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先行研究

『これは……?』

 突然、敵の方陣から伝わってくるノイズの複雑さが増した。雑音にしか聞こえないが、このノイズはサルたちにとって戦の唄と同じ効能を持っていることは経験則で知っている。

 部下が増援を許すような不始末をしでかすと思わないが、なんらかの原因で敵の新手が出現したらしい。

『サンサセ、レジストできるか?』

『申し訳ございません、極めて難しいかと。ダメ元で試みましょうか?』

『……結構だ。唄に専念しろ』

『はっ』

 一応専門家に聞いてみたが、やはりレジストは不可能のようだ。

 戦の唄について、サルの俘虜の拷問した結果がまとめたレポートを読んだことがある。

 プロではないため、原理は全く分からないが、結論から言うと、サルはノイズところか、戦の唄を全く聞こえないらしい。戦の唄をサルにも聞こえさ

 せ、その上にあの忌々しいノイズと相殺するには、下の音域に降りていつもよりデリケートな唄を歌い続けなければならないという。

 その困難さは唄い手ではない自分でも簡単に予想できるものである。

 一応、軍においてレジストの訓練はされているが、成果は芳しくない。

『しかし……どうしたものか』

 今回の命令について不可解と思うところが多い。

 薄汚いサルだが、そのしぶとさだけは一人前らしく、戦線は未だに砂漠のところで拮抗している。一回だけサルの生存圏にまで押し進んだが、まさか我が軍の屈強な戦士が半年もの経たずで、全員の半数が病におかされる事態になると予想できなかった。

 斯様な呪われた地に住んでいるサルはきっと悪魔の手先であるに違いない。

 悔しいが、それをきっかけに、我が国に停戦の検討を余儀なくされた。

 議論の末、公式からの停戦宣言こそしないものの、軍に戦争行為全般の謹慎が通達された。軍はそれに異議を呈したが、忌々しいことに、実質上の停戦を待ってましたと言わんばかりに、金の亡者どもが我先にサルとつるんで売国行為に走った。

 有益な貿易だの、国益のためだのと嘯く奴らの醜悪な顔を思い出すだけで反吐が出る。だから、この密命を拝命した時、自分が狂喜した。

 捨て駒のような役割だが、国の為身を投じることは我が使命だと思った。

 しかし、作戦内容を把握したところ、「なんと面妖な」と思ったのもまた事実だった。

 100人も満たない小隊で監視の目を潜って、敵国に浸透させるところまではまだわかる。実際、いかに砂漠の行軍を慣れているとは言え、一個中隊を発見されずに敵国の内部に送り込むことは不可能で、浸透任務であれば小隊規模が妥当だと思う。

 しかし、浸透した後の命令の杜撰さ対しては流石に首を傾げざるを得ない。

 極めてハイリスクな浸透任務に成功したにもかかわらず、後続の目標はただなんの変哲も無い村を壊滅させるだけときた。

 事前で村の情報に目を通したが、どこをどう見てもいたって普通な村で、特筆すべきところはない。強いて言えば敵国最大のカンナビスの産地であるところか。

 しかし、カンナビスは香料や嗜好品として費やすでしか使い道がなく、サルにとっては必須品じゃないはずだ。

 それなら穀倉地帯を襲う方がよっぽど戦略的な価値があるに違いない。

 しかし、軍人である以上、軍命に従う義務がある。

 歯がゆいが、自分は民衆にセサスシ帝国随一の戦士だと持て囃された。過剰な評価だと思っているが、それでも自分が普通の軍人に追随を許さない戦闘能力を持っている自負がある。この自分がこんなくだらない任務で死んでもいいかと、ずっと悩んで来た。

(だが、俺は抗命しない。それは軍人の最大にして最後の矜持だ)

 文官どもは文民統制という難しい言葉を使っているが、そんなものを殊更に強調せずとも、こちらには余計な口を出すつもりはない。

 いかに悩んだとしても、すべきことに変わりはない。

 村を壊滅させ、後は情報を遮断するために遅延作戦に移すのみ。

 上層にもできる限り襲撃の隠蔽をせよと命令されたが、そんな基本中の基本は言わずともわかっておる。

 この地域の監視哨はもう事前で一通り潰した。

 村を丸ごと燃やした今、後はサルどもを一匹残さず始末するだけだ。

(カンナビスの畑があるのは幸いだったか)

 奇妙なことだが、この村に中隊規模の防衛が付いている。それこそ穀倉地帯かそれ以上の厳重な防衛態勢である。解せないことだが、それはブリーフィングの時伝われた情報のため、接敵する前で心の準備は済ませて、対策もした。

 火計である。

 何人の仲間を失ったのかは知らないが、なんとかアサの畑を燃やすことに成功した。

 炎の勢いはもう抑えられないと見て、サルどもは訓練兵諸共を馬車に乗せて撤退を選んだようだ。

 もちろん、逃すつもりはないが、伏兵として森に潜んでいる自分たちは30人しかない。それに対して相手はまだ中隊編制を保っている。

 5倍以上の戦力差だが、どうやらカンナビスの効果は想像以上のようだ。

 自分たちにあまり効果はないが、サルどもの連携は明らかに崩れた。

 死体を残さない面妖な訓練兵を犠牲にしてなんとか態勢を立て直したようだが、個々匹の戦闘能力が著しく低下していることは確認済みだ。

 サンサセの意見を聞いて、ノイズを発生するサルを優先的に始末したところ、20人しか残っていない味方は100匹に対して優勢を築いた。

 相手の反抗はだんだん弱くなっていくと感じ、もう少し経てば勝手に自滅するだろう思った、が……

『えい、忌々しい!』

 あの新手の雌サルが発するノイズのより、相手の状態が明らかに回復していく。

 サルどもは30匹しか残っていないとはいえ、戦力は今のこっちの三倍だ。

『全員、かかれ!』

 味方だったはずの時間は敵に回した。

 出し惜しみをしても意味がない。

 死を予感したが、せめて刺し違いで相手全員を道連れにしないと気が済まない。

『わたしがついています、我が君』

(おお、サンサセよ)

 妻の唄により漲った力を実感し、戦士は思った。

(こんな不甲斐極まりない雄ですまない)

 せめて彼女だけを国に返したいが、それも叶わないだろう。

 残念ではあるが、悔いはない。

 この死地に赴く前、卵を残したことに幸あれ。

 子供の顔を見られないが、我が同胞に託せばさぞ自分以上の戦士に育てるだろう。

『一匹も残さず、皆殺しだ!』



「報告!死刑囚の演奏者(プレイヤー)の演奏により、エドワード小隊ならびにトンガ小隊が戦闘態勢を取り戻した模様!」

「よくやった!残りの小隊の統合は?」

「死傷者多数がため、指揮権が混乱している模様!」

「くたばっていないやつは30 人くらいしか残っていないのに指揮権もクソもあるか!もういい、全員聞け!今すぐ小隊体制を解体しろ!ジョセフ中隊長こと俺様が直接に指揮を執る!まずは……」

 指示を飛ばしながらジョセフは思った、まだ幸運の女神は自分を見放していないと。

 このゼニス村の防衛を務めるのは今年で7年目だ。

 楽な仕事だった。

 ゼニス村にはいわゆる村民がいない。

 いるのは訓練された兵士とアサ畑を管理する農家だ。

 もちろん最初就任した時、疑問を覚えた。

 しかし、直ぐにそんなことはどうでもいいと思うようになった。ただのならず者や強盗に対して中隊規模の軍を操って無双するのは爽快だった。

 時間が経つにつれちょっかいを出す人間はなくなったがそれはそれでサボり放題で気持ちよかった。

 仕事環境がこんなに素晴らしいのに、普通の中隊長より給料がいいときた。

 もうここで一生過ごしても悔いはないと思った。

 昨日までは。

(なんでこんなところに天下の執行人様が出てくる!?)

『執行人(Executioner)』

 このコードネームに畏怖を抱かないセイカラ王国の国民はない。

 セイカラ王国の歴史は外敵と闘う歴史と言い換えてもいい。

 何を隠そう、その言葉が通じない外敵の筆頭であるハイリザードの切り札はまさにここにいる『執行人』である。

 高度な戦闘能力に鋭い戦術眼。

 ハイリザード最高現場指揮官と思わしき彼のせいで死なせた兵士は、この30年で5万にものぼるという。

 その怪物は今、自分の目の前にいる。

(どうなっていやがる!)

 もちろん、心当たりはこれっぽっちもない。

 アサ畑に火が回した時点で、敗北は決定した。

 慢心があったのは認めよう。

 しかし、言い訳に聞こえるかもしれないが、相手の手際は鮮やかとしかいいようがない。

 60人にも満たない小隊で250 人近く中隊を相手に、ただ半数を犠牲にしたことでこちらのアキレス腱を切ってしまった。

 火を放った後も、一切の躊躇もせずに撤退に成功した。

 消火ができないほど火事が蔓延した時点で、村に止まっても意味がない。

 仕方なく、せめて敵襲を味方に教えようと、ジョセフは50 人をしんがりとして残って、撤退を選んだ。

 そして、まんまと伏兵の罠にかかった。

 トカゲの分際で、こちらの出方を全部予想されたとしか思わず、『執行人』の手のひらで踊られたような感じがした。

 もうダメだと思った。

 しかし、まさか気まぐれで連れ出した畑の管理を従事させた死刑囚の中に、そんな高度な演奏者としての才能を持っている人が居ると思わなかった。

 今になってようやく、このように頭の整理ができた。

(もう二度と大麻(カンナビス)をやりたくねぇ)

 つい先まで迷走していた思考がようやくまとまりがついた。

 これもあの死刑囚の演奏者のおかげだろう。

 中隊付き演奏者にも頑張ってもらったが、才能のある奴は真っ先に狙われて死んでしまって、残りのほとんどは穀潰しの役立たず。

 あくまで体感だが、演奏の効果において、あの死刑囚はウチ5人の合奏をまさっていると思う。

 調べの複雑さと精度は比べにならない。

(しかし、そもそもあいつらはなんなんだ?切られたら光になりやがって)

 処理済みで、無償労働を従事させ、有事の際は民兵として使っても良いとしか国から通達されていないが、なにを隠しているやら。

(この際はどうでもいいや)

 ややこしい問題は生きて帰る時でも考えよう。

(やはり俺様はついている!)

 自陣は著しく消耗しているが、相手だって無傷というわけではない。

 現に、つい先までは劣勢だったにもかかわらず、戦力差はまだ二倍ほどリードしている。

「すべての保存者、傾注!方法は問わん!執行人をターゲットに熱エネルギーマイナス攻撃を集中しろ!トカゲに氷を食わせろ!エドワード隊は左の警戒を!トンガ隊……」

 行ける!

 執行人の首をもらって凱旋する未来が見える!

 この俺様、ジョセフ・ブラックは、歴史に名を刻む英雄となる!

「ちっ!しぶとい!」

 しかし、上昇する一方の戦意に反して、状況は芳しくない。

 5人の味方に囲まれても、執行人はあえて剣の斬撃を食らって、ストッカーによる攻撃を避け続ける。

 ダメージは確実に累積しているが、執行人により切り捨てられた人はもう二桁を超えている。

 とはいえ、それも時間の問題か。

 執行人の動きが段々と、鈍くなっていく。

 立っている味方は8人しか残っていないが、相手側の戦闘能力を保っている存在も5体まで減った。

 最後の一押しだ!

「もらった!」

 隙を突き、今まで後方で指揮を徹したジョセフはトドメを刺さんばかりに執行人に剣を振った。

「シュっ!」

「シャーアシャー!」

「シャシャうるせぇだぞ!クソトカゲが!」

 必殺の一撃だったが、執行人の後ろで棒のように立っている非戦闘員らしきトカゲの献身により防がれた。

 そのせいで執行人の反撃を食らって深い傷を負った。

「民間人を盾に使うって、執行人の名が泣くぞ!クソトカゲ!」

 とはいえ、もう動けないというわけではない。

 今回は仕留め損したが次はない。

「これで……終わりだ!」

 すべての力を絞って、渾身の一撃を放つ。

『執行人』は防ごうとしたが、疲労が度を超えたか、無様に踏み外れてしまった。

「取った!」

 首らしき部位の上からなくなった執行人の体を見て、ジョセフは勝利を噛み締める。

 しかし、悲しいかな、勝利の美酒に酔う時間も一瞬で終わった。

「……あ?」

 後ろから馬車が壊された音が伝わってきて、次の瞬間、自分を勝利まで導いてくれた調べも途絶えた。

 後ろ振り返って、そこには光になって消え去ろうとしている演奏者の上半身と

「この期に及んで時間切りかよ……」

 しんがりを全滅させた放火魔たちの姿がいた。

 悪い、お袋、もう仕送りは出来そうにないわ。

 


 姉の演奏による感動から覚め、ようやく周囲に目を向く余裕ができたが、最初で視野に飛び込んだのは

「え……?」

 両断された姉の体だった。

「痛っ!これはちょっとやばいかも」

 はらわたをあらわにし、下半身を失った姉の姿がそこにいる。姉の顔は苦痛に歪まれたが、深刻さはあまりない。

「嫌だわ、これなら死に至るまで1分かかりそう……圭介、その剣を使ってわたしを即死させる……のは流石にできないか」

 姉に言われる前に、私は剣をとって素振り一回をしてみたが、その途中で動作が崩れ、剣を危うく取り落とした。

(重い!)

 真剣を見たことも使ったこともないが、こんなに重いと思わなかった。

(ほかのプレイヤーが剣を振り回せたのは筋力を調整した結果か)

 キャラクターのアバターを作る時、キャラの筋肉のバランスを調整できるが、自分はデフォルトを選んだせいで、現実世界の自分と変わらない筋力になっていることを今更思い出す。

「その……大丈夫なのか」

 リアルボディに影響がないとわかっていても、やはりこの痛ましい姿を見てしまうと、気が重くなる。

「……平気よ。……コホン…… 慣れているもの。むしろそっちこそ、よくこんなグロテスクな……」

 突然、鋭い痛みと伴い、視野が暗転した。

「……光景を見ても正気を保っていられる?……」

 レベッカの言葉の尻が疑問形になってしまったのは、目の前にいる弟の体に頭がついていないことに戸惑っているからだ。

「あっちゃ、そっちが先に逝ってしまったか……やはり羨ましいね、即死って」

 痛みのピークが過ぎ、段々と引いていく。しかし、脳だけは依然として脳味噌が沸いているじゃないかと思ってしまうくらい痛い。

(これは……目覚めまではちょっと時間がかかりそうね)

 そんなどうでもいいことを考えながら、レベッカはようやく自分の意識を手放すことができた。



「……帰って来られたか?」

 目覚めた後、私はGDEから出て、状況の把握に勤しんだ。モニターを務めた経験があったため、あの時自分の身に何が起きたのかについて大体予想がつく。

 まずは姉の容態だが、隣のGDEの中身を覗き込み、どうやら安らかに眠っているだけのようだ。

 姉が使っているGDEの中央に設置してあるモニターから詳細を調べたところ、今回の強制ログアウトは姉の脳に後遺症こそ残らないものの、脳に幾つの損傷が見受けたため、3時間程度のメンテナンスが必要だそうだ。

「これで一安心か」

 頭では理解しているが、やはりGDEの安全面についてはまだ納得していないところが残っている。

 とはいえ、今回この『ザ・ワールド・オブ・ヴァーチャル』というゲーム(?)が見せたハイテクノロジーズを見て、VR技術の進歩に身を持って実感できた。

 今後、VR技術とGDEはますます社会に入り込み、社会の必要不可欠な一部になるだろう。

 危険性があるためそれを根から否定するような考え方をする視野の狭い人間にはなるつもりはない。

「さて、ひとまずこの三時間のスケジュールを立とう」

 やはり『ザ・ワールド・オブ・ヴァーチャル』、ひいてトールというNPCが私の世界観に与えた衝撃が大きかった。

 最先端のVR技術についてそこまで詳しくないが、社会に出て、実用化されたものは一応一通り把握しているつもりだ。

 しかし、『ザ・ワールド・オブ・ヴァーチャル』が見せた高度なAIは画期的なもので、従来のものとの間には本質的な差異があると思われる。

「とはいえ、技術云々は二の次だ」

 確かに、その技術の溝が生じた原因について気になるが、それより優先度の高い問題が待ち構えている。

「AI倫理に関する国際法の項目は……あったな」

 スマホを使って検索するのもいいが、せっかく隣にGDEが置いてある。それを使わない手はない。

『圭介、もう目が覚めた?何をやっているの?』

 早速情報の精査に入りたいところだが、GDEを使ってインターネットに接続した途端、予想外のところから声をかけられた。姉からのVR通話だ。

 日本語に切り替えてくれたか、ありがたい話だが……

『レベッカ、これからリアルでも英語を使って話そうと思う。ナチュラルスピーカーに近づくため少しでも自分の英語を鍛えたい」

 GDE用アプリのほとんどは他のアプリと並行して動作できるが、『ザ・ワールド・オブ・ヴァーチャル』はその限りではないようだ。翻訳アプリが使いないであれば、NPCが使用する言語が英語である『ザ・ワールド・オブ・ヴァーチャル』を考察するに当たって、英語力の有無は考察の成果を左右しうると考えられる。

 欲といえば敬語の使い方もマスターしたいが、それは焼け石に水の鍛錬で上達できるものと思えない。それと、発音や文法が綺麗でないと敬語を使ったところで敬意を相手に伝えないだろう。

『……!もちろん、大歓迎だわ』

 そのあとは「第2ラウンドよ、今回こそ落とす……」みたいな物騒なつぶやきを聞こえたが、何のことかよくわからないから聞こえなかったことにしておこう。

『ありがとう、レベッカ。それで、話を変わるが、GDEが脳をメンテナンスする時、安静が必要だと思ったが』

『そのことか。今のところで修復しているのは行動を司る部分なの。だから体は全く動けないけど、思考は大丈夫みたい』

『そうか、ならいいが……ちょっといい、君があのトールという人についてどう思っているのかについて聴きたい』

『え?トール?誰?』

 憶えていないらしい。

『最初で私たちが乗っていたあの馬車の中、私たち以外にまだ四人もいただろう?その四人の中でもっともアバターが歳上の男性の人』

『ああ、あの記憶喪失と喚いたオッサンね。GDEのせいで記憶を無くしたのは気の毒だけど、やっぱりちょっと気持ち悪いと思うわ。最初話を掛けたのに無視したくせに、後になってそっちから話を掛けてきて、最後にわけわからない理由で勝手にキレて……』

 どうやら姉もあのトールという個体はNPCではないことを前提として考えているようだ。

 当然なことだ。むしろそれを前提としないほうが常識的にありえない。

『もし、その人が、NPCだと言うなら、レベッカは信じるか』

 試しに聞いてみたが、姉が帰ってきた反応はやはり戸惑いだった。

『信じるのも信じないのも。あのオッサン、NPCであってはいけないわ。圭介も確認できなかったでしょう、あのオッサンはNPCであることを』

『そう、そこが重要なのだ。この『ザ・ワールド・オブ・ヴァーチャル』では、客観的にオブジェクトの性質を調べる術がないのだ』

 途中でアプローチを変えて色々試したが、やはり無理だった。このアプリは法律を違反していないことを前提とし、そこから導き出す答えは……

『つまり、このゲームにはプレイヤーとスタッフしか存在しないってことね。人間にNPCの役を務めさせるって、面白い発想だわ。初めて見たタイプよ』

 予想した通りの答えか……

 いかにも常識人らしい発想だ。

 つまり、姉の弁によれば、兵士も異形も、ゲームに出現する如何なる思考を持つ存在は、元をたどれば生身を持つ人間であるべきだということだ。

『あのトールと兵士たちは、 AIを搭載しているNPCという可能性はないか?』

 姉の考えに大体の予想がつくが、ここはあえて質問を畳み掛け、注意を喚起する。

『……圭介は、このゲームは全世界に喧嘩を売っていると言いたいの?』

『私見だが、その可能性はあると思う』

 AIは人間と同一なものであってはならない。

 AIであるとはっきり認識できる標識がなくてはならない。

 細部の記述に違いこそあれ、ほとんどの国は、AIの開発者ならびに管理者に対してこの二つの規制を課している。

 クローン技術と同じ轍を踏まないため生まれた法律である。

 主旨もクローン技術規制法と同じであり、日本の場合、それを倣ってAI技術規制法という。

 そして、あのトールという個体がAIを搭載しているNPCであると仮定すれば、このゲームの関係者はAI技術規制法に違反したこととなり、刑事責任を取る必要がある。

『利用規約によれば、このゲームは国際法を参照しているらしい。つい先調べたところ、やはり国際法の中にAI技術規制法に類する記述もある』

『ちょっと待って、早まらないで。そもそもどうしてあのオッサンはAIだと言い切れるの?何か証拠でもあるの?』

『……客観的な証拠はない。が、AIであるか否かはもう一度あのゲームにログインすれば検証できるだろう』

『それもそうね』

 姉の言うように、もしこのゲームはスタッフの手により贈られた体験形演劇であれば、ゲームのコンテンツも自ずと限られる。その場合、ゲーム内容はあのイベントの繰り返しになるだろう

『じゃ早速ログインしましょう……』

『その前に、いくつの問題について確認したい』

 姉の提案を言下に断り、必要な情報を洗い出す。

 VR技術とAI技術は切っても切り離れない双子のようなものだ。

 世界中がVRに熱中していれば、AI技術もまた自ずと発達していく。

 しかし、AI技術に極めてデリケートな問題がいくつ存在している。前述した人権問題以外にも、 AIと人類の共生に関する論題が論争を呼ぶ。

『まだ何かあるの?』

『国際法におけるAIのアルゴリズムに対する規制について知りたい』

『アルゴリズム?なにそれ』

『簡単にいうと、判断基準のことだ』

『判断基準に規制がかかっているの?AIは自律的なものだと思っているけど』

 どうやら姉はこのあたりについては全く知らないらしい。

 この論題を一から十まで語れば話が長くなるため割愛するが、要点だけを簡単に纏めてみよう。

『かかっている。規制の目的はいかにAIが人類の利益を損なわずに人類の利益に貢献させるかの一点に集中する』

『うわぁ』

 ドン引きしているらしい。

 確かに、人間はエゴの塊であることをしっかり認識できる要約だ。

 説明を付き加えるとしよう。

『世の中に、プラスだけ、あるいはマイナスだけに働く事柄は皆無と言っても過言ではない。損得勘定をして、プラスとマイナスを相殺させた結果、プラスが残っていればなら有益、マイナスが残っていればなら有害と認識し、有益な事柄を取り入れ、有害な事柄を切り捨てる。

 それが人間の基本的な行動メカニズムである。

 しかし、AIだけは例外で、AI の自律判断であれば、いかに軽微なマイナスでも許されない。たとえ結果的にプラスがマイナスを上回ったとしても、だ』

『なぜ人類がAIに対してそんな意地悪ことをやっているの?』

 意地悪か……言い得て妙だな。

 確かに人間相手にそれをやったらいびりにしかならない。

 しかし、幸か不幸か、AIと人間は決して平等ではない。

『それを説明するには……そうだな、「外部不経済」の例が適しているな。英語圏は確か、社会のジレンマと呼んでいるはずだ』

『社会のジレンマか、なるほど……』

 どうやらまだ説明がいるらしい。

『とある状況を想定しよう。同じコミュニティに属する主体Aと主体Bがあるとする。

 主体Bはマイナス5の不利益を被ることで、主体Aがプラス10 の利益を得ることができる。この場合、コミュニティの利益を優先すれば主体Bは甘んじて不利益を被るべきだが、自分の利益を優先する場合、主体Bに当たる存在はその選択をしない』

『エゴリストは嫌だな。こいう時こそAIの出番じゃない?計算の結果を使って主体Bさんを論理的に説得すべきだわ』

『むしろ逆だ、AIは決してその判断をしてはいけない。国家と国民をこの例に当てはめるとしよう。

 同じ量の資源だが、普通の個人より、国家理性に従って行動する専門家の集団である政府の方が効率的に運用し、多くの価値を作り出すことはできる。従って、個人の財産を全部政府に上納し、政府がその財産を使って個人還元する場合、もっとも多くの価値を生み出し、社会に進歩させることができる。

 しかし、このモデルは必ず成功するとは限らない。このモデルをなんと呼ぶのかは知っているだろう?』

『……共産主義の計画経済、だよね』

『ご名答。

 しかし、知っている通り、おおっぴらには言えないが、東側の台所事情は芳しくない。一時的に倒産寸前まで追い込まれた時期もあった。

 AIに世界の経済政策の判断を丸投げしたら、文明の衰退すらありえる。

 故に、ほとんどの国の法律において、AIのアルゴリズムの中に、如何なる状況でも人間の利益を損なってはならないという禁止条項を含むことを

 必須とする……』

(やはり国際法にもあったな)

 思いのほかに時間がかかった。そのほかにもいくつ確認すべき事項があるが、やはり喋りながら作業し続けるのは難しい。ひとまず姉の対応に集中しよう。

『……どうして、こういうことが起こるの?AIの計算が間違っているかな』『厳密に言えば確かに間違っている。不利益を被る人間の失望と嫉妬も、利益を得る人間の慢心と傲慢も、AIにとっては理解しがたい概念だ。それらをアルゴリズムに組み入れるには、抽象的な表現だが、まずAIに人間の心を与えなければならない』

『しかしそれは……』

『ああ、人間の法律によって禁止されている』

『遣る瀬無い話だね』

 気づけば、知らず知らずのうちに話が随分と逸れてしまったようだ。どうにもならない話を並べ、姉を落ち込ませても意味はない。

『……ともかく、私が言いたいのは、『ザ・ワールド・オブ・ヴァーチャル』に出現するAIの仕様が法律に違反している可能性がある以上、AIも敵対的な行動をとる恐れがある。それに注意し、備えることだ』

『NPCが襲ってかかるのはいつものことでしょう?今更じゃない?』

 だから、利用規約を読まないとこういうことになる。

 どのアプリも、利用規約においてプレイヤーの自己責任となる場合はしっかりとリストしてある。もちろんこの『ザ・ワールド・オブ・ヴァーチャル』も例外ではない。

 それが当てにはなれないと注意しているのだが……よく考えてみれば、姉は最初からそれを当てにしていないか。

 何だか虚しくなってきた。

『……何卒警戒レベルを一段階だけでも引き上げていただければと存じます。では、これから『ザ・ワールド・オブ・ヴァーチャル』を利用するにあたって注意すべき事項をピックアップさせていただきます』

『……うん』

 気持ちを伝えるときはやはり日本語の敬語に限る。

 さあ、講義の時間だ。


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