#9『ベレムナイト。後は頼んだぞ』
―1―
子供の頃、ジェームズは父の話を聞くのが大好きでした。
身体の弱い父は海軍指揮官として、数多の怪獣と戦って倒してきたからです。
ジェームズは毎日寝る前には、父にせがんで怪獣との激闘を聞かせてもらっていました。
けれども、話が終わって息子の頭を撫でる父の表情が陰っていた事には全く気づきませんでした。
そんなある日の夕食時に事件が起こります。
突然リビングの窓ガラスが割れました。
幸い、細かくなったガラス片が頭に乗っかったくらいで、怪我はありませんでした。
家族が突然の出来事に慌ただしくなる中、ジェームズはテーブルの一点を見つめていました。
そこには、外から投げ込まれたと思われる拳大の石があったのです。
家族の団欒をめちゃくちゃにした石には、血のような赤い塗料でこう書かれていました。
『ジョン、お前のせいで家族が死んだ。お前は決して英雄なんかじゃない』
それは家族の誰もが心当たりがあるようでしたが、幼いジェームズはまだ何も知らなかったのです。
―2―
西暦二〇七〇年、五月九日。
ガーディマンが希望市で怪獣軍団を待ち受けていた頃、曇り空の南太平洋では……。
「……長、艦長」
ジェームズ・J・ジョンソンは、自分のことを呼ばれていることに気づき、厚い眉毛に覆われた目蓋をゆっくりと開きます。
「アシュリー君、どうしたかな」
「そろそろ護衛の潜水艦が我が艦と合流すると連絡がありました……まさか作戦中に居眠りしていたのですか」
アシュリーと呼ばれた女性はジェームズに蔑みの視線を送ります。
歳上であるジェームズに対する口調も刺々しく、仲の悪さが窺えました。
「いやいや居眠りなどしておらんよ。ちょっと物思いにふけっておったのだよ」
ジェームズは耳に装着しているイヤフォンのスイッチを入れます。
すると、水中で扇風機を回しているような音が聞こえてきました。
重なって分かりづらいですが、どうやら複数いるようです。
「スクリュー音からして、オルカ級二隻か」
その名の通り、シャチに似た防衛海軍の潜水艦でした。
ジェームズ自身も以前乗ったことがあり、安定した性能は海軍の主力として充分です。
ですが、ジェームズは思わずため息をついてしまいます。
今回の作戦には日本のCEFが参加する予定でしたが、突如現れた怪獣の出現により来られなくなってしまったのです。
火力不足のオルカ級では、今作戦の護衛として役不足なのは目に見えて分かっていました。
その思いが、溜息となってジェームズの唇の隙間から漏れ出たのでした。
「護衛の戦力に不満だからって、溜息なんてつかないでくれませんか」
前の座席で操舵輪を握るアシュリーに嗜められてしまいました。
「すまん」
謝罪に対しての返答はありませんでした。
ジェームズは瞼を閉じ、再び軍に呼び戻された時の事を思い出していました。
―3―
地下逃避時代が終わり、地上に戻ったジェームズは五〇歳で防衛海軍アメリカ支部に入隊します。
怪獣との戦いは経験しませんでしたが、その分多くの部下達を育て上げ、大勢から慕われていました。
父ジョンは防衛軍でも有名人であり、名前の頭文字を取ってトリプルJと呼ばれていました。
ジェームズもまた、親しみを込めてトリプルJと呼ばれるようになりました。
父と同じく英雄視されるのに違和感を感じていましたが、周りの気分を害するのもどうかと思い、特に指摘はしません。
そして十年後に退役し、マリア夫人と二人で田舎の小さな家で静かに暮らす事にしました。
妻が天国に旅立って一年、毎日死んだように静かだった家のドアがノックされます。
扉を開けると、疎遠になって夫人の葬儀以来会っていなかった娘のアシュリーが立っていました。
目が合うなり、軍服を雨粒で濡らしながら敬礼してきます。
その表情は肉親に対する柔らかさはなく、軍人として、上官を前にした硬い表情でした。
退役したジェームズは敬礼を返さずに話しかけます。
「いきなりどうした? まあ上がりなさい」
「いえ結構です。単刀直入に申します。軍に復帰してもらいたいのです」
玄関前でいきなり本題を切り出しました。
老い先短い自分に何をさせようと言うのか、ジェームズは拒否するために、たっぷりの白い口髭に覆われた口を動かそうとします。
しかし、アシュリーはそのまま有無を言わせぬ口調で続けます。
「複数の場所で怪獣が同時に出現しました。そのうちの一体を見れば、あなたも軍に復帰したくなるでしょう」
取り出した携帯端末の液晶には、島のように大きなアーモンド型の怪獣、ゼタマウスが写っていました。
「……分かった。今回の作戦の詳細を教えてくれ」
その時、否定すると言う考えは、ジェームズの頭から消失していました。
ゼタマウス。
それは父ジョンを英雄にしたと同時に、大罪人に陥れた張本人でありました。
一九八八年。
マーシャル諸島ビキニ環礁近くに、アーモンド環礁がありました。
名前の通りアーモンドそっくりな環礁には百名ほどの人々が住んでいます。
ある日、小規模な地震が起きました。
一度のみならず、感覚を詰めて何度も揺れが続くのです。
政府は万が一に備えて村人を避難させます。
その直後、アーモンド環礁は大きな口を開いて怪獣と化したのです。
いつからそこにいたのかは分かりません。
けれども何十年も人々が住んでいた環礁は、人に害を及ぼす存在となったのでした。
島が怪獣になったという異常事態に防衛軍は日本とアメリカの艦隊を派遣します。
怪獣ゼタマウスに対して攻撃を開始しますが、通常兵器では傷一つつけられませんでした。
そこでアメリカ支部は極秘に開発していた新兵器を使用します。
アメリカ側の艦船に積まれていた数十発のミサイルがゼタマウスに命中した途端、人間が作り出した太陽が、アーモンド型の怪獣を包み込みんでしまいます。
不気味なキノコ雲が晴れた時、ゼタマウスの姿は跡形もなく消えていました。
防衛軍はその威力の凄まじさに、ただただ茫然と見ていることしかできませんでした。
そんな彼らに、死の灰が音もなく降り積もっていたのです。
その場には、ジェームズの父ジョンの姿もありました。
―4―
再びアシュリーに呼ばれます。
「艦長」
ジェームズは椅子の上でわずかに腰を浮かせながら答えました。
「寝てはおらんよ」
「薬の時間です」
「……そうか、教えてくれて、ありがとう」
「いえ」
それきり会話は途絶えてしまいます。
ジェームズは持ち込んでいた十錠の薬を一粒ずつ水で流し込んでいきます。
七〇歳になって筋肉も衰え、病気持ちになってしまいました。
薬を欠かせば、一日と生きられません。
そんな状態でも、ゼタマウスを倒したかったのです。
今回ゼタマウスを倒す為に防衛軍アメリカ支部は、封印した核兵器に代わる試作兵器を用意しました。
それは惑星破壊兵器といいます。
惑星の心臓ともいえる核を破壊する為、一際頑丈に作られており、比較的簡単に潜水艦に転用が可能なのでした。
その名称はベレムナイトといいます。
ベレムナイトは大昔に絶滅したイカによく似た動物で、細いドリルのような胴体が特徴です。
ジェームズ達が乗り込んだベレムナイトの最大の特徴も前方にあるドリルでした。
全長八〇メートルの胴体の半分を占めるドリルは真鍮色で、鋭いだけでなくとても頑丈そうです。
水の水圧を分散する円形のボディには、ほぼ全ての船に必ずある尾鰭のような方向舵は見当たりません。
ジェット機のようなウォータージェット推進の四機の偏向ノズルが角度を変える事で、旋回や方向転換が可能なのです。
更に低速時なら無音航行も可能です。
大きなドリルがついたボディの上部には胴体には比べてとても小さな艦橋がありました。
偵察用の小型潜水艇を改修した物で、定員は二名です。
島のように大きなゼタマウスを倒す責任は、ジェームズとアシュリー二人の両肩に岩石の如くのしかかっていました。
けれども二人はそのプレッシャーに押し潰されてはいませんでした。
七〇のジェームズは勿論、三〇手前のアシュリーも涼しい顔をしています。
ジェームズはイヤホンで外の音を聴いていました。
以前潜水艦に乗った時から深い海の底で聞こえる音が好きなのです。
いつもなら海に住む生物達の声や物音が聞こえます。
しかし、危険を感じているのか、生命特有の不規則な動きは聞こえません。
聞こえてくるのは二五〇メートル上の水面から聞こえてくる規則正しい鼓動だけです。
正体は、展開している防衛海軍の艦隊のエンジン音でした。
音を聞きながら無意識に懐に手を入れ、愛用の嗜好品を取り出して口に咥えます。
「艦長、火をつけないでください」
アシュリーに釘を刺され、マッチを擦ろうとしたところで手が止まりました。
「……すまん」
マッチはしまいましたが、最後の抵抗とばかりに、パイプは口に咥えたままにしていました。
アシュリーはそれに気づいているようですが、特に何も言いませんでした。
ジェームズは帽子を取って、禿頭の汗を拭うのでした。
―5―
アシュリーがヘッドホンを抑え、何度か相槌を打ちます。
どうやら通信が入ったようです。
「艦長。ゼタマウスが動き出したそうです。艦隊が陽動のため攻撃開始します」
「遂に始まったな」
ジェームズは帽子をかぶり直して気を引き締めました。
イヤホンから聞こえてくる音が一気に騒がしくなります。
爆発音の後に尾を引きながら離れていくのは、ミサイルが発射された音です。
百近い飛翔音が聞こえて暫くすると、目標を包み込む爆発音が一斉に聞こえてきました。
艦隊のエンジン音に混じって、別の音が聴こえてきます。
耳をすませると、それは掃除機によく似た音でした。
タンカーをも吸い込んでしまいそうな吸引力を持った掃除機のような音が、艦隊の反対側の水面から聴こえてくるのです。
ゼタマウスが大口を開き水を吸い込んでいたのでした。
飲み込んだ水を後部から勢いよく噴射して移動を始めていましす。
「ゼタマウスの進行、止まりません。艦隊は攻撃を続行します」
「トカゲラの様子は」
「ゼタマウスを護衛するように周囲を泳いでいます」
「艦隊の攻撃で我々に気付かないはずだ。速度を上げて近づこう。護衛にも伝えてくれ」
ベレムナイトのプラズマ炉心が出力を上げ、四つのノズルから勢いよく泡が吹き出しました。
逆三角の陣形を組んだまま三隻の潜水艦は水を掻き分けるように進んでいきます。
出力を上げて接近していくと、ソナーが接近してくる物体を捉えました。
アシュリーがジェームズの方を振り返って知らせます。
「トカゲラがこちらに急速接近!」
―6―
艦隊の陽動攻撃の釣り針に、トカゲラは引っかかりませんでした。
何が一番脅威になるか瞬時に判断し、深海を進む潜水艦三隻に狙いを定めたのです。
護衛のオルカ級二隻が先陣を切ります。
「我が艦は深度を下げ戦闘を避けて進む」
「了解。水深を下げて前進します」
アシュリーの操作でベレムナイトは先端を下げてさらに光の届かないところへ向かいます。
その二〇〇メートル上では、お互いの勢力の護衛が正面からぶつかっていました。
まず、オルカ級二隻が魚雷を発射して先制攻撃します。
トカゲラは自分の灰色のビーズ状の皮膚の頑丈さに任せて避けることもしません。
魚雷攻撃が続く中、トカゲラは一隻の潜水艦に肉薄し、鋸のような胸ビレで船体を切り裂いてしまいます。
残ったオルカ級が攻撃しようと旋回しますが、トカゲラはそれ以上の動きで翻弄します。
潜水艦の真下に潜ったトカゲラは、鰐のような口を上下に九〇度上げて食らいつきました。
そのまま強靭な顎と鋭い牙で、水圧にも耐える潜水艦を易々と真っ二つにしてしまいました。
二つの潜水艦の残骸から、乗組員を乗せた球体の脱出ポッドが海面に浮上していきます。
乗組員達は、いつ怪獣の鋭いヒレに襲われるか、大きな口で噛み砕かれるかと思うと不安で不安でたまりませんでした。
しかし、トカゲラはそんな恐怖に震える彼らを無視して、逃げたもう一隻の潜水艦を追いかけるのでした。
―7―
ジェームズとアシュリーは護衛のオルカ級の反応が二隻とも消失したのをソナーで確認していました。
しかし、彼らを助けることはせず最優先目標を遂行するために、進路を変更することはありませんでした。
今は出力を抑え、エンジンから漏れる音も最小限です。
「艦長、オルカ級を撃沈したトカゲラがこちらの方向に近づいて来ます」
「感づかれたかな」
「まだ分かりません。こちらを探しているだけかも知れません」
トカゲラの速度は緩むこと無く距離が近くなってきました。
アシュリーが聞いてくる前に、ジェームズは指令を出します。
「機関最大。怪獣を振り切る」
戦闘という選択肢はありません。
ベレムナイトの四つのノズルが限界まで開き、最大出力で逃げ出します。
けれども距離が開かず、じわじわと縮まってきていました。
「アシュリー君、私のタイミングで旋回してくれ」
いきなりの提案に、彼女の背中からも容易に驚きが伝わってきます。
「この艦で戦闘は不可能です。忘れたんですか」
「忘れてはおらん。だが逃げきれそうにないのは分かっているだろう」
アシュリーは押し黙ってしまいます。
「さあ問答は終わりにしよう。怪獣が迫って来ているぞ」
トカゲラが迫る中、ベレムナイトは百八〇度急旋回しました。
全長の半分もあるドリルの先端を怪獣の方へ向けました。
「このままの状態を維持」
ジェームズの言葉の直後、艦全体が大きく震えます。
トカゲラがドリルに噛みついた振動でした。
鋭い牙と真鍮色の衝角が削れる音が、イヤホンを通して聴こえてきます。
「プラズマ炉心の出力を二〇まで上げて、衝角を回転させろ」
ドリルが回転すると、潜水艦をも貫く牙を容易く削り折ってしまいました。
突然の痛みに驚いたようにトカゲラが離れていきます。
「トカゲラが逃げていきます」
「アシュリー君。止めは艦隊に任せよう。我々は本来の作戦に戻る――」
「艦長。トカゲラが戻ってきます」
「あくまで護衛に徹するか、ならばこちらも迎え撃つ」
ベレムナイトは再び旋回するとドリルを回転させていきます。
「出力三〇まで上昇。そのまま前進」
ドリルを回転させたまま突進し、口を大きく開けたトカゲラと激突しました。
口から飛び込み、そのまま体内一直線に貫きます。
前後に穴が空いたトカゲラは、水圧によって握り潰されるように小さくなっていき、最後には一片の破片さえ残らず消えてしまいました。
―8―
「反応消失しました」
アシュリーの報告にジェームズは頷くと、胸に手を当て激しくなっていた動悸を鎮めていきます。
「本来の作戦行動に戻る。艦隊には引き続き陽動を要請」
「了解。ゼタマウスの進行ルート予測が出ました。日本に向かっているみたいです」
「敵の行動も陽動だったか」
「どういう事です」
「奴らの狙いはGN星人が残してくれたヴェルトオヴァールだ。それを奪う為に複数の怪獣を使い、我々が応援に行けないようにしたんだ」
「では一刻も早く私たちの手で倒さないといけませんね」
「そうだなアシュリー君。よし全速前進。ゼタマウスに対して作戦を決行する」
もう邪魔する者はありません。ベレムナイトは持てる最大限の力で海を切り裂き突き進んでいきます。
そしてゼタマウスの真下までやってきました。
防衛軍の攻撃は続いているようで、激しい爆発音が鼓膜を震わせてきます。
「機関最大出力。同時にプラズマ炉心の出力も最大まで上げるんだ」
「了解」
四つのウォータージェットノズルを精一杯開き、船体から外れそうなほどドリルを激しく回転させます。
「ゼタマウスに接触します。衝撃に備えて」
ベルトを閉めたジェームズは、椅子の手すりを力一杯掴みます。
襲いかかる衝撃によってシートベルトが閉まり、身体に痛みが走りました。
ベレムナイトのドリルはゼタマウスのミルフィーユ状の外殻一枚一枚に穴を開けて体内に潜り込んでいきます。
ドリル全体の半分がゼタマウスの中に入りました。
「ここまで進めばもう引き抜かれる事はないはずです。脱出します」
新たな振動が襲ってきます。体に穴を開けられたゼタマウスが苦しむように身をよじっていました。
「うむ。ベレムナイト後は頼んだそ」
ジェームズは床を見つめ、短い間とはいえ共に戦ったベレムナイトに感謝の視線を注いでいました。
ジェームズとアシュリーが乗っている艦橋部分がドリル船体と分離しました。
艦橋は潜水艇を改良したものだったので、そのまま独立で行動することが可能なのです。
無人になったベレムナイトはドリルを回転させ続けてゼタマウスの体内に侵入し、中心にある核まで到達しました。
そのままプラズマ炉心を暴走させて、自爆します。
ゼタマウスの全身にヒビが入っていき、悲鳴を上げるように口を開きました。
そのヒビの内側や口内から光が溢れた直後、巨大な青い炎の塊となって消滅しました。
―9―
ジェームズとアシュリーは無事に海面に浮上し、今は甲板上にいました。
脱出の際にどこか故障してしまったようでこれ以上進めなくなってしまったのです。
なので今は救助隊を待っているところでした。
ジェームズは濡れるのも構わずに、甲板に座り込んだままゼタマウスが消滅した場所を見つめていました。
右手には父の形見のパイプが握られています。
後ろから足音が近づいてきます。
「吸わないんですか」
娘からそんな事を言われました。
「……良いのか?」
「今日ぐらいお祖父様に勝利を報告してあげても良いんじゃないんですか」
アシュリーはどこか恥ずかしそうに目を逸らしたままでした。
「そうだな。じゃあ、お言葉に甘えて」
ジェームズは慣れた手つきで、パイプに煙草の草を詰めるとマッチで火をつけます。
久々に吸った一服は格別のものでした。
吸った煙を吐き出しながらアシュリーに話しかけます。
「なあ、戦いが終わって平和になったら一度家に来ないか。母さんも会いたがっているだろうし、私も色々と話がしたいな」
そう背中を向けたまま、自分の気持ちを声に出しました。
「ええ。考えておきます」
短い答えでしたが、否定した答えではありませんでした。
ジェームズは帽子の鍔で潤む目元を隠しながらもう一度パイプを口に持っていきました。
立ち登る紫煙は、晴天になった青空に上っていきます。
まるで、天国にいる父や妻に報告しに行くようにゆっくりと昇っていくのでした。




