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嵐の前の静けさ

 1

【少しいいか】

【ああ、構わない。俺に何か?】

 旅道の途中に設置してあるサービスエリアの宿で寛いでいる時、隣のベットに座っている今回の護衛兼監視対象であるウートゥルという男から声をかけられた。

【いや、大したものじゃない。世間話の類いだ。やはり都合が悪いのか?】

【大丈夫だ】

 思えば、自分はこの男について何も知らないのだ。全く人気のない仮想ゲームで商売をする酔狂な人間と最初思ったが、彼の言動を見る限り何か深い理由でもありそうだ。

 やっていることはただの金持ちの道楽としか思えないが、本当に理解しがたいな。

 ……とはいえ、俺もあまり人のことを言えないか。

 最初はただのゲームだと思っていたが、いつからか、俺はこのただのゲームに真剣に取り組むようになった。

 セイカラ予備軍から受けた仕事の説明は全くゲームと思えないほど堅苦しいものだ。しかし、それでも俺の中に諦めるという選択肢が意外と出てこなかった。

 自分でもどうかしていると思う。

【傷の調子は?】

【ニーサが簡単に手当してくれた。治るスピードはリアルと一緒だが、問題ない。こういうのはもう慣れている】

【そうか、ならいいが……改めて言わせてもらう。素晴らしい戦いぶりだった。システマだったか?思ったよりすごかった】

【ああ、ありがとう】

 うわべだけの言葉だが、やはり自分の努力が認められるのはいい気分だ。

 自分は生まれからこの手の訓練を受けてきた。

 それを苦痛だと思わないが、やはりその努力に少なからず思い入れがあるようだ。

 皮肉なことに、その努力の成果はほかでもない自分の手でぶっ壊したが……

 今更考えても詮無いことだ。

【しかし、あれは確か、対人を想定した格闘技じゃなかったか?野生動物にでも使えるか?】

【使えなくはないが、やはり勝手が違う。人間相手なら言うまでもないが、クマとやりあうよりやりにくい】

 先の戦闘を思い返す。まだ出発した初日だが、運が悪かったか、夕方で野獣と遭遇した。

 それを野獣と呼ぶには少し違和感があるが……

【ヴェロキラプトルをクマと比較するとは、ユニークだな】

 ヴェロキラプトル?ああ、あの恐竜どもの学名か。

 なるほど、言われてみれば確かに特徴は合っているな。

 道理でリアル感があったわけだ。

 それが理由で、クマとあまり変わらないと思ったが……

【高速に出現するところは一緒だ】

【東欧でクマが本当に出てくるのか⁉︎】

 どうやらこの男はそう思っていないらしい。

【しょっちゅうというわけではないが、森に近いところなら出るぞ。さすがに先のように車から降りて退治するというわけにはいかないな。警察を呼ぶのは普通だ】

 とはいえ、俺の場合は車を運転していた父が自らクマを威嚇して森に帰らせたが……

【東欧恐れるべし……】

【そんなに驚くものなのか?どこに住んでいるのかは知らないが、犬猫が道に出るのはよくあることじゃないか?】

【クマを犬猫と同列に語らないでいただきたい……君のところはみんなそうなのか?素手でクマや恐竜と戦えるのが普通なのか?】

【恐竜と言っても、クマより小さい奴じゃないか。さすがにティラノサウルスあたりが出てきたら戦わずに逃げるぞ】

【君の思考回路がどうかしている……】

 結構自信のあるジョークだが、彼の反応が予想とちょっと違う。

 どうしたものか。

【冗談だ。ソビエト連邦なら誰も格闘技を習っているというわけではない。先も言ったじゃないか。普通なら警察を呼ぶと】

【冗談でもそういうことを言える君の胆力に脱帽するよ】

【褒めても何も出ないぞ】

【ははは……】

 うむ、この男の笑いのツボがちょっとおかしいな。

 真面目に言っているつもりだが……

【今回の冗談は面白かった……コホン、それで、ちょっと取り込み中だったから目を離したが、その後はどうなった?】

【ああ、あのニーサという女に絡まれたでな。最初からある程度予測できたが、あれはうっとうしいタイプだ。お前もそっちのお嬢さんとの会話がなかなか終わらなくて仕方なく付き合ってあげたのさ】

【……なんか申し訳ない】

【いや、別にいいんだ。彼女との遊びが予想外に面白かったのもまた事実だ】

【遊び?】

【ああ、ちょっと軽く殺し合いをしたでね。リアルで全く見たことのない身さばきをしているんだ、あの女は。新鮮感があった】

【……それ、遊びと呼べるのか?それとも私のロシア語が怪しいか?】

【いや、発音が少し訛っているが、言葉遣いは綺麗だぜ】

 自分の下手くそな英語を比ぶべくもないな。

【だといいんだが……】

【まぁ、少し変な事を聞くが、お前、あのメーティスという女に惚れたか?】

【は……?】

 もともと自分はこの手の話に人並み程度の関心しか持たないが、さすがあれを見せてくれると下世話な話の一つか二つをしたくなる。

 慌てて否定するようなうぶな反応をしてくれるか、開き直って野郎トークをおっぱじめとするかの二択だと思ったが、どうやら彼は本気にわけわからんとでも思っているようだ。

 予想と全く違うな。

【別にそう珍しい話でもないだろう?AIに惚れたというのは。ましてここのAIがなんか味が違うんだ、認めたくないほど恥ずかしがることではないと思うが】

【認めるかどうか以前に、まず君がなぜそういう認識をしているのかについて聴きたい】

【だって、お前……】

 いや待ってよ。

 最後あのシーンをよく思い出してみろ。

 あの何を考えているのかさっぱりわからん仏頂面の女がこっちにも分かるくらい照れて上気した顔をしたが、確かにこの男にそのそぶりはなかった。

 最後のあれしか見なかったから、勝手にそう思ったが、よく考えてみればあくまであの女がこの男に惚れたことで、逆がどうだかは確かに分からないんだ。

 どうやらこの男はそれらについて全く自覚がないようだ。

 なるほど、つまりこの男はその気が全くないのにそういう事をやった、

【……女たらしだな】

【は!?】

【そうカッカとするな。ただの冗談だ】

【君の冗談が難解すぎるよ……】

 うむ、野郎トークに結構経験があると自負していたが、どうやらこの男にいつものノリが通用しないようだ。

 これがカルチャーショックというやつか。

 カルチャーショックといえば……

【お前、どこの国だ?俺はロシア人だ。いや、外の人間に対してソ連人と言った方がいいな】

 内なら民族を先に言うが、やはり外なら国籍を言うべきか。

【ご丁寧にありがとう。私は日本人だ】

【ああ、あの経済特区の?行ったことはないが話をよく聞く】

 しかし、参ったな。日本について詳しくないというか全く知らないのだ。確か、日本の文化にハマっている人間も仲間の中にいたが、このウートゥルという男の雰囲気はその少し気色悪い人と全く別物だ。

【気遣いはありがたいが、自然体でいい。私もその方が楽だ】

【ああ、助かる】

 サークルの中なら西側の人間とうまくやれる自信はある。しかし、自分でいうのもなんだが、そのサークルの中にいる人間は脳筋が多く、そのような細かい事をあまり気にしないタチだ。

 サークル外の人間と接する経験も少ないから少し身構えしたが、どうやら余計な心配のようだ。

 その後も少し余談をしたところ、

【……物は相談だが、同じところからきたよしみで少し助けてくれないか。何、そう難しいことではない……】

 なるほど、外堀を埋めてこれでいよいよ本題ということか。

 廊下から物々しい足音が聞こえてくる。

 どうやらこの男は何か厄介なネタを抱えているようだ。

 リアルならあまり関わりたくない人種だが、ここならそう慎重にならずともいいだろう。

 自分がここにいるのも刺激をさがす為だ。それを断るのはもったいない。



 2

【……お前、何をやらかした】

【さて、何をやらかしただろうね】

 最後の襲撃者が光りとなり消え去る光景を見て、私は思考に耽った。

 襲われる原因について心当たりがありすぎて逆に不明だ。

 しかし、襲撃者の出所なら特定できる。

(セアルノ商会、いや、その背後にいる存在の目的は一体何だ?)

 CDSにせよ、金融経済にせよ、セアルノ商会が生み出した概念はセイカラ王国の原始的な市場形態と適合しているのかというとそうではない。

 それらの出現はまるで歩きも出来ない赤ん坊が突然喋り出したほど不可解だ。

 しかし、不可解だからといって不可能というわけではない。イレギュラーであるのは確かだが、私が陰謀論に囚われるほど理解しがたい現象ではない。

 この瞬間、その陰謀論とやらが現実である証左が出てきたが……

(やはり、このシステムは外来者により作られたものか)

 どうやら方針を修正する必要があるようだ。

【俺の見立ならこいつらは現役のGI(アメリカ陸軍)だぞ。自首した方が良くないか?】

【襲撃された地点はこちらである限りその必要はないと思うが】

【いや、確かにそうだが、あちらで襲撃されたら一巻の終わりだぞ!】

 しかし、米軍か。

 きな臭くなってきたぞ。

【どうして米軍だと言い切れるんだ?】

【アメリカ陸軍格闘術のクセは強いんだ。そう多くないがやり合った経験はある】

【では君もその筋の?】

【馬鹿言え。同じ軍隊なら一人で三人を完封できる道理はない】

【は……?】

 改めて言われ見れば確かに先の戦いは一方的だった。部屋が狭いため人数の優勢を生かせないのも一因だろうが、やはりウォッカの洗練された技術は相手のより格上であるところが大きい。

 だから同じ荒事のプロだと思ったが……

【軍の格闘術はあくまで武器を持たない時の護身術だ。飛び道具の性能がぶっ飛んでいる今ならその護身術を極める軍隊さんはどこの部署にもいないんだ】

 それについて承知しているつもりだが、だからといってそれ以上格闘術に優れた職種は……

 あったな。

【スポーツ選手か】

【ああ、キックボクシングをやっていた】

 なるほど、言われてみれば、確かに格闘術に関する訓練だけなら軍隊よりスポーツ選手の方が多く積み重ねてきたとも言える。

 ウォッカが生身で同じ素手の相手を圧倒したのも頷ける。

 しかし、その相手を躊躇いもせず絶命させる思い切りの良さはスポーツ選手にあってはならないものだと思うが……

(地雷だな)

 触らぬ神に祟りなしだ。

 彼の精神状態はお世辞でも穏やかと言えない。下手に質問したら自爆しかねない。

 色々な推測はできるが、今は気にしないでおこう。

【どうする?今回は威力偵察で、ただの序の口だと思うぞ】

【いや、これが威力偵察だからこそ、後続がある可能性は低いと思われる。君が彼らの所属に驚いたと同様に、彼らも東側の手先がここに出現することを予想できていないようだ】

【東側の手先って……】

【確かに君はただのスポーツ選手かもしれないが、彼らはそう思わないだろう】

【……なるほど、プライドだけ一人前だな、やつらは。破れられた以上、やつらは凄腕のエイジェントと遭遇したと報告するだろう】

 その筋なら、上が隠しカメラで記録したビデオを分析して相手を特定するのが普通だが、幸か不幸か、この世界にいる限り、他のアプリが並行して動作できない。相手を特定する根拠は強制ログアウトを食らったこの三人の報告書しかないだろう。

 外から内を覗く手段があれば話は変わるが、律儀に人を送ったところを見る限りその可能性は極めて低いはずだ。

【予想外の事態を前に慎重になるのが普通だ。下手に突いたら藪蛇になりかねない。今どころ、彼らは空気を相手に痛くないところかそもそも存在しない腹を探っているだろう】

【かもしれないが……随分と冷静だな。お前、一体何者だ?】

【さて、何者だろうな】

 こちらが知りたいくらいだ。

 ただの一般人でいるつもりだったが、どうしたものか。

「なになに?!どうしたの?」

 戦いの騒音を聞こえたか、隣の部屋で休んでいるはずのニーサが慌てて扉を蹴飛ばして入ってきた。

 扉を蹴飛ばす必要はあるのかね……

「なんでもない。ウォッカに彼の格闘術を披露してもらっただけだ。少し興味を覚えたでね」

 私ながら苦しい言い訳だが、この場にいる人間は三人しかないのだ。真実を打ち明けたところで信じてもらえまい。

「え?ちょっと、腕の関節が外れているじゃない!一体何があったの?!」

 ウォッカは完封と言ったから気づかなかったが、改めて見れば確かに彼の身にもいくつの傷が残っている。

 刃物の攻撃を全部避けたが、やはり無傷ではないようだ。

「…大丈夫…問題ない」

 本人が訥々とそう言いながら自分で外れた関節を戻したが、その痛々しい姿を見たニーサはもちろんその言葉に納得しない。

「ちょっと、何が……」

「ニーサ、おやめなさい」

 これは厄介な事態になりそうだとぼんやり考えていたが、どうやら事態が発展する前に飼い主が登場したようだ。

 実にありがたい。

「しかし……」

「手当は?」

「…不要だ」

「結構です。夜も深い。早めに休息することを推奨します。では、失礼いたします」

「ああ、騒がせて申し訳ない。良い夜を」

「ええ、おやすみなさい」

 食い下がるニーサを無視し、ついさっき部屋に入ったばかりのメーティスは一切詮索をせずに事態を収束させた。

 その慮りが身にしみる。

 何をどうやって察したのかは不明だが、私はそれを解明したいと思うほど無粋な人間になるつもりはない。

 ニーサはまだ納得していないようだが、彼女の手綱を握っている思われるメーティスがそう言った以上、彼女に渋々ながら引き下がるという選択肢しか残っていない。

「さて、これからの計画を練るとしよう」

 改めて見直すべきところは多い。

 邪魔もなくなったのだ、そろそろ……

「お客さんの休みを邪魔してすまない。先ほど大きな物音を聞こえたが…あああ!」

 ぶっ飛んだ扉を見て、サービスエリアのスタッフが頭を抱えた。

【あのクソあま、とんでもない置き土産を残しやがって】

 粗野なつぶやきだが、ウォッカの言葉は今私の心情を代弁してくれた。

 残念ながら、今夜は違う意味で眠れない夜になりそうだ。



 3

「……現在、カンナビス販売と関わるあらゆる商業団体と至急交渉中です。しかし、芳しい成果は見込めないかと。セニスの事故が及ぼした影響は予想以上に深刻です。今年のカンナビスの値段は現時点でも1キロ300カンニまで高騰しました」

「問題は値段ではなく、量です。今確保できたのは?」

「12トン400キロしか……約5億カンニ分です」

「……最善を」

「かしこまりました。事故の原因に関する調査はどうなさるんでしょう?」

「一旦、優先順位を下げます。まずはカンナビスの買収を」

「は、仰せのままに」

(間に合わなかった……そして間に合わない…!)

「スラック司祭、計算結果の見直しは?」

「は、この10日で個人再生と自己破産を申し込んだ個人の数から推測すると、今月で行われる最初のセアルノ商会が持つ債権の決算により発生する保険賠償金の推定額は7億カンニを上回り、年末になると35億カンニに達すると思われます。現在教会が保有している財産は原材料も含め約13億カン二で、買取による出費も含め、最低でもまだ60トンのカンナビスが必要とされると予測できます。セニスのカンナビスの収穫量は80トン強で、全国の半分以上を占めるため……」

「単刀直入に聞きます、足りますか?」

「……厳しいかと」

「結構です、下がっても良い」

「は……猊下、一体どうすれば…」

「検討中です。…希望だけは失ってなりません」

「…は!」

(とうとう牙を剥いたのね)

 二週前、アバルスに着き、ウートゥルとウォッカの二人と別れた後、凶報がもたらされた。

 セニスのことではない。

 その事故なら、アバルスに赴く途中で伝令により知らせられた。

 この件について間に合わない可能性があると十分に心の準備はできていたから驚きはあまりなかった。

 今の体制は少なくともまだ1年ほど持つ。その時まで万全の準備を整えばそれでよし。

 It is never too late to mend.

 過ちては改むるに憚ること勿れ。

 今回の失敗から学び、次回に生かせればよい。事態が収束した後、新たな神の掟を生み出すことに取り込もう、とわたしは現実から目を背けた。

(やはりこれは全部ハイリザードの企てだった!)

『猊下、セアルノ商業連合から動きがありました。傘下の質屋に貴金属の買取価格を8パーセント降下させる通達が午前で発された模様。それが実施されるのは遅くも来週になります。また、今日にて手続きを済ませた未入国の貴金属の申告販売価格も通常価格より一割ほど値下げました』

 独占と寡占を防ぐため古くから伝わられた神の掟その第18条24項、規制に該当する種類の商品を販売する場合、その値段を理由なく10%以上下げることを不当廉売と見なし、教会による調査を受ける義務が生じる。

 セアルノ商業連合は神の怒りに触れないギリギリの範囲で敵意を見せたのだ。

 大急ぎで自分を追いついた伝令の報告を聞き、わたしは無様にその場で昏倒した。

 貴金属の相場が下がる場合、一体何が発生するだろうか。

 アバルス行きの馬車の中で、ウートゥルさんと一緒に三日を掛けて計算した。

 そのおかげで、将来への見通しが明晰になった。

 そう思っていた。

(無様……!)

 その思い込みはいかほど甘いものだったのかを思い知った。

 セニスの事故を知る時揺らぎもしなかった心がきっぱりと折れた。

『メーティス、セイカラ王国を守れ』

『君なら大丈夫だ。信じている』

(……!)

 幼い頃のわたしを今まで支えてきた叱咤激励が、不安になったわたしに改めて力を与えてくれた信頼が、今になって途轍もない重圧だと感じる。

「…猊下……猊下…」

「五月蝿い!」

「…!ごめん!」

(……ニーサに八つ当たりしてもどうにもならない)

 明らかに無意義な行動だ。労力の浪費のほかならない。

 自分は、それを無自覚的にやるほど追いつめられているというのか……

「こちらこそ……少し待ってくれませまんか?」

「うん、いいよ!」

 これからが土壇場だというのに。

 気をしっかり持たないと。

 まずは状況の整理だ。

 事態が悪化をたどる一方の今では、最悪の状況を想定しなければならない。

 教会がその保険賠償金を肩代わりできない場合、どうなるだろうか。

 まず、アダラエス商会から保険契約を購入した国内全体の4割を占める商業団体はほぼ全滅することになる。

 このままだと、半年後、彼らが抱えている契約の中、履行不能となる債権の数は半数を超えると予測できる。

 アダラエス商会は債務不履行になる可能性の高い契約を優先的に手を放したからだ。

 自己破産まで追い込まれる個人は債務者全体の2割しかないと教会が推算したが、それでも彼らが予期していた7%という上限を大幅に超えた。

 たとえ生き残れる団体があるとしても、虫の息の状態で再起を図れるものは存在しないだろう。

 次に不渡りになるのはセアルノ商会だ。

 3割以上の債権の回収が見込めず、アダラエス商会からしか保険賠償金を貰えない状態で自分が負っている債務を全部履行できるはずがない。

 その状況が続ければ、確実に倒産することになる。

 最後ダメージを被ることになるのはセアルノ商会に融資した商業団体だ。

 貸した金が戻れない以上、来年の経営が厳しくなるのは簡単に予想できる。

 その中の2割くらいは破産してもおかしくない。

 総じて、アダラエス商会を除く国内ほぼ全ての商業団体が多かれ少なかれ影響を受け、中の半数以上は消滅することになる。

 それを防ぐため、わたしの方針を受け入れ、教会はその保険契約を買った4割の商業団体を国有化しその保険賠償金を肩代わりしようとした。

 もしそれが成功したら、その保険賠償金を貰ったセアルノ商会も自身の債務を清算できるだろう。

 破産する個人については仕方ないが、それ以外の悪影響はほとんど相殺できるはずだ。

 しかし、その荒技の反動もまた大きい。

 今、市場に存在するカンニの総額は約200億で、保険賠償金を肩代わりするため約35億カンニをさら市場に投入しなければならない。

 わたしは最初、その影響を重く捉えていたが、ウートゥルさんによればその影響はそれほど厳重なものでもないという。

 セアルノ商会が作り出したこのサークルにより、経済主体が保有する通貨のほとんどは債権という形式になっている。その量は元々実体のある貨幣とマッチしていないと彼が指摘した。

 そのため、カンニを大量に発行しても、市場に再起不能になるほどのダメージを与えることはないらしい。

 しかし、我が国と様々な貿易を行ってきてカンニを少なからず保有しているセサスシ帝国側にとって、その貨幣の切り下げは受け入れがたいものであるところに変わりはない。

 損害はそう大きくはないが、不信行為を行った前例があれば、2回目も自ずとあるだろうと彼らが考えるはずだ。

 その決裂は避けられないし、これがハイリザードの陰謀なら尚更この偽りの平和を維持するというわけにはいかない。

 ここまでは予定調和だった。

 しかし、悲しいかな、今回は相手の方が一枚上手であるようだ。

 カンニの原材料はカンナビスであるという機密情報を盗み取り、セニスの襲撃を敢行そして成功した。

 それだけならこちらにもまだ対応する方法が残っているが、セサスシ帝国側はこちらに息を整える機会を与えてくれなかった。

 今のわたし達教会にできることは、全力を尽くしてカンナビスを調達し、保険契約を購入した商業団体を一つでも多く救済することだ。

しかし、残念ながら、その数は保険契約を抱えている商業団体の半分にも届かないだろう。

カンナビスを一瞬でタネから枝変わりまで成長させる魔法が存在しない限りは。

 もし、セアルノ商会が保険賠償金を貰っても債務を完済しないなら話は簡単だ。

 神の掟を破ったという口実さえあれば、セアルノ商会に残り債権を放棄させるやりようはいくらでもある。その上でセアルノ商会の財産を徴収することも可能となる。

 しかし、相手はそんな凡ミスはしないだろう。

 流れはそう大きく変わらないが、一つ致命的な問題が生じる。

 教会が理由もなく救済する民衆を選別する前例を作ってしまう。

 その事は国民の不信感に繋がりかねない。

神の掟を守ってさえいれば神の前で全員は平等である。それがセイカラ王国の礎石たるものだ。

一気に国内全体の2割の商業団体を教会の選択によって切り捨てられてしまえばその反動は計り知れない。

 ただでさえセサスシ帝国と決裂する可能性が高いのだ、もし内憂まで抱え込んだら今後の局面はより一層厳しくなるだろう。

(できればより賢い選択をしたいものですね)

 今はこれ以上考えても詮無い。まずはニーサの話を聞いてやろう。

「もう大丈夫です。何か話が?」

「えっと、あたし、難しいことよくわかんないけど、今結構ピンチ?って感じになっているのはなんとなくわかるよ。猊下が、その、」

「はっきり言っても構いません」

「猊下は、深く考えすぎたじゃない?セアルノのやつらが悪い事を企んでいるなら、やつらを逮捕すればよくない?そのためにあたしたちがいるよ」

「…武力行使」

 彼女が一生懸命に考えて出した結論だろう。

 最後そして最悪のジョーカー。あらゆる状況においても次善の策になりえる万能の打開策。しかし、その反動もまた計り知れない。

 そのもっとも切りたくないカードが、今は皮肉なことに最善になりつつある。

「彼らが神の怒りに触れない限り、それを行ってはなりません」

「神の掟……」

 大仰な呼び名だが、その概念によりふさわしい名をわたしは知っている。

 Law。

 神の恩恵の中で最重要に分類された国の礎となる必要不可欠なもの。

 教会側がそれを破ったら国そのものが崩壊しかねない。

「如何なる存在でも国民のあらゆる基本的な人権を制限してはならない。国民の人権は神に保証されている。神の掟その第2条11項です。拘束は人権を制限する最たるものです」

「けど、あたしたちは背信者どもを毎年逮捕しているじゃん」

「……ニーサ、入隊試験に受かったとしても復習を疎かにしてはいけません」

「え?どういうこと?」

「神の怒りに触れたと認定される時、その人の人権は一部または全部消滅します。消滅する部分は破った神の掟の条項により異なります。基礎中の基礎だと思いますけれど……予備軍の教育を見直す必要があるようですね」

「面目ない……」

 このいつも通りのやりとりで、自分はようやく少しだけ心のゆとりを取り戻した。

 彼女の自然体に見える態度も空元気にすぎないことはその目の下にできた深い隈を見ればわかる。

 彼女は自分に元気を付けるためいつも通りの態度を演じてくれたのだ

 ニーサに感謝しなければ……

「けどね、今回はやってもいいと思うよ。やったらやばそうのはわかっているけどさ、やらないともっとヤバいことになるじゃん?」

 拙い言い方だが、意外とその言葉が正鵠を射っている。

 マイナスしかならない状況の中で、よりマイナスが少ない方を選ぶ。

 簡単に聞こえるが、選択を臨む時躊躇うのもまた人間の業だ。

「もし、セアルノ商会に債権を放棄させ、簡単に言えば逮捕したら、どうなると思いますか?」

「どうって、一件落着?」

 そうであればどれほどいいのか……

「そういきません。結果を簡単に言うと、国民が教会に寄せた信頼を損なうことになります。今までの教会は、神の教えを基づき、教えに背くものに罰を、従うものに保護を与えてきました。それを一回でも破れば、神の存在そのものが形骸化しかねません」

「一回だけで?」

「ええ、一回だけで」

 教会は神という存在を利用して、強靭な秩序を築いた。しかし、その本質は国民の信頼をoverdrafts(当座貸越)しているだけだ。

 何を隠そう、教会もまたセアルノ商会と同じ穴の貉にすぎない。

 微かな罅も破滅の前触れになりかねない。

 そのことをわたしを含め教会の意思決定層全体がよく理解している。

 だから迷う。

 座して死を待つか、それとも自ら死に赴くかを。

(……!弱気になっても事態は好転しない!)

 考えなさい、まだ活路があるはず!

「えっと、だったら、そのウートゥルという男に相談してみたらどう?結構有能そうだし、やっていたことについても猊下が納得したじゃない」

 その提案に、わたしは直ぐに返事できなかった。

 彼ならなんとかしてくださるなのでは?

 この甘美な思考に囚われたのは一回や二回ではない。

 出身に不明瞭なところがまだ残っているが、彼の人格は信頼に値するものだと思っている。

 今回の事態に関しても彼は専門家らしく、それを対処するに当たって能力面に不安が残っているというわけでない。

 しかし、事態が悪化をたどる一方の今でもわたしは彼に協力を求めることを躊躇っている。

「せめて猊下の立場を打ち明けた方がいいよ。そうしたら彼の態度も変わると思う」

「……その因果関係が全く見えませんが。それと今のわたしはあくまで司教の一人に過ぎません。枢機卿に就くのは襲名の儀式を行った後です」

「堅いことはいいとして、なぜそこまで嫌がるの?その人が怪しいから?」

「そういうわけでは……」

「じゃどうして?」

 なぜでしょう、わたし自身でも、はっきり言えない。

「……怖いんです。責任を彼に負わせることが。今回の事態を収束させるには、犠牲が必ず付き纏う。払った犠牲の責任を取る人間もまた必要です。任期最短の枢機卿になるだろうけれど……」

「待って!任期最短って、メイちゃん、死ぬ気なの?!」

「……神のもとに送還されるだけです」

「そんな言い回しはどうでもいいよ!現任枢機卿は……」

「これ以上はやめなさい。今の父上にそれを取る能力はないし、そのつもりもあるません。だからですか……この意思決定だけは、他人に介入されてはなりません。わたしはそんな潔くありませんからね。その日が来る時、あの人のせいよと泣き叫ぶような醜態を晒したくないし、その時が来る前に責任の転嫁に勤しむような卑怯な人間になりたくもありません」

「そんな軽く言わないで!だって、メイちゃんこんなに頑張っているのに…だって!」

「泣かないで。この掟があってこそ教会が、セイカラ王国が回しているのです。わたしはそれを重々承知しています」

「しかし……!」

 今にでも泣き出そうなニーサを見て、とうにくだした決意が微かに揺らいだ。

『ご自愛をなさっていただきたい』

 自分の命は自分だけのものではない。

 彼に指摘されたまで、わたしはそんな当たり前のことさえ失念していた。

 そのこと気付かずにこの世から離れたら、こうも悩ませずとも済むだろう。

 自分が最低な人間に成り下がることを対価にして。

「ニーサ、今までありがとうございました」

 これはあくまでわたしのエゴ。彼女を傷付けた咎はこの身で甘んじて受けましょう。

「猊下、セアルノ商会会長アルファ様が面会を求めているとのことです」

「…ご苦労様です」

 メッセンジャーからの伝言を聞き、気を持て直す。

(父上、ご安心ください。このわたしが必ずや父上が愛しているこの国を護ってご覧入れましょう)

 遠くラティスの地で闘病中の父上に誓いを入れ、自分の身だしなみを整える。

 これからが正念場だ。この会談の結果にセイカラ王国の運命がかかっていると言っても過言ではない。

 最後まで、力を絞って最善を尽くしましょう。



 4

「兄貴、そろそろ紹介してくれよ、そっちの人達は?」

『実験動物』『されたいのか?』

「うげ、そっち系かよ」

 兄貴が不機嫌なのはいつものことだが、今日は特にイライラしているようだ。

 馬車の反対側に載っているハイリザードの女性(?)が原因であるのは明らかだが、そっちの方は初対面のため、二人がどういう関係でどうしてこうなってしまったのかについては全くわからない。

『失礼ね。わたしはあの研究者どもと違うわ』『はじめましてかしら、アルファさん』『アンナ・ブリックスよ』『あなたの兄のハンドラーをやっているよ、よろしく』

「あ!お前がその噂のブリックスさんか」

 なるほど、この女がいわゆる上の人とやらか。兄貴の愚痴で登場率ダントツ一位の破天荒なアメリカン工作員。部署は言わぬが花って誤魔化されたが、どの辺りか大体予想はつく。

『弟じゃねぇ』『ハンドラー言うな』『誰が犬だ』

「兄貴、そんな悲しいこと言わんでくれよ。マジで泣くぞ」

『ふふ、自覚あるらしいよ』『面白いわね』

「ーーシャースシャーー!」

『笑うなら自分の口で笑うだって』『言いたいことがあれば書いて頂戴、アルファさんが可哀想よ』『あ!それとも本名呼んだ方がいい?』

『ふざけんな』『ブッ殺すぞ』『クソアマ』

『監視が無くなった途端に暴言を吐くようになるわね』『そう言うところも可愛いよ』『オッサンになっても心はまだ悪ガキわね、あなた』

「一応私もいますが……ブリックス女史、あまり彼を挑発しないでいただきたい」

『美女のわたしよりあのオッサンの肩を持つんだ、兵隊さん』『それでも男?』

「美女って、そのなりで……」「ーシャー」「ヘィィ!なんでもありませんでした!引き続き任務に当たります!」

 うわぁ、怖っ!

 直接その威嚇に当たったら小便を漏らす自信あるわ……

 ザ・捕食者って言った感じだわ。

『よろしい、まぁふざけるのもこのあたりにして、ちょっといいわ。任務を復唱しなさい、兵隊さん』

「は!周囲の警戒を行うこと。必要がある場合通訳を務めること。敵対勢力の特定し、牽制すること。以上であります!」

『それと余計な事に口を出さないように』

「イエス、マム!」

『結構よ』

「えっと、んじゃ俺は?」

『置物』『黙れ』

 今日の兄貴も相変わらずクールだぜ。



【それで、状況を説明してもらえないかしら】

 気が済んだか、ブリックスがスポンジを介さず直接に話をかけてきた。

 ようやく本題のお出ましかと身構えたが、最初に出た質問が何の生産性もないものだった。

 まだふざけたりないのか、このアマ?

【報告書なら読んだだろうが】

 相変わらずこの音に慣れそうにない。もう8年近くここに浸っているんだが、この体も、この喉も未だに忌々しく思っている。

 さもありなん、ある日突然人間をやめて来いと言われるようなものだ。むしろ喜んでそれを受け入れる人間の面を見てみたいぜ。

 最近になってようやく外に出られるようになったが、それはそれで体の違和感に苦しまれる日々が待っていた。

 その契約にサインした自分をマジで殺したい。

【つれない人。不思議と思わない?わたしが直接にここにきたことが】

【思わんしどうでもいい。俺はただの派遣社員だ。お前らが何かやばい事を企んでいるとしてもこっちと全く関係ねぇ。契約分はしっかり働くがそれ以上は期待すんな】

【はいはい、それなら契約分働かせてもらうわ。どう、あれの状態、前回の報告からなんか変化ある?】

 ついさっきまで言葉を交わしたのに、あれと呼びやがったなこのアマ。

 ……とはいえ、俺もこの個体を何と呼ぶかを決めかねている。

 自分が提出した概念とはいえ、イレギュラーすぎるんだぜこいつは。

【ないな。相変わらずアホがアホをやらかしているって感じだ】

【リンクは?】

【していない。お前らの指示でな】

【確かにそうだけど、まぁいいわ。何か変化あればこまめに報告を提出して頂戴。とはいえ、上は最近、方針変えたらしいよ。おめでとう、まだここに離れないけど、弟くんとおさらばできそうよ】

【……そうかよ】

【あら、あまり嬉しくないようだね】

 知っていてわざと聞きやがったなこの女狐め。

【いや、そんなことはないぜ。ようやく亡霊から解放されたんだ。嬉しくないはずがねぇ。それで、その方針とやらは?】

【それが君にとって重要かしら】

【違いねぇ】

 クソ、気持ちの整理はできそうにないな。

 だからイレギュラーすぎんだよこいつは。一緒でも離れても煩わしいこの上ない。

 なんで自分がこんなくだらないことについて研究したんだ?

 なんで研究をまるごとにコイツらに売れたんだ?

 あの時の自分の愚行を思い出すだけで気が滅入るぜ。

【それはともかくとして、その『ザ・ワールド・オブ・ヴァーチャル』とやらを感知した時の上層部の様子を当ててご覧、どうなっていると思う?】

【知らんな、そんなこと。パニックでもなっているじゃねぇ?】

【狂喜の大パニックよ。そうね、例えるなら、10年前実家に帰った妻がある日突然舞い戻った時の冷遇されてきた男の反応みたいな感じよ】

【才能がないなら比喩なんてすんな。地味にキモい】

【それくらい嬉しいのよ、我が愛しいライバルがようやく同じ土俵に立ってくれたことが。60年以上資金を注いで一人相撲をやっていたもの、俄然に気合が入ったのもわからなくもないわ。けど、わたしの見立てだとそれはあくまで妻に似ている別人だと思うわ】

【へー、それがまたどうして?アプリの出所はもう特定できただろう?そっちは全く隠す気がないぜ】

【勘よ】

【勘って、お前】

【女の方じゃなくて仕事の方よ。伊達で16年やっていると言うわけではないわ】

【16年ってお前一体いくつだ?】

【あら、自殺願望者ね。勇ましいこと】

 やばい!

 この女、その体でログインするのは初めてじゃなかったのか?!

 その原住民より凄まじい威圧感はなんだ!

 前世は肉食爬虫類かこのアマ!

【冗談はさておき、もう知ったと思うけど、上がようやく今まであれの動作実験と並行して行ってきた例のプロジェクトに本腰を入れたのよ。その辺を疎かにした財務省長官が前週報告書を読む時の表情は噴飯ものだったわ】

【同情するぜ。誰も想像でないだろうよ。CDSとバブル経済がこういう形で成功するなんて】

【あなたはこれを成功と呼ぶね】

【呼ぶさ。見ろこの国。お前も7年前で一度来たことあるだろう】

【確かに、ね。危うく見間違ったところだったわ。これほどの成長を遂げたなんて。しかし、セアルノ商会の利得の方はどうかしら?】

【知っているだろう?まるっきり赤字だぜ。経営を全部あいつに丸投げしたんだ。こうなるのは当然だな】

【どういう意味かしら】

 あいつはただのAIだと思うか、AIにとっての最善はこれか。

 聞きたいのはその辺りか、くだらん。

 思わんしAIにとっての最善もこれじゃないと思う。

 ただ、あいつはそういう人だ。

 他のやつらが笑っていないと気が済まない損ばかりをするアホだ。

 俺には、わかるんだ。

【ご想像にお任せってやつだ】

【ふん、まぁいいわ。君がどう考えているのかに関係なく、ウォール街にとってこれ以上の屈辱はないわ。セアルノ商会の方針も、教会とやらの対応も、セイカラ王国とやらの成長も全部気に入らないらしいわよ】

【だからぶっ壊すか。自分が下した命令なのに?子供の癇癪かよ】

【言いえて妙ね。本質はともかく、一応理由を繕いたわよ。特異個体を確保しろってね。まあ、わたしとしてはあの虫の息のオッサンで納得してもらえばそれでいいけど、やはり無理だそうよ。それでどんな手段を使ってもいいからその可愛いらしいお嬢ちゃんを捕らえろってね。悪役のセリフにしか聞こえないわ。それでわたしが出張してきたというわけ】

【お前が勝手に脚色するからそうなっただろうが。監視の目がないだから言い放題かよ】

【珍しくそっちの肩を持つんだ、びっくりするわ】

 わかっている上でこういう演技臭いことをやるのはこの女の悪癖だ。白々しいこの上ない。

【そういう話じゃねぇ。もし本当にそれを解明できたら人類全体をVR世界に移すのも夢物語でなくなるぞ】

【解明できたら、ね。異星人の身に起こった事象を人類の体で再現できると思う?】

【できるのもなにも。可能性がゼロではない限りやらないとどうする?】

【これだから研究者は嫌だわ】

【好きにさせた覚えもないぜ】

【まぁ、あなたがどう考えているのかはさておき、上はそこまでに重視していないわ。知っている通り最初は事の全部を素人のあなたたちに任せるつもりだったわよ】

【はぁ?じゃあなぜ実験を止めるまでやるんだ?】

【そんなの決まっているじゃない。愛しい恋人を釣るためよ。恋人との熱い付き合いで少しだけ上をとれば素晴らしいご褒美が貰えるのよ】

【票と席か、胸糞悪い話だぜ】

【これがザ・民主主義!パチパチ】

 もちろんこれはただの諧謔だとわかっているが、この女の根性も大概曲がっているな。

 疎く思っているならこんな仕事をやめればいいのに。

 マゾか、この女は。

【それで、天下の捜査員様に聞くが、勝算は?】

【場を整ってくれたおかげで、悪くないわ。けど、それも相手の出方次第よ。今回わたしが来たのはあくまで信憑性のある報告書を作るためよ。本当に交渉でなんとかしたいならわたしじゃなく外務省あたりの方が適任よ】

【ここの原住民相手に外務省が来るはずないだろうが。主権ところか、人権さえ認めていないだろう?】

【ホモ・サピエンスさえ認定されていないよ】

【サル扱いかよ】

 ひどい話だ。勝手に撒いたタネが子供になっても認知しないクソ野郎の方がマシに見える。

【外務省云々はともかく、主要目標を達成するだけならわたしより適任な人は山ほどいるわ。今回の目的はあくまで相手の牽制と状況の把握よ】

「マダム、そろそろかと」

 そろそろ話をまとめるタイミングで、馬車のスピードが段々と落ちた。すっかり調教された陸兵が恭しく話をかけてきた。

 この意地なしめ。

『あら、もうこんな時間?着くのが早いね』『ストッカーってやつ?面白いわね』

 相変わらずだが、この女は文を書く時も無駄の一言が多い。書くのは喋るより思考時間が長いため、余計な情報は基本的に濾過されているが、この女はそれらを敢えて書いているようだ。

 気色悪いとしか言いようがない。

『後は任せた』『しっかり働けよ』

 とはいえ、今回に限ってこの女に感謝しなければならない。

 今回について、俺には顔を出す必要こそあるが、それ以上は何もしなくてもいい。

 この女が仕事を代行してくれたんだ、ありがたく思おう。

【そうそう、一つだけ聞き忘れたわ。無頓着なあなたにしても今回はさすがに無反応すぎるじゃない?西と東の久しぶりの大衝突かもしれないのよ、普通ならもっとワクワクするでしょう?】

 誰もワクワクしねぇよ、そんなことが起きても。

 まぁ、この女が言いたい事はわかる。

 まるで相手の正体を知っているようだなと暗に言っているだろう。

 なんだ、そんなことか。

【癪だが、俺もお前と同意見だぜ。今回はただの人違いでな】

【あら、どうして?】

 そう言えば、聞かれなかったから報告しなかったが、それをわざわざ隠す気もない。

 どうせこのストーカーどもは身辺調査をしっかりやっているだろう。隠しても直ぐにバレるに違いない。

【お前らが馬鹿のように警戒している人物はただの一般人のガキで、俺の教え子かもしれないぜ】

 期待しているぜ、有澤。このクソアマに一泡吹かせてやれ!





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