#4 刃のような鋭い声音
朝ごはんを食べ終えたユウタとフワリは、キッチンにいるアンヌに声を掛けた。
「じゃあ、いってくるよ」
「アンヌおばさま。いってきます」
洗い物をしていたアンヌは、エプロンで手を拭きながら二人を見送る。
「二人ともいってらっしゃい。フワリちゃん。ユウタのことお願いね。好きな物しか見えなくなって、迷子になるかもしれないから」
アンヌの口調からは、とても冗談を言っているように思えなかった
「はい。ユーくんのことは、フワリに任せてください」
笑顔で頷くフワリからは、ユウタを守るお姉さんの貫禄充分だ。
二人から子供扱いされて、ユウタの耳が赤くなる。
「母さん。僕もう高校生。小学生じゃないから、迷子になんかならないよ。もう恥ずかしいなぁ」
「はいはい……でも気をつけるのよ」
そのアンヌの声音から、本当に心配されているのがユウタにも伝わってきたので、反発するのをやめて素直に返した。
「分かってます。フワリ姉、行こう」
リビングを出ようとドアに手を掛けると、アンヌが慌てた様子で声をかける。
「忘れ物ない? 傘とか入れた?」
「大丈夫! いってきます」
リビングの扉を開けると、二人の視界に黄色と黒の縞模様の三毛猫ホシニャンが寄ってきた。
その名前の由来は、額に星の形の模様があるからだ。
ユウタはしゃがみこむと、ホシニャンに手を伸ばす。
「いってくるよホシニャン。母さんと留守番よろしく」
ホシニャンは、ユウタの手に身体を擦り付けながら寂しそうに鳴いた。
『あにぃ。早く帰ってきてね』
「うん。なるべく早く帰ってくるよ」
ユウタとホシニャンは普通に会話をしているが、隣に立つフワリには猫が鳴いているようにしか聞こえないだろう。
実は、ホシニャンはテレパシーを使う事が出来る猫で、しかもユウタとだけ意思の疎通が出来る。
ある雨の日。路地裏で蹲っていたホシニャンを見つけたのだ。
もちろん、最初知った時は、とても驚いたが、特に害があるわけではないので、アンヌにもこの事は話していない。
撫でられていたホシニャンは、満足したのかユウタの手を離れて、次はフワリの方へ向かい構って欲しそうな声で鳴く。
「フワリにも撫でて欲しいの? もうしょうがないなあ」
「フワリ姉。先に外に出てるよ」
「うん。すぐ行くね」
フワリはひっくり返ったホシニャンのお腹を撫でながら返事した。
ユウタは玄関で白のスニーカーを履いて勢いよく扉を開ける。
その時、廊下を通りかかった人に気づかずに開けてしまい、ぶつかりそうになって慌てて止まった。
「わっ!」
ああ、まずい。どうしよう……。
しかも、外の廊下にいたのはユウタが一番苦手とする女性だったのだ。
出来れば時を巻き戻して、ドアを開ける前に戻りたいと、本気で思っていた。
先に口を開いたのは女性の方だ。
キツネの目のようにつり上がったフレームのサングラスをかけ、身に纏う雰囲気は美しさと冷酷さを併せ持つ日本刀のようだ。
ユウタは喉元に刃を突きつけられたように動けなくなり、心臓が早鐘を打って嫌な汗が止まらない。
「ユウタ君。おはよう」
まるで刃のような鋭い声音にユウタは竦んでしまうが、なんとか口を動かして返事をする。
「お、おはようございます」
艶のある紫の髪をお団子のような形にまとめている女性の名前は照愛沙耶刀。
苗字から分かる通り、お隣に住むフワリの姉で防衛軍に勤めている。
軍という職業柄か、立ち振る舞いもそうだが服装にも隙がない。
ユウタよりも十センチ以上高い、身長百六十八センチという長身に纏うのは、動きやすさを重視した、ノーネクタイの黒のパンツスーツだ。
ノリの効いた白のワイシャツ。その上に二つのフロントボタンで引き締まったシルエットのジャケット。
袖の三つの飾りボタンが陽の光を反射して輝く。
ボトムスは膝から裾に向かって次第に細くなっていくテーパードパンツに黒のパンプスを合わせている。
黒いスーツによって彼女のシミひとつない白い肌が一層際立っていた。
サングラスの奥から覗くツリ目のアメジストの瞳がユウタを射抜くように見据える。
ユウタは視線に耐えきれず、俯いてしまう。
それでも刺すようなサヤトの視線を感じてどうしようもなくなってしまい、膠着状態に陥る。
神様、助けてください!
そんな永遠とも思える時間を氷解させたのは、ドアを開けて出てきたフワリだった。
「ユーくんお待たせ。ホシニャンったらなかなか満足してくれなくて……あれ? お姉ちゃん」
フワリは、俯くユウタと、そんな彼をじっと見つめるサヤトの姿を見つけた。
「ユーくんどうしたの? すごい汗だよ。お姉ちゃんもそんな所で何してるの?」
サヤトは、ユウタにハンカチを渡しながら問いかける妹に対して、ほんの僅かだけ冷たい雰囲気を和らげて答える。
「ユウタ君がドアを開けた時にぶつかりそうになって。その謝罪を待っているの」
落雷が直撃したようにユウタの全身が震えた。
「サ、サ、サヤトさん。ぶつかりそうになって、ご、ごめんなさい!」
言葉が噛みまくりの謝罪を聞いたサヤトはため息をついた。
「許します。でも、次からはもっと早く言いなさい。もう高校生でしょ。子供じゃないんだから」
母親以上に母親みたいな事をフワリの前で言われて、ユウタは顔から火が出るほど恥ずかしくなってしまった。
「……はい」
「お姉ちゃん。時間は大丈夫なの?」
サヤトはユウタからフワリに目を向け、次に左腕の腕時計に目を落とした。
「そうね。じゃあフワリ。行ってくるわ。戸締りちゃんとするのよ」
「うん。いってらっしゃいお姉ちゃん。次はいつ帰ってこれるの?」
サヤトは自らの三角形の頤に指を添えて答える。
「そうね。忙しくなければ一月後だと思うわ。決まったら連絡するから」
「うん待ってる。いってらっしゃい」
フワリが手を振ると、サヤトは小さく頷いてそのまま立ち去った。
俯いたままのユウタは、自分に向けられている視線に気づくことはなかった。
彼女が立ち去った後、何処からともなく微かな甘い香りが漂ってきてユウタの鼻をくすぐっていく。




