10.衰えぬ闘志
しゃがむ、転がる、身を逸らす。
ブウォンッという魔力音を残して振り回される色鮮やかな魔力の剣。ただならぬ気配に防ぐ事を諦め、回避に専念するルイスの判断は正しかった。
「どうしたどうしたっ、逃げているばかりでは勝てないぞ?」
肩を掠めた緑色の刃が音もなく壁に吸い込まれる。一本を避けようとも二本ある魔力剣の襲来が休まる事がないのは考えるまでもない。
だが、想定通りに行かないのが世の常というもの。根本まで埋まる魔力剣の柄、それを握る右手側へと転がり逃げた矢先の事だった。
「!?」
ルイスを追うように振られる右腕、それに伴い壁の中から舞い戻る緑の光。少しの抵抗もなく深い溝を掘った魔力の刃は、平素と変わらぬ速度で獲物を追いたてる。
「ほらっ、どうしたっ、かかって、こいよっ」
左右交互に突き出される両手、転がり続けるルイスを追い立てるように闘技場の床には等間隔に穴が開いていく。
だが区切られた場所では逃げ続けるにも限界があり、二十メートル四方は広いようで狭かった。
ルイスの肩に伝わった振動は逃げ場が無くなった証拠。
その瞬間、ドミニャスの口角が歪に吊り上がる。
先程よりほんの少しだけ大きく引かれた腕は牽制ではなく、本気で一撃を加えるために威力を高めるのが目的。
──これで致命傷、もう片方でトドメ。
コロシアムのルールでは操者の殺害と魔攻機装の頭部破壊は御法度ではあるが、それを踏まえても彼の頭の中では勝利の構図が出来上がっていた。
白と緑の機体ヴェナンディは、ドミニャスの腕輪に付けられた風の魔石により風の魔力を操る。
それによって創られる二本の魔力剣は超が付くほどに高出力なのが特徴で、戦いに耐え得るよう特殊加工された魔攻機装の装甲ですら苦もなく斬り裂く。
彼のギヨームのように持っている武器を媒体に魔法を発動させるのとは違い、魔力そのものを武器として扱うには専用のギミックと天才的なセンスが必要となる。
その二つを持ち得たドミニャスは、他を寄せ付けない圧倒的な攻撃力でコロシアムの三銃士と呼ばれるほどの地位を手に入れたのだ。
魔法を乗せた武器や盾ならば凌ぐことも出来ただろう。しかしアンジェラスは、そのどちらも持ち合わせてはいない。
(やられる!!)
尖った形状をする緑色の光は追い詰めた獲物を穿つべく動き始める。
⦅……大丈夫⦆
目を見開き、ただ剣先を見つめる事しか出来ないルイス。そんな折に頭に響く穏やかな声。
聞き覚えのある声はこの場に相応しくない和やかなモノで、圧倒的な力の差を見せつけられて張り詰めていた緊張の糸が一瞬緩む──が、絶体絶命の状況は変わる由も無く、身体に走るだろう痛みに備えて身を堅くした。
ドミニャスが狙うは右の肩、完全に動きを封じた後で腹を突けば記念すべき三十連勝を手中に納める事が出来る。目前に迫る勝利に、頭の中では声援を注ぐ大観衆に応えて両手を掲げる自分の姿が思い浮かんでいた。
だがその妄想を掻き消したのは展開された虹色の膜。勝利を阻むアンジェラスの魔力障壁など、魔力剣の前では瞬時に破壊される筈であった。
「なっっ!!」
予想を裏切る硬い感触と金属同士を打つけたような甲高い音。反作用によりバランスを失い、たたらを踏みながら二歩退がると、追撃も忘れて呆然とする。
「馬鹿な……弾かれた、だと?」
勝敗が決まると思われた次の瞬間、立ち尽くすドミニャスの姿に静まり返る観客達。
呆気に取られたのは何もコロシアム側の人間ばかりではなかった。
「…………へ?」
隙だらけの相手に攻め入るチャンス、だがルイスもまた何が起こったのか頭が追いつかずに闘いを忘れていた。
先程聞こえたのは、あの時出会った天使の声。魔攻機装に姿を変えてから一ヶ月ちょっとの間、ただの一度も声を聞いていない。
大丈夫だと言われた理由がこういう事なのかと理解すると、ゆっくりとした動作で立ち上がった。
それと同時に一歩退がるドミニャスは、先ほどとは打って変わり顔色が優れないようだ。
これまで数多の対戦相手を屠ってきたヴェナンディ必殺の魔力剣。
魔攻機装の防御機構である魔力障壁は、腕輪に埋め込まれし魔石の純度と操者の力量、そして魔攻機装と操者の相性の良さ、つまり同調率により強度が決まる。
もちろん、その都度その都度の操者のモチベーションにも大きく関わるのだが、根本的な性能を覆すことは出来ない。
「ば、ばかな……そんな筈は……」
未だかつて魔力障壁に弾かれた事などなかった必殺の魔力剣。それでありながら目立つギミックも持たない平凡な機体にこうもあっさりと跳ね返されたのが自分の目で見ても尚、信じ難い光景であった。
「うわあっ!」
それはルイスとて同じで、何がどうなったのか自分でも正しくは理解していなかった。
しかし、再び振われた魔力剣。それを反射的に出した白い腕が弾き返せば、アンジェラスの発生させた虹色の幕が守ってくれているのだと確信に変わる。
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だっ!!」
振るえば魔力障壁など無いに等しく砕け散り、何かで防ごうとも最も容易く斬り裂いてきた。
唯一の対抗手段は魔力を纏わせた武器や防具。しかしそれとて何度か斬りつけてやれば状態を維持し続けることは難しく、壊れて使えなくなるのが当たり前であった。
「嘘でも何でもない、事実を認めろっ」
半狂乱になりながらも振り続けられる魔力剣。それを魔力障壁で防ぎながら合間合間で拳を叩き込むルイスではあったが、ルイスの拳もまたヴェナンディの魔力障壁に阻まれドミニャスには届いていない。
しかし、永遠かと思われた不毛なやり取りは、ルイスの放った一撃により変化が訪れる。
「!?」
ヴェナンディの魔力障壁に走った小さなひび割れ。それを目の当たりにしたドミニャスは唖然とし、振り上げたままの手が動きを止める。
「おいおい、まだ闘いの最中だけど?」
ここぞとばかりに追加されるルイスの拳、その二発目を受け止めた時点で限界を迎えた魔力障壁は甲高い音と共に砕け散った。
茫然自失でされるがままのドミニャスは、勢いに押されて壁へと叩きつけられる。彼の頭の中には既に『敗北』の二文字が浮かんでしまっていた。
△▽
十才という若さでコロシアムの舞台に立ったドミニャスは幸運だった。
物心ついた頃から孤児施設に居た彼は、エスクルサで一、二を争う王手の魔攻機装工房『ミリオンスカイ製作所』の専属操者として引き取られた。
当時八才だった彼は数人いた同僚の中で群を抜いた素質を開花させ、同社の開発した実験機を駆ってコロシアムに挑むこととなる。
しかし、与えられたのは次の開発のためにデータを取る事を目的とした不完全な魔攻機装。幾度とない敗北を味わいながらも『テストリーグ』というコロシアム内で最も参加者の多い枠組みの中で勝率が上がり、所属工房の名にも後押しされて注目される存在となって行く。
実力を見染められ試作機の操者に格上げされたドミニャスは意気揚々と『下級リーグ』に足を踏み入れるものの、そこに待っていたのは過酷な現実だった。
同時期に台頭した若手の新人は参戦以来無敗という肩書きもさることながら、鮮やかに相手を往なす戦闘スタイルと見目麗しき容姿とがコロシアムの観客達に受けに受け、一大ブームを巻き起こすほどの人気ぶりを誇るうら若き乙女。
現に、憎きライバルであるはずのドミニャスでさえ、後に『紅蓮蜂』の二つ名を冠するディアナに魅了されており、己の立場を利用し彼女の控え室に押しかけることも度々あったほどだ。
憧れ、羨望、恋心。熱い想いを胸に彼女に負けじと努力を続けたが、肝心のディアナは忽然と姿を消してしまう。
アイドルを失えば注目を集めるのは確かな実力を備えし若者。
奇しくもディアナが失踪してからというもののドミニャスの人気はグングン上昇していったのだが、彼の胸にあるのは他を寄せ付けぬ連勝記録を叩き出したディアナへの想いと、続く歴代二位を誇る現コロシアムの経営者である『蒼斧』ことチュアランへの純粋なる憧れだった。
何度かの挫折を味わいながらも、その想いを胸に勝ち続けること実に二十九回。彼等に次ぐ歴代第三位の記録まであと一勝というところでディアナの知り合いという羨む立場の野郎との対戦話が舞い込んだ。
始めは嫉妬から。しかし、ここで自分がソイツを倒して実力を見せつければ帰還したと噂のある彼女との良い話題となる。
そんな打算を踏まえて受けた対戦だったが、思わぬ誤算はアンジェラスの性能だった。
筋は悪くないようには思えても操者としては素人に毛が生えた程度のルイス。それを補っても有り余る素晴らしい動きを見せる機体に嫌な予感を感じ、早々に仕留めるために切り札を晒したのだ。
圧倒的攻撃力という反則に近い性能を誇る魔力剣。ヴェナンディを駆るようになり勝率が上がり始めたドミニャスが連勝を続けられるようになったのも、このギミックを使いこなせるようになってからだ。
しかし絶対の自信を持っていた魔力剣は魔力障壁によりあっさり弾き返されてしまった。ろくに闘いも知らぬような男の操る魔攻機装に……だ。
△▽
尻で着地した彼の前に音を立てて落ちる二本の魔力剣。ドミニャスの手を離れて魔力を絶たれたことにより、魔力で創られし緑色の剣身は霧散し、媒体となる柄しか残されていない。
しかし、その音に我に返ったドミニャスに再び闘志が宿る。
今まで必殺だった魔力剣が魔力障壁に弾かれただけ……たったそれだけのことで長年かけて積み上げてきた己の歴史が無に返るなどあり得ない。
あの二人に追い付くための第一歩である三十連勝を目前にして、それを諦める理由にするには弱すぎたのだ。
「俺は……負けん」
ゆっくりと身を起こしたドミニャスは床に転がる魔力剣の柄──【ジュディオ】を手に取り立ち上がる。
「負けるわけにはいかねーんだよっ!!」
全身から立昇る闘志は闘気となり緑色の魔力光がヴェナンディを包み込む。すると握り締めたジュディオに再び魔力の刃が噴き出した。




