第19話、ランニングといえば音楽、詩織コーチによるトレーニング開始
『トゥトゥートゥ〜〜トゥトゥ、トゥ、トゥ、トゥ、トゥトゥートゥ〜〜』
いつ聴いてもこの曲は良い。
ランニングをしている時なんて最高だ。
「広樹、その小箱から流れている音楽なんだけど…」
「小箱?詩織はスマホを知らないのか?」
「スマホって言うのね。初めて見たわ。
それとその小箱も富豪が準備したのだから、この世界の物であるのが正しいわよ」
富豪……いや、俺の世界の品物なんだけど。
詩織はいまだに俺が異世界人だとは認めていない。あれだけ熱弁したのに…
信じてもらうにはもう少し時間がいるみたいだ。
「それよりもどうして音楽を流しながら走りたいの?」
「もしかしてトレーニング中は駄目だったのか?」
「いえ、別に問題はないけど…」
問題がなくて良かった。
ただランニングするよりは、何か聴きながら走りたい。
今流しているのは、筋トレ中に聴くと男心が燃え上がる名曲。あるスポーツ映画のトレーニングシーンに流れていた曲で、かなり気分が高揚していた。
それに音楽を聴きながらのランニングには、脳に感じる疲労の軽減と、エネルギー消費の効率化があるらしい。
メリット尽くしだ。
「そうだな…」
それらを全部説明をするのは聞き取る側にも負担があるので、やや省略して、
「理由は色々とあるけど、まとめて仕舞えば『辛さを忘れて、楽しく走り続けられるから』だな」
「辛さを忘れられる?……それは興味深いわね」
詩織の呟きを聞くと、この世界には音楽を聴きながら走るという習慣がないようだ。
電子機器が発展していないのか?
「じゃあその音楽は広樹の活力に繋がっているのね」
「ああ。それと動物からの邪魔も防止できて、一石二鳥のトレーニング方法だな」
「ん?どういうこと?」
「動物は騒がしいのを嫌う習性があるだろ?その応用だ」
いわゆる『熊よけの鈴』効果。
言い換えるのなら、動物よけのミュージックソングだ。
これで俺達に近づいてくる猛獣は少なくなると見込んでいる。
「……広樹、言い忘れていた事があったわ」
急に静かな雰囲気を見せる詩織。
「これから行く場所は……いえ、もう到着しているわね」
浜辺だった光景は、いつの間にか灰色の岩石地帯へと変わっていた。
「ランニングと伝えて走り始めたけど、本来の目的はこの場に来ることだったのよ」
「じゃあ次のトレーニングはここでするのか?」
「ええそうよ。広樹にはあるモンスターと対峙してもらうわ」
「あるモンスター……じゃあ音楽は止めた方が」
「いえ──」
詩織は複雑そうな顔を作って、
「もう捕捉されたわ」
その瞬間、ズバァッッン!!と背後の岩石が爆ぜた。
「え」
俺は立ち止まって、瓦礫が飛び散った光景を目にする。だがすぐに、
「走り続けなさい!」
「ぐうぇ──」
袖を掴まれ、詩織に無理やりに引っ張られる。
ズバァッッン!!
そして次は俺が立っていた地面が爆ぜた。
え、やばくない?
「走り続ければ当たらないわ。敵の狙いは単調だから」
「もしかしてこれって!?」
「モンスターからの攻撃よ」
先に言ってよ!
「今のペース配分を守りながら、この岩石地帯を攻略してもらうわ」
────。
────。
昨日の夜。
俺は詩織に基礎知識を教えてもらっていた。
魔法を発動するために必要な『精神エネルギー』の応用方法。
それが『肉体強化』である。
「精神エネルギーを濃く高めて、それを身体に循環させれば──」
バキバキッ!と、握り締められた『石』が木っ端微塵に砕け散った。
「こんな風に常人離れした怪力を扱えるようになるわ。これが肉体強化よ」
お〜〜。
パチパチパチパチ…
ちょっとビビったが、詩織の丁寧な説明のおかげで正常心が保てる。
これで詩織の怪力の秘密が分かった。
「広樹にも、これと同じ事を出来るようになってもらうから」
────。
────。
何もかも初めてな俺が、精神エネルギーを操るにはどうすればいい?
詩織にそう聞いたら、とんでもない事を言い渡された。
『命の危機に直面すれば、自然と出せるようになるわよ』
え?どこのバトルアニメの主人公なの?
そんな会話をした次の日に、まずはランニングと言われて始めた初トレーニング。
その行き着いた先が……
「命の危機を強く意識するの!そうすれば身体の中にモワァァって感覚が生まれるわ!それを外に出すのよ!」
モワァァって何?
そんな曖昧な表現をされて、俺が「分かった!」と元気に言うとでも?
言える状況じゃないよね!?
俺は今、命賭けの逃走をやっているんだからな!
トレーニング開始初日でコレはないでしょ!
ズバァッッン!
ズバァッッン!
ズバァッッン!
ひぃ〜〜!!
やばいやばいやばい!
一歩でも立ち止まったら確実に死ぬ!
「そんなんじゃ体力が無くなって動けなくなるわよ!」
そんな事を言われても!
「考えるんじゃない感じるの!広樹の身体に眠るエネルギーを!」
感じるのは死への恐怖だけだ!
無理!そんな説明じゃあ命がいくらあっても足りないよ!
…………ん?
よくよく考えてみたら、俺、大丈夫なんじゃないか?
だってあの心配性な詩織が近くにいるんだよ。
もしかしたら……
……………………あ、
100メートルくらい遠くで見守っていたわ。
ズバァッッッッッッッッン!!
「いぃぃやぁああああああッッ!!」
死ぬ!
背中に岩礫が飛んできたよ!
そして詩織はノーコメントだし!
助けるような素振りも見せてくれないし!
子供を先人の谷に落とす親ライオンなの!?
あの優しかった詩織はどこに行ったの!?
『トレーニングを開始した』