#6 ロシア2日目その2
―1―
「昨日、暗い顔して戻ってきたのはそういう理由だったのね」
アンヌはユウタの顔を覗き込みながらそう言った。
ユウタは昨日ホビーショップで、隣に立った少年の事を話した。
その少年こそが、ポリーナのお孫さんであったのだ。
「ユウタ君。うちの孫がごめんなさいね」
ポリーナが本人の代わりに謝罪してくる。
「いえ。気にしてないんで大丈夫です」
それを見たユウタは気にしてない事を表すために、両手を振った。
因みにレギィと呼ばれた少年は何をしているかというと……。
「……バァバ。お代わり」
蕎麦の実のカーチャを美味しそうに平らげ二杯目を要求している。
「こらレギィ。あなたが失礼なこと言ったのよ。二人に謝りなさい」
少年は気にした素振りを見せず、二杯目のカーチャを食べ始めた。
スプーンを持つ腕を動かすたびに、殻を剥いたゆで卵のような腋が見え隠れする。
「別に悪い事言ってない。本当のことだろう。それにヒーローのおもちゃなんて子供向けだよ。お前いくつだよ」
レギィと呼ばれた少年は、ユウタにスプーンを突きつける。
「えっと、十五歳」
「俺と変わらないじゃん。じゃあ、あんなおもちゃ見てる方が変じゃね?」
「ウグゥ」
痛いところを突かれて、ユウタの口から潰れたカエルのような声が出た。
「レギィ!」
ポリーナが起こっても、気にせずお代わりしたカーチャを食べるレギィ。
「趣味は人それぞれだと思うわ。だからおかしい事なんてないわ」
助け船を出してくれたのはアンヌだった。
笑顔だが、内側から滲み出る迫力は、レギィならず、ポリーナもユウタも何も言えなくなってしまう。
そんな空気を変えるようにアンヌがパンと手を叩く。
「自己紹介するの忘れてたわね。私はホシゾラアンヌ。彼は息子の」
アンヌはそこまで言うと、ユウタの肩に手を置く。
「ホシゾラユウタ、です」
「私達は日本という国から来たの。困っていたところをポリーナさんに助けてもらってお世話になっています」
「ほらレギィ」
ポリーナに促されて、レギィは渋々と言った様子で、持ちっぱなしのスプーンを置いた。
「俺はレ、レギーナです。失礼な事言ってすいません」
「いいのよ気にしてないから。ね、ユウタ」
ユウタに向けられた笑顔は「もう許してあげましょう」と言っていた。
「うん。気にしてないよ」
―2―
朝食の時間を終えたリビングには二人しかいない。
息子のユウタは部屋に戻り、遅れてきたポリーナの孫、レギーナもついさっき食べ終えてリビングを出て行った。
「ごめんなさいねぇ」
食器を洗っていたポリーナが水の音に負けない声で誤った。
「何でポリーナさんが謝るんですか」
アンヌは、テーブルに置かれている食器を流しに持っていく。
しばらく、お皿を洗う音だけが響く。
皿を洗い終えてからポリーナは口を開いた。
「あの子、とてもいい子なのよ。でもここ最近嫌な事ばかり続いてしまって……」
そこで言い淀む。昨日今日会ったばかりの人間に家庭のことを話すのを躊躇うのは当たり前だった。
だからアンヌはその淀みが流れ出せるように後押しする。
「私でよければ話してください。嫌な記憶はしまったままよりも、話した方が楽になる時もあります」
アンヌの方を見たポリーナは、頷くと少し時間を置いてから孫の事を話し始めた。
―3―
部屋に戻ったユウタはオーパスでメールを打つ。
送り先は一つ先輩の幼馴染。照愛浮羽凛へだ。
「『僕達はロシアに無事着いて、親切なお婆さんの家に泊めさせてもらってます』っと」
メールは無事に送信された。すぐ返ってくるかと思ったが返信は来ない。
「ゴールデンウィークだし、フワリ姉も、ホシニャンと一緒に遊びに行っているのかも」
特にすることもないので、ベッドに腰掛けたまま、ネットでニュースを見る。
「日本では怪獣や異星人が関係してそうな事件は起きてないみたい。まあ、起きたら真っ先に僕のところに連絡くるか」
ニュースを見る事にも早々に飽き、そのままベッドに倒れこむ。
今日は何処に行くか予定は立てていない。
本当なら昨日のうちに決めておくはずだったが、ホテル予約のトラブルでうやむやになってしまったのだ。
(居心地いいし。何処にも出かけないっていうのもありかな)
まだ人見知りのせいで緊張してしまうが、ポリーナの家はどこか懐かしさを感じさせる。
アンヌと仲良く話しているところを見ると、まるで母娘のように見えた。
(僕の本当のお婆ちゃんもあんな感じなのかな?)
祖母とは会ったことはなく、アンヌもその話はあまりしたがらなかった。
お腹も満腹で寝間着姿。そんな状態でベッドに倒れ込んだら睡魔がやってくるのは必然。
「少し寝よう。母さん来たら起こしてくれるだろう、し……」
瞼を閉じると、すぐさま意識は心地よい闇の中へ落ちていく。
だから部屋のドアが開いた事に全く気づかなかった。
―4―
ドアを開けた人物は、躊躇うことなく大股でベッドに近づき、そこで二度寝しているユウタを見下ろす。
「起きろ。おい起きろ」
「んーんん」
ユウタの耳に少女の声が飛び込んでくる。同時に清潔感のあるいい香りを鼻が捉えた。
「起きろ。起きろってば」
まるで少年のような口調でユウタを起こしにかかる少女の声。
「んんーもうちょっと」
起こされているのに声の心地よい声音によって、また闇の中へ。
「起きろってば!」
語尾の上がった大声が聞こえた直後、右のほっぺから破裂音が聞こえた。
「ゥワッ!」
軽い痛みを訴える頰を抑えて起き上がる。すると頰を叩いであろう犯人が脇に避ける。
「あっぶね。いきなり起きるなよ」
「ごめん……ってあれ君なんでここに?」
ユウタを起こしたのは、避けるほど白い透明な肌に金色の髪の少女、のような少年。レギーナだった。
寝間着から私服に着替えた彼の肌は仄かに赤みがさし、髪もどことなくしっとりとしているように見える。
レギーナはグレーの瞳を細めながら質問に答える。
「風呂に入ろうとしたら、お前の相手をしてくれって頼まれたんだよ」
「頼まれた? 母さんに?」
レギーナの頰に朱が灯る。
「……そうだよ。だから風呂入ってから呼びに来たんだよ。そしたらお前寝てるから、起こしてやったんだ」
「ありがとう。でも叩かなくても……」
ユウタは右頬をさする。
「うっ。それは悪かったな!」
何故か怒りながら謝るレギーナ。
「と、とりあえず着替えろよ。廊下で待ってるから。準備できたら行くぞ」
「分かった。すぐ用意するね」
「早くしろよ」
レギーナは背中を見せてそういうと部屋を出てドアを閉めた。
―5―
「えっと、お待たせ」
着替えたユウタはドアを開ける。
「準備できたな」
レギーナはちゃんと待っていてくれた。
嫌々やっているような雰囲気を出していたが、嫌われてはいないようだ。
リビングのドアが開いたので二人でそちらに首を動かす。
「二人とも今からお出掛けかしら?」
現れたのはアンヌだ。
「うん母さん」
「は、はい」
ユウタは内心首をかしげる。
レギーナの態度が大人しくなり、少しずつ後ろに下がると、ユウタを盾にするような位置で止まった。
(母さんの事苦手なのかな?)
さっき怒られたせいもあるのかと考える。
「お母さんはポリーナさんのお手伝いしてるわね……あらユウタ。今の今まで寝てたでしょ」
アンヌはユウタの頭に手を伸ばすとレギーナがいるにもかかわらず撫でてくる。
「ちょっと母さん」
「寝ぐせついてるわよ。もう少し身だしなみに気をつけなさい」
「分かった。分かったよー」
他人に見られていると思うと、とてつもなく恥ずかしさを覚えてしまう。
結局、寝ぐせが治るまで頭を撫でられ続けることになってしまった。
「はいこれでよし。レギーナ君。こんなだらしない子だけど仲良くしてあげてね」
「母さん!」
レギーナの方を見ると、彼はユウタとアンヌの事をどこか羨ましそうな瞳で見つめていた。
「レギーナ君?」
「ああっはい! もちろんです。いってきます」
「母さん。いってくるね」
「二人ともいってらっしゃい」
アンヌは二人に向けて手を振ってくれる。
それを見たレギーナは、古いロボットのオモチャのような歩き方をしていた。
―6―
ポリーナの家を出ると、前に立つレギーナが振り返る。
「お前。どっか行きたいところあるのかよ」
アンヌがいなくなったからか、ぶっきらぼうな口調に戻っていた。
ユウタは目を閉じ腕を組んで考える。
「う〜〜ん。特に思いつかないや」
「思いつけよ!」
答えを待っていたレギーナは鋭くツッコむ。
ユウタは申し訳なく思いながら、左の頬を掻く。
「ごめん。今まで行く所は母さんが考えてくれたから。今日の予定考えてないんだよね」
歩道の真ん中に立ち止まって話していたので、何人かの通行人が邪魔そうな顔をしながら通り過ぎていく。
「ここじゃ邪魔になるし、腹ごなしの散歩しながら考えるか」
「うん」
「っと、違った」
レギーナが立ち止まる,
「何が違うの?」
「寝坊助のお前にとっては眠気覚ましの散歩だろ」
「ええっ」
反論許さず、レギーナは歩き出す。
「ちょっと待ってよ」
置いてかれては叶わんと、小走りで後を追いかけた。
「お前ってさ」
振り向かずにレギーナが話しかけてきた。
「……僕、ユウタって名前があるんだけど」
「なんか言った?」
小声で言ったせいでレギーナの耳に届かなかったようだ。
「ううん。で、なに?」
「母親と仲良いのか? こういう旅行とか何回も行くほどに」
前を歩くレギーナの顔が赤くなっていることにユウタは気づけない。
「旅行は今回が初めてだよ。だからホテルの予約を間違えちゃったみたい」
「そう言えばバァバがそんなこと言ってたな。で仲良いのかよ。その、寝癖とか直してもらってんじゃん」
後ろにいるユウタからは真っ赤になって俯くレギーナの表情は見えない。
「母さんとの仲はいいと思う。いつもご飯作ってくれるし、優しいよ。怒ると怖いけど」
「あはは。それ分かるわ。あははは」
レギーナが笑い出した。
「ははは――コホン」
笑った事が恥ずかしかったのか、わざとらしく咳をした。
「いつも一緒か、羨ましい」
真顔になったレギーナの小さな囁きを、ガーディマンとして覚醒したユウタの鼓膜が捉える。
けれども、その声音はとても寂しそうで、聞くに聞けなかった。




