9 もう逃げないと決めた
ついに対戦日が翌日にまで迫って来た。
ここ数日、実家とコンビニを行き来する生活を続けていたが、外へ出るたびに色んな人から握手を求められるので大変だった。
実家付近にいることを知って、グラットニーもほくそ笑んでいることだろう。
「明日だけど……」
「うん」
「大丈夫なの?」
「うん」
母の手料理を食べながら、気のない返事をする近藤。
おいしいはずなのだがなんの味も感じない。
味噌汁がしょっぱいお湯のように思える。
気分転換に風呂に入ってみるが全く落ち着かない。
鏡の中の自分の姿がげっそりしているように見える。
酒をちょびっと飲んでみたけれど、気が滅入るだけ。
もう……完全に詰んだ。
俺はもう逃げられない。
明日、みんなの前でグラットニーに公開処刑されるのだ。
絶対無敗の二つ名を失えば、手元に残るのはボロボロのスーツだけ。
近藤は絶対無敗の二つ名を守るために、バトキンではどんな時も慎重を期した。
あらゆる手を尽くして守って来たその二つ名だが……こうして失うことになると、なんとも名残惜しい。
もう俺は無敗の王者ではなくなってしまうのだ。
哀れな近藤は一睡もできずに夜を明かす。
日が昇るころになると、けたたましいクラクションの音が玄関先で鳴り響いた。
グラットニーだな。
なんとなく、分かる。
玄関の扉を開いてみると、思った通り、彼がそこに立っていた。
「よぉ……迎えに来たぜ、絶対無敗」
いつぞやのように口元をにやりと歪ませるグラットニー。
まるで悪役怪人のようだな。
しかし、乗っている車が軽トラだと、どうにも格好がつかない。
なんで高級車に乗らないんだ。
「ああ……お迎えご苦労さん。
いまスーツに着替えてくるよ」
「向こうに更衣室があるからそこで着替えろよ。
朝食をとるまで待ってやるぞ」
「いや……すぐに行くよ」
意外なことに、近藤は素直に応じてしまった。
あれだけ逃げようと躍起になっていたのに、不思議なものである。
おそらくグラットニー本人を目の前にして、強がりたくなったのだろう。
そんな風に冷静に自己分析する近藤。
スーツとその他の貴重品をバックに積め、軽トラの荷台に乗せる。
服装はスウェットにスカジャンを羽織っただけと言うラフすぎる格好。
ちなみに履いているのはサンダルだ。
グラットニーは近藤の服装に一切突っ込まず、黙って運転席に乗る。
近藤が助手席に乗るとそのまま無言でアクセルを踏み込んだ。
「なぁ……何で軽トラなの?」
なんとなく気になって尋ねてみた。
「経費削減」
短くそう答えるグラットニー。
その言葉に、いろんなものを感じる近藤。
二人は無言のまま会場へと向かった。