4-28.銀の煌めきは私の発明品
【最高神エンヴァンデ】が最初に降りたとされる聖地に建てられし教会の祖。その周りには救いを求めて集まった人々が家を建て、その暮らしを支えるための農地が開発されていった。
人が集まれば旅商人が立ち寄るようになり、やがて居着き、店が出来る。経済が回れば人が増え、それに伴い新たな商人がやってくる。
他の国と変わらぬ成り立ちで興ったフィラルカ聖教国ではあるが信仰に対する熱き想いは凄まじき求心力となり、世界的大国へと変貌を遂げたリヒテンベルグ帝国、アナドリィ王国、エヴリブ公国に囲まれることとなっても飲み込まれず、町一つ分という小さな領土を守り通した世界随一の人口密度を誇る特異な国を作り上げた。
「大公家にいたのなら移動が馬車ということはあるまい。早くてあと一日。妨害するにしろ殺すにしろ、猶予は然程もないぞ?」
眼下にひしめく町並みを見下ろす一人の老人。上質な黒服はゆったりとしており、弛み切った彼の体型を隠すにはもってこいではあるものの顔に付いた贅肉までもは隠すこと叶わない。
「そんなことは言われなくとも分かっておる」
肺の空気を全て吐き出すような、深く、長いため息を吐き出した男の名はゲムルギス・レディオダム。ここフィラルカ聖教国に三人しかいない枢機卿の一人だ。
事態を打ち明けてから既に三十分。外を眺めるばかりで一向に動こうとしない主に痺れを切らして煽ってみるも『聖女を殺すなど馬鹿げている』と返されるはずの当たり前の答えすら返ってこぬ始末。
大事であるとは理解している。しかし、即断即決が常であったゲムルギスがこうまで悩むとなるとよほど打つ手がないのだろう。どう転んでも次の教皇はガストリスかギレンザイルということ……か?
「よもや教皇が……」
「それはない。あの男の手勢などたかが知れている」
ではやはり聖女をフィラルカに招いたのはゲムルギス以外の枢機卿。
と、なれば早めに鞍替えも考えねばなるまい。
「問題は誰かではない、どう動いたら正解なのかだ。聖女発見を覆すほどの功績はどう足掻いたとて不可能。ならばお前の言ったように聖女を消すことをも踏まえてリスクの大きさを比較……」
私欲のためならば世界に有益しかもたらさないはずの聖女を暗殺すると口にした枢機卿ゲムルギス。冗談では済まない発言に『マジか……』と声が漏れそうになるヨンデルが冷静ではなかろう主人に抑制をかけようとしたそのとき、ドアをノックする軽い音が言葉を遮った。
「っ!!誰の許しを得てここに……」
返事をする間もなく開け放たれた扉。その先にいたのは銀の甲冑に身を包む騎士達であり、扉が開かれるや否や広くはない部屋へと雪崩れ込む。
「我々は司法特務隊です」
「特務隊だとっ!?」
最上階に位置するこの部屋に扉は一つしか存在せず、そこにずらりと並ばれれば窓から飛び降りる他に逃げ道はない。しかし、魔攻機装を所持していれば逃走可能なルートであることから、外には当たり前のように魔攻機装を有する別働部隊が待機している。
「長年におけるビスマルクでの狼藉、よもや知らぬなどとは言わないだろうな?」
銀甲冑の間から姿を現したのはゲムルギスと同じ衣装を纏った枢機卿ガストリス・ハマヤード。このタイミングで出てくるということは聖女を見つけたのも彼なのだと理解したゲムルギスだが、先手を打つどころか逆に身動きを封じられては元も子もない。
「ビスマルク?はて、特務部隊が出動するようなことなど私は何も……」
「他人の人生を散々踏み躙っておいて知らない、とでも言うつもりかしら?」
さも当然のようにガストリスの横に並び立った美女に目を丸くするゲムルギス。緩い曲線を描くオレンジ髪を掻き上げる仕草だけで感嘆を誘うのは整った顔立ちだけが理由ではなく、身に纏う赤い服が弾けんばかりの膨らみを揺らしたからでもあった。
腕以外は布に覆われる決して露出の多くない衣装。それでいて深いスリットから覗く白い脚が見る者の目を引き込んで離さない。老いも深まったヨンデルからして笑みを漏らすほどの美しさ。それは正に妖艶だとも表現できる。
「其方は……?」
枢機卿を柱とする教会上層部はもちろん、雪崩れ込んできた特務部隊が属する聖教騎士団の全ては男で構成されている。だからと言って信仰に男女の差別は存在しないため教会関係者に女性がいないわけではない。
雑務を担うシスターは教会位の中で一番多い存在であるし、貴族家の令嬢などが出家する際には収められる寄付金の額によって司祭位までなら進むことが認められているのだ。
しかし一度見たら忘れられそうにない目の前の女など記憶にない上に、教会に従事するにしては派手すぎる衣装。
残る可能性は二番目に数の多い女性職である再生師……。
「──っ!!」
思い至ったのはこの女こそが今一番の悩みの種たる聖女であること。
しかし、晩餐会に出席したはずの聖女が、発見から直ぐに発ったヨンデルよりも先にフィラルカ聖教国に辿り着くなど到底不可能。
しかし、である。
ここで『貴方が聖女か?』などと発言してはアウギュストと連絡を取っていたことを自白するようなもの。
既で思いとどまり口を閉ざしたゲムルギスは流石だと言えた。
「ビスマルクといえば私が目を掛けた再生師が抱えられているはずですな。その者が欲に目が眩んで何かやらかしたとしても私が指示していた訳ではないことくらい調べれば……」
「調べが付いてるからこの状況なんでしょ?まさか言い逃れが出来るとでも思ってるの?それとも何?トカゲの尻尾切り?枢機卿ともあろう者が見苦しいにも程があるわ」
「先程からこの場を主導されている美しき女人よ。申し訳ないが聖教騎士団でもない貴女がどこのどなたなのかまずご自身の身分をお教え願えますかな?」
「ふぉふぉっ。気付いておきながら知らぬと申すのか?流石は古狸と呼ばれた枢機卿ゲムルギス・レディオダム。じゃが、私がこの場に居合わせる以上、そのような失礼な態度を見過ごすわけには行かぬ」
「げっ、猊下!?」
ガストリスとディアナの間に現れた老人こそフィラルカ聖教のトップであり国の代表たる教皇なのである。
厳正であることを表す黒一色の枢機卿服に対し、潔白であることを示す白を基調とした琥珀色の服。杖を突く小柄な老人ではあるものの御歳八十を迎えているというのにその威厳は衰えず、さして厳しい目でもないというのに揺るがぬ視線を向けられたゲムルギスは硬直して動かない。
「そこの男を通じて聞いたのであろう?」
「お、仰りたいことが分かりかねます」
「そうか。ならば質問を変えよう」
視線を向けられたのはヨンデル。教皇の登場に跪き頭を垂れていた彼は動揺するも、それを外に見せるような失態はしなかった。
しかし、次の教皇の言葉に冷や汗が溢れ出す。
「通常であれば三日掛けて移動するものを二日弱まで短縮するのは並大抵の努力ではない。それほど急いで戻って来るとはよほどの事があったとみえる。
ヨンデルと言ったか?其方、何をそんなに慌てておったかをこの老いぼれに聞かせてはくれぬか?」
「…………」
「黙っていればバレないとでも思ってるのかしら?腕は立つみたいだけど、頭の方はからっきしね」
屈辱に思いながらもこの場で動くのは悪手だと判断したヨンデルは尚も沈黙を続ける。
暖かな午後の日差しの差し込む一方、十人以上が詰めているというのに静まり返ったゲムルギスの執務室。
「ねぇ、私と貴方って初対面よね?」
「……それが何だ?」
「やっと喋ったわ、このお爺ちゃん」
「…………」
「貴方、襲われたのに足を壊されなかったの、不審に思わなかったのかしら?」
「誰かと勘違いしていないか?俺は誰かに襲われた記憶など……」
「一人目は黒い刀の男。二人目に気付いたところで魔攻機装を纏ったそうね?」
「見ての通り俺は魔攻機装など所持していない」
あの暗闇では観客など居ないに等しい。事実を言い当てられ肝が冷えたヨンデルだが、腕輪をしてない今、物的証拠がないことに少しだけ余裕が生まれる。
「あ、そぅ。ちょっと明るすぎるわね、あの窓だけでも閉めてくださる?」
「ハッ!」
目配せを貰った聖教騎士の一人が日差し差し込む窓を閉めカーテンを引く。それでもまだ明るい室内だが、構わずポーチを漁ったディアナに注目が集まっていた。
「それはライトですかな?」
「ええ、私が造った特別なヤツだけどね」
興味深々の教皇の服を照らして見せるディアナ。その光は青紫であり、白を主とする一般の物と違うのは一目瞭然。
一歩前に出て振り返り、騎士達の纏う銀の鎧を順に照らして行くが特に何かが起こる様子は垣間見られなかった。
「さて、本題よ。ビスマルクで好き放題やってくれたアウギュストは密偵を放ったわ。その密偵は禿げデブの得た情報を誰かに伝えようとした。
その密偵は此処には来てないのよね?ゲムルギス枢機卿?」
「あ、あぁ。アウギュストが犯罪に手を……」
「その密偵は貴方でもないと?」
「俺はビスマルクになど行っていないからな」
ヨンデルの返答に口角を吊り上げたディアナは再びポーチを漁りハンカチを取り出した。
すると逆手に持つライトを当てて見せるものの、ハンカチが青紫に染まっただけでさしたる変化は見られない。
「これは私が最近になって開発した追跡道具なの。一般になんて出回っているはずがない。それを踏まえて、ビスマルクを発った密偵には特殊なマーキングをさせてもらったって言えば何が言いたいのかは分かってもらえるわよね?」
裏返された白いハンカチは青紫の光を浴びて銀色へと変色する。それを目の当たりにした教皇以下、観客と化していた聖教騎士団の面々からどよめきが起こった。
「私が調合した特殊な粉にだけ反応するの。ライトを当てれば銀色に光る、これでもまだ言い訳ができるのかしら?」
言葉の終わりと共にライトが向けられたのはヨンデル。青紫の光を浴びて青紫色に染まるはずのその服は、粉でも振りかけたかのようにキラキラと銀色の輝きを放っている。




