§292 呻き
食事を取った後はベッドで横になって休む。
食器は夕食の際一緒に戻せば良いとして、
トラッサの旅亭へ戻るのが遅いとイシャルメダも不安に思うだろう。
余りに放置して逃げ出されても面倒だし、
そうなってしまうとその先どうなるか判っているので後味が悪い。
ナズやアナに説明する時間も必要だし、夕食まで待ってはいられない。
そう思って水瓶を抱えてプタンノラに戻る。
印刷組の部屋では既に今日の分の印刷を終えており、
インクが乾いたかどうか確認しながらパニがパピルスを集めていた。
ヴィーはパタパタと団扇で扇いでおり、乾かすために頑張っているようだ。
「お疲れさん。イルマがいなくても頑張れたようだな?」
「いえ、イルマもエミーが寝ている間は手伝っておりました」
「そうなの?そうか、イルマもありがとう」
「い、いえ、当然の事です」
イルマを撫でて部屋を後にする。
続いて隣の部屋だ。
印刷組が終わったのであれば彫る方はもっと早くに終わっているだろう。
「ただいまー」
「あっご主人様、おかえりなさいませ。
お食事は大丈夫でしたでしょうか?」
「ユウキ様、お帰りなさいませ」
「おっ、おっ、お疲れ様でしたぁ」
「うん、昼はさっき食べさせて貰った。
ハーブティーも持って来てくれていたみたいで助かった」
「はい、ハーブティーはイルマさんです」
「そうか、それでこちらも終わっているようだな?」
「はい。21層と22層分を終わらせました。
ラティ殿は23層と24層の写しを終えられ、
25層の書き直しが終わったようです」
「ほう?そうなのか、ちょっと見せてくれ」
「はっ、はい・・・こっ、こちらです・・・」
20層以後は2枚に渡って地図が描かれる事が多くなり、
25層辺りからはもうずっと2枚であった。
ラティが見せて来た地図は、まだ何とか1枚に収まりそうである。
しかし25層でこれか・・・。
「ラティ、次からは1層当たり2枚で良い。
綺麗に2枚が中央に入るように、えぇっと・・・、見開きって判るか?」
「い、いえ・・・」
「本になった時にページを開くだろ?」
「は、はいっ」
「左のページと右のページを広げた時にちゃんと大きな1枚に成るように、
調節しながら大きな1枚を描いてみてくれ」
「え、えっと・・・?」
あー、もう。
ラティは全部の子だ。
画板にパピルス2枚を重ね、大きな絵を2枚に跨いで書いてみた。
「こうやって右と左に分けて書くのを見開きと言う。
地図もこのようにして開いた状態で1枚が完成するように、
うまく調節して写してみてくれ」
「は、はいっ、わ、わかりました!」
「なるほど・・・。流石はユウキ様です。
これでしたら1枚に書き切れなくなる事もありませんね」
「いつもながら、お上手です」
「ラティが昔読んだ事のある本にはそういった所は無かったのか?」
「は、はいっ、あ、あの、物語本は文字ばかりでしたので、
そ、その、開いた状態で1枚になっている所は、
あっ、ありません・・・でした」
そっかー、そうだよねー。
印刷技術も無い時代なのだから、
小説に挿絵や見開きページなんてあってたまるか。
文字を写す技術がある者と、
絵を綺麗に描ける技術がある者はイコールでは無い。
そんな手間を掛けたら一体1冊幾らになってしまうんだ。
大衆に出回る本は文字だけだ。
挿絵が入った書物は図鑑か何かで、それは専門書だろう。
見開きの概念すら無い訳だ。
「じゃあ、そんな感じで明日も頼むぞ」
「わっ、わかりましたっ」
「はい、頑張ります」
「これ以上線が細くなったらどうしようかと思っていましたが、
これならまだ猶予がありそうで、まだまだ俺にも行けそうです」
そのうち織り込み上下4枚ページなんて地図が出て来るかもな・・・。
25層の現段階で見開きなのだから、
倍の50層ではピチピチになってしまうだろう。
それ以降は・・・織り込み4枚だ。
技法も冊子の量も、とんでも無い事になりそうだな。
クーラタルでは80層の冊子が売られていた。
それも羊皮紙で手書きだ。
当然収まり切る訳が無いので、分割なのだろう。
1層あたり裏表2ページや4ページになるような冊子では、
さぞかし使い難かろう。
それでも無いよりはマシと言う事だ。
他の迷宮には地図なんて無いのだから。
「ナズ、まだ夕食までは時間があるだろう?
アナと共にあちらの宿へ来てくれ」
「はい、かしこまりました。
それでは、ジャーブさん、ラティさん、後はお願いします」
「お任せ下さい!ナズ殿」「いっ、行ってらっしゃいませぇ」
ナズを連れ出しアナもパーティに加え、シュメールの旅亭に戻る。
この後戻れない事を考えて、アナを抱き寄せてキスをした。
「あっ・・・んふっ・・・んっ・・・ありがとうございました」
「あっ、私ですねっ、失礼します・・・んっ・・・ちゅっ」
「先程アナには言ったんだが、夜はもう戻って来ないので次は明日の朝だ。
遅くなるかもしれないので朝食は先に食べてくれ。
それから夕食は不要なので、余った分は皆で分けでくれ。
多分ヴィー辺りが食べると思うが」
「かしこまりました・・・?」
「ご主人様は別の宿をお取りでいらっしゃいますね?」
「うん、トラッサの旅亭を借りている。
そこで病気持ちの女性1人を療養する事にした。
ああ、そういうつもりでは無いので安心してくれ」
「病気・・・持ちのお方なのですか」
「もしやお作りになった薬を試されるおつもりでしょうか」
「そうだ。相手は奴隷では無いので、
ゆっくり時間を掛けて実験に協力して貰えるようお願いする。
少し時間が掛かるだろうから、相手をする時間も長くなる。
夜は基本的にそちらの面倒を看る事となるので、
お前たちに悪いが暫くは夕食前のこの時間だけで許してくれ」
「ええと、私は・・・大丈夫です」
「私達はご主人様を信じてお待ちするだけです。
それが最善の策であるのならば従います。
何か私達にも協力できる事があればお申し付け下さい」
ナズはやや納得が行っていないようだ。
アナも、心の中では穏やかでは無さそうな感じがする。
返事が「かしこまりました」ではない事からも、
精一杯送り出そうとしている感じは伝わって来た。
焼きもちを焼いてくれている事に対して、却って嬉しくなってしまった。
「「あっ・・・」」
2人を左右に強く抱きしめて頭を撫でた。
「後で必ず会わす。今は向こうの警戒心を解かねばならない、済まないな」
「いっ、いえ、ご主人様が詫びるような事は一切ありません」
「その通りです。
私達はご主人様の奴隷ですので、私達に断る必要などありません」
くっ・・・。
仕方の無い事とは言え、そうも真正面から言われると寂しい所もある。
多分2人の対応を疎かにする事への当て付けなのだろうが、
正論であり何も間違っていないので言い返す事もできないでいる。
イルマの時とは明らかに態度が違って見えた。
悔しいので更に力を入れて緊く抱きしめた。
「あっ・・・・・・(えへ)」
「ご主人様・・・ご・・・安心・・・ぐだ・・・ざい」
撫でたついでに2人の顔の間に自分の顔を埋めて、
グリグリしてから解放した。
プタンノラに送って、今日はお別れだ。
「おやすみナズ、アナ」
「お疲れ様です?」「お休みなさいませ?」
疑問形のまま2人は帰って行った。
自分はここからトラッサの旅亭に戻る。
──ヴォンッ!
本来ならば遮蔽セメントが施工されているはずの壁から出て来た訳で、
あまり他人の目のある所でやるものでは無い。
幸いな事にまだイシャルメダは眠ったままだったので、
急いで壁掛けの布を買いに戻った。
2度目にトラッサへ戻る際は外の大きな木の袂を指定した。
たとえフィールドウォークと言えども、
そう何度もサンドラッドと往復ができる程のMPは無い。
直接旅亭に戻る必要が無ければここで良かった。
丸めた壁掛け布を振り回しながら旅亭の入り口を通る。
既に夕食の準備ができているらしく、
気の早い宿泊客が席に着いて酒盛りを始めていた。
そういえばここは酒場兼用だったな。
受付で鍵を見せ2人分の食事を受け取ると、
トレイを両手に持って壁掛け布は口で咥えて何とか部屋に運び込んだ。
恐らくナズなら片手が空く。
どこまでも凄いぞ、彼女は。
鍵を開けて部屋に入ると、その音でイシャルメダが目を覚ましたようだ。
と言っても魘されているのか、
低い呻き声のような音を立てる。
「ううう・・・うっ・・・うぅっ、うぅっ・・・」
い、いや、泣いているのか?これは。
「イシャルメダ?おおい、イシャルメダー」
「うぅっ・・・あっ・・・ココは・・・エエと」
「ここはトラッサと言う街の旅亭だ。自分はユウキだぞ」
「ユウキ・・・ユウキ!わ、ワタシ・・・」
「ほら、食事を持って来た。こっちに来て一緒に食べよう」
「これ、が?しょくじ?・・・パンだけじゃナイのね」
「うん、まあそこそこ良い旅亭らしいからな。
肉は安物みたいだが。もっと良いのを食べたければ頼むが?」
「え、イイよ、ソんなコトシなくて。これでジュブン」
「飲み物は?ここには水しかないが、欲しいなら酒を持って来ようか」
「おさけ・・・イらない。キラい」
「そうか、ハーブティーならまだちょっとあるが」
「ふぅん、ユウキ、カワてる。へんなヒトね」
「うーん、まあそうなるかな?他に何か欲しければ言ってくれ」
「ありがと、しょくじ、イぱいでおいシそう」
「いただきます」
「ナにそれ?」
「んー、食べる前のおまじないと言うか、まあ癖みたいなものかな?」
「ふぅん、ユウキ、カワてる。へんなヒトね」
イシャルメダは食べ出した自分を暫く見詰めると、
少し微笑んでからパンを小さく千切って口に入れ始めた。
まだ日没には早いが、
窓を閉め切っている旅亭の部屋で、食事をするには少し暗い。
明かりも何も無い状態では少々不便だろう。
どうせこの後も長い時間起きている事になるのだ。
「ああ、そうだ。明かりを持って来るよ」
「あかり?カリてクるの?」
「うん、まあそんな所だ」
床に転がしていた壁掛け布をタンスに引っ掛けてゲートを開く。
ワープでの飛び先は自宅の納屋だ。
何も移動用の建具をセットしていないので現状ではワープしか行えない。
一応衝立は新居に設置されていたが、
それはトイレに安置されているのでうっかり踏み外したら大事だ。
運悪くウンを踏む事になってしまう。(フフっ・・・)
旅先の旅亭で使わないと思ったランタンは一旦納屋に収納した。
ゴソゴソと手探りで探し当て、ライターで明かりを灯しながら火を点ける。
ライターは・・・持って行かない方が良いな。
イシャルメダに鞄を見られて困るような物は持って行かない方が良い。
メモ帳と鉛筆、ライターやLEDライトなど、
怪しげな所持品は全て納屋の奥へしまった。
ポーチにはペンとパピルス数枚、銅貨用の小銭袋、手拭いのみだ。
再びワープで旅亭に戻る。
「おかえりナさイ?」
自分が戻って来るまで、食事の手を止めてイシャルメダは待っていた。
「これで明るくなったかな?」
「ウン、ありガト」
その後は会話も無く、ただ黙々と食事を取った。
何も語らず彼女の傍にいる事が今は最善だと思ったので、
敢えて声は掛けなかった。
「食器を戻して来る」
「あ、ワタシもイてイイ?」
「下は酒場になっているから騒がしいが、大丈夫か?」
「そ、・・・ソなの。じゃあヤぱりヤめとく」
「酒場は嫌いか?」
「すこシ・・・むかしのコトおもいだシちゃう」
「そうだろうな、休んでいて良いぞ」
そういえば先程酒は嫌いだと言っていた。
イシャルメダを売った碌でもない男が酒に溺れていたのかもしれない。
そうでもなければ後はギャンブル以外で金に困る事は無いと思うんだ。
他の女に現を抜かすような事も恐らく有り得無い。
今のイシャルメダを見る限り、昔はかなりの美人だったと思われる。
世の中イイ女ほど悪い男に引っ掛かる。
イイ男ほど性悪女に引っ掛る。
悪人同士は反りが合わないし、善人者同士は退屈で不満が募ると言う。
ままならない。
せめて自分は良い主人であるように努めたいし、
心優しい者達に囲まれてのんびり暮らしたい。
現状でそうなっているので、ある意味理想の形が形成されている。
懸念の幾つかが残ってはいるものの、
それが終われば本当にリタイヤしたい。
・・・が、地図を作って渡すと言うミッションを受けてしまった。
ま、まあそれはゆっくりで良いよ。
本当にゆっくりで。
無理をしてまで次のタスクだと捉えなくても良いのだ。
生涯の目標だ、うん、そうしよう。
トレイを戻し、部屋に戻ると彼女はベッドの袂に座っていた。
自分は昼と同じように椅子に座る。
そして足を投げ出して椅子の後部の脚2点で支えながらゆらゆらと揺れた。
彼女との何も無い時間は、これまでの事を振り返る良い機会であった。
目を閉じて、この世界に来た当時からの事を思い出す。
石鹸を売り、盗賊を嗾けられ、英雄を得た。
荒野を歩いて死にそうになり、そしてここトラッサにやって来た。
始まりの地に戻った事で、気持ちまでもが原点に立ち返る事ができる。
ミチオ君の後を追い、知識を生かして力を付け、
楽に生活したいと思ってやって来たのだ。
それがどうだろうか?
もうじきこちらの世界に来てから3ヶ月になるが、
この短期間で人生の山をもう何度超えた事だろう。
毎日、急か急かと何かを画策し、あちこちへ飛び回っている。
生活の資金はある程度集まった状態であるが、
贅沢をしたら直ぐに無くなりそうでもある。
思い描いた楽してのんびりとは懸け離れ過ぎている。
それは・・・きっと自分の性格に起因する所が大きいのだろう。
エミーの件は奴隷なのだから世界の常識的には放置して構わない。
わざわざイルマを迎え入れる必要などまるで無かった。
迷宮だって地図の作成をする必要なんて無く、
当初予定していたのは50Lvを満たせる23層まで行けば、
後はもう良いとさえ思っていた。
何だろうなあ。
自分ができる範囲内で、できるだけ皆が幸せになって欲しい。
そう願ってしまうのは、日本人だからとかそういった事では無い気がする。
ミチオ君は奴隷たちの背景にある事象にはてんで無関心の様子だった。
自分ならばセリーの実家が気になってしまうし、
ロクサーヌの叔父と叔母も気になってしまう。
ミリアだって、網打ちの仕事をしていた訳だし、
彼女1人で生活していた訳では無いだろう。
罰として奴隷になった訳だから、その場には両親が立ち会ったはずだ。
ルティナに至っては・・・もう何だか可哀そうだ。
自分なら彼女を立場で押さえ付けるのでは無く、
懐柔する方向で説得を試みるだろう。
帝国解放会の件は自分ならばきっぱりと断るだろうし、
彼とは何もかもが選択を異にしている。
ミチオ君に憧れ彼の後を追って来たが、結果は真逆だ。
ミチオ君ならば・・・。
恐らく最初にルスラーンと合った時点で騎士団へ誘われるがままに入隊し、
その後のスキルを活かしてどこかの町を任される位になっていただろう。
同時に美少女で処女の奴隷だけで周りを固め、
絡んで来たボルドレックは直接乗り込んで家ごと潰していたに違い無い。
自分のように平和的手段で解決を模索する方が、
どちらかと言えば珍しいのだ。
こんな世界なのだし、聞く耳を持たない輩は沢山いるだろう。
盗賊以外の法律に関しては緩そうだし、
それこそ盗賊道を邁進する事だってできる。
いつだってジョブを偽れるのだから。
イシャルメダに対しても同じ事が言える。
脅して無理やり実験に使ったって、
本人の知らぬ間にデュランダルで切り裂いて、
知らぬ間に手当てしてしまったって問題は無い。
自分は甘いのだ。
甘ちゃんだ。
その甘さでいつか自分の足を掬われる事が無いように、
慎重に物事を判断をして行きたい。
たとえば・・・そう。
このイシャルメダが自分に対して牙を向けたり、
ここから逃走したり、パニックになって暴れたりするとか。
ある程度の隙を見せなければ彼女も心を開かないだろう。
だがそれと無警戒に全てを曝け出すのとは違う。
彼女は病気を持っているので、血でも浴びせられたらジエンドだ。
ダメージは手当てで回復できるが、病原菌は防げない。
彼女を気遣い、余裕がある振りを見せながら、
警戒を常に怠らず、慎重に対応したい。
少なくとも彼女が眠るまでは眠れないし、
見守る振りをしながら身を守らねばならない。
そんな自分の葛藤を前に、
イシャルメダはベッドの袂から投げ出した足をブラブラと振り、
此方へ意識を向けつつ俯くのであった。
時折揺らめくランタンの炎は、
彼女の心の様子を表しているのだろうか?
揺れたり止まったり、細い煙が上がったりやや炎が小さくなったり。
静かな時間が流れて行くが、
それは確実にイシャルメダの気持ちに整理が付き、
実験への協力を呑んでくれるのだと信じて自分は椅子を揺らした。
∽今日のステータス(2022/04/26)
・繰越金額 (白金貨29枚・利用券2枚)
金貨 46枚 銀貨 66枚 銅貨 4枚
寝具店 (1050→735й)
移動用麻布 ×1 1000
吊るし具 ×1 50
銀貨- 8枚 銅貨+65枚
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計 金貨 46枚 銀貨 58枚 銅貨 69枚
・異世界83日目(夕方)
ナズ・アナ78日目、ジャ72日目、ヴィ65日目、エミ58日目
パニ51日目、ラテ30日目、イル・クル27日目
プタン旅亭宿泊13/20日目 シュメ旅亭宿泊13/20日目
トラッサ旅亭宿泊1/3日目




