§004 転移
翌日、目が覚めた時はまだ日が薄暗かった。
部屋の片付けをしながらルーレットを回す。
昨日買い揃えた物品から出た包装などのゴミは、
纏めてゴミ捨て場に持って行った。
このままこの家を譲り渡しても問題無い位綺麗に整頓した。
朝食を取ってから、昨日手続きをお願いした法律事務所に赴く。
遺言書の作成、といったら聞こえは悪いが土地と家の生前贈与だ。
父親が死んだ時に備えて、だいぶ前に家の所有権は自分の物となっていた。
これを叔母の名義にするため、引き渡しの手続き証明を書いて貰う。
転生を決行する前に、手紙と書類を叔母の家に送れば大丈夫だろう。
「父が死んで就活に失敗したので、海外で一山当てに行きます。
家は叔母さんと、従兄の伸君に譲ります」
と書いて捺印した。
この世界に未練が無いかと言えば嘘になる。
友達は・・・大学の友人たちとは既に疎遠だ。
中学高校の友達はもっと疎遠だ。
中学時代に付き合った彼女といえば、
今でもまだ顔をハッキリと思い出せるが、
もう一度付き合いたいかと言えばそれはノーだ。
お互いに長く離れてしまっているし、
向こうは新しい彼氏がいるかもしれない。
仮にフリーだとしても、
また関係を築いて行くにはマイナスからのスタートだ。
兎に角、面倒な事が沢山ある。
無いかもしれない。
そんな事は判らない。
思い出にして置いて美化した方が変に後を引かなくて良い。
あちらの世界に転移する事ができなかったとして、
残り人生をこの世界で生きて行かなければならなかったとしても、
わざわざ会って遺恨を残すよりは良い。
思い返してみて、交友関係に関しての未練は全く無かった。
それだけ人との繋がりが脆弱だったのだろう。
それより、この世界でしか食べられない物が沢山あると思う。
カレーや味噌汁、コメなんかは、
あちらの世界に存在していないのだとミチオ君は嘆いていた(気がする)。
えーと何だっけ?モチモチ焼き?パフパフの何か・・・。
思い出せない位なので、自分にはそれ程重要な食べ物では無いようだ。
父親が入院して長かった為、朝はパン食、夜は麺類が多かった。
それ程カレーや味噌汁に執着は無い。
材料とレシピさえあればあちらでも簡単なデザートは用意できそうだし、
パンがあるんだから小麦製品はいつでも食べれるはずだ。
だからこそ、レシピ本は持って行く。
──ご主人様、こんなに美味しいものを!
──ウチの子になったらいつでも食べさせてやるぞぉ~?
──キャッキャッ。
ハーレムに君臨してチヤホヤされる自分に己惚れる。
無いとすれば醤油だ。
これは無いと困る。
いや困らないが、日本人の自分は困る。
実際、自分は何でも掛ける。
ショユラーなのだ。
魚醤ならあちらの世界にもあったはずだ。
魚醤で十分、牡蠣醤油があればもっと良い。
高級品だろうから、生活基盤が整うまでは醤油断ちの生活を強いられる。
そもそも、あの世界では料理そのものが贅沢品なのだ。
適当な野菜炒めに醤油が一滴あれば、
どれほど食欲そそる料理になるだろうか。
葉物をバターで炒めて、そこに醤油が一滴で良いのだ。
塩と豆と麹があれば作れるはずだが、
原始的な手法だと1年以上掛かるんじゃなかったか?
レシピや麹を持ち込んだとしても、これは上手く行きそうもない。
麹の管理なんて素人にできっこない。
とすると、醤油は今日で最後になる可能性がある訳だ。
持って行くにしても絶対足りないし、無くなった時に遺恨が残る。
そういえば、セリーは生魚も食べないと言っていた気がする。
寿司だ。
人生最後に寿司を食う。
そういう事だ。
人生最後にエッチなお姉さんがいるお店へ行っても良いのかな?
フラッと夜の街へ吸い込まれそうになったが考え直した。
あの世界に行けたなら奴隷を買えば良い。
奴隷なら裏切られないし、処女なら病気も無く安全だ。
そもそもまだボーナスポイント99を引いていない。
その他の準備はしたものの、肝心な物が用意できていない。
猶予はあまり無いのだ。
ちょっとドキドキした気持ちが焦燥した気分になった所で、
目当ての回らない寿司屋に入った。
大将、おすすめを──。
一度やってみたかった。
口当たりの良い日本酒を合わせて貰って2万円だった。
これが人生最後の出費となった。
この世の良い締め括り方では無いだろうか。
家に帰ると玄関の前に荷物が置いてあった。
そういえば昨日頼んだ防刃チョッキ・・・。
早速家の中で着てみる。
サイズはややキツめだが、入らない事は無い。
この上から異世界でもおかしく無いようなコーデで重ね着する。
弛む位の余裕がある綿の黒いズボン。
上着は白いカッターシャツ。
ボタンのプラスチックがオーパーツかもしれない。
木製のボタンを裁縫箱から探して縫い付ける。
武器はボーナス武器に頼る予定だ。
デュランダルがあれば当面困る事は無いだろう。
それから靴だ。
動き易い革靴を用意してある。
新品の靴なので家の中で履いても罪悪感は無い。
あの世界でスニーカーなんて履いていたら確実に浮くだろう。
妙なのに目を付けられたくも無い。
絨毯の上を革靴で踏み締める。
新しい靴を降ろしたら取り敢えず家の中で履く、
庶民のちょっとした贅沢だ。
履き慣れていない革靴なのだから靴擦になる可能性は高い。
降り立った場所が寒冷地と言う可能性も含め厚手の靴下を用意しているが、
場合に依ってはタオルを千切って当てたり、
と言った対応も必要になるかもしれない。
一先ずはピッタリでは無く少し緩めの物を選んだので、
家の中で歩き回った感じ擦れて痛くなりそうな箇所は無かった。
新品の感触を味わっている所で、ボーナスポイントの99が出た。
軽快なファンファーレが鳴った。
画面の背景が、紙吹雪のようになっていて99の表示も金色だ。
「おっしゃ!!!」
1人なのに誰に聞かすでも無い大きな声が出た。
パソコン自体は相変わらずフリーズしたままになっている。
もしかしたら、このまま固まりっぱなしなのでは無いだろうか・・・。
少々不安にもなったが、ちゃんと動作していたので安心した。
この紙吹雪の背景も、どこからか通信でデータを取ってきた様子は無い。
そもそもインターネットの線は既に抜いてある。
にも拘らず、世界設定で近未来や超古代を選択すると背景が切り替わった。
明らかにおかしい。
読み込みと言う概念がまるで無いようだ。
完全に異次元のそれになっているのだと感心した。
ともかく、全ての準備は整った。
もしかしたら明日もルーレットを回すのかと思っていたりもしたが。
得られたボーナスポイントをどうやって振り分けるかは既に決まっている。
何度も夢の中でシミュレーションしたのだ。
最初に必要なのはキャラクター設定と鑑定。
その他は目も呉ず、ひたすら経験値に絞って育成だ。
後はその場その場での最適をゆっくり決める予定である。
靴やらチョッキやらを着替えていた時に気が付いた。
折角朝ごみを捨てたのに、また段ボール箱やビニールゴミが出てしまった。
もう一度ゴミ捨て場へ捨てに行く。
回収日では無いから完全にルール違反だ。
しかし咎めようにも、その住人はもうこの世にいないのだ。
フハハハ、見たか!この完璧な計画。
意味も無く優越感に浸ったが、
その意味の無さに気付いて1人で突っ込みをした。
ついでに家の権利書が入った封筒を
叔母さんへ送るためにポストへ立ち寄った。
これで、この世界でやる事は全て終わったのだ。
生活道具、装備、換金用品、全て揃えた所でパソコンに向き合う。
全ての生活インフラは停止を申し込んだ。
家の掃除はしたし、ガスの栓や水道の元も閉めた。
網戸も閉めたし玄関も錠支った。
鍵は権利書と一緒に入れた。
大学の退学届けは相続の相談をしに行った時点でついでに出した。
携帯は解約手続きのボタンを押したし、データは初期化した。
マウスでこのボタンを押せば、恐らくあの世界に行けるのだろう。
誰もいなくなった家にパソコンだけ電源が入ってるが、
それも数日後には電気が止まって全ての痕跡が消える。
藤本結城、この世の最後だ。
いや別に死ぬ訳じゃ無い。
こちらの世界では、最後だと言う意味だ。
父親の遺影にはさっき手を合わせ、別れを告げた。
既に最後の別れはしたはずだが、本当の別れは今日なのだと悟った。
マウスを手に持った時、
緊張のせいか喉が渇いた事に気付いて、水を飲みにキッチンへ行く。
これから色々な事が起きるはずだ。
万全の状態の方が良いに決まっている。
冷蔵庫に入れてあったペットボトルを取り出して、
キャップを捻った時に1つ思い出した。
水・・・どうしよう。
──異世界では魔法を使って水を出す、だから困らない。
と言う予定だったが、それは魔法を使うためのハードルを越えての話だ。
あちらの世界で魔法を習得するにはそれなりの条件が求められる。
HP全解放かMP全解放。
対象の相手が一般人では困る。
相手は問答無用で殺しても罰せられない盗賊以外に無い。
そんなに都合良く出遭えるものか。
大体、盗賊を認識できたとしてそれは自分が襲われた時だ。
無理無理、準備も無しに盗賊と向き合って勝てっこ無い。
そもそも論として、最大MPとの兼ね合いがある。
転移直後に盗賊を見付けてMP全解放をした所で、
自分のMP不足に依って競り負けて死んでしまっては元も子も無い。
要するに魔法は当分後回しだ。
念のためにペットボトルの水を用意して置こう。
水筒の代わりにもなるだろうし。
町や村があれば水も補給もできるだろうから1つで良い。
そう思ってまだ口を付けていない2リットルのペットボトルを、
荷物で犇めくリュックに放り込んだ。
──そうして結城はリュックを背負い、マウスのボタンを押した。
∽今日の戯言(2021/07/21)
転移するまでの設定は、一瞬で決まりました。
設定の文面を書いているうちに一つの文章になり、
後はその文章を矛盾なく詰めていくだけになりました。
最初は自分の妄想世界の設定を固定して、想像で楽しむ予定だったメモ書きです。
いつしか箇条書きから文章になり、部構成になり、4話に分離しました。
そして執筆が始まりました。
第一章は、数時間の産物です。
手直しはいろいろしましたが。




