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その4

 そそくさと机の上の荷物をまとめ上げていく。普段ならば帰るには少々早い時間だが、今日に関して言えば込み入った事情があるため仕方が無い。


「戻ってきたんだな。礼ちゃん、一体何だった?」

「あーと……まあ、特に問題になるような事は無かったよ」


 心配した顔でわざわざ声を掛けてくれた同期には悪いけども、先ほどの話を漏らす訳にはいかないため軽く返すに留めた。

 当然彼は納得するはずもなく二の句を続けようとするが、「色々込み入っているから話すことは出来ない」と返すと、しょうがないといった風に彼は自分の席へすごすごと戻っていった。普段は僕にちゃん付けで呼んだり鬱陶しい所もある彼だが、人との距離を測るのに長けているのか、ある程度までは構うけど踏み込んでほしくない場面では絶対に引き下がるあたり世渡りが上手いなあと感じさせる。


「それじゃあ、お疲れ様」

「……お疲れさん」


 やれやれと言った調子で頭を振る同期の後ろを通り、僕は学生室の扉に手を掛けた。


「あっ……」

「お疲れ様。今日は早めに上がるよ」


 扉を開けようとしたその時、丁度学生室へ入ろうとした藤沢さんと目が合った。一瞬表情を強張らせた彼女を見て、さて僕は何かしたかなあと思い返す。すると実験室内で魔法を使おうとしていた現場を叱りつけたことを思い出した。僕が彼女に対して怒鳴り声を上げたことは、真面目な理由による物としては多分初めてだと思う。そう考えると彼女が僕に対して少し萎縮をしてしまってもおかしくはないかもしれない。


「失敗は誰だってするもんだよ。以後同じミスをしなければ良いだけなんだから、そんなしょぼくれていないでもっとシャキッとしなさいな」

「分かりました……」


 先ほど叱りつけたときは反省して欲しいがためにフォローを入れることなく実験室を後にしたが、少し失敗だったかもしれない。一応のフォローで少しだけ藤沢さんの顔が明るくなったため一安心といったところか。

 満足をしてさあ早めに帰ろうと彼女の脇を通り抜けようとしたが、普段の調子を少しだけ取り戻した彼女は、僕が鞄を担いでいるのを目敏く発見をしたようだ。


「ところで先輩はもう帰宅ですか。私も荷物をすぐ纏めちゃいますので、待っててもらっていても良いですか?」

「ええと……うん、君はもうちょっと残って調べものをするのも良いかもしれないね。勉強会も近いだろうしさ」


 案の定彼女は僕が帰ろうとすると、それに着いて行こうとしてきた。普段は割と遅くまで残る僕と同じ時間まで論文を読んだりしながら勉強していることが多い彼女だから、相変わらずよく一緒に帰ろうとする点は置いとくとして、今日ぐらいは早く帰ったって罰は当たんないだろう。

 ただし今日はマズイ。非常にマズイ。そもそもこの建物の一階付近で妹が乗せられている車が待機している時点で既にマズイのだ。


 川崎さんから別れ際一つだけ言われた事がある。どうやら先ほど僕が全体説明会よりも前に情報を知る事となったのは、妹の存在があったというやむを得なかった事情による物らしい。

 そのため情報の拡散を防ぐという名目の下、たとえ平塚先生や藤沢さんのようにプロジェクトの参加メンバーであっても今日された話を漏えいすることは無いようにと釘を刺されている。なので彼女がこれから僕と一緒に帰ろうとしているのは非常にマズイのだ。僕の生い立ちを知る彼女の事だ、僕と似たような見た目のレシルを目撃したらすぐに僕の妹と見抜かれかねない。そうするとエルトニアに置いてきた妹が何故日本に居るんだと問い詰められてしまう。


「……というわけで後は頑張れ。お疲れィ!!」

「あっ、ちょっと」


 藤沢さんが僕を呼び止めようと声を上げるが、振り返らずにスタコラサッサと階段の方へ向かう。

 彼女もエルトニアの関係者であり、行方不明の王女という肩書から考えるとエルトニアへの玄関口が大月にあるということを早く知らせた方が良かったのかもしれない。そう考えて先ほどは本気で彼女の秘密について川崎さんに教えて相談をしようかと思ったが、彼女に無断で機密情報を漏らすのも気が引けてしまい、結局は言わず仕舞いとなってしまった。そのため今藤沢さんを見ていると、どうにも心の中に後悔やら罪悪感やらが湧いてくるのだ。


 後ろから誰もついてくることがないのを確認して、足早に一階ロビーを突き進む。そうして見えてくる5号館の前の道には、一台の黒塗りの車が佇んでいた。

 普段は試薬や工具を販売しに来てくれる業者のワゴン車しか停まることのないスペースに、堂々と停車しているとある一台の自動車。妙に艶のある黒い表面を見せつけて、鼻先に四つ股印の社印を掲げ、おまけに内部が見られないようにスモークガラスを利用した高級車。目立つ目立たない以上に、不自然極まりない光景である。

 近付くのも気が引けてしまう外務省の公用車と思わしき車両に歩み寄ると、なんと取っ手に手を伸ばす前に扉が開いて僕を迎えた。


「平塚さん、お待ちしておりました」

「あ、ありがとうございます……」


 助手席の扉から出てきたのは、先ほどのSPさんのどちらかであろう。運転席にもアスリートのように体格のいいサングラスの男が座っており、どうやら川崎さんは車には乗ってはいないようだ。

 黒塗りの車は見た目が高級すぎてただ乗る事にすらも緊張を感じてしまうが、じっと見つめてくるSPさんが放つ無言の圧力に押されてすごすごと車の中へ入るしかなかった。


「兄さん!! 遅かったじゃないか」

「……君が平気の平左なのに僕の方が緊張しているってのは情けないなあ」


 前に護衛のごつい男が二人も乗った、マフィアの送迎車もかくの如しな高級車の中で、我が妹は平然とした様子で薄い何かの絵本的なものをペラペラと捲っていた。僕の姿を見つけた彼女は相変わらず花が咲く様な笑顔を浮かべているが、僕は君の豪胆さにひたすら恐れおののくばかりだよ。


「では平塚さん。貴方の家までお送りしますので、すいませんが道順を教えて貰えますかな」

「……分かりました」


 妙に静かなエンジン起動音から少しだけ遅れて、車がゆっくりと動き出した。大学構内は徐行専守となっているためゆったりとしたスピードで景色が後ろへと流れていき、レシルは興味深そうに銀杏の並木や立ち並ぶ校舎を眺めている。

 景色でも眺めて少しでも気分を落ち着かせようと外に視線を動かした僕は、次の瞬間頭を抱えたくなった。この時間は学部生たちにしてみれば四限目が終わったくらいであり、学生が校門へと向かう帰宅ラッシュのまっただ中だ。そんな中黒塗りの高級車が徐行で走っていたら注目をこれでもかというくらい集めてしまう。僕だって歩行者の身だったら、キャンパス内でスモーク外車が隣を通ったら何事かと思って凝視してしまうよ。

 これはちょっと高級なタクシーだ。椅子は革張りでガラスはスモーク、運転手は屈強なSPさんだけど高級なタクシーとでも思ってなきゃやっていられない。構ってほしそうにちょいちょいと肩をつついてくる妹に対し、僕は引きつった笑顔しか向けてあげれなかった。

 



*  *  *




「明日の7時にフォルガントさんのお迎えに上がります。それでは我々は周囲の警護にあたります」

「は、はあ……ここらへんは大学街なので騒ぐ若者はいるかもしれませんが、多めに見てあげて下さい」


 飲み会後で気分が高揚した若者が屈強なSPさん達にボコボコにされるなんてことはまず起こらないだろうが、一応念には念を入れておいた方が良いだろう。そんな僕の言葉に軽く頷くと、二人のSPさん達はおんぼろの金属とびらを丁寧に閉めて部屋を後にした。

 それにしても疲れた。本当に疲れた。たかだか徒歩で二十分程の距離にある我がマイホームに対して車で向かうということそのものにまず徒労を感じたし、通行人から妙に注目され続けながら車に乗るということも精神的な疲れを感じさせる。いくらスモークガラスで顔が割れていないとは言えども、注目を集めるということそのものが結構キツイ。


「ここが兄さんの家……」

「どうだい。昔一緒に住んでいた館の部屋よりも大分狭いだろ?」

「たしかにそうだね。それにボクが今住んでいる寮の部屋より小さいや」


 僕よりも一足先に部屋の中へ入った妹は、興味深そうにうろちょろとしながら景色を眺めている。

 黄ばんだ壁や妙に細長い間取り。妹が現在佇んでいるリビングルームにはプリントが悠然と山を作っており、冷蔵庫の上に電子レンジを乗せる攻めの姿勢でなんとか場所を確保しようとした努力の跡が見て取れる。

 洋服箪笥を兼ねた小さなベッドの隣にはテレビを見ながら食事が可能な小さいちゃぶ台が置いており、この台を退かして僕が床の上に寝れば二人分の睡眠場所は確保できるだろう。


「適当にそこらへんに座っててね。ちょっと紅茶でも入れて来るよ」


 リビングから玄関に行くための廊下の壁に設置された台所へ向かい、置きっぱなしになっているヤカンの中に水を少しずつ入れていく。

 そんな折に視線を感じて振り返ると、粗方部屋の中の観察を追えて満足したレシルが、ベッドに座りながらニコニコとした笑みを浮かべながら僕の方を眺めていた。

 この部屋で人の視線を感じるなんてことは、それこそ同期が酒を片手に我が拠点へ乗り込んできたときや、藤沢さんの愚痴をひたすら聞きながら食事会を開いた時ぐらいだ。少なくともここ一か月はこの部屋に僕以外の人間は入ってきていない。


 最大火力でギリギリカップ2人分の水を加熱したためすぐにお湯が沸き、正四面体型の安物のティーバッグを放り込んだカップの中にじょぼじょぼと注いでいく。多分彼女からしてみれば信じられないくらい不味いお茶かもしれないが、この味に慣れてしまった僕からすれば生クリームを垂らしただけで十分満足できる一品となる。


「出来上がりましたよっと。お好みで砂糖を加えてね」

「わあ、ありがとう!!」


 机の上に入れたばかりで熱々の紅茶を二杯並べ、その脇に角砂糖が入った瓶を添える。ちゃぶ台の上に置かれたバスケットには普段から常備菜のような感じでナッツやビスケットの類を入れており、即席のお茶会には十分な装備が整った。

 レシルは紅茶を受け取ると、早速中に角砂糖を数個投入していく。そう言えば彼女は昔から甘いものが好物だったはずだ。最近消費する速度が落ちて溜まりつつあるお菓子のビスケットも喜んで食べてくれるだろう。


 床に置いた座布団に腰を下ろしてホッと一息を吐いた僕は、ベッドに座りながらふぅふぅと息を吹きかけて紅茶に口をつける妹の姿を改めて眺めた。

 金属光沢にも似た冷やかな艶を見せる銀色の長髪、黙っていれば冷やかな印象を与える目つきや口元。東京見学に合わせて貸し出されたのかもしれないが、白くすっきりとしたワイシャツにチェック模様のスカートを合わせた彼女の恰好はどこかの高校の制服のようにも見え、エルトニア人の彼女にもよく似合っている。

 しかし何分双子の兄妹ということもあってか彼女の容姿は僕と似ている部分が多く、女子高の制服を着ているような彼女の姿を見ていると、忘年会の一発芸で女装をしなければならなかった時のことをふと思い出してしまった。ブルリと一瞬寒気が走り、頭を振って嫌な思い出を追い出す。


「……ねえ。兄さんはさ、どうしてボクの前から姿を消したの?」


 猫柄のティーカップを机に置いた彼女は、ふとそんなことを聞いてきた。

 ビスケットでもと伸ばした手を一旦引っ込めて、僕は彼女を見つめた。幼少期の自分を捨てたと思われても全く不思議は無いのに悲しみもせず怒りもしない、激情を見せることなく彼女は僕にその理由を尋ねてきている。


「どうして……か。手紙に書き残した内容じゃあ不満かい?」

「幼い頃からずっと一緒にいてくれた兄さんが、ボクが騎士学校に進学すると決まって、キリが良いという理由だけで居なくなっちゃったなんて信じたくないよ」


 再会してから今までの様子から、快活にはなったもののちんちくりんな根幹は全く変わっていないと思っていたのに、どうしたわけか我が妹は予想以上に鋭い視野を持って育ったようだ。


 正直な所、僕が家を出た切っ掛けはたしかに一つだけじゃない。妹の騎士学校進学が決まり、もう守ってあげなくても平気だろうから夢を追うことにした。なんとも無責任で自由すぎる動機なことか。僕は手紙にこの動機だけを書き残すことで、自分の心の中にある汚い物を覆い隠そうとしたのだ。

 現代日本にやって来たもう一つの理由は墓場まで持っていく秘密の一つのつもりだった。同郷の友人である藤沢さんや、自分自身でもある平塚准教授にも話していない。自分の中の醜い感情なんてわざわざ人に公開したい代物ではないからだ。しかし促すように視線を動かすことなく目を見つめる妹に、僕の心の奥に覆い隠した物が見られている気がしてならない。


「これからボクは兄さんにとても失礼なことを言うかもしれない。もし兄さんの本心と違っていたら、聞かなかったことにしてくれると嬉しいよ」

「……その時は適当に流すよ。後腐れなくね」


 彼女はその秘密を既に把握しているのだろう。失礼なことを言うかもしれない。そんな前置きをしている時点でほとんどばれていると言っても過言じゃない。


「兄さんは、ボクが剣術や魔法に頭角を現したことに、純粋な賞賛以外の感情を持っていたんじゃないかな」

「……つまり僕が妹の君に、誇らしさと一緒に嫉妬を持ち合わせていたというのか。どうしてそう思ったんだい?」


 幼少期からずっと世話をしてきた妹が、大貴族の当主である父すらも喜ぶ才能を見せた。これを喜ばずして一体何を喜ぼうかというのか。


「それは……あの日から兄さんが笑うことが増えたからだよ。遊んでいる時も、一緒に王都に連れて行ってもらった時も、ボクが顔を向けた時はいつだって――」


――仮面のような笑顔を浮かべていたよね。


 ひたすら妹の成長を喜ぼうとしていた僕は、心の奥底で燻りはじめたある感情に蓋をしたまま妹とふれあっていた。臭いものには蓋をして、自分の汚さから目を背けて。自分は精神的にずっと年上で、こんな小さな子供に対して"嫉妬"など向ける筈がない。そう信じ続けた僕の顔は、いつの間にか薄っぺらい笑顔が張り付いて離れなくなってしまった。


「昔は優しい笑顔で褒めてくれて、時々厳しく叱ってくれて、使用人たちに秘密で飼っていた小鳥が死んじゃった時は一緒に泣いてくれたよね。そんな表情豊かだった兄さんが、いつの間にか感情を無くしたかのような笑顔しか浮かべなくなって、本当はすごい怖かったんだ」


 嫉妬の感情を抑え込むようにして泥のように塗りつけた笑顔は、段々と乾燥していきヒビが入り始める。そして父に呼び出されて、お前にはレシルのような才能がないから文官を目指せと言われてから、塗りたくった能面の笑顔がボロボロと崩壊を始めた。


「そしていつの間にか、そんな笑顔すらも消えつつあった。ボクを見る兄さんは時々苦しげな表情を浮かべて……そしてある日完全にボクの目の前から姿を消してしまった」

「……まさか一番ばれたくなかった君に最初に暴かれるなんて、僕もまだまだだね」


 なんてことはない。精神年齢では三十をも越していた僕は、まだ十歳を過ぎたばかりの妹に嫉妬という暗い感情を浮かべていたのだ。

 幼少の頃より現代日本へ帰ろうと決心していた僕だが、その一方で本当に帰るべきなのかという心残りに常日頃苛まれていた。そんな背中を大きく押したのは、自分の中に潜む嫉妬心を認めたくないというちんけなプライドだった。


「そうだよ。君に抱いてしまった嫉妬心を、僕は認めることが出来なかった」


 魔法なんて摩訶不思議なものが存在して、騎士などという職業の人間が栄光を纏いながら街を歩く。死んだと思ったらこんな不思議な世界に生まれ変わったのだ。いつかは日本へと帰り研究活動の続きをしてやるんだという決意の脇で、ファンタジーな世界で生きてみるのも悪くはないんじゃないかという思いも持ち合わせてしまったのは無理もないだろう。


「君が小さい内は、このままエルトニアに留まって生きていくのも吝かではないと思うこともあった。そしていざ才能の差が明らかになって、今までずっと後ろを着いてきた君に抜かされたと思った僕は、どす黒い嫉妬心を抱くようになったのさ」


 そこからは簡単だった。魅力的な響きにも思えた"剣と魔法の世界"は一瞬にして僕と妹を隔てる壁に変わり、妹への嫉妬心をこれ以上膨らませたくなかった僕は、なんとしてでも現代日本への復帰をすることを決意したのだ。


「兄さんが居なくなっちゃって、ボクはすごい悲しかったよ。今までボクの一番近くに居た兄さんが消えちゃって、騎士学校に入れられた時は心の中にぽっかり穴が開いた感じだった」

「……本当に、置いて行ってゴメンね」


 ベッドに腰掛けていたレシルが、床に正座で座る僕に近付いた。彼女の澄んだ碧眼が、僕の両目をしっかりと見据えていた。


「兄さんは……もうボクから離れていかない?」

「流石に嫉妬も立ち消えたさ。君は剣術と魔法を極めて、僕は科学を追究する。もはや目指す方向性が違うんだから、こそこそと逃げ惑う必要もないよ」


 僕の目の前に座り、どこか不安げに聞いてくる彼女へ、僕は自信たっぷりに言う。もう君から目を背けるような事はしないと。


「……しんみりしちゃったね。話すこと話していたらお腹も空いたことだし、夕飯の準備でも始めるよ」


 ホッとした様子で笑いながらも目の端に小さく涙を流すレシルの頭をポンポンと優しく叩く。ずっと内緒にしてきて、これからも胸の中に隠していこうと思ってきた秘密を吐くことが出来て、正直な所僕も安心した勢いで泣きそうになっていた。

 これ以上妹と目を合わしていたら僕まで泣き出してしまう。兄としてのプライドを守るべく、僕はすぐ後ろを向いて冷蔵庫の物色を開始した。

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