3-18.それが君のリビドーだっ!
何もしていないというのに折檻されることが確定した未来。いっそこのまま戻らずにおこうか、などと考えていれば感じていた浮遊感は無くなり、それとすげ替わるように強烈な重圧がのし掛かる。
「グギギギ………」
頭の上に巨大な岩でも乗せられたかのような感覚、一瞬でも気を抜けば潰れてしまいそう。
奥歯を噛み締めたルイスは全身に在らん限りの力を込める。プルプルと震えて限界を訴える脚ではあるが、今それを受け入れてしまえば遠く離れただろう地上へと真っ逆さま。例え途中で魔攻機装を纏おうとも無事でいられる保証などありはしない。
「ぷはあぁぁっ!!はぁはぁはぁはぁ…………」
「ごめんなさい……」
再びすげ変わる重圧と浮遊感。止まっていた息を盛大に吐き出したルイスは乱れた呼吸が戻るまで荒い息を吐く。
「死ぬかと思ったぁ」
想定外の負担の原因は我を忘れるほどテンパっていたニナにある。
元を正せばシェリルの一言ではあるものの『デート』発言により頭が真っ白になったニナが自分の身体に掛かる負荷により現実に戻って来るまでの間ルイスが拷問を受ける羽目になったのだ。
多少時間が掛かったのはイザイラムがニナの負荷を軽減していたことに起因するのだが、イザイラムは自分の操者を守るという仕事をこなしただけで何も悪くない。
そう、全ての原因は、ニナの身を案ずるばかりに過剰に心配して騒ぎ回ったディアナのせいであった。
「ニナちゃん、見える?メレキヤの灯り」
「ええ、綺麗ですね」
現在地は上空千メートル。ここまで登ってしまえば例え昼間でも見つけることは難しく、夜闇に紛れていれば居ると分かっていたとしても判別は不可能だ。
第二段階に移るイザイラムは身体を地面と並行にさせる。すると目に飛び込むのは星空のようにキラキラと輝く町の灯り。
紫に染まる空の端と、それに書き加えたかのような真っ直ぐな地平線。黒で塗りつぶされた大地には、本物より強い光りを持って幻想的な景色が描かれている。
「あとはゆっくり高度を落とすだけだよね?」
「はい、そうです」
「じゃあ、しばらくは見ていられるわけだ」
「え、えぇ……そう、ですね……」
重力制御機構の起動から調整、アリベラーテの操作に思考の殆どを回していたニナであったが、現実に引き戻されれば目の前には自身が抱き抱えるルイスの頭と温もりとがある。
アワアワと手をバタつかせて心のバランスをとりたいのは山々であったが、今ここでそれをすればルイスが潰れたトマトになりかねない。取れる選択は現状を維持することのみ。
逃げ出したい今に再び顔が熱を持ち、湯気が立昇る状況ながらも、どうにかこうにか耐え忍ぶ時間は一時間にも及んだ。
△▽
特に波乱もなく無事メレキヤへと降り立った二人は手を繋ぎ、取り急ぎの課題である宿を探して町を歩いていた。
「ニナちゃん……」
「くどいです」
ぐうの音もなくピシャリと言い渡される引導。何度目かの異議申し立てはルイスの手と繋がるニナの手に起因する。こんな時間に二人で宿を取るのならそれらしく見せないと、と提案したのはニナの方だった。
「ここで聞いてみましょう」
「うん、そうしよう」
帰ったらディアナにドヤされるんだろうな、と、既成事実を他ならぬニナに作られた事で何とも言えない妙な感覚に陥っていれば、小さな宿の前で足を止めたニナがルイスを引っ張り扉を押し開けた。
「いらっしゃ〜い、泊まりかい?」
「はい、二人なんですけど大丈夫ですか?」
二人で並んだ受付のカウンター、その向こうには人の良さそうなオバさんが書き物から顔を上げてにこやかに微笑む。
「夕食終わっちゃったから他所で食べて欲しいんだけど、それでも構わないかい?」
全てニナに任せるのはダメだと交渉は自分で行うつもりで口火を切ったルイスだが、思いもよらぬ横槍に目を丸くすることとなる。
「ええ、それで……」
「それで良いので一部屋お願いします」
「あいよ、すぐ用意するから待っとくれ」
一瞬、何故彼女が言葉を被せたのか分からなかった。オマケにその言葉の意味も。
(ニッ、ニナちゃん!?)
焦りに焦るルイスの心情はディアナの苦言から来るものだけではなかった。
ミネルバという一つ屋根の下で暮らしてはいるが、同じ部屋で一夜を過ごすなど間違いを起こさない自信があっても許される筈がない。
しかし、慌てふためくルイスとは裏腹にニナは平然としている。
(私達はお尋ね者となっている可能性があります。身を隠すにはこの方が怪しまれません)
(でもでもっ!それとこれとは……)
(それとも、私が相方なのは演技でも嫌でしたか?)
嫌ではないが駄目なのだ、そう跳ね除けられたらルイスへとのし掛かるプレッシャーも随分とマシになった事だろう。しかし、見上げてくる金の瞳は真剣味に溢れており、感情の分かり難いいつもの顔からは与えられた任務を遂行するために最も効率の良い方法を取っただけなのだと告げられている気になってしまった。
『手を出したら許さない』
ディアナの言葉は当然のようにニナも耳にしている。邪な想像をしている自分が試されているのだと結論付けたルイスは「そうじゃない」と答えて “一部屋” を了承する。
本当は、突拍子もなく口から出てしまった自分でも思いもよらない言葉に、なりふり構わず喚き散らしたい心境のニナ。
だが、顔に出ないほど完璧に押し殺された感情には、鈍いルイスが気付くはずもない。
「お待たせ。二階で悪いんだけど、その代わり一番奥の角部屋だよ。隣は空いてるからゆっくり休んでおくれ」
人当たりの良い女将さんの笑顔には僅かな毒でさえ含まれてはいやしない。余計な配慮が二人の心に波紋を落とすが口を揃えて「ありがとう」と告げると、渡された鍵を手に繋がったままの二人は宿の階段を仲良く登って行った。
▲▼▲▼
慣れない魔攻機装の操作に加えて、大量に魔力を使う重力制御機構の使用は相当な負担を強いた。
幸いにして別れていたベッドの一つに潜り込むとすぐに寝息を立て始めたニナ。
「羊が9998匹、羊が9999匹、羊が10000匹……あぁ、羊はとんでもなく増えたけど睡気は一向に増えない。もう、朝だよ……」
少しの間を空けて隣合うもう一つのベッドに入ったまでは良かったのだが、聞こえてくる可愛らしい寝息が同じ部屋に異性がいると意識させ、僅かな罪悪感と極度の緊張で眠れるはずもないルイスは夜通し呪文を唱え続ける羽目となっていた。
窓から見える空は薄明るくなっており、これから眠るのは不可能だと判断すると諦めて身を起こす。目をやれば何の憂いもなく安らかに眠るニナの姿。エルフである彼女の顔は一切歪みのない精巧に造られたお人形のようだ。
本来であれば『お前のせいだぞ』と文句の一つも言いたいところだが、綺麗な寝顔を見ているとそんな気も失せてしまう。
気が付いたときには既に伸びていた手が彼女の髪を撫でようと頭を目指していた。
(俺はニナを女性として見ているのか?それとも欲しかった妹として?)
最近日課になりつつあったニナとの夜会。その時には特に関係性を意識したことなどなかった。
しかし、レーンに望まぬ知識を叩き込まれ、ディアナからは駄目だと念を押されることでニナが女の子なのだと意識するようになってしまった。
第一印象としては興味が無いと知らしめる素っ気なさしかない。ディアナとは普通に言葉を交わす様子からも自分は邪魔者程度にしか認識されていないのだと感じてしまったのだ。
だが、最近はどうだ?
いつの間にか気兼ねなく話すようになり、思い起こせばレーンに言われたように好意を向けられているようにすら感じる。
ちょっと変わっているが何事にも一途な性格には好感が持てるニナ。顔立ちは言うに及ばず、更なる加点はルイス好みの背の低くさ。庇護欲を掻き立てる華奢な印象は恋人には打って付けだと思うものの、妹だと認識している可能性を強める要素でもある。
「好きって何だ?教えてくれよ、フィリンナ」
一度は止めた手を伸ばして金の髪を一撫でしたルイスは立ち上がり、バスルームへと向かう。
(ニナがニナだからなのか?それとも、ニナが女だから意識するだけ、か?)
昨晩、彼女がここに篭っていたときに悶々とした事を思い出しながら、新たに湧き起こる疑問に自答しつつ普段より熱いお湯を頭から浴びるのだった。




