3-8.偽られた事実
「アシュカル兄様は全てご存知なのですね?」
自分の髪を撫でる手は一向に動きを止める様子がない。ならば自分から切り出すしかないと意を決して吐き出した問いかけ。怒鳴られ、責められ、罰を受ける。しかしそれは受け入れなければならない自分の過ち。嫌な未来に向かい勇気を持って踏み込んだつもり。
しかし、アシュカルの返答は期待するものではなかった。
「全て、と言われてもなぁ。高く見てくれるのは嬉しいことだが、俺は【最高神エンヴァンデ】ではない。シャルが何を言いたいのか分からぬぞ?」
「そう、ですよね……お兄様は神様ではないわ」
あくまでも自分の口から言わせたいのだと悟ったシャルティノアは気怠さの滞在する身体を持ち上げた。姿勢を正して膝を突き合わせ、アシュカルと目線を同じくする。そこでようやく謝罪をするに相応しい体制が整ったのだと自分を戒めた。
「お兄様に謝らねばならないことがあります。それは、レイフィール兄様が出て行くきっかけとなった事件について、です」
「ふむ、話してみなさい」
「レイフィール兄様は兼ねてからご自分が次の皇帝に相応しくないと仰っていたのはアシュカル兄様もご存知の通りです。でも、リヒテンベング帝国において帝位継承の順位は絶対のもの。
自分が居てはアシュカル兄様が帝位を継ぐことが出来ない、そう悟ったレイフィール兄様は元より宮殿を出るお積りでいたようです。そうなればもう二度と会えないかもしれない、私はそれが堪らなく嫌でした」
「ほぅ、それで?」
「皇帝になりたいアシュカル兄様、皇帝にはなりたくないレイフィール兄様。でもそれは叶わぬ決まり。
しかし帝国の未来を考えれば私達兄弟の中で最も優秀なアシュカル兄様が皇帝を継ぐのが理想なのは誰に聞いても答えは同じ。ならば障害となる決まりさえ変えればお二人の希望通りとなる、そう考えたまでは良かったのですがレイフィール兄様が宮殿を出る準備が着々と進んでいると聞かされました」
「父上が倒れた今、帝位譲渡の儀はいつ行われてもおかしくないからな」
「私は女ですしニズタントはまだ七歳。アシュカル兄様が居なければ否が応にでもレイフィール兄様が皇帝を継ぐしかない」
「それで俺を毒殺しようと?賢いシャルにしては矛盾だらけの行動だな」
「毒殺なんて滅相もない!アシュカル兄様には数日眠って頂くつもりでした。そうすればお父様に代わり政務にお忙しいアシュカル兄様の静養にもなりますし、レイフィール兄様も出て行くのを戸惑われるでしょう。
その間に私の計画を打ち明け、レイフィール兄様と共にお父様を説得に行けばと考えキビに睡眠薬をお願いしたのです」
「睡眠薬?」
「はい、五日ほど効果のある特殊な睡眠薬との説明でした。まさかそれがこんな大事になるなんて……アシュカル兄様、ご心配とご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでしたっ!」
絹糸のような薄紫の髪が雪崩れ落ちて膝をくすぐる。慎ましやかに頭を下げるシャルティノアを見るアシュカル。その頭は疑問に満ちていた。
(父上の溺愛から厳重過ぎる箱に入れられたシャルが世間知らずなのは仕方のないこと。しかし純粋たるシャルが自分の罪を軽減するために嘘を言っているとは考えにくい。
盛られたのは明らかに殺すためだと分かる致死性の毒物。いくら特殊な睡眠薬と言っても三重の鑑定をしたのだ、そんなものと間違えるなどあり得ない。……と、なればあのキビとかいう侍従の仕業か?それにしては俺を殺すメリットが分からぬ。濃厚なのはシャルの計画を知った第三者の介入によるすり替え、か……)
毒か否かはさておくとしても、実際にコトに及んだのはキビという女。たとえ睡眠薬だったとしても皇族たるアシュカルの食事に仕込むのは困難であり、バレた際にはまず間違いなく “死” が待っているのは考えるまでもないこと。
そのリスクを犯してまで実行したキビは単に馬鹿なのか、シャルに対する忠誠心が成せる業なのかは分からない。しかし、シャルティノアを貶めるためなのか、はたまたそれに乗じてアシュカルを殺すのが目的なのかは不透明ではあるものの、実行に移るキビを利用することはとても都合が良かったのだろう。
「お前が俺とレイフィールの為にと思って行動したのは理解した。しかしな、シャル。少しばかり大胆な方法を取りすぎたのは問題だ」
「ごめんなさい、お兄様。罰を受ける覚悟はしております」
再び向けた碧眼は今にも溢れそうなほどに涙を湛えていた。それでも悪いのは自分。雫を溢さぬようにと必死で表情を崩さぬよう努めてはいるが、細い肩は恐怖で震えている。
キラキラとしたエフェクトが見えてしまうような、妖精のように美しき少女に見上げられたアシュカルはため息を吐きたくなる。
誰も居ない二人きりの部屋、このまま押し倒したい衝動に駆られるが相手はまだ十を越えたばかりの小娘であり、母親は違えど血を分けた妹。自制心の緩いアシュカルといえども、それはダメなのだと辛うじて踏みとどまった。
「手違いがあったとはいえ首謀したのに変わりはない。未遂とはいえ皇族の毒殺は死罪、酌量が認められようとも永久追放の極刑に値する大罪なのだ」
「お、お兄様……私は……わたし、は……」
極刑と聞かされ頭が真っ白になったシャルティノアは自分の意思とは関係なしにエメラルドのような碧眼を限界まで見開く。
すると、今までどうにか耐え忍んでいた涙が雫となり頬を伝って行った。
「大丈夫だ、案ずるな。お前に悪気がなかったことはちゃんと理解しておる。私が裁判を起こしさえしなければお前が裁かれることはないのだよ。実の妹を極刑になどしやしない」
抱き寄せられたシャルティノアは導かれるままアシュカルの肩に顔を埋めて頭を撫でられる。
「今回の一件、良い勉強になっただろう?」
「はい……はい、申し訳ありませんでした。お兄様のご慈悲に感謝致します」
自らの身が安全であると安堵したシャルティノアはアシュカルから身を離し改めて頭を下げた。
しかしその瞬間、彼女からは見えていない間を狙ったかのように黒い笑みを見せたアシュカルだが、再び貼り付けた笑顔の仮面の下へと隠してしまう。
「なに、可愛いシャルのためだ、これぐらい構わんよ。だが、何事にも落とし前は必要だ」
「落とし前……ですか?」
意味が分からず小首を傾げるシャルティノアは、アシュカルに手を引かれて隣の部屋へと続く扉へと向かって行く。
その先に何が待っているのかも知らずに成すがままに付き従うも、扉が開かれた瞬間、鼻に付く異臭に悪寒が走った……が、その時にはもう、後に退くことは許されない。
「ご覧……」
本日、何度目になろうか。見開かれた碧い目に映るのは少女にとっては信じ難い光景。
「──っ!!」
あまりの衝撃に思考が止まり、何がどうなっているのか理解出来ない。だが、本能的に見てはならぬものだと察して身体ごと目を逸らしたい衝動に駆られるも、肝心の身体が言うことを聞かず立ち尽くすことを余儀なくされた。
倉庫かと思えるような壁紙すらない無機質な室内。何もない部屋の中心には唯一、ありふれた椅子がポツンとあるだけだ。
しかし、その部屋が異常である所以はその椅子にある。
細い縄にて固定されているのはクッションやカバーの類ではなく、人。身体のラインがはっきりと出るレオタードを着た女が、椅子の肘掛けと脚とに四肢を縛られていた。
「くっ……ふぅふぅふぅ、くぅっ、ううううううぅっっ!」
いくつも穴の空いた玉が咥えさせられ、喋ることはおろか口を閉じることさえ許されない。そこから漏れ出るのは苦しげな吐息と透明な唾液。流れ出た液体はレオタードへと染み込み元々ある柄のように大きく変色している。
彼女を苦しめる原因の一つは股間に出来た膨らみだ。弱い振動を与え続ける魔導具は敏感な部分に絶妙な加減の刺激を与えており、それから逃れるためなのか、はたまた更なる刺激を求めてか、内腿を擦り合わせてモジモジと蠢いている。
そのおかげで床まで滴る体液は水溜りとなっているのだが、そこには部屋に充満する刺激臭の原因である黄色の液体も混ざっていた。
「キ、キビ……なの?」
「その通り。彼女は俺に毒を持った張本人であり、君の罪を一身に背負い罰を受けている最中なのだよ」
大きな目隠しは顔の大部分を覆い、それが誰なのか認識するのを困難にしている。しかし、緑という特徴的な髪色と声とが自分の侍従であるとの判断をさせた。
「あぁぁ……こんな、酷い。お兄様、お願いですっ、やめてあげてくださいっ!」
何故か言うことをきかない身体では目を覆うことも閉じることも、瞬きでさえ許されず、ただただソレを見続けさせられる。
居ても立ってもいられなくなり懇願するもアシュカルが発する言葉に凍り付くシャルティノア。
「その女が受けているのは女自身への罰ではあるがシャルへの罰でもあるのだよ。それを止めるということはシャル、お前がアソコに座るということなのは理解しての言葉か?」
「……………………」
「いつ終わるとも知れぬ刺激を与え続けられ、自由を奪われた身体は糞尿を垂れ流す。アレと同じ目に合うなどお前には耐えられる筈もない、違うか?」
(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさ…………)
どんな感じなのかは想像もつかない。ただ本能的に『無理』と悟ると、自ら招いた結果だからとあの場所に身を晒すなどとは口が裂けても言えやしない。
それでも親友と呼べるキビの苦しむ姿は見るに耐えられない。溢れ出る涙でぼやける視界、シャルティノアに出来ることはただひたすらに己の身代わりとなり罰を受け続ける彼女に向け心の中で謝罪を繰り返すしかなかった。
「お前もそろそろ年頃になる。自分が女であることを自覚しなければならない時期なのだ。例え死ぬような毒でなくともこの女のように薬を盛られれば、同じ道を辿るかもしれぬとは常に気を張らなければならぬ事なのだぞ」
「くすり……」
「銀が変色しない毒もあると言ったろ?おかしな薬とて同じなのだ。先程のように違和感を感じたら飲むのを止めることを覚えておきなさい」
「分かりました。分かりましたから、お兄様っ。もう……もう勘弁して……」
高鳴る動悸は呼吸を荒くし、罪悪感と背徳感とがシャルティノアを支配する。ただ立っているだけなのにそれすらままならない、彼女の心身は限界を迎えようとしていた。
「今回の一件は全てあの女が企て実行した。お前はたまたま彼女の主人であっただけで一切関与していない故に何も知らず無関係、それで良いな?」
「…………はい、アシュカル兄様」
「よろしい、では部屋に戻りなさい」




