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ブラックオリオン  作者: 波島祐一
第二章:陰謀編
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Plot08:地上五〇〇メートルへ

 カーナビの予測より少し早く、午前六時三十五分にクラウドタワーに到着した尾滝功一は、ランエボを立体駐車場に滑り込ませた。ヒーターの効いた車内から降りると、十一月の冷気が全身を包んだ。クラウドタワー併設の商業施設に繋がる入口へと急ぐ。

 一階から四階まではクラウドタウンという複合商業施設となっており、売店やレストラン、水族館などがある。施設内に入ると、暖房が効いていた。営業開始時間まで一時間以上あるが、各店舗はスタッフたちが準備を始めているようだった。くたびれたスーツで足早に進む若い男に、怪訝な視線を向けるスタッフもいたが、大して気にはしないだろう。

 緊急点検を知らせる張り紙によれば、クラウドタワーは点検で上れないが、クラウドタウンは通常通り、午前八時から営業するようだ。

 先日、碧と一緒に来たため、タワー入口の場所はだいたい分かっていた。記憶と案内看板を頼りに進んでいくと、ふと、ガラス張りの喫煙室にいる男と目が合った。スーツ姿でタバコをふかしていた、三十歳前後に見えるその男は、功一と目を合わせた数秒後、両目を大きく見開いた。

 功一も気づいた。内務監査部のPOに、あんな顔の男がいた記憶がある。案の定、その男はタバコを吐き捨てて喫煙室から飛び出してきた。


「そこを動くな!」


 距離は、五メートルほど。男がスーツの内側に手を入れるのを確認するまでもなく、功一は全力疾走に移っていた。客のいない、閑散とした通路を駆ける。振り向かずとも、男が追いかけてくるのが足音で分かる。「拘束対象発見! 三階、入場ゲートに向かってます」 という報告の怒声を背中で聞きながら、功一は前方にクラウドタワーのチケット売り場と、入場ゲートを見つけた。

 腰ほどの高さの柵でゲートが閉じられ、中年の警備員が立っていた。警備員は功一に気づくとぎょっと両手を前に突き出し、「と、止まりなさい!」 と怒鳴ったが、手遅れだった。功一は警備員の手首と肩を掴み、振り回すようにして、追ってきた男に向けて突き飛ばした。

 警備員は頭から男の腹に突っ込み、うめき声とともに倒れこんだ。功一はゲートを飛び越えながら、横目でその様子を確認した。そのとき、別のエントランスから数人の男たちが駆けてくるのが見えた。別のPOたちだ。

 功一は足を止めず、ゲートから近くのエレベーターホールに着くと、ボタンを押した。エレベーターは稼働していた。すぐに扉が開いたエレベーターに乗り込み、腰に差してあったスプリングフィールドXDM自動拳銃を抜いた。追ってくるPOたちに向け、威嚇のトリガーを引く。数発の九ミリ弾が壁を抉り、POたちは足を止めて身を隠した。時間稼ぎはそれで十分だった。扉が閉まり、大展望台へ直通の高速エレベーターは上昇を開始した。

 やはり、ここで何か起こっている。直感が確信に変わった。XDMを両手保持した功一は、上がった息を整えながら、エレベーターが地上三百五十メートルの高みに到達するのをじっと待った。





 死ぬのが怖い。沙夜は生まれて初めて、心からそう思っていた。

 人差し指を少し引けば、父さんの仇を討てるのに。どうしても指に力が入らない。どうすればいい? ここでこの男を殺せないのなら、あたしは何をすればいいんだ——。

 沙夜を包囲しつつあった四人のPOが、同時に動きを止めた。ひとりが、首筋に這わせた骨伝導式イヤホンに手を添える。何か連絡が入ったのだろう。浅見を除き、ここにいる四人の中では最も上の立場になる四十代の係長が、部下二人にエレベーターホールに向かうよう指示を出した。浅見と係長、一人の部下が残り、三十代の主任と部下がエレベーターホールに駆けてゆく。

 誰か、エレベーターで上がってくる?

 浅見たちの様子から、沙夜はそう推測したが、いったい誰が来るというのか。

 一分も経たないうちに、エレベーターの方から銃声が響き始めた。通路の奥なので直接は見えないが、複数の発砲音が交錯し、撃ち合っているらしいことは分かった。係長と部下は、沙夜に向けて拳銃を構えながらも、そちらに意識を向けているようだ。いつの間にか、浅見の手にも小型の拳銃が握られていた。

 銃声は、すぐに止んだ。足音が近づく。通路の奥から姿を見せたのは、二十代の男——尾滝功一だった。その場にいた者たちが視線を交差させたのは、二秒にも満たなかった。浅見たちの銃口が一斉に功一を捉え、すぐさま発砲。功一は俊敏に壁に身を隠した。三人の視線と銃口が功一に向いた機会を逃さず、沙夜は床を蹴った。

 太い柱の裏側に身を隠し、ワルサーP99を三人に向けて乱射する。気づいた三人はそれぞれ退避行動を取ったが、部下の肩に九ミリ弾が命中し、手すりに背中を打ち付けるのが見えた。浅見と係長は素早く壁の奥に隠れた。

 功一がXDMを撃ちながら駆け寄ってくる。沙夜はそれを援護するように、浅見たちが隠れた壁に向かってP99を撃ち続けた。


「大丈夫か、香村!?」 功一は、沙夜の近くの壁に身を寄せた。

「どうしてここにいるんですか!」 沙夜は単純な疑問をぶつける。

「どうしてって……」 功一はホールドオープンしたXDMの弾倉を交換しながら、少し困ったような顔をした。「成り行きだ」


 成り行き? 訳が分からない。沙夜は混乱しながら、P99の弾倉をずらして残弾確認孔を見た。残り四発。そのまま弾倉を抜き、新しい弾倉と入れ替えておく。

 銃声が鼓膜を震わせ、背中を預けている柱に衝撃が走る。


「射殺を許可する、ぶち殺せ! アタッシュケースには当てるなよ」


 浅見の声だった。さらに、新たな数人の足音が聞こえた。おそらく、増援のPOが合流したのだろう。銃撃が激しくなった。追い打ちをかけるように、沙夜の目の前に、ごろごろと黒い円筒状の物体が転がった。すぐに、白いガスを放出し始めた。催涙ガスだ!


「まずい、逃げるぞ!」


 浅見たちと反対方向に向かって駆け出した功一に続き、沙夜もアタッシュケースを持って移動を開始した。数十メートル進んだ先にあったのは、さらに上部、地上五百メートルの特別展望台へのエレベーターだった。地上と大展望台をつなぐエレベーターと、大展望台と特別展望台をつなぐエレベーターは離れて設置されており、ここからは降りることができない。

 背後からはガスと足音が追ってくる。ガスに反応したのだろう、非常ベルがけたたましく鳴り響いた。

 振り向くと、すでに功一がエレベーターに乗っていた。


「急げ!」


 沙夜がエレベーターに駆け込むと、功一はドアを閉じるボタンを押しながら、XDMを追っ手に向けて速射した。

 ドアが閉じ、エレベーターは上昇を開始。振動の少ないエレベーターだった。特別展望台までは、一分もかからない。滑らかに減速し、停止。ドアが開く。沙夜はP99を即時射撃位置で保持したまま、エレベーター前をクリアリングした。誰もいない。

 ここは、二階構造になっている特別展望台の一階部分だ。ここから、すぐ左手に曲がると、緩い螺旋状の展望回廊が伸びており、タワーに巻きつくようにして二階部分へと繋がっている。この展望回廊を百メートルほど進むと、このクラウドタワーの最高到達点となり、その奥には下り用のエレベーターが二台ある。このままでは、挟み撃ちにされてしまう。

 ミニチュアよりもさらに小さい、写真か絵画でも見ているかのように縮小されたビル群が、ガラスの向こうに見えた。展望回廊を渡りきり、下り用エレベーターの階数表示を見ると、ちょうど上昇してくるところだった。内務監査部のPOたちが乗ってきているに違いない。


「どうするかな……」 功一は困った様子で周囲を見回していた。

「逃げて下さい」 


 これ以上、無関係な人を巻き込みたくない。そう思った沙夜は、功一に言っていた。


「そこのドアから非常階段に出られます。そこから降りて下さい」

「香村はどうするんだよ」

「あたしは、浅見を殺します」


 さっきは、その機会を逃してしまった。父さんの仇をとらなきゃ。必ず息の根を止めてやる。あんな生きる価値もない男……!


「手伝うよ」 功一は、やれやれ、とでも言いたげな顔だった。

「どうして……!」 巻き込まれて、濡れ衣を着せられて。手伝う義理なんてないはずなのに。

「何があったのか知らないけど、おれも浅見をぶん殴りたいんだ」


 そう言った功一は、少し笑っていた。この状況で、どうして笑みを作れるのか。まるで、危険を楽しんでいるかのような表情を見て、沙夜は胸の奥が熱くなるのを感じた。自分でも不思議な感情だった。

 エレベーターが到着する。「戻るぞ!」 扉が開く前に、功一は展望回廊を戻り始めた。沙夜もそれに続く。だが、その先にいたのは、浅見を始め、四人のPOだった。互いに足を止め、拳銃を向け合う。背後からも足音が近づき、沙夜は功一と背中を合わせるようにしてP99を構えた。そちらからは、戦闘服にボディアーマー、自動小銃という完全装備のPO五人が現れた。挟み撃ちになってしまった。逃げ場はない。


「ゲームオーバーだな」 浅見は不敵な笑みを、銃口と一緒に二人に向けた。「銃を捨てろ。命までは取らん」


 功一が息を呑む気配を感じたが、沙夜は、ふっと笑いをこぼした。


「何がおかしい」 浅見は笑顔のまま、眉をぴくりと動かした。

「銃を捨てるのは、あんたたちよ」 沙夜は、アタッシュケースにP99を突きつけた。「死にたくなければ……ね」

「そんなこと、できるわけがない」 浅見は表情を変えない。「ここで拡散すれば、無関係な一般人がどれだけ死ぬか、分からないわけではあるまい」

「ええ。でも、あんたたちに捕まるよりはマシよ」 沙夜は、トリガーガードにかけていた人差し指をトリガーに添えた。

「おい」 XDMを構えたまま振り向いた功一が、沙夜に小声で訊いた。「それ、なんなんだ」


 沙夜はにこりと微笑んだ。「アメリカの新型生物兵器です」

 冗談だろ、という顔になり、功一は沙夜から一歩離れた。「お、おい早まるな……!」


「ひどい! あたしと心中してくれるって言ったじゃないですか」

「そんなことは一言も言ってない!」


 沙夜は、声をあげて笑った。笑えたことに、自分でも動揺を覚えた。


「ふざけてんじゃねぇ!」


 怒鳴り声をあげたのは、浅見の隣に立っていた内務監査部の係長だった。スーツ姿でH&K USP自動拳銃を構えた四十代の係長は、気難しそうな顔に怒りを露わにしていた。


「香村。何があったか知らねぇが、仲間を裏切るような真似はもう止めろ。うんざりするような仕事だらけなのは分かる。自暴自棄になる気持ちも分かる。だが、おれたちが現場で頼れるのは仲間だけなんだ。それを裏切るのは……」

「江頭係長」 沙夜は、諭すように喋っていた係長の言葉を遮った。「PMC社員の鑑みたいなこと言うのは勝手ですけど、あたしは知ってますよ。あなたが極悪人だって」


 言葉を失った係長に、沙夜は続ける。


「バグダッドの捕虜収容施設で、イラク人捕虜を拷問して殺しましたよね? その前に、民間車両を理由もなく銃撃したのもあなたでしたね」

「……いったいなんの話だ。それに、わたしがイラクにいたとき、きみはまだ入社していないはずだ」

「証拠ならありますよ。そのときの写真と動画」


 係長は顔を青くし、両目を見開いた。


「もうちょっとしっかり管理しないとダメですよ。あたしでも盗れるくらいザルだったんですから」

「き、きさま……」


 沙夜は、周りのPOたちを見回した。すべて、内務監査部所属のPOたちだった。


「みなさんも似たようなもんですよね。色々と、見るだけで吐き気のするデータでしたよ。全部、あたしの会社のパソコンに入ってますけど。『シークレット』 ってフォルダ。機会があったら、見てみて下さいね」





(『シークレット』 ってフォルダ。機会があったら、見てみて下さいね)


 ブラックオリオン本社・作戦指揮課のオペレータールームで、その声は明瞭に流れていた。

 当直の課長が、上席につく作戦部の部長を振り向いた。先日、作戦部の部長に昇進した紅林源一郎が、鋭い眼光で頷く。「すぐに確認しろ」


「はい」 と応じた課長が、内線でシステム課に連絡する。

「作戦七課の到着時刻は?」 と紅林が問うと、ヘリの管制業務についている女性社員が「確認します」 と返し、飛行中のMH-60Gペイヴホークのパイロットに状況を問う。

「ホーク1、現着まで四分程度です」 女性社員が報告した。

「では、到着次第クラウドタワー内の状況を確認させろ。発砲許可はまだ出すな」

「了解」


 紅林は腕を組み直し、正面のモニターディスプレイを注視した。ペイヴホークが一機、墨田区のクラウドタワーに向けて飛行中。戦闘装備を整えた作戦七課の三人を乗せている。目的は、内務監査部の作戦のバックアップ。

 副社長と人事課長を殺害した疑いのある社員・尾滝功一と、その逃亡を手伝った社員・香村沙夜。二人が生物兵器を所持し、クラウドタワーに上った。浅見課長以下、内務監査部のPOらが総出で確保に動いているが、空からの援護が欲しいということで、作戦部からペイヴホークを向かわせているのだった。

 アラート待機中だった作戦一課を出そうとしたが、作戦七課の松崎課長と二人の課員の強い要望があり、紅林は七課を出すことを決断した。

 紅林自身、今回の事件は不自然だと感じていた。作戦指揮課、作戦各課、航空課などをまとめる作戦部とは独立した部署である内務監査部だが、いつもはコソコソと水面下で動くくせに、この件ではやたらと出しゃばってくる。まるで、隠したい何かがあるかのように。

 内務監査部の部長に聞けば、『本件は浅見課長に一任している』 の一点張り。浅見という男は、信用ならない人間だと紅林は以前から思っており、今回の航空支援を頼まれた時も、あまり協力する気が起きなかった。だが、社内規程上、断ることも不可能だった。

 だから、『真実を確かめたい』 と言った作戦七課を向かわせた。その直後、香村沙夜と浅見課長の会話がリアルタイムで作戦指揮課に送られてきた。

 状況から、香村が意図して流しているのだろうことは分かった。浅見が黒幕で、尾滝は被害者であることも予想がついた。ならば、救わなければ。だが、証拠がなかった。せめて、浅見たちを拘束する口実となりうる何かがあれば……と思っていたところ、先ほどの『シークレット』 フォルダの情報が出た。浅見たち内務監査部の犯罪行為の証拠。これが本当なら、紅林は作戦七課に浅見たちを無力化し、尾滝と香村を助けるよう指示を出すことができる。


「部長!」


 システム課の課長が慌てた様子でオペレータールームに入り、紅林の横に来た。


「これらが、『シークレット』 フォルダ内にあった写真です」


 写真をプリントアウトしたA4用紙の束を受け取った紅林は、いきなり目を背けたくなった。それでも、一枚ずつ全て目を通した紅林は、怒りに拳を震わせた。

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