2-6.ねぇ、持ち主って……名義だけ?
「もう一本お願いします!」
「おうっ、どんとこいや!」
場所は例の如くミネルバ内の工房。すでに三日目となる二人の “戯れ合い” は、休憩を挟みながらとはいえルイスの体力の続く限りずっと続けられている。
「なんだかルイスが良くない方向へ進んでる気がする……」
「凡才が鍛錬に励むのは良いことだろ?何がそんなに気になるんだ?」
ディアナとカルレの報酬交渉があった翌日、首都アイヴォンを発ったレーン一行は目標としていたキファライオ王国からはまたしても離れる方向である南東へと向かっていた。
目指すべきは、人間との交流が殆どないエルフ達の国【レユニョレ】。
「身体が出来て筋肉が付くのは良いことだけど、グルカみたいなムッキムキは、ねぇ……」
「お前は俺だけを見てればいいんだよ」
「ふふっ、それもそうね」
地面から僅かに浮き上がり、宙を滑る魔導車。人の目がないのを良いことに最大の強みである移動速度を遺憾なく発揮し、この三日、ニナに糧を与えられたミネルバは道なき道をひたすら突き進んでいる。
行けども行けども小さな集落すら無い見渡す限りの味気ない荒野は、ここが人間の生活圏の外側であることを示していた。
△▽
掘削という鍛錬を七日連続で続けた日々。それが終われば休足というのんびりとした時間が与えられることとなる。
しかし、一日は首都アイヴォンで羽根を伸ばしたものの缶詰めにされているミネルバ内でやれる事などルイス達のように己を鍛えるくらいしかなく、外の景色を眺めても代わり映えの無い荒野一辺倒。自由を求めて王宮を飛び出したレーンだが、大して変わらない現実にうんざりとしていた。
安物のジョッキに並々と入れられた上品でない酒。それを煽りつつ、礼儀正しく清楚ではない、粗野で豪胆な女共を侍らしての馬鹿騒ぎ。容姿など良くなくとも、雌の匂いを漂わせて近付く刺激的な女を勢いで抱くのも悪くはない。
そんな自分へと向けられる男達の視線。羨望、嫉妬、罵倒に中傷、居合わせた奴等に女共の媚態を見せつけてやるのも一興だ。
彼我の差になど気付かず、目が合えば誰彼構わず喧嘩をふっかけてくるようなクズ共と遊んでやるのも面白い。
──心躍る刺激的な日常は、ないのか?
「ん?」
工房の片隅で上品な紅茶を口にしつつ、対面に座るディアナがタブレットを弄る姿をぼんやりと眺めていたときのこと。
遥か遠くに目新しい物を見つければ、意識するまでもなく窓へと足が向く。
それは、暇を持て余していた何よりの証拠。
「どうしたの?」
「ああ、森が見える」
「ようやく到着のようね。ミネルバですら三日もかかれば、好き好んで訪れようとする人も少ないのは仕方ない、か」
二つの森に挟まれた自然豊かな国【ルピナウス】、間もなく到着する異文化の都は、人間とエルフの生活圏の間にある農業と狩猟を主とする獣人達の生活の場だ。
好奇心が旺盛である獣人ではあるものの、祖国である【ルピナウス】を出て人の町に行こうとする者は少ない。
その理由は至極単純なもので “遠いから” の一点に尽きる。
人間の発明した自動車でも八日かかると言われる荒野の旅。それを持たない獣人達は馬車を使うことになるのだが、移動にかかる日数は二ヶ月にも及ぶ。その間、水や食料の補給は一切出来ず、小動物ですら住まない不毛の大地をひた走ることになる。
いくら好奇心が強いとはいえそれほどの苦行が待っているともなれば、諸手をあげて『行きたい』と言うのはよほどの変わり者か、後ろ暗い事から逃げ出したいと考える少数しかいないのが現実だった。
「やっと到着だな、ご苦労さん」
客席部へと移動したレーンは遠くに見え始めた建物に目を細めながら、一人、ハンドルを握っていたニナを労うように金の髪をクシャクシャと撫でる。
「見えたって?」
ルイスがやってきたときには、少しばかりムッとした顔でレーンを見上げるニナが手櫛で髪を直しているところ。彼女の様子が気にはなる……が、ようやく訪れた変化の方に興味をそそられてしまった。
「……ん?」
視線を移したルイスの目に留まる、晴れ渡る青い空に引かれる一条の黒い筋。
昼夜の違いはあれどエスクルサでの出来事が脳裏に蘇り、上から下へと伸びて行く黒線にどうしようもなく嫌な予感が胸に溢れ出す。
「ありゃなんだ?」
不可解なものを認識すれば、それが何かを確かめたくなるのが心情というもの。
見えたと言ってもまだ遠い獣人の国【ルピナウス】。確認のしようのない現実に不安を共有するかの如く、皆を代表して口を開いたグルカに言葉を返せた者は誰一人いない。
「ディザストロ……」
ソレが見えた訳ではない。しかし、共通する五人の予感を口にしたルイスは、苦虫を噛み潰したような形相で拳を強く握りしめる。
「落ち着けっ。あれがヤツだと確証はないだろう?それに、単独で行くよりミネルバの方が早い。今は我慢しろ」
今にも飛び出して行きそうなルイスの肩を握ったレーンは捻じ伏せる勢いで力を込めていたものの、体格で劣るルイスが微動だにしないことに内心、舌打ちをした。
「だいたい、グルカにワンパンでやられるお前がアイツに勝てるわけないだろ?お前一人が行っても無駄死にするだけだぜ?」
「そんなの関係ないだろうっ!!」
「だから冷静になれって言ってるだろ? お前はもう一人じゃないんだ。アレが世界を混沌とさせると聞かされた以上、俺達にも放っておくという選択肢は存在しない。
だいたい、お前一人で荷が重いのなら皆でボコボコにしてやればいい、俺達は仲間だろう?」
血走る勢いで強い怒りを内包した黒い瞳。それを真っ直ぐに見つめる碧い瞳は相手を思いやる優しさに満ちていた。
「ごめん……ありがとレーン」
「ほんと、しょうがねぇヤツだな」
厳しい表情のまま緊張は緩まねど、落ち着きを取り戻したルイスに安堵する。
手を退けたレーンが握った拳を肩へと押し当て笑顔を打つける。それに応えたルイスがぎこちないながらも笑顔を返したそのとき……
「!?」
「嘘でしょ!?」
「マジでかっ」
視界の端に飛び込む光に慌てて視線を向ければ、見え始めていた王宮らしき町一番の建物が、それより遥かに大きな光のドームへと様変わりをしている。
それは一瞬で消えて無くなるが、代わりに現れたのは天へと登る真っ黒な煙。巨大な爆弾でも使用したかのような破壊痕は『黒き厄災』の名に違わぬ強大な破壊力を彷彿させる。
ルイスの故郷であるアリキティスの話しは他ならぬルイスから聞かされていた。しかし、たった一騎の魔攻機装が一夜にして町を破壊するなど俄には信じ難いのは一般的な常識。
そのうえ、エスクルサで相対した時には異様な雰囲気を感じさせはするものの、厄災の根源であるといったものは垣間見られなかった。
──今、目の前で起きた事こそが真実
「ニナッ!」
直感により確信に変わった疑念、皆を代表したディアナが声を荒げた。
「主動魔導炉第一リミット解除、加圧魔力装置 No.1 , No.2 始動、テストを兼ねるため出力は四十パーセントで固定。
緊急加速モードに入ります、座ってください」
ミネルバの最後部、貨物コンテナの左右の下端に現れた二つの円筒。後ろから見れば空洞たるその中からは青白い光の粒が漏れ出している。
あっという間にその量は増え、夜ならばミネルバが走った軌跡を描いているのが見えたことだろう。
「メイン、ブースト、共に出力値グリーン。慣性緩和機構の作動に伴い最終安全装置解除……行きます。
【加圧粒子噴出装置】始動」
ニナの押した赤いボタンにより、最後部から噴射された青白い光がまるで砂嵐が起こったかのようなとんでもない量の土煙を巻き上げる。
「くぅぅっ……」
超加速による搭乗者の負担を減らす抑止機能が働いて尚、発動から二秒間はシートに押し付けられた身体が言うことを聞かなかった。
僅かな時間を歯を食いしばり耐え切れば、慣性に乗った身体は圧力から解放され自由を取り戻す。
「なんて魔導車にしてくれてるのよ……持ち主が知らない機能、多過ぎじゃない!?」
これでまだ最大出力の半分以下、あっという間に達した時速二百キロという凄まじい移動速度に悪態を吐きたくなるのも無理はない。
そんなディアナの嘆きは窓から放り出されたかのように置き去りにされてしまうが、期待以上の速度を得たミネルバは焦燥感溢れるルイスを黒き厄災の元へと急がせる。




