#14 そして平穏が訪れる
イレイド星人とメカキョウボラスの脅威が去って一夜が開けようとしていた。
既に混乱は収まり、軍は引き上げている。
地下シェルターに避難していた人々も既に家に帰り、街のビルには星空も霞むような明かりが灯り、いつもの生活を取り戻しているのが容易に見て取れる。
その街の郊外にある洋館の最上階のバルコニーで、アンヌは一人、手すりにもたれて立っていた。
司令部から帰ってきてから、ずっとここにいて、食事もとらずに満点の星空を見上げ続けていた。
地球の希望でありアンヌにとってかけがえのない人が帰ってくるのを待っているからだ。
怪獣を倒した時、ダンは爆発の光に巻き込まれて行方不明になってしまった。レーダーも役に立たず、未だに何の音沙汰もない。
でも死んだとは思っていなかった。何故ならダンは必ず約束を守る男だからだ。
夜が明けてもアンヌはその場を離れずに帰りを待っていると、部屋のドアが小さくノックされた。
「開いてますよ」
アンヌはドアの方を見ずに答える。
入ってきたのは彼女の護衛を務めるメイド達の一人だ。
アンヌのことが心配なのか、心なしか表情は暗い。
両手に朝食が置かれたトレーを持っている。
「失礼します。アンヌ様。お食事は如何されますか?」
「ごめんなさい。食欲がないの」
「畏まりました。もし何か必要な時は、何なりとお申し付けください」
「ありがとう」
メイドがドアを閉める音を聞きながら、アンヌは空を見続ける。
太陽が真上に来る頃、再びドアがノックされた。
「どうぞ」
アンヌは昼食のことだろうと思い、断ろうと振り返るが、部屋に入ってきたメイドは手に何も持っていなかった。
「失礼します。アンヌ様。児童養護施設の子供達が来ていますが、如何いたしましょう」
「子供達が……」
アンヌが返事を考えていると、気を使ったのか、メイドがこんな提案をした。
「体調不良という理由で、また後日に来てもらって、今日は帰ってもらいましょうか?」
メイドの提案にアンヌは頤に手を当てた。
「ええ……いえ、待ってください。会いましょう。準備をするので、あの子達に少し待っていてと、伝えてください」
それを聞いたメイドの暗い顔が晴れやかになったのがアンヌにも分かった。
「か、畏まりました! すぐに伝えてまいります」
「それと、お菓子とジュースも持っていてあげて」
メイドがお辞儀しながら、部屋を退室した後、アンヌは化粧台の前に座った。
泣き腫らして酷い顔だ。メイド達にも嫌な思いをさせたかもしれないと思い、アンヌは薄くメイクで整える。
人前に出てもおかしくない程度の血色の良さを取り戻したが、眉の下がった表情は絶望に包まれた死人のようだ。
こんな顔じゃ子供達に嫌われてしまう!
アンヌは鏡の前で無理矢理笑顔を作る。帰ってこないダンのことを思うと、目頭が熱くなるが、それを堪えてスマイルを作る。
何度も泣きそうになる度に、ダンの言葉を思い出していた。
『どんな時も笑顔で。それが彼らにとって一番必要なものです』
「笑顔、笑顔」
アンヌは何度も声に出しながら、悲しみを心の底にしまいこむ。
「さあ、行きましょう」
呼び寄せたメイドと共に、アンヌは庭で待っているであろう子供達の元へ赴く。
洋館の前の庭には、児童養護施設から来た子供達が集まって何かを鑑賞しているようだ。
「あー、アンヌお姉ちゃんだ!」
「お姉さん。こっちこっち!」
アンヌに気づいた子供達が手招きして、彼女を空いている椅子に座らせる。
「こんにちは。みんな何を見ているの?」
子供達は一斉に声を合わせた。
「「ヒーローショーだよ!」」
「ヒーローショー?」
「うん。ほら始まるよ」
子供の一人が指差すと、ショーの幕が上がる。
現れたのは、先程まで、アンヌに付き添っていたメイドだ。
彼女は腕を前に伸ばし、手を恐竜の手のような形にして、まるで力士のようにのっしのっしと歩く。
「わはは。私はメイド星人メイドリアン。地球の人類全てをメイドにしてやる!」
怪獣のような歩き方なのに宇宙人を名乗るメイドリアン。
顔を少し赤らめながらも、メイドは役になりきり、迫真の演技だ。
しかし、子供達には侵略の目的がよく分からないようでポカンとしている。
メイドリアンの顔がみるみる真っ赤になっていく。
「お、お、お前達の誰かをメイドにしてやる」
恥ずかしさをごまかす為か、メイドリアンはいきなりの暴挙に出た。
舞台を降りて、観客である子供達に向かっていくと、一人の男の子を軽々と脇に抱えて舞台へ戻る。
「うわ〜ん。怖いよー誰か助けて嫌だよ離してよ!」
抱き抱えられた男の子は大泣きして、今にもパニックを起こしそうなほどだ。
メイドリアンは目を泳がせながらも、自分の役割を忘れることはないらしく、まるで何かを待つように、悪い宇宙人を演じ続ける。
「さあ、この子にメイド服を着せてやるぞきっと似合うだろう」
何故か鼻息荒いメイドリアン。その姿は、とても演技に見えない。
「地球には正義の味方などいないんだ。このまま全人類をメイド化――」
「待ぁてぃ!」
誰もがメイドリアンの野望が達成されてしまう。そう思った直後、舞台に響き渡る頼もしい声。
嘘……。
その声をアンヌは聞いたことがあった。いや聞き間違えるはずのない声だった。
メイドリアンのみならず、捕まった男の子も目尻に涙を浮かべて辺りを見回す。
「だ、誰だ? 私の野望の邪魔する奴出て来い!」
「何処を見ている? 僕は、ここだ!」
メイドリアンの背中に見事なジャンプキック――寸止め――が炸裂。
「ぎゃっ」
蹴られた衝撃でメイドリアンが男の子を手放す。
男の子が床にぶつかる直前に救出したのは、全身に銀色のナノメタルスキンを纏う鋼の生命体だった。
ダン? ダンなの?
「ダ――」
「「スティール・オブ・ジャスティスだー!」」
アンヌが名を呼ぶ前に、子供達が一斉に世界を救ったヒーローの名前を叫んだ。
児童の声援にスティール・オブ・ジャスティスが応える。
「みんな。僕が来たからにはもう大丈夫だ」
スティール・オブ、ジャスティスはメイドリアンに背中を向けてしゃがみこむと、助けた男の子と目線を合わせる。
「もう泣かなくていいんだよ」
メイドリアンは無防備なヒーローの背中に向かって体当たりを仕掛けてきた。
「ええい。スティール・オブジャスティスめ。私の邪魔をするなぁ!」
「えい!」
スティール・オブ・ジャスティスは振り向くと、右パンチ――もちろん寸止め――で吹き飛ばし、再び泣きそうな男の子の方を向いた。
「怖かったかい?」
頷く男の子の頭に優しく手を置いて続ける。
「泣かなくていい。僕が来たからもう大丈夫だよ」
泣き止んだ男の子が目の前のヒーローに質問する。
「メイドリアンをやっつけてくれる?」
「もちろん。その為には君の力を借りなければならない」
「僕の力?」
「うん。メイドリアンを倒す為には君の力が必要なんだ。でも泣いている顔を見ると悪いやつと戦うのは怖いようだから、僕一人――」
「僕、手伝うよ!」
男の子は涙を拭いて、大きな瞳でヒーローを見つめる。
「よし手伝ってくれ。一緒にメイドリアンを倒そう!」
スティール・オブ・ジャスティスが右手を差し出すと、男の子も勢いよく手を伸ばして、力強く握手。
「うん!」
「何をごちゃごちゃ話してるんだ。ヒーローめ。お前にもメイド服を着せてメイドにしてやる!」
二人の会話が終わるのを待っていたメイドリアンが威勢良く吠える。
「少年。僕の横に立つんだ。そして、横に手を伸ばして……」
「こう?」
「そうだ。そのまま僕と一緒の動きをしてくれ。いいね?」
「うん」
スティール・オブ・ジャスティスと横に並んだ少年は、胸の前で手を打ち合わせて、両拳を前に伸ばす必殺技のポーズをとった。
二人で声を揃えて発動させる!
「「ミドラルビーム!」」
すると、二人の拳から緑の光線が放たれ、メイドリアンを包み込む。
「ぎゃああああ、や、やられたー」
倒れたメイドリアンの顔はどこか晴れ晴れとしていた。
ショーが終わり、子供達の興奮を隠しきれない様子の拍手に迎えられながら、スティール・オブジャスティスが舞台から降りて、アンヌの前に立つ。
「ダンなの?」
間近で見てもヒーローショーで使われるようなスーツでは出し得ない金属の光沢が見える。
スティール・オブ・ジャスティスは何も言わずに頷くと、アンヌに有無を言わせずお姫様抱っこ。
「えっ、ちょ、ちょっとダン。みんな見てます。見てますから!」
「行くよアンヌ。しっかり掴まって」
「嘘、ダンちょっと待ってぇぇぇぇ」
スティール・オブ・ジャスティスはアンヌをお姫様抱っこしたまま、飛び上がった。
アンヌはスティール・オブ・ジャスティスにお姫様抱っこされたまま、洋館の自分の部屋に戻って来た。
逞しくて硬くて、ひんやりとする両腕から降りて、バルコニーから部屋に入ると、背を向けたまま口を開く。
「遅い」
「ごめん。アンヌ」
振り向くと、そこにいたのは変身を解いたダンだった。
アンヌは、無事な姿を見れて嬉しいはずなのに、怒る気など更々ないのに、語気が荒くなるのを止められなかった。
「無事なのは分かっていたけど、何で連絡くれなかったの⁈」
「うん。気がついたらビルの屋上にめり込んでた。どうやら変身が解除されて、気を失って――うわっと!」
アンヌは、後頭部をかきながら言い訳をしていダンに向かって、飛び込んだ。
あまりに急なことにバランスを崩して二人とも倒れてしまう。
「急に危ない……アンヌ?」
ダンの胸の中でアンヌは顔を伏せたまま肩を震わせる。
「どうしたんだい⁉︎ まさかどこかぶつけたんじゃ……」
「馬鹿!」
アンヌは、ダンの質問に答えずに、己の中に溜まりに溜まっていた感情をぶつけた。
「馬鹿馬鹿馬鹿!」
アンヌが、ダンの胸を叩く度に、ポカポカと可愛らしい擬音が聞こえる。
ダンは、痛くはないが、どうしたらいいか分からないといった顔をしていた。
「アンヌ。落ち着いて、話をちゃんと聞くから」
「馬鹿馬鹿。私がどれだけ心配したと……思って……」
顔を上げたアンヌは涙でぐしゃぐしゃで、口を開いても、鼻をすすって途切れ途切れ。
「何で、グスッ、連絡くれなかったんですか」
「ごめん。さっきも言った通り、気を失っていたんだ」
「言い訳は聞きたくありません!」
アンヌはダンの胸に顔を埋めて泣き崩れてしまった。
「ごめん。ごめんよ」
ダンは彼女が落ち着くまで、赤茶の髪をゆっくりと撫で続ける事しか出来なかった。
どれくらいの間、そうしていただろう。泣いていたアンヌが顔を上げると、涙と鼻水で赤く腫れ上がっていた。
「ごめんなさい。私ったら取り乱してしまって」
アンヌが、慌てて離れようとすると、それを許さないと言わんばかりにダンが抱きしめてきた。
「ちょ、ちょっとダン! 私重いから」
「重くなんてないよ。いいからもう少しだけこのままで、僕のわがままを聞いてくれ」
ダンは自分が生きていることを強く実感するかのように、アンヌの柔らかさと温もりと匂いを確かめる。
アンヌは嫌がらず、ダンが満足するまで待つ。
もう、こういう姿は子供みたい。
「お帰りなさいダン」
「ただいまアンヌ」
夜空の星々に照らされたバルコニーで、貪るように絡み合ってお互いの味を確かめる。
それは誰にも邪魔されず二人だけの、濃密に甘くて幸せな時間だった。
流石に夜の冷たさで冷えた床に長時間寝ているのは辛い。
立ち上がった二人は、腕を絡ませバルコニーから夜空に負けない光を放つ街を見下ろしていた。
お互い腕を絡ませたまま、先にダンが口を開いた。
「君が生きていてくれて良かった」
「こういう言い方はダメかもしれないけど、私も貴方が生きていてくれてよかった。もし死んでしまったら私……」
アンヌの零れる涙を、ダンは指で拭う。
「僕は死なないよ。希望である僕が死ぬわけにはいかない。それに……」
アンヌが顔を上げ、ダンの瞳を覗き込む。
お互いの瞳に相手の姿が映る。どちらもリンゴのように頰が赤く染まっていた。
「それに?」
「君を置いて死ぬなんてあり得ないよ」
アンヌはダンが懐に手を伸ばしたのに気づいた。けれど躊躇っているのか中々取り出そうとしない。
その顔には何かを迷っているのがアンヌには見て取れた。よく見ると口がかすかに動き何か言っているようだ。
アンヌは耳を傾ける。
「立ち止まるな一歩踏み出せ。立ち止まるな一歩踏み出せ」
その言葉はダンが自分を奮い立たせる時によく用いる口癖だった。
ダンは呪文のように何度も唱えながら、アンヌの目の前に跪く。
それを見たアンヌは一瞬何が起きたか分からない。
「だ、ダン⁈ 一体何をしているの⁈」
ダンはアンヌの慌てぶりを見ても慌てることなく、懐から小さな小箱を恭しく差し出した。
「これを、受け取って欲しい」
ダンが緊張からか、震える手で蓋を開くと、中から月光を反射して輝くエメラルドがはめ込まれた指輪が現れた。
「これは指輪。でもどうして?」
「ローマに行ったとき教えてもらって、自分で作ったんだ。その、僕と結婚してください」
箱から覗く手作りのリングには、小さな傷があり、よく見ると形もいびつなところがあった。
「…………」
アンヌは言葉が出なかった。心の中が嬉しさで溢れかえり、一筋の真珠のように綺麗な涙が頬を伝う。
彼女のそんな姿を見て、ダンの顔が見る見る内に、まるでビターチョコレートのように暗くなっていく。
だからアンヌは一生懸命、溢れた言葉の中から適切なのを探して、見つけたのがこの一言だった。
「……嬉しい」
断られたと思ったのか、ダンは驚いたような顔でアンヌを見る。
「えっ⁉︎」
「だから嬉しいって言ったの」
アンヌはガラスの工芸品を扱うように、そっと小箱を持つダンの両手を包み込む。
「じゃ、じゃあ僕と結婚してくれるのかい?」
「はい」
ダンのビターチョコレートのように苦い顔がミルクチョコのような甘さ溢れる笑顔になる。
「じゃあ、左の薬指を」
ダンは忙しい時間を縫って自分で作り上げた指輪を最愛の女性の薬指にはめていく。
アンヌは薬指に隙間なく収まった婚約指輪を少女のような純粋無垢な笑顔で見つめていた。
「ダン。私、今この世界で、ううん宇宙で一番幸せよ。貴方は?」
「もちろん、幸せだよ」
無数の星が、永遠の愛を誓った二人を祝福するように、輝いていた。
西暦二〇五二年。めでたく結ばれたダンとアンヌは地球の平和を守りながらも幸せな生活を送る。
それから三年後の二月十三日。二人に待望の赤ちゃんが誕生する。アンヌによく似た可愛らしい男の子で、幸せの絶頂期であった。
ダンとアンヌ二人のGN 28星人は日本で戸籍を手に入れ、事実上の地球人になった。
地球を救った二人の正体は、軍の最重要機密情報として扱われ、コピーも写真にも写せない書物に記され厳重に保管されている。
その事実は、十五年経った今も、ごく一部の人間しか知らず、息子にも知らされてはいない。
第1話に続く




