2-9.ルピナウスに暮らす人々
中枢である王宮を含めた自国の1/5が被害に遭う大惨事の直後であろうとも、無事であった者達は生活するためにいつも通りの商売をしている。
「よぉし、てめぇらっ、今日は俺様の奢りだ!そのかわり、店の酒を飲み干すまで帰れると思うなよっ!」
大衆食堂、兼、大衆居酒屋の一角、多くの女性を侍らすレーンがご機嫌な様子で周りで騒ぐ者達に言い放つ。
獣人の国【ルピナウス】の住人は九十パーセント以上が獣人である。当然のように彼を取り囲むのは獣人達であり、そこに混じるのは魔攻機装を纏う人間と戦っていた守備隊の男達だ。
「はぐっ! もぐっ!」
「くはぁぁっ!良い酒だなっ!」
「うむ、飯も酒もなかなかだ」
「これ、そこの娘。もっと強い酒はないか?」
「わしもコレおかわりじゃっ」
「獣人の国も悪くないのぉ」
「娘っ子も皆かわいいしなっ!」
「「「違いないっ!!!」」」
レーン達が騒ぐ居酒屋と食堂の中間付近にあるテーブルを占拠するのは七人のドワーフだ。毎度お馴染みの爺ちゃんズは、次から次へと運ばれてくる食事を貪りながら浴びるような勢いで酒を飲み干して行く。
酔っ払いの扱いに慣れた店員さんに『一緒に飲め』と声をかけるもサラリと断られているのはご愛嬌。また、事故を装い伸ばした手ですらあっさりと叩き落とされている。
それでもめげずに何度も繰り返される痴態に呆れた様子をみせるものの、未だ崩れない笑顔で反抗の手を緩めない店員さん達には、珍客に出会し “運が悪かった” と泣いてもらう他に手立てはない。
「うるさくしてごめんなさいね」
せっかく案内してくれたというのに食堂を騒がせる中心が身内であるのは心苦しい。それは二グループから距離を置いて席に着くルイスとディアナの思うところだった。
異国の食事に舌鼓を打つニナは我関せずとばかりに自分の世界に浸っているが、もう一人の大男は哀愁漂う背中を見せてちびちびと酒を煽っている。
「グルカさん、また次がありますって……」
「うんにゃ、俺はもうダメなんだ……」
グルカを撃沈した相手とは、今目の前に座る獣人の片割れだ。
結果としてディザストロから助ける形となった獣人王国第十四王女【シェリラルル・シャトロワ・ジ・テレチュレア】ことシェリルは、身長が百八十センチもある細身の美人。
王女というだけのことはあり、整った顔とナイスバディ。お腹の晒されるショート丈のトップスに、これまた同じ丈の革のジャケットを羽織っているものだから女性らしい腰のくびれは拝み放題。下は割とゆったりとしたスネまであるズボンなのだが、それでもよく分かる形の良いお尻は彼女の魅力の一つなのだろう。
だが残念なことに、女性のシンボルたるお胸様は控えめだ。
「だってよぉルイスぅ、短時間で二連敗だぜ? そりゃ〜俺でも凹むってぇの……」
しかし、グルカのお目当ては彼女ではない。
滅多に見ることのない魔攻機装同士の攻防に興味を惹かれて集まった大勢の人々。大衆に晒される中での膝を突いての熱い告白を「お断りします」とバッサリ一刀両断にしたのはシェリルの侍従たるキツネの獣人カーヤ。
主人と同じくスラリとしたプロポーションの素敵な女性ではあるものの、身長が百五十センチに満たない小柄な彼女は綺麗と言うよりは可愛いという表現が近い。
チャームポイントは小顔に見合わぬ大きな丸メガネ。だが何より目立つのは、万国共通であるメイド服を押し上げるディアナにも優るとも劣らない見事なまでの胸の膨らみ。
巨乳好きなグルカは童顔がお好みらしい。
「シェリル様は王宮が心配じゃないんですか?」
やさぐれるグルカに見切りを付けたルイスは話題を変えるべく、カーヤと二人で意見を交わしながら食事を楽しんでいたシェリルへと分かり切った質問をするものの、思わぬ反撃に合うこととなる。
「心配か心配でないかと問われれば心配だと答えるが、アレは見るからに絶望的ではないだろうか?使いの者を出したから結果待ちっていうのが現状だ。
それよりも、だよ?ルイス。キミは私とカーヤの命の恩人どころか【ルピナウス】を救った救国の勇者なのだ。そのような方に『様』付けで呼ばれるのは我慢ならんという私の申し入れは聞き入れてはくれないのか?」
シェリルという愛称で呼ぶように言われたとて相手は国を治める一族である王女様。今さっき会ったばかりのほぼ初対面である自分が愛称を呼び捨てにするなどルイスにとっては高過ぎるハードル。
同じ身分であるレーンに関しては皇子を名乗らない上に同性という理由もあったのだが、出会ったときのあからさまに自分を蔑ろにしようとの目論みから、たとえ世界的大国の皇子様だとて敬ってやろうなどとは欠片も思っていなかった。
「じゃ、じゃあせめてシェリル……さん?」
「シェ〜リ〜ルっ!」
「なんでそこまで頑なに……」
「呼び名とは相手との親密度を現す。恩義を感じている私がルイスと仲良くなりたいと思うのは人間の常識ではおかしいことなのか?それとも、私は何かキミに嫌われるような要素があったりするのか?」
女性に免疫のないルイスにとってモデルのような美人であるシェリルは近寄り難い人であった。しかし、だからと言って決して嫌いとか、いわゆる負の感情があるわけではない。
言葉遣いもさることながら、高貴な者であるオーラは多少あるものの威圧されるような嫌な感じではない。それに、人間にはない黒い熊耳が短い水色髪の間から顔を覗かせているのは愛嬌がある。
「嫌いとか、そんなんじゃないんです」
「ルイスは貴女と違って人見知りなだけよ。仲良くなりたいのなら強要するんじゃなくて、相手のペースに合わせて寄り添うことの方が重要なんじゃないかしら?」
「そうですよお嬢様、エゴを押し付けるのは失礼です。もののついでに訂正しますと、あの黒い鎧女を撃退したのはグルカ様ではありませんか?」
ディアナの説諭に乗っかるカーヤ。しかし、沈んでいた猛獣がここぞとばかりに目敏く復活し、彼女の言葉に食らい付く。
「カーヤ!じゃあっ、恩人である俺と……」
「それはお断り申し上げました」
目にも止まらぬ間に移動しカーヤの手を握ったグルカではあったのだが、ペッと軽く払われ、女を口説き落とす口上の途中で再び一刀の元に斬り捨てられる。
「ゴフッ……」
ストライクゾーンの真ん中に位置するカーヤの仕打ちはグルカの心を深く抉り、二度目の会心の一撃により魂が抜けたかのように放心した上に、灰色に染まった身体は硬直していた。
胸を押さえて倒れゆく巨体……哀れなり。
「お嬢様の侍従である私が男などという低俗な者と関わり合いを持つなどあり得ない。よしんばそういった命令が下されようとも、私の心が傾くことなど絶対にありません。
それに、貴方の求めるその場限りの肉の関係など虫唾が走る。男に身を委ねるくらいなら舌を噛み切り自害……」
「わーっ!わーっ!ストップ!ストップぅ!!
カーヤが私の侍従をしてくれている間は決してそのような理不尽な命令などしはしないっ!だから落ち着け!いつもの冷静なカーヤに戻って!お願いだからっ!」
撃沈したグルカに追い討ちをかけるかの如く、光の失せた青い瞳で抑揚の無い言葉を投げつけるキツネ耳のメイド。
主人から一歩引いた控えめな姿から一転、暴走を始めた勢いそのままに言葉だけでグルカの息の根を止めにかかりそうなカーヤの肩を必死に揺さぶるシェリル。その甲斐あってズレてしまった大きなメガネをクイッと上げ「失礼しました」と軽く謝った彼女は先程までと変わらぬ大人しき様子に戻っている。
「あ、あのぉ……」
自分が受けたのは急を要する任務。しかし、楽しそうにする主人達に気を遣いタイミングを測っていたのだが、入り込む隙が見当たらず痺れを切らしたシェリルが放った遣いの者。
黄色地に黒の斑点の入る猫科の耳をパタンと倒して眉根を寄せる姿は心の底から出る申し訳なさを体現していた。
「おお、ノルン、戻ったか。まずは此方に座りなさい。飲み物は私と同じ物で良いよな?」
振り返った笑顔のシェリルが自分の隣を叩いて座れと指示してくる。命令に逆らう訳にはいかないのだが、日陰の存在たる自分如きが王族たる主人の食事の席に同席するなど恐れ多い事。
髪の色こそ濃い茶色ではあるものの、全身真っ黒な忍び装束に身を包む彼女は人知れず情報を集める諜報員の一人だ。
「えっ!? シェ、シェリラルルさま!?」
気後れするノルンだったが、事もなさげに店員を呼びつけ飲み物を注文するシェリルの姿に諦め「し、失礼します……」と恐る恐る指定された彼女の隣に腰を下ろせば、優しく肩を抱かれてしまいあからさまな動揺を示す。
「食事の席でこれは要らない」
ズレを防止するため密着されていた鼻までを覆う布。しかし指を突っ込まれてしまえば成す術はなく、顔を隠すという役目など果たせるはずもない。
露わになった小鼻と桃色の唇。目を白黒させて動揺しっ放しの彼女に向けて「うん、この方が可愛い」などと囁かれては、せっかく露わになった顔を隠すように赤くなった頬に小さな手が当てられる。
「それで? 王宮はどんな感じであった?」
「ははははは、はいっ!」
現れてから片時も落ち着くことのないノルンに「一先ずこれを飲め」と渡されたコップ。それを包み込むように可愛らしくも両手で受け取りゴクリと豪快に飲み込んだノルンは目を見開き固まってしまった。
「ノルン?……ノルンっ!?」
ヒョウ柄の耳と尻尾は真っ直ぐに天井を指し、これ以上無いくらいに正された背筋は先程までより更に強い緊張状態にあることを物語る。
生まれてから十七年、初めて体内に入れたアルコール。然程強くはない果実酒だとはいえ耐性の全く無い者が水と勘違いして豪快に飲み込むには些か度数が高かった。
「ちょ、ちょっと!?」
そのまま背後に傾き始めるノルンを慌てて抱き止めるシェリル。ギョッとしたカーヤが慌ててフォローに入るも、真っ赤に染まった顔を見て状況を察すると大きく溜息を吐き出すのだった。




