第5話 Story about ロザリオ 1-1
「・・・・・・蹂躙したという報告も聞かれる現状であるから、諸君にはまず、巨大帝国ガウベラの脅威に、地球連合百億の市民の先頭に立って対峙するという、危険で過酷な任務が待っている。
だが、恐れるな!
厳しい訓練課程を見事に修了し、晴れて宇宙保安機構職員に採用された諸君なら、その脅威に必ずや打ち勝てるはずだ! 」
木造の高い天井に、スピーチの声が殷殷と響く。
切り妻屋根を内側から見た、三角に反り立つ天井。その下の呆れるくらい広大な空間に、教官の訓示がこだましていた。
外に目をやれば、こじんまりはしていても気持ちのよい庭が。
緑の息づく小高い丘が2つあり、その手前には澄明な池。水がはねたのは鯉の仕業か。
丘から池へと、水流が細くうねる。
儚くも淀みない流れが、池を絶え間なく潤す。
庭を覆うのは、爽快な青空だ。
果てしなく広がる漆黒の真空に裏打ちされた、濃紺の空が見える。
ここからあそこへ!
門出にある自分を噛み締める、ロザリオ・マターだった。
(いけね、訓示をちゃんと聞かなくちゃ)
庭へ空へとつり出されていた意識を、教官のスピーチに引き戻す。
「神格化された皇帝を、盲目的に信奉する民衆から成る国家。
侵略によって権威を維持しようと、旺盛な領土的野心を剥き出しにする粗暴な独裁者が崇拝される国家。
それがガウベラ帝国だ。
科学技術の水準において優勢を保つ我ら宇宙保安機構としても、決して侮れない相手だ」
門出を飾る大切な訓示とは、なぜこうも分かりきった言葉のオンパレードなのか。
ちゃんと聞こうという数秒前の決意が、早くも揺らぐ。
また意識が逸れていく。
「かつて存在したと言われる、伝説の帝国エクバティア。
その支配を打破して隷属民の境遇を脱し、さらに旧帝国を滅亡させて繁栄を勝ち取った新たな帝国と言われるのが、ガウベラだ。
始祖王は、英雄と称えられているとも魔術師と恐れられているとも伝わる。
その血を受け継ぐ、現在の皇帝テメノスに寄せられる民衆の畏怖と忠誠は、絶大なものがあるそうだ。
彼の為なら命をもなげうって戦う民衆が、かの帝国には無尽蔵にいると考えねばならぬ。
科学技術での優位だけでは、抗し切れぬ難敵と言えるだろう。
諸君の持つあらゆる能力が、我が宇宙保安機構には必要なのだ! 」
おっしゃることはもっともだが、それを承知しているから、今ここにいるわけだ。
大切でも分かりきった話ばかりだと、どうしても意識が別のところに向かってしまう。
正面にある、誰だか知らないマッチョな大男の背中から、右隣にいる女性職員の華奢でなよやかな背中へと、ロザリオの視線は転がった。
どちらも彼と同じ新任の保安機構職員で、入職セレモニーでの訓示スピーチを聞かされている数百人の内だ。
マッチョと並んでいるからそう見えるのか、彼女はいかにもか弱げで儚い印象だ。
血の気の多い盛りの男子としては、どうにかしてしまいたい衝動がこみ上げて仕方がない。
どうにかとは、守りたいのと奪いたいのと寄り添いたいのと抱き付きたいのとその他諸々が、入り混じった衝動のようだ。
どれ1つとして、実行に移す度胸は無いが。
「法の支配や人権尊重など、我らが重視する価値観は受け入れられない。
弾圧される悲劇の民が、かの帝国内には大勢いるとの報もある。
自由と人権を重んじる我々地球連合を、目障りな存在だともみなしているらしい。
対決は、避けられないかもしれない」
危機感なら十分胸に刻んでいるロザリオなのに、スピーチを置き去りに、女性職員の背中に見入ってしまう。
この背中が、あの背中を連想させた。思い出の中の、別の背中を。
生まれ故郷であるトラペスント星系の、第2惑星を巡る植民衛星の海底にある公設スクールで、ずっと見ていた背中だ。
横一線に走る下着のラインに、ドギマギさせられっぱなしで過ごした青春がよみがえる。
服の上にラインが出ない下着くらい、彼の時代には当たり前にある。下着など必要ない服も沢山出回っている。
なのに彼の前の席の少女は、わざわざ下着のラインを服の表面に浮き上がらせた状態で、彼に背中を見せていた。
わざとやっているのじゃないか?
何かのアピールなのか?
俺をどうにかしようとする企みなのでは?
乱れる思考にあたふたしていたこの日のロザリオは、いけね、講義をちゃんと聞かなくちゃ、と何回自分に言い聞かせても、何回もそのラインに引き戻された。
(自分に気があるのではないか? )
下着のラインだけで、そう思ったわけじゃない。
パーソナルスペースを鮮やかに侵略する、彼女の踏み込み。
意表を突く神速で忽然と目の前に現れる、まばゆいばかりの愛くるしい笑顔。
それを、皆に見せているようなら、あんな自惚れた考えには至らない。
でも、いくら観察しても、四六時中彼女ばかり見ていても、自分以外の誰にも見せていない。
あの踏み込みも。あの笑顔も。
朝、講義室に入って彼女と目が合うと、それまで話していた誰かを置き去りにして、それまで盛り上がっていた話なんてそっちのけで、ロザリオのパーソナルスペースを侵略して来た。
まばゆい笑顔の「おはよ」で、彼の朝を飾った。それも毎日。
話す声も身振り手振りも、自分の場合と他とでは、格段に違う。
そう見えた。
(自分の事を、好きでいてくれているのかもしれない)
だがその考えは、苦い記憶を彼に思い出させる。
さらに数年前にも、そう思ったことがあった。
大勢の男友達も、少数の女友達も、ある少女がロザリオに好意を持っていると伝えたし、話した感触でロザリオ自身も思うところだった。
自分を好きでいてくれる人がいると、有頂天になって喜んだ直後に、その少女に恋人がいることが判明した。
2人が手を繋いでいる場面も目撃した。
恋人がいたからって、好意を寄せていなかったとは言えないのだが、彼は自己嫌悪に苛まれた。
有頂天になった自分をみっともなく感じ、消えてしまいたいくらいの羞恥に苛まれた。
(自分を、好きでいてくれているのかもしれない)
思うだけで、自己嫌悪が再来するフレーズだ。
前の席の少女に対して、ロザリオ自身が恋心を抱いていることは、認めざるを得なかった。
夢を目指す為に抑え込む決意はしていても、消すことはできない気持ち。
でも、彼女の気持ちを認める勇気は、彼には無かった。
いつしか訓示スピーチを上の空で聞き流し、いくつかの思い出を、ロザリオは巡っていた。
(どちらのケースも、勘違いだったかもしれない。
誰も、俺のことなんか好きじゃなかったのかもしれない。
でも、そうじゃなかったら・・・・・・)
まばゆい笑顔を、パーソナルスペースに鮮やかに踏み込んで来て、見せてくれた少女に、何も応えてあげなかったかつての自分に、慙愧の念も覚えている。
(いや、あの頃の俺は、保安機構職員になるという夢を目指して、必死で勉強していたんだ。
恋にかまけている暇なんか、無かった)
今回の投稿は、ここまでです。 次回の投稿は、 2022/9/17 です。
過去の後書きでも、何度も言及していることですが、「未来の宇宙での生活場所」≒「地球以外の惑星の地上」、というのがSF界の常識みたいになっているのが、作者には不満なのです。
現在の天文学においても、生物の存在が有力視されている天体の多くが、衛星だったりします。
火星という惑星にも可能性が考えられていますが、木星の衛星であるガニメデやエウロパや、土星の衛星であるエンケラドゥスやタイタンなど、衛星の方を指摘する声も多いのです。
液体の存在が生命には重要ですが、水(H₂O)ではないにしても、何らかの液体の存在が、上記の衛星で確認されたり、あると考えられていたりすることが理由のようです。
それも表面にではなく、地下にあるとされているケースも多いです。
人の移住先の条件も、生命の存在する可能性がある条件と、かなりの部分で一致するでしょうから、本物語での人類の移住先には、衛星の地下や海底というのを多く登場させようとしています。
地球には磁場があって、太陽風や宇宙線という有害なものをヴァンアレン帯というドーナツ状の領域に捕らえていてくれるので、表面で暮らせています。
ですから、もし磁場の無い衛星で暮らすなら、地下や海底の方が良いだろうと想像して、そちらが優先になっています。
磁場は、プレートテクトニクスの原因でもあるマントル対流によって生じます。
マントルが地球内部で対流していることは誰でもご存知でしょうが、それが摩擦によって電荷を負った状態での流動なので、学校で習ったフレミングの法則に従って磁場が生まれるのです(作者の理解では)。
内部に対流の無い天体では、磁場は生じず、恒星風や宇宙線が直撃します。
そんなところを生活場所に選ぶなら、地下や海底の方が良いだろうと考えた訳です。
今回の話では、エタノールの海の海底としました。
タイタンにメタンの海があるかもしれないという情報だけからの連想で、エタノールの海を登場させました。
無極性溶媒より極性溶媒の方が、太陽風や宇宙線を防いでくれそうだという作者の勝手な想像で選ばれたのが、エタノールだったのです。
衛星にエタノールが存在し得るか、それの海が恒星風や宇宙線を防ぎ得るのか、ご存知の方がおられればご教示頂きたいところです。
こんな感じで、作者なりに科学的根拠に基づいた未来予想を立てた上で、細かい設定や描写が書かれていることを、できればご承知おき頂きたいと思います。