかし立場上、おめおめと目の敵にしている教会に赴くわけにもいかない。回復魔法で誤魔化していたところを、テキメンに効く薬をアルザが処方してくれた。がめつい冒険者たちがひしめく中、アルザはやはり見返りを求めなかった。
――たとえばリンネ。
アルザは見返りを求めるどころか、服も家も仕事も与えてくれた。
彼女としては体を使ってでも返そうとしたい大きな恩だが、アルザは見返りを求めなかった。
そうして積み重なった善果は、「困ったことがあったらいつでも呼んでくれ」という思いになる。だからこそ集まったのだろう。アルザの窮地に、ここまでの人が。
墓場は大乱闘になった。
ニンジャたちは数こそいたが、皆下忍のようでフレデリカたちにボッコボコにされている。ドワーフの親方衆も嬉々として斧を振り回している。彼らは元冒険者が多いと聞いていたが本当のようだ。
アカヘビは体がしびれ、もう言葉すらも出なくなっていた。
アルザはその間、ずっとリンネを抱きしめたまま離れなかった。




