第20話、詩織の見えない力、詩織お母さんから逃げたい
「…雨ね」
頬に落ちる雫に、もうじき訪れる大雨を予感した。
ポツ…ポツ…ポツ…と、渇いた岩石を雨粒が黒く染めていく。
「……」
私は下を向く。
そこには意識を失い、疲れて倒れた広樹がいた。
私は彼に触れない。
命の危機か、彼に求められた瞬間だけに、私は彼に触る事が許される。
それが女の常識であり、広樹に言わず誓った約束だ。
だから私は使い続けていた『力』をそのまま行使した。
「ゆっくり休みなさい」
広樹の身体が宙に浮く。
寝かせた態勢で上向きに。
そして広樹の身体が雨に濡れる事はない。
まるで大きな傘があるように、広樹の真上で雨粒が遮られているようだった。
「私の『手』での寝心地はどう?」
「……」
無言の返答。
それに安心して帰路についた。
──ごめんね広樹。
命の危機には安全を知らせたら意味がないの。
だから私は遠くに離れて、助けない事を態度に示すしかなかった。
怖がらせてしまったわ。
本当にごめんなさい。
でも私も本気にならなくてはいけないの。
私に頭を下げた貴方が、今でも忘れられないから。
貴方の言葉が、男としての言葉が、
私をこんなにも本気にさせている。
今日は本当に頑張ったわ。
最後まで必死に走り抜いたもの。
今日はゆっくり休みなさい。
でも本当の事を言えば、私は広樹がとても心配だった。
だから保険はちゃんと用意していたわ。
広樹の頭上にはずっと私の魔法が見守っていたのよ。
あの程度の攻撃なら、何百回でも何千回でも防ぎ切れる。
私だけが持っている、特別な魔法がね……
────。
────。
「詩織……お願いだ……今日は休ませてくれ」
「駄目よ。毎日しなきゃ意味がないじゃない」
「もう心と体が限界で──」
「駄目ったら駄目よ。さぁ行くわよ」
詩織!今日くらい休ませてよ!
もう嫌なの!
これからまた命賭けのトレーニングをさせられるんだ!
毎日毎日毎日毎日…
もう死ぬよ…
足を止めれば死ぬ鬼ごっことか、
見つかれば死ぬ隠れんぼとか、
寝たら死ぬ我慢ゲームとか、
もう死と隣り合わせにする日々はたくさんだ…
「モワァァの感覚は出たの?出てないわよね。まだ魔法の魔の字にも入れないのよ。それじゃあ広樹の覚悟が無駄になってしまうわ」
舐めてました!
はい正直に言います!
俺に精神エネルギーがあると言われて、ちょっと浮かれてました!
手から不思議な感覚と、風がビューって飛び出たんだよ。
そりゃあドキドキしますよ!男の子なんですもん!
だからって…
だからってよ…
こんな命賭けのトレーニングをさせられるとは思ってもみなかった。
優しい詩織なら、子犬に芸を仕込むような、もっと優しい教育方針でいくと思ってた。
なのに、まるで親ライオンだよ。
先人の谷に我が子を落とす厳しさ。
死と隣り合わせにさせる鬼教官と言ってもいい。
もう無理です。
数ヶ月前まで高校生をやっていた俺には無理なんです。
逃げます。
死ぬ前に逃げます。
創作物みたいな修行編は、俺にはできないです。
あれはアニメや映画の中だけであって、現実世界でやったら死ぬんです。
よし決めた。
そして言おう。
ごめんなさい。
あの日の俺が間違ってました。
これからは心を入れ替えて、元の世界に帰る事を夢に見ながら、安全に生きていこうと思います。
よしっ!
じゃあ詩織に伝えよう!
「あの世界史のやり方に沿った筈なのに……、やっぱりあの簡単な方法に頼るしか……」
詩織がブツブツと独り言を言っていた。
…………へ?簡単な方法?あるの?
『広樹は体力を使い果たし、目の前が真っ暗になった』
『広樹は詩織にトラウマを植え付けられた』