質疑応答
1
「話は聞いたが、これは、凄まじいな」
何かわからないことがあればまずは教会の人間に聞いてみれば?
この二日間、聞き込みによる情報収集を図る時、最初に返される言葉はいつもこれだ。
信心深い国民性だからか、センスのない冗談か、それともただ言い逃れるための方便か。
考えられる可能性はいくつあったが、それが実用的なアドバイスであるとまで考えが及ばなかった。
セイカラ王国の国教であるセイカラ教の教義を少し理解し、信仰している唯一神は全知全能の神であることを知った時、ようやくその言葉に真実味が帯びてきた。
無知と無力を懺悔せよ、さすれば神から恩恵が授かれることになるだろう。
それがセイカラ教における告解のやり方という。
諮詢と嘆願のそのままだ。
ちなみに、〇〇管理局も私がついた仮の訳名で、本来の名称は全部見たこともないアルファベットの羅列だ。
それがそれぞれの分野を司る神の分身の呼び方であるという。
手続きの正式な名称もゆるしの秘跡と言われる。鉄製のシンボルは神が赦した象徴、明細書や控えは神が赦しになった内容といったところか。
大仰な呼び名だが、やっている仕事の内容は市民課や税務課などの役所仕事とあまり変わらない。
手続きの過程も、口上が長いのを除けばとくに文句があるところはない。
とはいえ、精神衛生のために、脳内でこれらのいかにも抹香臭い単語を一旦、馴染みのある概念に置き換えた方がいいだろう。
セイカラ教徒になるつもりは毛頭ない。需要に応じてだけならまだしも、雰囲気に毒されて無宗教の自分の口から無自覚的にそのような言葉を口出す瞬間を想像するだけで反吐がでる。
教会の構内に並んでいる2桁にも届く告解室を眺めながら、ぼんやりそんなことを考えていた時、
「救いを求める47人目の凡人よ、第三告解室にて自分の罪を告白せよ」
47の番号をお持ちの方、3号窓口までお越しください。
……どうやら自分の番が回ってきたようだ。
幸い、この世界で使われた言語は英語だ。今まで私は文の意味を左右するキーワードを聞き取り、残りは自分で文脈を参照して補完するというやり方で脳内で翻訳している。そのため、宗教用語を置き換える作業はそう難しくない。
日本語のままなら、今の私は頭を抱えて発狂しているに違いあるまい。
それでも、これからの聖職者とのやり取りによって生じるストレスは凄まじいものだろうと覚悟し、私は指定された部屋に入った。
「こんにちは」
部屋の中で私を迎えたのいかにも聖職者らしい清楚な女性だ。常に姉の完璧な姿を見ている私でも、不覚ながら一瞬見惚れてしまうほどの凛とした佇まいで、彼女は告解室の奥に設置してある神壇の前で自分を待ち構えている。
姿勢もさることながら、その顔に浮かんでいるいかなる警戒心をいとも簡単にほぐせる包容力のある笑顔はまさに理想的な聖職者のそれ。
職務内容は世俗まみれなものだから失念したが、ここは行政機関である前に、宗教機関でもある。
交通管理局で手続きをするとき、堅苦しい口上を早口で述べながら手元でテキパキ書類を整えた受付みたいな事務スタイルを予想したが、目の前にいるのはそれと全く対極な姿だ。
教会特有のステンドグラスから透けてきた日光に当たって煌めく銀髪と禁欲的な藍色の僧衣により彼女の漂う神聖性を一層際立たせる。
「どうかなされましたか」
……陳腐な言葉を用いてその容姿を褒め立てても詮無い。
見た目が自分より年下の女性とはいえ、彼女は訓練を受けてきたプロだ。素人に感心させるくらいの芸当はお手の物だろう。
窓口仕事を従事している愛想笑いもぎこちない大学の先輩と別世界の住人だ。
……それはともかくとして。
今になって私はようやく自分が失念したことを気づいて、直ぐにその場で跪き、首をかすかに垂れる。
事前に知らせてくれた告解の作法だ。
建前上、これはあくまで宗教的な活動で、その体裁を繕う必要がある。
「知を授けてもらいたい」
「理由を述べなさい」
「神の怒りに触れないためと神の恩恵を永く受け続けるため」
「よろしい、内容を述べるのを許可します」
「ありがたき幸せ」
法律関連と自然・社会科学関連の質問をするときの定式化されているセリフだ。
マニュアルに書いてあるところはまたご愛嬌。
外堀を埋めてから質問してもいいが、時間を浪費したくないので、最初からド直球で行くとしよう。
「合意の上で他人から財産を受納する際、その一部を神に貢ぐ必要があるのか」
流石にあるかどうかもわからない段階で所得税あたりはどうなっています?みたいなことを直接に聞けない。
適当に少しアレンジしたが、通じるかどうかは少し怪しい。
「個人の努力を対価にし獲得した全てのものの所有権は全部その人に帰属します。神はそれを保証しています」
通じたようだ。
彼女が超人的な理解力を持っていることを幸運だと思おう。
……しかし、所得税も取らないか。
文脈を読めば、消費税も存在しないようだ。
国内関税も存在しないと確認済み。
この国は奢侈税と国債で回しているのか?
それこそありえない、が。
……実は神が実在すると言わないよな。
何だか聞くのが怖くなってきた。
「……教会は、どうやって神の威光を我々に届かせたのだ?」
これは酷い。
自分が投げた質問だが、自分でもその意味を正しく理解する自信はない。
教会の予算の内訳を知りたいが、適当な表現が思い浮かばない。沈黙に耐えられず咄嗟にそれを言ってしまった。
しかし、自棄になったとはいえ、このような意味不明な表現を使って相手を困らせるのは恥じるべきであることに変わりはない。
見ろ、あの戸惑っているキョトンしている顔を。
罪悪感が湧いてくる。
説明を加えたいが、しかし、どうやって?
「神が教会を直接に運営しているというわけではあるまいな」と皮肉げに聞けとでもいうのかね。
「……教会の財政について聴きたいのですか?」
通じた!通じてしまった!
それところか、教会の財政を堂々と言ってしまった、この人は!
この神聖の権化みたいな存在がそれを……?
(誰だ?)
もちろん、目の前にいる彼女の姿に変わりはない。2分前で見たばかりの人間の顔を忘れるほど私の記憶力が悪くない。
しかし、顔が同じでも、人格が変わったのではないかと思わせるほど、今と先の彼女の表情の温度差が激しい。
不敬に当たる私の言動に激怒しているならまだ分かる。甚だ不本意だが、その怒りを甘んじて受けるのもやぶさかではない。
しかし、怒気ところか、彼女の顔に機嫌を害した様子は全くない。
もちろん、入室した時披露してくれたあの聖母のような笑顔もない。
(例えるとすれば)
古いSF映画に登場する、まだ起動していないアンドロイドの顔と瓜二つだ。
一切の感情がうかがえない空洞のような顔がそこにいる。
(彼女に飲まれたな)
入室した時の彼女の雰囲気に。
思い返してみれば、あの姿を見た時から、自分が挙動不審になった。
雰囲気に飲まれてたまるかと固く決心したにもかかわらず、私は彼女の前に、何も考えずに宗教的な表現を積極的に使い、教会のルールに合わそうとした。
より賢いやり方はいくらでもあったのだというのに。
それらを思い付こうとさえしなかった
その奸智を弄するのは恐れ多くもとても許される行為ではないと思った。
誰に?この聖職者に?
否。
存在するはずもない仮想な神に、だ。
彼女にそれほど私を狂わせるの魔力が秘めている。
それもただのペルソナの一つに過ぎない。
その事実に、私は畏怖を抱かずにいられない。
「ああ」
しかし、心の動きと反し、緊張してきた面部の筋肉が弛緩する。
意図的にやったというわけではないかもしれないが、彼女が自分を見逃してくれたことで私がようやく冷静さを取り戻した。
姉で充分に実感したが、やはり女は天敵のような生き物だと改めて思った。
「もちろん、財政に関する情報は全ての国民に開示しています。歳入と歳出のどちらの方?」
「歳入で」
「寄付金と税金です。内訳は?」
「頼む」
「8割と2割です」
「寄付金というのは?」
「皆さまの善意により贈っていただいた財産のことです。自主寄付金と推奨寄付金の二種類に分けられます。推奨寄付金とは、商業団体を対象に、寄付を強く推奨された寄付金のことです。寄付金の推奨額は年間商業利得の量により変動します。寄付金を寄付していただければ、神からご加護が授かり、事業の拡大が見込まれます。そのアカシとして、教会から公式的な賞状と神壇が贈られます。それらを媒介として使い、神はその団体に恩恵をもたらすことになるでしょう」
「寄付しなければ?」
「もちろん、寄付金の寄付は強制されていません。所得の利権は神によって保護されていますから。しかし、残念ながら、寄付しないないし寄付した金額が推奨寄付額に届かない場合、神からの加護を受けられず、該当する団体はなんらかの不利益を被る可能性が生じることになるでしょう」
(その不利益に教会が関与しているなのでは?と聞くまでもないな)
なるほど、法人税は取っているのか。
税金の種類は直接税と間接税の二種類に分かれている。
直接税と間接税の区別だが、教科書通りに言えば、納税義務者と担税者が異なるかどうかにある。
前者は納税義務者と担税者が同一人物で、後者はその逆である。
しかし、誤解を憚らずに言えば、間接税において、納税により不利益を被ったという意味での担税者は税金が発生する経済的行為の主体双方と言ってもいい。
簡単な例を挙げると、消費税の担税者はあくまで消費者であり、自販機で飲み物を買うだけで納税義務が発生するが、自分が年間で自販機に掛かった金も含めて全部の消費にかかった金額を正確に記録し、行政機関に申告しに行くことも苦にせず、それを完璧に遂行できる人間は超人と言っても過言ではないだろう。それを国民全員に強制するのは現実的ではない。
しかし、取引に関する情報の管理を基本とする売り手にとって、消費税を算出する作業はそう難しくない。
そのため、ほとんどの場合、消費税を納めているのは売り手だが、その消費税は売り上げに含まれず、消費金を負担するのの売り手ではない……というのはあくまで建前だ。
実は、担税者ではない販売者でも、消費税による不利益を被っている。
消費税が上がる場合ついて考えよう。消費者の消費能力に変化がないとする。また、徴税者による税金の還元を考慮しない。
もし販売者は商品一個あたりの利益を維持したいであれば、消費税の上昇に応じて消費税込みの商品の値段を上げる必要がある。
しかし、残念なことに、市場メカニズムに基づいき、供給量が変動していないのに、価格が勝手に上がってしまえば、需要の減少は避けられない。
その結果、販売者の売上数が減り、合計売上高の減少に繋がる。
逆に売上数を維持したいであれば、そのために消費税込みの商品の値段を下げる必要があり、結果として合計売上高の減少は避けられない。
また、場合により、消費税の増加が商品の仕入れにも影響を及ぼし、商品の原価そのものを上昇させる可能性もある。その場合、販売者の利益が二重的に減少することになる。
まとめて言うと、確かに消費税の担税者は消費者になっているが、消費税の上昇により、不利益を被るのは消費者だけに留まらず、販売者にも少なからず悪影響を及ぼしている。
デメリットばかりを述べたが、この間接税にもいくつのメリットがある。
もっとも重要なメリットは、消費者も販売者も含めて、社会全体を等しく不幸にさせることができる。(不幸にさせるといっても、徴税者が税金を還元すれば、社会にその不幸を上回る利益をもたらすことはできるが)
メリットに聞こえない表現だが、平等という言葉は社会の安定に非常に重要なもので、例えそれが不幸であっても、みなが等しく不幸になっていればそのことに反抗感を抱く人間は意外と少ない。
それが集団心理の奥深いところだが、別の話になるため割愛する。
その間接税の対極に位置しているのは直接税であり、本題の法人税がそれに分類されている。
まず、法人税の最大のメリットは非常にシンプルだ。1貨幣単位の法人税を徴税することは1貨幣単位の消費税より、社会にかかる負担がはるかに少ない。
前述した通り、消費税が起こす影響は連鎖的で、社会の根源とも言える国内総生産そのものに大きなダメージを与えることになる。
しかし、極論だが、もし納税者が徴税されることについて痛くも痒くもないとでも思っていれば、行政機関が納税者の来年の予算だけ残し、残りの利益を全部税金として徴用しても、社会に何の悪影響を及ぼすこともない。
普通の所得税なら一般人の消費能力に影響を及ぼすが、法人税ならその心配はない。
さもありなん、企業に握られた硬直性の高い財産を徴税しても、市場にて流通している貨幣の量は大して変わるまい。
それなら、消費税なんてものはいらないでは?というともちろんそうではない。
痛い痒いところか、それをやれば全ての納税者がクーデターを起こして徹底抗戦の構えで国家と戦え続けるだろう。
では、法人税を始めてとする各種の直接税の利率をいくらにすれば合理的になるだろうか。
残念ながら、直接税制度が生まれてから300年経った今でも、この問題について未だに全員に納得させる結論が出てこない。
消費税のように、全員に平等な税率を課せば、その税金は低所得者にとって厳しい負担になるが、高所得者にとってそれこそ文字通り痛くも痒くもない端金である。低所得者が不公平と思い、激しく反発するだろう。
逆に、リアル世界で実施されている累進課税制度だが、低所得者への負担は確かに小さくなったが、今回は高所得者が不公平と思い、労働インセンティブ、つまりモチベーションが下がり、経済の成長の妨げとなる。
(このセイカラ王国の推奨寄付金制度は、真黒かつ汚いやり方だが、確かにこの問題をある程度を解決した)
この教会という行政機関は、納税者を選別している。穿った見方をすれば、これを法人税と呼ぶのもおこがましい。誤解を憚らずに言えばそれは正真正銘の賄賂である。
市場において、交通を始めとする様々の利権を保有する行政機関にとって、特定の企業の助力をすることはそう難しくない。
素直に寄付してくれる商業団体に神のお告げと称して極秘の情報を提供すれば、その商業団体の目覚ましい成長もほぼ予定調和のように約束されるだろう。
逆に寄付しない団体があれば、同じ分野で商売している寄付する団体を誘導することで、寄付しない団体を弱体化させるのも可能だ。それを倒産まで追い込めばそれでよし、丸ごと寄付する団体に買収されば完璧だ。
その結果、市場の中流以上に寄付金を納めている商業団体しか存在しない。
そして、実利を確実に得た商業団体も、寄付をやめることはしないだろう。
仮にしたとしても、まだ二重の保険がかかている。
一つ目は他の商業団体による敵視だ。
寄付金を納めれば、シンボルが貰えるが、逆にやめれば直ぐにでも没収されるだろう。
寄付をやめることが周知の事実になるのもそう時間がかかるまい。
その事実を知った競争ライバルは、心の中に舐めずりながら、その商業団体のアキレス腱となる情報を待ち望んでいるだろう。
例えそれがなくとも、その商業団体が周囲の集中砲火に浴びることは避けられない。
「みんな寄付金を納めているんだ。お前だけ旨い思いをしてたまるか」と、嫉妬の的になるだろう。
二つ目は従業員の求心力の低下である。
トップがこのシステムの本質を見抜いているかもしれないが、端末はそんなことを露ほども知るまい。
団体に神の加護がなくなると知り、信心深い人間は言うまでもなく、普通の従業員の間にも疑念が広がることになるだろう。
もちろん、そのような団体は格好な餌となり、たちまちで周りに食い散らされるのは言うまでもない。
まさに、このセイカラ教教会が、納税者が自発的に法人税を上納するシステムを作り出した。
もっとも重要なポイントは、寄付金、つまり法人税は商業団体の予算という枠に入り、利益から取られるという形ではなくなった。
これで累進課税制度によるモチベーションの低下を避け、宗教的な拘束力により粉飾決算などの手段による脱税をある程度抑止できる。
「ククク……」
宗教機構しかできない荒技だが、確かに効果的である。
これは、脱帽しかないな……
知らずに、自分の口から微かな笑い声が漏れた。
(……これはさすがに失礼に当たるな)
それを止めるべく顔を引き締め、相手の表情をうかがう。
幸いと、その面に写真のように切り取られたかとでも思わせるほど変化が全くない。
傍観者の目から見れば不気味極まりない光景だが、私にとって、これ以上交流が取りやすい相手はない。
話をサクサク進めよう。
「自由寄付金というのは?」
「個人による寄付金のことです。非常に申し訳ないと思っていますが、神の加護を全国民に届けるほど教会の力が強くない。寄付をいただいても、恩恵をもたらす保証はありません。しかし、もし5年間も神の威光が届かなければ、教会から責任を持って寄付金をお返しします」
国債か。
実に分かりやすい。
「推奨と自由の比率は?」
「6:4です」
健全的だ。
本筋からそれるが、少し興味深い事柄について確認しよう。
「……セアルノ商業連合とセアルノ商会は寄付金を納めているのか?」
「はい、かの団体は推奨寄付金だけではなく、多額の自由寄付金も寄付していただきました」
「それらにハイリザードも在籍していると思うが、それでも神のご加護やらが届くのか?」
「神は寛大な存在です。例え神の民以外の存在が立ち上げた、神の恩恵から外れる商業を営む団体でも、推奨寄付金さえ寄付すれば、等しく神の加護が届きます」
セアルノ商業連合あるいはセアルノ商会の創業者もハイリザードだったか。
きな臭いになってきたな。
神の恩恵から外れる商業とやらは如何に……?
「セアルノ商業連合の主な営業内容はなんだ?」
「……貴金属の販売です」
出たか、貴金属。
ラティスを歩けば、嫌でも目に入る存在だ。
余裕があれば貴金属を買う。余裕がなければ借金して貴金属を買う。
これがラティス人から感じ取った貴金属への態度だ。
必須品でもないのにどうしてそこまでこだわるのかと聞けば、これから貴金属の値段はさらに上昇し、今買わないと損をするだろうと答えられた。
貴金属だが、セイカラ王国まだ建国しなかった頃、セイカラ王国の前身であるアダラエス帝国とファスレーナ皇国の貴族しか身に飾ることが許されない存在だったという。
その産出も極端に少なく、質の高いものは無価の国宝のような扱いを受けたほど珍貴なものだ。
しかし、6年前のハイリザードとの講和により、状況が一変した。
ハイリザードの国の地形は火山と砂漠二種類しかないといわれる。
各種の資源は希少だが、鉱産だけ無尽蔵ではないかと思わせるほど豊かだ。
もちろん、その貴金属もそれに含まれている。
講和、停戦、通商。
この三つのステップを踏んだあと、歴史的に崇拝されてきた貴金属も、一般人でも手が届けるような存在になった。
なってしまったのだ。
セアルノ商業連合の規模を見る限り、その貴金属販売はさぞ盛んでいるだろう。
そしてセアルノ商会の営業内容は融資ときた。
「ククク……」
今日の二度目の失笑を漏らす。
極めて失礼なことだと自覚している。
いけないことだが、さすがに滑稽すぎて我慢できない。
これは傑作としか言いようがないな。
「貴金属を運ぶにかかる税金は?」
「……今年で27パーセントです」
意外と対策しているのか。
「重いな。寄付金も含め、さぞ多額な金額になるだろう」
「……はい。詳細をお聴きしますか」
「いや、結構だ」
ポジティブな言葉と反し、分かりずらいが、少女の顔から微かな忸怩たる思いが読み取れる。先の無表情と対比すれば、苦虫を噛み潰したような表情と評してもいい。
(なるほど、これがサディズムというものか)
微か高揚を覚え、私は一転、冷静となった。
もちろん、私はそのような性的嗜好障害を抱いていない。これ以上彼女を困らせるつもりはない。
末端であるこの少女でもある程度事態を正しく認識しているのだ。心配はいらないだろう。
私が心配したところでどうこうできる問題でもあるまい。
話題を変えよう。
「話が変わるが、私の家族がセイカラ予備軍を志望したのだ。毎日訳がわからないカラクリをいじって音を出して練習している。私は商売を志望する身で、その手の話に疎い。教えてもらえるか」
「演奏者の方ですか。立派なこころざしです。応援します(Rooting for it)」
プレーヤー……なるほど、演奏者の方か。
しかし、応援するならもっと感情を込めてみればどうだ。
事務的な説明の方は分かりやすいが、感情表現に関する言葉の文脈が読みにくい極まりない。
rootingの意味を危うく取り違えるところだった。
とはいえ、この様子だとそれ言ったところで改善はしてくれまい。
脳内翻訳の精度を上げよう。
「プレーヤーというのは?」
「abnormality electronについては?」
異変した電子、か?物理に詳しくないが、少なくとも私の記憶の中には、このような概念がリアルになかったはずだ。
「初耳だ」
「異変電子というのは、どこにも存在する未知な存在です」
「未知?」
「様々な研究が行われてきたが、それらが発生する原因、性質、数量などについて未だに解明されていません。267年前、その利用法を確立させた学者アンデルがそれを異変電子と名付けました」
「全知全能の神でもわからないのか?」
「……不敬な」
だから、コミュケーションを円滑に進むために口調でも表情でもなんでもいいから少し感情を込めばどうだ。
この少女を交流する時、私は彼女が言った感情表現に関する単語の意味をすぐに思い当たることができない。
……しかし、それを彼女のせいにするのはただの八つ当たりか。
自分の英語力の低さを恨むしかないな。
「これは失礼した」
「神は寛大なお方です、許します。これも公表されていますが、神が我々に伝えた知恵の中に異変電子に関する内容はございません」
「なんらかの理由で隠蔽していると?」
「……ほどほどにしませんか」
ようやく彼女から呆れるような感情を引き出すことに成功し、心の中でカッツポーズを取ったが、
(なんという幼稚な行為!)
どうかしている。
頭が冷めた瞬間で自分のわけわからない行為にドン引きした。
「すまない、不謹慎な発言を謝罪する。説明を続けてもらえないか」
「謝罪を受理します。異変電子はどこにでも存在しますと先言いましたが、酸素の濃度と相関していると思われます。普通の状態なら異変電子による事象への干渉はありませんが、異変電子にエネルギーを与えることで変化が生じます」
なるほど、それで演奏か。
空気の振動により運動エネルギーを与えたというわけか。
「今この瞬間でも、私が発した言葉によりその異変電子とやらに仕事(mechanical work)をしたというわけか」
「否定しませんが、事象の変化が観測されないので、それを証明することはできません」
「大声で叫べばいいのか?」
「いいえ……異変電子による事象への干渉は与えたエネルギーの量だけではなく、エネルギーの空間ベクトルの複雑性にも依存していると思われます。……空間ベクトルというのは、例を」
「いや、結構だ。言ったところでわからないだろう。不勉強ですまない」
なるほど、仕事の三次元的な方向と関係しているのか。
仕組みは大体わかった。
理解したとそのまま伝えてもいいが、この手のことに疎いと言った手前だ。怪しまれるのを避けたい。
確かに、この仕組みなら、異変電子に仕事をするもっとも適している手段は楽器の演奏だ。歌いでもある程度仕事できなくもないが、そのハードルと効果は演奏より一段劣るだろう。
「……音波の速度、指向性と指向角が極めて重要となり、音場における音圧も異変電子の変化に影響を与えます……したがって、異なる周波数が異変電子に加える仕事により生じる変化の性質は全く違うものである。人間に影響を与える異変電子の変化は人類の可聴周波数の音しか起こしません。逆にハイリザードは……よって、波の独立性により仕事へのレジストは可能ですが、その難易度は極めて高い。また……」
自分のギヴアップ宣言が全く聞こえなかったようだ。
音波と運動エネルギーの物理性質はリアルとほとんど同じらしく、どこかで聞いたことある専門用語の意味についてもなんとなくわかるが、無学な自分はさすがにこの説明についていけない。
頭がパニックになりそうだ。
「……ということになります」
「あ、ああ……説明に感謝する」
後半は全くわからなかったが……
「つまり、演奏を聴くだけでその影響を受けることになるのか?」
「いいえ、軍の、つまり聖歌隊のプレーヤーに支給した楽器は特殊仕様のもので、その楽器が発する音の音波は常に細かく変化しています。その原理に関して……」
「いい!回答ありがとう!」
なるほど、私はあくまで懺悔者の立場で、告解という宗教儀式に参加したというわけか。
甘く思ったが、これは想像以上につらい。
図書館で四苦八苦しているよりよっぽどマシだが……
「……申し訳ございません」
「君が謝る必要はないと思うが」
不勉強で無学な自分が悪いのだ。
自然科学はあまり役に立たないと思って疎かにしてきたが、これは認識を改める必要がありそうだ。
吟遊詩人ことプレーヤーの事情はわかった。次に行こう。
「その、異変電子の利用方法は他にないのか?家族と同じ道を歩みたいとまで思わないが、自分の身を自分で守れるくらいの力を身につけたいのだ」
「ありますが、武術の方をお勧めします」
無理だ。それを上達させるには少なくとも年単位がいるだろう。
「情報が公開されていないのか?」
「いいえ。ストッカーになれば、異変電子の変化を能動的に引き起こし、変化による生じるエネルギーを他のエネルギーに転換できます」
エネルギーの転換か。
熱エネルギーなら炎と氷、電気エネルギーなら雷と言ったところか。
これが最初の時見た魔法のようなものの正体というわけか。
「その具体的な方法は?」
「……まず、変換により生じる全ての事象を理解し、それをなぞるようにストックに指示を出します。例えば、異変電子の変化エネルギーを熱エネルギーに変える場合、まず……」
この後、聖職者による熱力学講義を受講するという非常に奇妙な状況になったが、為になる時間だった。
あくまで基礎的な知識で、それでも完全に理解できたの自信が持たないが、手応えはあった。
一カ月をかければなんとか上達できるだろう。
少なくともゼロから楽器を学ぶよりよっぽど現実的だ。
しかし、もし電気エネルギーを例としてあげたら、自分は一発でノックダウンされただろう。
彼女の優しさに感謝するしかあるまい。
「非常に有意義な情報に感謝する。ところでそのストックというのは」
「ストックとは、薬物により人為的に発達させた人体の器官のことです。その発達の方法として……」
医療化学に関する話を聞き飛ばす。
「……つまり、10年以上成長した体に存在するストックを発達させることは論理的に不可能です」
は?
今なんと?
「ですから、武術の方を推奨します」
……落ち着け。
八つ当たりはいただけない。
最初から言ってくれたじゃないか。
自分が勝手に勘違いしただけだ。
無意味だと知っているなお律儀にこちらの要望を応えてくれた彼女に感謝こそすれ、恨む筋合いはない。
「説明に感謝する」
末端でもこれほどの知識を持たせた教会の教育に脱帽する。
しかし、これだと別の疑問が浮かぶ。
(どうして工業化していないのだ?)
素人の判断だが、この世界の自然科学のレベルは19世紀前後のリアル世界に劣らないほど発達していると思う。
だというのに、どうして、それが人々の生活に反映していないのだ。
経済こそはったつしているが、この国の産業はまだ第三次産業どころか、第二次産業(鉱業・建設業・製造業)にシフトしていない。
(……!GDE用のアプリだからか!)
また失念した!
なるほど、それなら筋が通る。
社会形態は外部により制限されているのか。
それとも……
「……これらは知ってもいいことなのか?」
それらは教会が独占している知識ではないのか?
「とんでもありません。教会は神の恩恵を隠蔽するのような恐れ多いことを行うはずがありません」
つい先ほど彼女が自分に一から十まで詳らかに説明してくれたではないか。嘘を言っているというわけではあるまい。
しかし、それだとすれば、一体どういうことだ?
「……それらを知っている存在は……」
その知識を用いて社会を進歩させようと思わないのか?
『今の社会は未開的とでも言うのですか?』
(……!)
彼女が言下に反論する言葉を幻聴し、私は夢から覚めたような感覚をした。
「……何でもない。済まない」
(制限されたのもなにも、その疑問はリアルを知らなければ、そもそも出てこないはずだ!)
科学技術と社会形態は必ずしも一致しないのだ。なぜなら、それの証明に使える実例は一つしか存在せず、そもそも証明しようがない。
一歩間違えば、工業化によりもたらした戦争で、社会形態が後退した可能性も十分にありえった。
そもそも、社会を評価するもっとも重要な指標はその社会形態とやらではない。
犯罪率、自然増減率、社会増減率、失業率、経済成長率などのデータを分析し、算出した総合的な安定性だ。
この国のデータについて知らないが、少なくとも社会現象を見る限り、その安定性はヴィクトリア朝より遥かに優れ、現代日本の引きを取らないほど完成されていると思われる。
異変電子という存在により、工業化の出現の蓋然性がなくなってもおかしくない。
それほど重要なことを失念したのは何故だ!
(そうか、私はまた、勘違いをしたというわけか)
ザ・ワールド・オブ・virtual?
私はようやく自分の認識がどれほど甘いものかを思い知った。
ザ・ワールド・オブ・virtual!
私は最初から、常識という先入観に囚われていた。
そのネーミングセンスを笑うことなかれ。
最初からその単語の意味を取り違えた自分の未熟を恥じよう。
この世界を、セイカラ王国を、セイカラ王国の国民たちを、目の前の聖職者を作り物だと軽蔑したことを深く謝罪しよう。
この世界は誰が、どのような手段で、如何なる目的により出現させたのはこの際どうでもいい。
重要なのは私のここをどう捉えているのかという認識と、これからどうしたいのかという意志だ。
それらが、この瞬間で、私の心の中で固まった。
体が自然に動き出し、西洋式の跪きの姿勢から立ち上がり、一歩下がった。
そして、左足から膝を揃えて正座し直す。
「……あなたは、神がこの世界を愛してなされていると思われますか?」
神とやらの正体にぼんやりだが、予想はできた。
恥ずかしいながら、ついさっきまで、私も一種の超然とした優越感に浸っていた。
しかし、今の私は彼女と、この世界に生きている人間と同じ土俵にいるつもりだ。
だからか、現時点で思い付くもっとも畏まった英語の表現で私がこの聖職者にそう問いた。
その正体を知らないであろう君は、その醜い存在をどう思っているのか、と。
そのただならぬ雰囲気を感じ取ったか、自分の行動に微かに戸惑っている彼女もこの問答の間で全く崩さなかった綺麗な佇まいをさらに正した。
「質問の意図を図りかねます。しかし、あえて言えば、あくまで個人的な見解ですが、」
瞼を閉じて、彼女は予めそう断った後、再び目を開く。
その目には、無感情な彼女から想像できないほど心を打つ固い決意が灯っている。
「神の意思などはどうでもいいのです。仮に神が、このセイカラ王国に仇をなすような存在になったとしても、わたくしが、わたくしたちが全身全霊をかけてわたくしたちの祖国をお護ります。その覚悟はできています」
(……!)
質問の意図からずれ、彼女の答えは私が予想したものから大幅に離れた。
しかし、だからこそ、私の心を強く揺さぶった。
この期に及んで、私は依然として、この聖職者を侮っていたと言うのか!
忸怩たる思いで、強く恥じ入る。
もう彼女を教会の末端と侮るなかれ。
今まで見たもっとも尊い政治家に類する存在が、目の前にいる。
これが、この世界のまつりごとに携わる人間の覚悟のほどか!
「申し訳ございませんでした‼︎」
それをやるつもりは全くなかったが、口が、体がまた勝手に動き出した。
私が知りうる最上級の謝罪。
人生初めての土下座が英語ver.となった。
2
「メイちゃんお疲れ様!これで最終回でしょう?あ、それとももう枢機卿猊下と呼ぶ方がいい?」
「茶化しないでいただければと存じます。まだ現任枢機卿猊下の許可をいただいておりません」
「わかった、わかったからそうな他人行儀みたいな喋り方しないで!」
軽装な鎧を装備している元気な女の子がついさっきまで一人しかいなかった告解室の中に入った。
もちろん懺悔のためではない。
「合計120日の告解を執り行う実績の獲得、おめでとう!」
「ありがとう、ニーサ。本当に疲れました。それとこれからはメーティスか猊下と呼んで頂戴。さすがに愛称を呼ぶのは締りが良くありません」
口で疲れたと言っているが、僧服を着ている少女の顔にそれらしきものは全くうかがえない。
傍観者の目で彼女が言葉通り疲労困憊していることがわかるのは幼馴染であるニーサしかいないだろう。
(この子の感情表現が乏しいのは今日で始まったものでもないしね)
彼女が感情を表現できないというわけではないが、本人によれば、必要でもないのに表情を変え、口調に感情を入れるのは労力の浪費であるとのことだ。
感情を抑える方がよっぽど疲れるなのでは?と疑問に思ったが、個人差よと簡単に片付けられた。
そのせいか、彼女が何を考えているのかよくわからない時もあるけど、その時は彼女の目を見れば大体の感情が読み取れる。
目は心の鏡。いい言葉だね。
「だから、そんな作り笑いをしなくてもいいよと言ったじゃん」
「なりません。それは仕事の範囲です」
「猊下は真面目だからね」
「……あなたが呼ぶ敬称から全く敬意を感じないのは何故でしょう」
「錯覚だよ錯覚」
「そう言うことにしておきましょう」
あ、今は心の中で舌打ちをしたね、あたしは誤魔化されないよ!
「それよりどうだった?今日の告解。面倒臭い人は来なかった?」
「いつも通りでした。信心深いお方から神に対して懐疑的なお方までから貴重なご意見をいただきました」
告解は懺悔する側から質問を出すような形になっているけど、何かについて疑問に思うことは教会のいたらないところあるいは説明不足なところがあることを意味する……らしい。
やはりそんな難しいことはわかんない。
「やはり神を疑う人がいるのか、恐れ多いね」
神ちゃんがこんなに可愛いのになー
「セイカラ王国においてセイカラ教への信仰は強制されていません。彼らはあくまで神の存在を疑っているだけです。教会の治世に反抗していません。今のところは問題ありません」
あ、いけない、スイッチが入れかけている!
神ちゃんは可愛いけど神モードのメイちゃんはちょっと付いていけない。
「ところでさ!今回は何かちょっと特別な人でも来なかった?前回のあれは面白かったよ。告解室に入った途端に猊下に見惚れてプロポーズまでしてさ」
早く話題転換しないと。
でないとまたあの無限の説法が始まる!
「そうですね。幸いなことに、あれほど理解に苦しむ人はいませんでした」
全く理解しにくいと思わないけどな。
メイちゃん見た目めちゃ可愛いだもん。ちょっと無表情すぎるところは玉に瑕だけど、ソト用の聖母モードはマジでやばかった。あの笑顔に屈しない男はホモだけと断言できるよ。というかあたしも咄嗟に「結婚して」と言わせるほどの破壊力があるから、ホモでも抵抗できないはず。
むしろ見惚れない方がおかしい。
聖母モードは疲労ゲージをめちゃ溜めると本人が言ったから、普段はあまり使わないけどね。
もったいないな。
「それほどではありませんけれど、ちょっと奇妙なお方がいましたよ」
「え、どのような人?」
プロポーズ一歩手前なら、告白?
ありそうだね。
「知らなすぎで、知っていることが多すぎで、勝手に戸惑って、勝手に納得して、最後は勝手に謝って、そして勝手に気絶した人です」
「え、なにそれ?変態?」
プロポーズした人の十倍以上くらいの変人だよ。
さすがにこの説明ではわからないかと思っているらしくメイちゃんは言葉を重ねようとしたけど、なんか本人も戸惑っているぽい。
「……最初は風刺的な態度を取っていたあまり好ましくない人でした。常識的なことも全く知らずに質問して来ました。知っていてわざと質問したとも思いません」
「よくある人じゃない?本当はめちゃ弱いけど俺様つえええと思っている世間知らず。つまり痛い人」
「そうですね。残念ながら、教育の欠陥により、そのような精神年齢の低い人間も存在します。しかし、その懺悔者はその類いに属していません。わたくしにいくつ質問しましたが、どれも掘り下げて聞いてくれませんでした」
「全くわかっていないけど、わかったと思っているのね」
「いいえ、その懺悔者は深部までしっかり理解できたと思います。理解した時、彼が発したあの粘着質な笑い声は忘れません」
「うわぁ、変態だ!」
「……その懺悔者を責めないでください。あれらは嘲笑いされても仕方ないところです。むしろ、仕組みを理解した上で教会を糾弾せず、理解を示してくれたことに感謝すべきです」
「猊下はその人の肩を持つんだ」
何事に対しても淡泊なメイちゃんにしては珍しい。
「ただ事実を述べたまでです」
「それで、そのあとは?」
「懺悔者の質問について少々詳しく説明しました」
うわぁ、これはめちゃくちゃという意味の「少々」だ。
誰だか知らないけれど何だか可哀想。
「それで謝罪して気絶したね。なるほど、そうことなんだ」
「……どういう意味かは知りませんが、多分違います。前半より理解度が落ちましたが、懺悔者の反応から見れば、あらすじは大体把握できていると思います」
「ついて行けたの!?」
超人なの?
「……なぜそこまで驚く必要があるのかは知らないけれど、そうだったと思います。逆に本人が理解していないと演技したんですけれど、その動機は図りかねます」
「へー、そうなんだ。それで?」
メイちゃんでも分からないことならあたしが考えたところで仕方ないか。
「原因は不明ですが、何かについて苦悩して、そして自力でそれを解決したようです。告解は元々人々の苦悩を聞き、それを解く行事です。懺悔者の助けになれなかったことに聖職を携える人間として悔しく思っています」
「聖職もなにも猊下の本職は……」
「それ以上はやめなさい」
「あ、ごめん」
これはちょっと本気で怒っている目だ。
メイちゃんを困らせてはいけないね。
「自力ではなく、絶対猊下のお陰だよ」
「だといいのですが。苦悩を解決した懺悔者は最初の態度を一転し、極めて真摯な態度を取っていました」
「おお、久しぶりに告解らしい告解が出たんだ!」
「……おやめなさい」
あ、今回は大丈夫ぽい。
どこか誇らしげだね、メイちゃんは。
「最後は、奇妙な姿勢を取って大声で謝罪した後、顔を床に接触させて微動もしませんでした」
「なにそれ、ふざけているの?」
「茶化すのをやめなさい。その姿勢が意味することを知らないけれど、その時あの人は真剣だったわ」
怖っ!
表情は変わらないけどメイちゃんの目めちゃ怖いけど!
「ごめんなさい!」
なにがあったか知らないけど、とりあえず謝った方がいいよね。
「あっ、なんかあの人の気持ちがわかったかも」
「……なんのことかはわかりませんけれど。その思い込みは絶対間違っています」
「それで、なぜ気絶しちゃうの?」
「懺悔者はあの奇妙な姿勢を微動もせずに30分維持しました。次の人もいますから、さすがにこれ以上その懺悔者に時間を掛けないと思って声をかけたけれど、返事が返って来ませんでした。触ってみたら倒れて、どうやら意識を失ったようです。最後は受付の方に運び出していただいて、目が覚まるまで介護してくれました」
「なんか、不思議だよね」
土下座をしている人間は相手から許しを頂いていない限り面をあげてはいけないというルールがあるが、もちろんこの場に居る二人はそれを知らない。
「ところでさ、あの懺悔者って男の人?」
「ええ、男性の方ですけれど、それが?」
「うんん、なんでもない」
メイちゃんはずっと律儀に懺悔者と呼んでいるけど、そうか、男か。
メイちゃんはちょっと小動物のように警戒心深いところがあって、気を許した人はあたしも含めて5人も達していないはず。
メイちゃんが初見の、しかも男に信頼のような感情を寄せているなんて。
なんか嫉妬しちゃう。
それはさておき……
「そういえば、例の人、動きあったよ」
「……そういえばではありません。なぜそれを先に言わなかったのです?」
目がめちゃくちゃ怖っ!
自業自得だけど、メイちゃん怒りすぎ!
「ごめん、ごめん!えっとね、例の彼、物を持ってアバルス行くらしいよ。アンイランダから来たのは真っ赤な嘘ね。どう?確保?」
手で逮捕のジェスチャーを作って、メイちゃんに提案する。やはり一番わかりやすいの方がいいね。
「……アバルス?どうして……まさか?伝令は?」
「それがね、帰ってこないし、届いていないのよ。帰るのは時間がかかるから分かるけど、近いところからもまだ届いていないってことはやはり心配しすぎじゃない?そもそも、あの男、なにも考えずにやっている可能性もあるし」
「……それに関しては一切の不備が許されません。アバルス市ですね。ちょっといい、その人間の監視も兼ねてわたくしが自ら赴きましょう」
「えっ!じゃ、あたしも行く!」
「それは構いませんけれど、あれらの監視は?」
「もちろん、滞りなく!」
そんな面倒臭いことはアルレースに丸投げしたし、彼のことだ、きっと問題ないだろう。
「よろしい、アルレース様ならきっと任を果たしてくれるでしょう」
あれー?なんかあたし、微妙に信用されていないぽい?
「随分と後回しにしたけれど、その怪しい行動を取っている男の名前はなんですか?」
「ウートゥルというらしいよ」
いつか死すべき凡人って、彼の両親はきっと信心深い人に違いないな。