§290 回帰
トラッサの宿は相変わらず賑わっていた。
町のそこそこ中心部に位置しており、1階が食堂。
それも高過ぎると言う程では無い。
中堅冒険者ならば寝泊まりするのに最適であるし、
そうで無くとも町人が遅めの朝食を食べに来る。
探索者が多い街ではあるが、町人もそれなりに多いのだ。
迷宮の歴史的にもルイジーナ管轄の中では一番古いようなので、
恐らく町自体の歴史も古いのだと思われる。
多分、迷宮の方が後から現れたのだ。
街の中心地に無かった事がそれを物語っている。
扉すら作られておらず開きっぱなしの入り口を通って受付へ。
「こんちゃー、今からお願いしたいのだが」
「はーい、ちょっと待ってね」
朝は旅亭員総出で朝食を準備している。
調理人以外は給仕だ。
と言っても探索者達は全て出払った後なので、
ピーク時間帯程忙しいと言う訳では無い。
精々散らばった食器を揃えて下げている所である。
「ええっと、おお、以前泊ってくれたかな?」
見覚えのある旅亭員だったので、あちらも覚えているようだった。
「そうそう」
「手数料の50ナールは今回は要らないからな。それで今回は何泊だ?
2人用の部屋ならば1泊370ナールで食事とお湯付きだ。
ダブルで良いんだろ?ベッド2つになると390ナールになるが」
だっ・・・ダブルで良いや。
女連れなのでそう配慮された訳だが、別に一緒のベッドで寝る予定は無い。
1人部屋と言うとおかしな事になるのでそれで。
ベッド2つになると手間が増える分高くなるようだし、
わざわざそちらを選択する意味も無い。
「うん、それでお願いしたい」
「朝食が30ナール、弁当を付けると全部で420ナール」
「弁当を付けてくれ。
何日に成るか判らないが、取り敢えず3日」
「じゃあ1260ナールだが、
また長期に泊まってくれるのを期待してちょっと負けて置くよ。
882ナールで良い」
旅亭員に金を払い、インテリジェンスカードのチェックを受ける。
連れ立って泊まる相方のチェックはしないようなので、
連れが盗賊であるならば回避はできてしまう。
尤も盗賊の中で全く悪行に手を染めない者を用意していなければ、
そういった行為はできない。
そんな事ができるのはかなり組織だった盗賊団だろう。
そんな奴が2人連れで旅亭に泊まるかと言ったらまず有り得無い。
じゃあ良いのか。
鍵を手渡されたが、生憎読めない。
イシャルメダに鍵を渡す。
「エエっと?」
「読めるなら教えてくれ、自分は文字が判らない」
「あ、ウン。224よ」
「その224が何処にあるかも解らないので頼む」
「えっ・・・ソウなの?」
以前は鍵を受け取る際に口頭で伝えてくれたが、
今回は2度目と言う事もあり対応が雑だ。
勝手は解るだろう?と言う無言の圧を受けた。
前回は自分1人であったので、
一生懸命鍵に書いてある記号の形と扉のプレートを確認したのだが、
今回は任せられる者がいるので任す。
思えば4人部屋に移った際はナズに任せたような気がする。
早く文字だけでも覚えねば。
イシャルメダに部屋を案内され、持って来たガラスの瓶を机に置いた。
「楽にして良いぞ、暫くはここで寝泊まりしてくれ。
ここに居れば3食ちゃんと食べられる。
自分は別の場所に宿を取っているので、寝る時は別になる。
夜を要求したりはしないので安心してくれ。
お前はここで暫くゆっくりしてくれればそれで良い」
「ドして?おキャクさんワタシかたよ、ワタシちゃんとシゴトするよ?」
「身請けする前にも言ったと思うが、お前は病に侵されている。
その病を治せるかどうかの実験に協力して欲しいのだ」
「ナオる?ワタシ、ビょき、ナオるの?」
「それも含めての実験をしたいのだ。
悪いようにはしない。
協力してくれるのであれば最後まで面倒を看る。
駄目で元々、成功したらお前は生きられる、どうだ?」
「ナニをするかヨくワからないケド、ワタシでヨければ」
「ここに薬がある。
お前の体にこの液体を入れて、効果があるかどうかを調べる」
「のむ?このクスリ?」
「いや、飲む薬では無いんだ。体を裂いて直接体内に入れる」
「サく?」
「ナイフでズバッと斬って、体の中に直接薬を振り撒く。
痛いかもしれんが、ちゃんと治療する。
痛いのは一瞬で、傷跡は直ぐに治すので安心して欲しい。
薬が効くかどうかを試したいのだ」
「ヒィィッ!・・・こここっ」
それまでベッドに座っていたイシャルメダが、
体を強張らせて怯え始める。
裂くと言う表現以外にどうしろって言うんだ。
注射が無いのだから仕方無いだろう。
「殺さないっ!殺さないぞっ?治すって言ってるんだから逆だっ!」
「そ、ソなの?」
「大体お前を殺して得られる利点が全く無い。
そんな趣味も無いのでな?
それよりもお前の協力が必要なんだ」
「キョりょく・・・」
緊張を解いたイシャルメダは再びベッドから足を投げ出した。
両手を交差させ肘を抱える、警戒の姿勢のままだ。
「直ぐに答えを出して貰わなくても構わない。
協力をしても良いと思ったら、その時言ってくれ」
「・・・あの、ワタシ・・・」
「うん?」
「ワタシ、ショカンからダしてもらえた。
ダカらキョりょくはシたい。ビょきもナオしてホシい。
デも・・・コワい」
「ああ、お前の気持ちはよく解る。
いきなりやって来た男に病気だと告げられて検査を受け、
迷宮の後は知らない宿だ。
それに剣で体を裂くと言われて怖く無いはずが無い。
お前の立場ならば逃げ出してもしょうが無いとは思うが、
ここはお前が暮らしていたプタンノラの町では無いのだ。
そもそも国が違っていてな?
・・・他に行く当ては無いと思う。
暫くはここで生活して、ゆっくり考えてみてくれ。
用があれば迎えに来る」
自分ができる精いっぱいの配慮だ。
決断するにはまだ時間が掛かるかと思う。
強引にやった所で益々警戒されたり逃亡されては、
結果を知り得る事が難しい。
放置して野垂死なれても後味が悪い。
イシャルメダを宿に残し、ワープでプタンノラに戻ろうとゲートを開けた。
「い、イヤっ、ひ・・・ヒトリにシないで」
うん?
彼女も心細いのだろうか。
自由になった身に満足・・・するような大した性格なら、
もう少し上手く立ち回れただろう。
何かに依存せねばならないような、弱々しい性格なのだ。
だからこそ娼婦に落ちたとも言える。
「では暫くここに居ようか?ベッドはお前が使って良いからな」
自分は椅子に凭れ掛かって休んだ。
机に置かれた薬瓶は窓から入る光を屈折させ、
薄暗い部屋にプリズムアーチを描いている。
ここに来てずっとベッドに腰掛けていたイシャルメダであったが、
暫くすると向こうを向いて横になったようだ。
彼女にも心の整理となる時間が必要だろう。
合意も無しにいきなり切り裂く訳には行かないし、
薬でどうなるか予想ができない事も伝えなければならない。
まずは彼女自身が受け入れて、
挑戦してみようと言う気になって貰わなければ。
歩いたし喋ったしで、喉が渇いた。
昼食までは何も無い訳で、
一旦プタンノラに戻りお茶を取って来ようと部屋の戸を開けた。
──ガチャッ。
「あっ・・・い、イかナイで」
「直ぐに戻って来る。飲み物を持って来るだけだ」
「う・・ウン」
彼女は奴隷では無いし、落ちぶれているとは言えギリギリ町民だ。
対応も雑であってはいけない。
勿論うちの子達を雑に扱った事は・・・、
たっ、たぶん無いよね。
一瞬ラティの顔が浮かんで慌てて払拭した。
だ、大丈夫。
最初は年相応を期待したが、
ラティの特徴を知ってからは丁寧に対応しているよ。
プタンノラの旅亭に戻った。
今日もアナ達はせっせと印刷作業をしてくれている。
イルマは作業の傍らチラチラとエミーを気にしているようで、
作業に支障を来すようならもうずっと看病してくれれば良いと思う。
「ハーブティーはあるかな?」
「はい、それでしたら私が淹れて参りました」
イルマがエミーの仕事を替わったのだろう。
立ち上がって水瓶を取ろうとした所を止めた。
「今日のお前の仕事はエミーの看病だ。
余裕があればこちらを手伝うだけにしてくれ。
あれもこれもやろうとすると何かを失敗する」
「かっ、かしこまりました。申し訳ございません」
「コップを2つ借りるぞ」
「かしこまりました?」
自分の分とイシャルメダの分、
コップ2つを持って水瓶ごとトラッサに持って行く。
──ヴォンッ。
旅亭裏にあった大木から表の入口へ。
傍から見れば外から水瓶とコップを持ち込む変な客である。
「ただいま」
「おカエりナさい」
「イシャルメダもこっちに来て飲まないか?良い香りがするお茶だ」
「オチャ?」
「ハーブティーだ」
「はーぶ?てぃー?」
まあ貧乏人、と言うか一般市民は水なんだろうな。
説明するだけ無駄である。
百聞は一見にしかず。論より証拠。当たって砕けろ。
誤用も甚だしいが、持って来たコップにハーブティーを注ぎ、
コップを回して対面の椅子の前に置いた。
先に自分が口を付けて飲んで見せる。
「フゥー」
今日もここまでノンストップだったのだ。
いや木の傍らで休んでいたような気もするがそれはそういう振りであって、
実際に心休まったかと言えばそうでは無い。
虫も多かったし。
イシャルメダが気持ちを整理するまで待つと言うタスクが加わった事で、
今日初めての息抜きをする時間に安堵の溜息が出た。
リラックスをすると言う意味に於いて、ハーブティーは優秀である。
味も、香りも、全てが心地良く、より深く心を休める事ができた。
のそのそとベッドから起き上がったイシャルメダも、
自分の後に続いてハーブティーを口に運ぶ。
熱くは無いはずだがズズッと音を鳴らし、
彼女は恐る恐る口に含み飲み込んだ。
「おい・・・シです」
味に満足したのか、彼女は続けてコクコクと飲み干した。
「そうか、気に入ってくれたなら何よりだ。まだあるから自分で注いでくれ」
「あ、ウン。だいジョぶ」
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
沈黙が続く。
彼女を買ったものの、そういう目的では無かった。
そもそも連れて来られたのが彼女だけであったので、吟味も何も無い。
薄暗い部屋で顔立ちや表情などの細かな点は確認しようがなかった。
どうせ致す事が致せれば良いだけの娼婦に、
顔も何も無いと言う事なのだろう。
だがこうして明るい所ではっきりと見えるイシャルメダは、
それなりに美形で体付きも整っていた。
胸は大きく、髪は長く、哀愁が漂うものの凛々しくて若々しい。
本当に29なのかと思いたくなるような。
少なくとも食事に飢えるような事は無いので、
困窮して奴隷になった者のようにボロボロとはならないのだろうか。
後5,6歳若かったら土下座してお願いするレベルの容姿である。
勿論病気で無かったらの話だ。
だが年齢的にも、侵されている病気に至っても、
自分はこの女性を選ばない。
残念な事である。
「な、なに?」
余りにマジマジと見詰めたので、彼女自身も反応を示した。
「うん、イシャルメダは美人で勿体無いなと思ってな」
「そ・・・ソウ?ありガト」
「娼婦になる前は何をやってたんだ?」
「ワタシ、おミセでハタらいてた。しょくどう」
「料理できる?」
「できるよ?ソのくらい。フツウでしょ」
「じゃあどうして?」
「ワタシ、コイビトいた。イショにクらしてた。
そいつ、おかねコマってワタシのコトしょかんにウった」
「酷い奴だな」
「ううん、ワタシバカだったから、しょがナイ。
オヤにもおトモだちにもハンタイされてたケド、
ワタシがササえてあげなきゃてオモてた」
あー、共依存。
確かにそういう子は風俗に落ちる事が多いと聞く。
ダメ男に貢いでしまうタイプだ。
現代日本であればボロボロにされても駆け込み寺のような施設があったり、
病気であれば薬で治療ができる。
しかし、ここはそんな社会保障が整備されている訳では無い。
行き着く先は、身を売って奴隷となるか娼婦となるか。
そうして行き着く先はこの病と言う訳だ。
悲し過ぎる。
と言っても今更だ。
地球だってそういった社会に馴染めない者の末路は皆そうであった。
先進国であっても未だにそうなのだから、
発展途上国なんてもっとだろう。
こちらの世界と何ら変わりは無い。
「病気を治してまた再び町娘として生活できるように、賭けて見ないか?」
「ドして・・・」
空になったコップを握ったままのイシャルメダが、やっとコップを置いた。
「ドしておキャクさん、ワタシにソコまでシてくれるの?
あなた、ワタシとまえあたコトある?
ムカシのおキャクさん?」
「いや、初対面だ。たまたまあの店に行って出されたのがお前だった。
・・・それだけだ。
そして自分は、この薬が有効であるかを確かめたいだけだ」
机の中央に置かれた瓶を手に取って、
中に少量入っている液体をクルクルと回した。
恐らく梅毒を治癒するには全然足りない量だろう。
だが治験と言う意味ではその方が良い。
毒素が混入していた場合、その量も少なくなる訳で。
「おキャクさ──」
「自分は客じゃ無い。確かにお前を買ったが、手を出すつもりも無い。
そうだな・・・主人になるのか?
尤もイシャルメダは奴隷でも何でも無いのだから、
嫌なら拒否できるし無理強いはしたく無い」
「そ、ソウ・・・」
・・・・・・・・・。
再び沈黙が流れる。
少しだけ生い立ちを聞いてしまったが、
連れ立つ相棒に裏切られたジャーブと重なって見える。
行く先が絶望的であったエミーともダブって見える。
彼女を助けてやりたいとは思うが、
それには彼女自身が助かりたいと思わなければ始まらない。
大体、病気が治った後は彼女をどうするのだ?
奴隷では無いし、結婚をする予定も無い。
迷宮に行かない者を飼い馴らす程の余裕は無いし、
家の中で彼女1人だけ一般人の立場では皆も困惑するだろう。
その後のビジョンを見せなければ彼女も動かないかもしれない。
どうしようかと考えているうちに、閃きがあった。
行く先ならあるじゃないか。
全員が幸せに成り得るだろう、丸く収まる良い場所が。
空っぽになったイシャルメダのコップにハーブティーを足し、
彼女自身が落ち着いて現実を飲み込める状態までをじっと待った。
ひとまずはこのまま。
どうせ旅亭に戻ってもする事は無いのだし、
今はただ必死に縋る彼女を見守ってやればそれで良いだろう。
これも主人の仕事だと割り切った。
∽今日のステータス(2022/04/25)
・繰越金額 (白金貨29枚・利用券2枚)
金貨 47枚 銀貨 35枚 銅貨 76枚
トラッサ宿泊 (1260→882й)
(370+50)×3 1260
銀貨- 9枚 銅貨+18枚
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計 金貨 47枚 銀貨 26枚 銅貨 94枚
・異世界83日目(13時頃)
ナズ・アナ78日目、ジャ72日目、ヴィ65日目、エミ58日目
パニ51日目、ラテ30日目、イル・クル27日目
プタン旅亭宿泊13/20日目 シュメ旅亭宿泊13/20日目
トラッサ旅亭宿泊1/3日目




