§003 支度
翌朝、目が覚めてから朧気ながら考えた。
自分はこの世界を去るのだ、言ってみれば終活が必要だ。
しかし、行けない可能性もある。
完全に終わらない程度に終活しなければならない。
携帯、電気、ネット、ガス、水道、
クレジットカードを止めて身綺麗にする必要がある。
いつでも止められるし、いつでも再開できる。
これらは、どれも今どきはスマホで簡単に手続きができる。
預貯金なんかはどうせ持って数か月なのだ。
父の遺産なんて生命保険は家のローンで相殺だし、
そもそもの預貯金は元母に持ち逃げされた。
家は残るだろうがこれは遺言と言うか、
父の生前に看病でお世話になった父方の叔母に相続して貰おう。
フリーズしてるパソコンは使えないから、
スマホで遺言の作り方を検索した。
司法書士か弁護士に頼まなければいけないらしい。
時間が掛かりそうだから、これは今日この後に出掛けようか。
後は持って行く物のリストアップだ。
ルーレットをポチポチしながら必要そうな物をメモに書き綴った。
たくさん持って行けば身動きが取り難いだろう。
設定通りなら、アイテムボックスにはドロップアイテムしか入らない。
高級品を沢山手に持つと言う事は、
盗賊に襲って下さいと言う目印を付けているような物だ。
嵩張らず、世界観的にあっても変では無く、
技術的にどうにか再現できそうなぎりぎりのライン。
それが高額で売れる商品、自分の武器だ。
何も手ぶらで行く必要は無い。
備えられる物は備えて行くべきだ。
もしかしたら装備品以外は持って行けないかもしれないが、
ミチオ君は洋服であるジャージを持って行けたのだから、
色々準備して損は無いだろう。
***
あちらでの生活をするために、必要な物を考える。
向こうで何かを買うには、お金を用意しなければならない。
序盤は少額でも貴重だ。
こちらで用意できる物は全て用意するべきだろう。
まずは布製のリュックを買う。
荷物を入れる袋がなければ始まらない。
合成繊維の山岳用リュックや、おしゃれアイテムの鞄などは、
見る限り怪しまれるし、強盗に遭ったり有力者に没収される危険がある。
あくまでも技術的に可能ではあるが、それでいて多機能な物を選ぶ。
スマホで検索して、ジーンズ生地の丈夫そうなバッグを見付けた。
大き過ぎず小さ過ぎず、戦闘行為などがあっても動き易い手頃な大きさ。
ポケットが中外に沢山付いており、丈夫で厚手。
持ち切れないアイテムや貴重品を、衝撃からしっかり守ってくれそうだ。
カラーはグレー。
白いと汚れるし、ジーンズと言えば青だが染料が目立つかもしれない。
目立ってはいけない。旅行者の鞄は煤けて汚れているのだ。
替えの下着2セット、小さいバスタオル2枚、
3個入り使い捨てライター、握れば充電できるLEDライト。
これらは100均や近くの電化製品店で揃えた。
アウトドア専門店で撥水スプレーと布製の外套を買い、
外套とリュックに撥水スプレーを満遍無く掛けた。
雨の日の対策用だ。
サバイバル生活も考えられなくも無い。
最初に放り出されるのが郊外や森の中とも判らない。
街に着くまで延々と歩く可能性もある。
ある程度キャンプの用意はして置くべきだろう。
なにせ少しばかり聞き齧っているとは言え異世界だ。
何が起きても不思議は無いのだ。
折り畳みコップ、手鏡、万能ナイフ、
携帯食料3日分、固形カレールー、料理のレシピ本、サバイバル教本。
鉛筆1ダース、メモ帳3冊、チェーンカッター、
これらはホームセンターで買い揃えた。
折り畳めるコップは必要だろう。
コップはその形状から収納し難く、かと言って小さいと困る。
コップを折り畳む技術は、多分あちらの世界には無い。
筆記用具も必須だ。
そもそも羊皮紙は高級品で、紙は粗悪だったはずだ。
そして書く物と言えばインクとペンだ。
これは携帯に向かない。
移動中に落書きするためにはメモ帳と鉛筆が必須だ。
鏡は高級品だったし、万能ナイフは何かとあった方が良い。
料理やサバイバルの知識の本もあって損は無い。
本といっても嵩張っては困るので、
分厚い専門書では無くってミニブックだ。
高度な技術は載っていないが、基礎的な事は概ね網羅されている。
覚えてから行こうにも、詰め込みの知識では覚え切れないし、
使わないならそれで良い。
燃やせば証拠隠滅だ。
他には換金用にいくつか高く売れそうな物を用意する。
初めて見る物はサンプルが必要になる。
売るためのモノと見せるモノ。
酒屋でミニチュアウイスキー5本と
100均のおしゃれ雑貨コーナーでアロマ石鹸5つ、
それから宝石店で琥珀のネックレス3つを購入した。
ロクサーヌは石鹸を高級品だと言っていた。
アロマ石鹸なんてまず存在が怪しいだろう。
更にこの石鹸、透明で中にポプリのドライフラワーが封じてある。
明らかにやり過ぎである。
日本では簡単に手に入るが、あちらではどうだろう。
ふふふふ・・・。
酒に関しては良し悪しが判らない。
いや、こちらの世界での価値はそれなりに判る。
だがこちらでは高級でもあちらでは安い物、
こちらでは安い物があちらではお目に掛かれない物。
この辺の線引きは全く未知数だ。
せめて「ちょっと見た目が良さそうな代物」を選んでみた結果、
小さいガラス瓶のミニチュアボトルに入ったウイスキーとなった。
栓はコルクで封じられており、飛び出さないように針金で封じられている。
硬い銀紙で作ってある、ネジのような謎技術で作られていない。
琥珀のネックレスは、場所に依っては大金で取引された事を参考にした。
しかし、こちらの世界でも琥珀は高かった。
ダイヤモンドやサファイアに比べたら大した事は無いだろう、と。
そう思って3つ適当に選んだら25万円もしたのだ。
宝石店の人にこれとこれ下さいと言ってケースから出させたが、
手持ちの所持金では全然足りなかった。
銀行へ行くので待って下さいと言って、恥ずかしい思いをした。
こういう物は見るのも買うのも初めてなので、「0」を1つ見間違えた。
そもそも、宝石店の値札は何であんなに字が小さいのだろう。
安いだろうと言う先入観で空見してしまった。
パッと見て分かるか?150000だ。1smm。(表現し切れない)
高級品(と思い込んでいた)のダイヤのネックレスが5万円なのだから
琥珀のネックレスなら1万5千円だろうと、勝手に解釈してしまったのだ。
後は自衛用に何か用意すべきだろうか。
ここ日本に於いて、本物の銃火器や剣刀類を一般人が入手する事は困難だ。
あっても、せいぜいスタンガンかクロスボウ位だろう。
それも申請やら条件があるようだ。
では防具はどうだろう。
防刃チョッキ位なら手に入るだろうか。
スマホで検索してみると、安い物は4~5000円辺りで売っていた。
チョッキと腕当て、手袋、スパッツのセットで1万円の物を
翌日お届けの見出しが付いていたので買ってみた。
これらは装備の扱いになってくれるのだろうか。
ファンタジーならば正規の防具以外は貫通して、
ダメージとして数値的な何かを減らすような、
謎補正が掛かってもおかしくは無い。
某終末の幻想的なゲームでは、銃で撃たれても剣で切られても、
謎の光線で貫通されてもダメージは数字だ。
即死とか腕がぶっちぎれたりはしなかった。
──ブシャァァァ!
血が噴き出ようが、爆風で吹っ飛ばされようが、死んでも5体満足だ。
いい体してるだろう?死んでるんだぜ・・・。†
***
家に帰って、買った物を整理しながらルーレットを回す。
80以上が出ると軽快なファンファーレ、
90以上だとかなり豪華なファンファーレが鳴る事に気付いたので、
画面は見ずに進められる。
ミチオ君はパソコンの音を消していたのだろうか?
彼はそこに何も言及しなかった。
──それより、もしあちらの世界に行く事ができなかったら?
ふと、現実を考えた。
あの小説を基にした、単なるジョークサイトの可能性。
純粋に、ただのネットゲームの可能性。
ミチオ君が設定したような項目が、
実際に存在するネットゲームだったと言う可能性だって無きにしも非ず。
よくある転生モノの小説では、
過去に遊んだ事のあるゲームの世界に転生して行くのがセオリーだった。
つまり、これが元ネタの可能性だ。
いや、その線は薄いか・・・。
このパソコンや通信機器のフリーズ状態は簡単に説明ができない。
色々準備した結果、明日も今日と同じ日々が続く事に対しても、
何らかの対策をしなければならない。
インフラやクレジットカードなんかは後で再取得できる。
家の相続に関しては書面が届く前に叔母の家に行って、
家を相続するのは自分の死後だと言えば良いだろう。
散財した不要な商品であるネックレスは・・・、
買取に出したら二束三文だろうか。
14日前なら返品できるかもしれない。
行く、と言う前提で準備していたのに、
行けない、と言う前提で守りの思考が巡る。
もう少しポジティブになるべきなのだろうか。
いや、これは人生の賭けでもある。
行けなかった時の事を考えたベットも必要だ。
もう1年大学を続ける金銭の余裕はかなり厳しいし、
就職なら探せば何とかなるだろう。
どのみち失う物はもう無いのだから、自由になるべきだ。
多分亡くなった父も、好きなように生きろと背を押してくれるはずだ。
初めて自分から選択する人生の一歩目を、
人生を終わらす形で踏み出したとしても、
まずは勇気ある最初の一歩を踏み出さなければ、
この先どこに行ったって生きて行けないだろう。
クリックするマウスの音が自分の部屋に響き、
時折聞こえるファンファーレの音に一喜一憂し夜は更けて行くのだった。
∽今日の戯言(2021/07/21)
第一章の文章を成型していくにあたり、
圧倒的に原作の情報が不足していることに気付きました。
読者の私は勝手に色々妄想でつぎ足ししていたのですね。
1章全体が組み上がった後、
2章に入る前にしたことは原作設定の洗い出しでした。
ダンジョンや町の相関図、位置や距離。
これらは分かっているようで、実はふわっとしか表現されていません。
すごいですね、原作作者さんは。
少しの情報しかないのに、
まるでそこにちゃんと街並みが表現されているのです。
実際にその街をキャラたちに歩かせてみて
初めてハリボテだったという事に気が付きました。
情報が足りない・・・。
迷宮の設定や、ポイントの割り振り、装備品に至るまで
雑な説明で機能している!
設定自体はしっかり作っておられたかもしれませんが、
多く語らなくても表現力できていた深さを感じざるを得ません。




