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その3

 一言で言えば、新キャンパスは何故か我が祖国エルトニアの首都リーヴェルに開校予定らしい。

 いくらなんでも予想外過ぎて頭が目の前の状況についていけていない。大月に新キャンパスを作っていると信じていた僕は、実はとんでもない思い違いをしていたというのか。しかし平塚先生からは大月としか聞かされていないから、そもそも先生が間違った情報を掴まされていたということか。

 ぱっぱぱっぱと切り替わるスライドの中には昔一度だけ見た事がある王都の大聖堂やら荘厳な様を誇る王城の写真が載せられている個所もあり、今回の話が壮大な嘘である可能性が段々と小さくなっていく。


「二国間で共同出資して教育施設を作る計画が浮上したのは今から三年前ですね。エルトニアと日本が行き来出来る事が発見されてからおよそ二年後の話です」

「え……ということは五年前にはもう日本との交流が始まっていたということですか!?」

「はい。貴方が日本に来た頃ですよ。当時はまだ交流も本格的じゃなかったですがね」


 しかもこの外務省の役人に僕が異世界人だとばれている始末である。

 僕がまだエルトニアに居た頃には日本へのゲートが開いたなどという話は全く聞いたこともなく、怪しげな紙束が漂流するといういわくつきの場所を探し当てたことで日本へと帰って来ることが出来たのだ。そういう背景を省みると、日本との交流を発見できていれば当時そこまで苦労しなくて済んだんじゃないかという思いにさせられる。


「行き来出来るゲートが結んでいるのはリーヴェル北部の森林と大月の山中です。大月に作られたのはキャンパスではなく、エルトニアへ行くための玄関口ですね」

「ああ、大月ってそういうこと……」

「最初は言語も通じず価値観も違うということでリスクが大きく、政府内でもエルトニアと交流するかどうかは揉めるに揉めました。しかし彼らが持つ翻訳魔法で状況は好転しました。言語の壁が一応取り除けたおかげで交流が十年進んだとも言われます」 


 翻訳魔法という物は、喋っている言葉そのものは聞き取れないにもかかわらず内容だけは理解することが出来るという、それはもう奇怪な代物である。多分精神感応系の魔術だったはずだ。未知の言語を使う民族と交流するとなると少なくとも対等な関係となるのは難しいだろう。この魔法の存在で平和な関係を作るきっかけとなったのなら、翻訳魔法様様だ。


「さてと、日本政府は現地に教育機関の設立を進めています。行く行くはエルトニアとの共同研究事業も目指していて、第一弾とも言うべきものが国立東都工科大学リーヴェル校による科学技術の教育なんですよ」


 川崎さんがキーボードを叩いて、また新たなスライドが目の前に現れた。

 そこにはあくまでイメージ図なのだろうが、煉瓦造りの建物の脇に並ぶように作られた少々古めかしい見た目の建物の絵が描かれており、その絵の横に建物の構造スペックが列挙されている。


「校舎は周囲の景観を損なわないようなデザインに加え、目立たないように屋上へメガソーラーを設置しており環境にも配慮をしました」

「……王都は一度しか言ったことがないからよく覚えてませんが、脇にある建物は王立の魔法騎士学校か何かでしたっけ」

「ええ、流石は現地の出身だけありますね。エルトニア王国立魔法騎士学園の一角にある使われなくなった校舎を大幅改装したのが先ほどのイメージ図にもある一号館で、行く行くは完全新規の校舎も建造予定です」


 更にスライドが捲られていく。次のページからはどうやら着任することになるスタッフの名簿一覧のようだ。顔写真と共に乗せられた名前や現所属先を見てみると、他大学の名前が半分程度混ざっており必ずしもうちの大学からしか出向しないというわけでもなさそうだ。非常に特殊な事情だからか、新キャンパスに着いて行く学生たちはほとんどが博士課程に進学済みであり、しかも数は教授一人につき一人居れば多い方といった有様である。

 ある程度名前が並んだページが続き、とうとう見慣れた顔写真がスクリーン上へ映し出された。多分大学職員の名簿帳から引っ張ってきたと思われる、妙にキリッとした表情の平塚准教授が映り、その下には一緒に移動することになる学生の名前が書かれている。学部四年の藤沢レナに、博士課程三年で助教内定済みと脇に添えられた平塚礼二の名前。そしてさらに括弧で括られた中には、っておい。


「僕の所の名前が……」

「ああ、一応平塚さんのところには本名も載せておきました」


 小さい文字ながら異様な存在感を放つラスティレイ・フォルガントの並び。久しくこの字の並びを見ていなかったから、自分の名前にもかかわらず危うく鳥肌が立つところであった。

 一体僕の名前は何処から漏れ出たというのか。というかそもそも何故僕が異世界出身ということをこの川崎という男は認知しているのだろうか。流石に見た目から判断をしたというのは根拠が薄く、その理屈で言うならば実際はかなりの大物であるはずの藤沢さんの欄に本名が書いていないことがおかしい。


「あの、そろそろ何で僕がエルトニア人と分かったのかを教えて貰えますか?」

「……そうですね。では一旦スライドはここまで、と」


 川崎さんが指を打ち鳴らせば、すぐにSPの人が部屋の照明を元に戻した。

 薄暗い部屋が急に明るくなったことで目がチカチカするが、そんな事よりも何故僕の秘密が知られてしまったかである。確かに未成年で大学院に所属している異世界っぽい見た目の博士課程なんて十分目立つ要素は多いかもしれない。しかしエルトニアにおける僕の名前に関して言えば平塚先生と藤沢さん以外には漏らしたことは無い。


「……もしかして平塚先生経由ですか?」

「いえいえ、多分貴方からすればもっと身近な方からですよ。今回貴方に会いに来たのが人物交流室の私ということがミソでしてね」


 彼の物言いに少しだけ安心が出来た。僕にとって前世の自分である平塚先生以上に身近な人間というのは存在しないにもかかわらず、彼が僕にとって身近ではないと言い張った。ということは僕の最大の秘密である"平塚礼二は一度転生している"という事実に関しては知られてないのだろう。


「半年ほど前から日本政府とエルトニア王国の交流の一環として、エルトニア王国立魔法騎士学園の中から十人程選出して東京見学会を行おうという計画が持ちあがりました」

「若い世代へ日本に対する壁を取ってもらおうということですか?」

「それもありますね。一部の貴族からは未だに日本との交流を取りやめるべきだとの声も根強いんですよ。そうして希望者の面接を去年行なった時、希望者の中に面接官へある願いを申し出た学生が居ましてね」


 川崎さんは一旦言葉を区切ると、パソコンをかたかたと動かし始めた。


「ある人物の名前が書かれた手紙を見せられたんですよ。その面接官は勿論エルトニアの文字は読めませんでしたから最初は困ったそうなんですが……最後まで目を通して大層驚いたそうです」


 そして目的の画像ファイルを探し当てたのか、彼は小さく笑うと画面が見やすいように僕の方へとPCを向けた。


「多分平塚さんはこの手紙に見覚えがあるのではないですか?」


 画面に映っている画像、それは少々黄ばんだ紙に現地の言葉で書かれた一枚の手紙の写真データ。忘れる筈もない、とある兄が旅立つ間際に妹へ向けて書いて日記の中へ隠した、果たせるはずもない再会を約束した手紙だ。


「私も文字の解読は出来ませんが、手紙の最後に書かれた漢字くらいは読めますよ。平塚さん、この手紙を書いたのは貴方ですね?」

「……確かに僕が書きました。ということは、その生徒というのは……」

「半年後の見学旅行に向けた面接に勿論その生徒は通りましたよ。そして平塚礼二という名前を調べた結果、我々は貴方の存在に行きつくことが出来ました」


 彼の話では面接を行なったのは凡そ半年前だったはずだ。そしてその面接は半年後に向けた東京見学に向けての物だともいう。もしかしてと顔を上げた僕の目の前で、川崎さんは大きく指を鳴らした。

 いつの間にかSPが一人居なくなっており、何処へ行ったのかと探すのも束の間、第三会議室の扉がゆっくりと開けられていく。


「五年振りの再会ということになりますか」


 居なくなっていたSPに連れられて入ってきた人物に僕は目を丸くすることしか出来なかった。

 腰ほどまで伸ばされた長く煌めく銀髪を揺らしながら部屋に入ってきた彼女は、間髪入れずに僕に目を合わせた。吸い込まれそうなほど綺麗な碧眼、冷徹さすら感じさせるくっきりとした顔立ち、染みと欠片さえも見当たらない素肌。僕は石になってしまったかのようにその場に固まり、動けない僕の下へ彼女が一歩ずつ近付いてくる。

 やがて僕のすぐ前で立ち止まった彼女は、じっと僕の目を食い入る様に見つめた。碧眼と碧眼、銀髪と銀髪。髪の長さを除けば鏡に映したような姿を持つ彼女が、ゆっくりとその紅色の唇を開けていく。


『……久しぶりだね、レシルぶへぁぼっ!?』

『兄さん!!』


 なんと言っていいのか分からず、とりあえず再開の挨拶でもと口を開いたその矢先。我が日本の誇る国技の頂点に位置する横綱にも匹敵する加速度で駆け出した彼女は、どうやっても見切れない速度で無防備な状態の僕へと抱きついた。

 鳩尾こそ無事だったが抵抗する間もなく肩口が大きく突っ張りをくらい、予想外の一撃で体が後ろに吹っ飛びかける。しかしそれを見逃して貰えるはずもなく、今度はすぐに彼女に肩を引っ掴まれたおかげで僕の体に対して逆方向に凄まじい加速度が加わり、赤ベコの如く首がガクンガクンと揺らされた。


「うぼぁあだだだだ!?」

『何で今まで会いに来てくれなかったのさ馬鹿ァ!!』


 そしてがっちりとホールドされた僕の体は、仕上げとばかりに万力の如く力を発揮する剛腕にギリギリと締め付けられる。体が完全に密着している為に僕の胸の辺りに少しだけ柔らかい感触が伝わるが、そんなことに気を向けていられないほど想像を絶する腕力で背中を絞められており、段々と呼吸すらも難しくなっていく。

 少しずつ耳鳴りが聞こえはじめて来て危機感が本格的なものへと変わる。ギブギブと背中を叩いて離すように懇願しても、まるであやしていると錯覚でもされたのか締め付ける力は強くなる一方だ。なんでこの子僕とほとんど体格変わらないのにこんな全身凶器みたいなことになっているんだよ。


 もう会うことは叶わないと思っていた、でも五年振りの再開を果たすことが出来た、たった一人の僕の妹。絶世の美人へとすくすく育った彼女に、何故僕は絞殺されかけているんだ。


「こひゅっ……離、し……」

「あ、あのフォルガントさん? 再会の喜びもそこらへんにしてまずは座りましょう、ね?」


 段々と曇っていく視界の中、少々引きつった顔を浮かべながらも助け舟をよこしてくれた川崎さんに、僕は今日初めて感謝の念を抱いた。




*   *   *




 いつの間にか向かい合うように並び替えられた長机。此方側には酸欠由来の眩暈や頭痛に襲われた僕が座り、反対側には苦笑いを浮かべる川崎さんと、ひたすら僕の顔を食い入る様に見つめてくる銀髪の少女。後ろで控えているSPさんがどこからともなく取り出したペットボトルのお茶が目の前に置かれており、冗談抜きに眩暈でぶっ倒れそうだった僕は遠慮なくそれを頂くことにする。温いけど美味しい。


「ゼェ、ハァ……」

「……そろそろ大丈夫ですかね」


 僕の息が直るまで話を待ってくれた川崎さんは、実は結構いい人かもしれない。お茶を半分程度飲み干し、せき払いを一つ残してようやく話せる状態まで回復することが出来た。

 再度前へ向き直ると、僕の生き写しのような容姿で此方に笑いかける銀髪の少女が目に入った。まさかいきなり捻じ込まれたこの会合でこんな驚くべき再開を果たすなんて僕は思ってもいなかった。


 レシルティア・フォルガント。五年前に故郷に残してきてもう会えないだろうと思っていた、僕のたった一人の妹だ。もはや見捨てたも同然とも言うべき別れ方をした彼女に、さてどう接していけば良いものか。


「……久しぶりだね、レシル」

「本当に久しぶりだよ、兄さん」


 背丈や碧眼、銀髪まで僕に似ていると思っていたらなんと声までそっくりである。やや僕よりも高い声で僕を兄さんと呼ぶ彼女は、純粋に嬉しさを表した笑顔を僕へと向けてきた。


「彼女は今回の東京見学会メンバーの一人、レシルティア・フォルガントさんです。平塚さん、彼女はあなたの妹さんということで宜しいですね?」

「ええ、間違いありません」


 五年間全く会っていなかったが、エルトニアでも中々見かけぬ銀髪碧眼という特徴的な組み合わせに加えて、そもそも僕と背格好諸々が似通い過ぎている彼女だ、実は人違いでしたなんてことはないだろうし、おそらく川崎さんも形式的に確認をしただけなのだろう。僕が即座にそうだと答えても、特に表情を変えることなく話を進めていく。


「さて、リーヴェルキャンパスの本格運用は来年度からですが、実のところ既に出向されている先生方は存在しています」

「……どういうことです? もしかしてフライングで現地で研究を行っている人も居るんですか」

「いいえ。まだ研究活動は設備の問題で行われていません。しかし来年度からの開校に向けて予備授業を行っています」


 そこで僕はハッと顔を上げた。今までこの五年間僕は研究室所属の身で過ごしてきたために、大学と言う物がひたすら研究活動を行う場と認知をしていた節がある。しかし実際には研究室に入る前の学生たちの基礎学力を養成するステップも非常に重要な大学の役割の一つである。

 新キャンパスを作るにあたって新規の学生をどのように募集して基本的なものごとを教えていくのか。件のエルトニアは大月なんて比べにもならないほど僕たちの常識が通用しない場所だ。今まで先進理学など存在してなかった地域に対しての開校であるわけだから、そのあたりは非常に難しい筈である。


「詳しい話は後日プロジェクトに参加される先生方を集めた合同説明会にてお伝えしますが、平塚さんの存在は新規学生を育成するにあたって非常に大きな武器となります」

「それって、僕が現地の言葉が喋れるからですか?」

「はい。いくら翻訳魔法が万能とはいえ、相手に知識が無ければ貴方達研究者にとってはもの凄い簡単な理系単語であっても上手くは通じませんからね」


 精神感応系の魔法である翻訳魔法は確かに意志の疎通に便利ではあるが、相手が知らない常識や単語については上手く伝わらないことが多いと聞いた事がある。

 多分その問題の根っこは物理という物を勉強する前の子供に、重力によって物体が落下すると発言しても理解してもらえないということと同じだろう。ならば一から説明をしていけば良いのではないかと思っても、ある概念の説明をするために使用する単語も通じないとなると非常に骨が折れる作業となるのは間違いない。


「入学内定者は名門と言われるリーヴェル魔術学校の生徒がほとんどです。希望者の内筆記試験である程度ふるいにかけて、現地語に翻訳された教科書で予備授業を行っていますが、定期考査の結果を見るかぎり芳しい状況とは言えないのが実情です」

「リーヴェル魔術学校ですか。当時父に進学を勧められた関係で知ってますが……そこの生徒でも芳しくないと?」

「そうですね……予備授業の内容は日本で言うならば高校レベルなんですが、着いていけずに既に入学を取り消した生徒も出ている程です」


 妹の学校が優秀な騎士を育成する場なら、リーヴェル魔術学校は優秀な学者や文官を育成する由緒ある学校だった筈だ。しかしそんな学校の生徒でも、全く魔法に関係しない科学という話になってしまえば素人も同然なのだろう。未知の分野を前にしても彼らの持ち前の洞察力でなんとかなるっていうのは、いくらなんでも博打過ぎたということか。


「来年度は四年制大学の一年生向け講義の他に、科学を基礎から見直す講義も作るように教育内容を検討していると聞いています。平塚さんには後者のタイプの講義を担当していただくかもしれませんね」

「えっ……僕も講義を持つんですか?」

「来年度から平塚さんは助教ですからね。そこはお願いしますよ」


 大変だなあと他人事のように思っていたが、全然他人事ではなかった。言われてみればたしかに助教という職は我が大学において講義を持てる人間としてカウントされる。

 今までは授業の手伝いが精々だった僕だが、一から自分で講義を持つとなると一体何をすればいいのかが全く思い浮かばない。しかも相手の学力レベルがそこまでよろしくないという以外全く分からないのだから尚更だ。


「それと来年度からの住まいの件なのですが、こちらで用意させていただきます」

「それについては先生から聞いていましたが……一応聞いておきます。その住まいというのは大月市内ですか?」


 凄まじく嫌な予感がする。平塚先生に寮の話を聞かされた時は、大月市内にある寮にでも移り住むのかなと思っていた。キャンパスから近いだろうし家賃も高くはないだろうと想像し、精々の欠点は都心から異常に離れていることくらいかとかなりポジティブな感想を抱いていた。

 だが実際のキャンパスは王都リーヴェルであり、大月はただのエルトニアへの玄関口に過ぎないという。そんな意味不明な環境において、果たして彼らは僕たちに大月市内から通勤することを許してくれるのだろうか。


「いえ、建設中の寮は校舎から程近いリーヴェル市内ですよ。学園区なので周囲も学生が多く住み心地も良いと聞いています」

「やっぱりかよこんちくしょう!!」


 案の定ともいえる返答に思わず敬語を忘れてしまう。川崎さんの表情が一瞬ビクッとして、妹が驚いた顔を浮かべているがそんなことはどうでも良い。

 駅から見えるのはちっぽけな町と壮大な山々。近場の街に行きたければ甲府か八王子の二択。そんなお世辞にも住みやすいとは思えない大月という土地が、今の僕には手も届かぬ高級住宅地にも感じられた。


「平塚さんのとっては故郷に近い空気でしょうから、多分すぐに慣れますよ」

「い、いやあそうなんですけどね……」


 言える訳が無かった。僕の本当の故郷が東京の真ん中らへんの一軒家なんて。


「とりあえず今日伝えなければならないことは以上です。何か質問などはありますか?」

「……いきなり色々と知ったため質問が出る以前の状態です。後日合同説明会を行うんですよね」

「はい。来週の土曜日に貴大学の大教室にて行ないます。長めの質疑応答時間を設けますので、その時でも宜しいですか?」

「ええ、とりあえず今は色々と整理をしないと……」


 いくらなんでもこの場で知らされた内容は短時間で頭の中で整理をするには重すぎる。妹との再会だって大事件なのに、それに加えて自分の就職先があろうことが元々住んでいた国なのだから、混乱して慌てふためかなかったことだけでも褒められてしかるべきだ。

 ともかく今は考える時間が欲しい。今日は早めに研究室を引き上げて家に帰ろう。一人でゆっくりと考えれば、ちょっとくらいは考えが纏まるかもしれない。


「では今日はありがとうございました」

「ああ、平塚さん。まだ伝えなければならないことが一つ残っていますので、もう少しだけおつきあい下さい」


 椅子を立とうとした僕を川崎さんが急いで呼び止めた。まだ残っていることがあるのかと少しげんなりとしていると、ふと強い視線を斜め前から感じた。


「むー……」

「最後にですが、フォルガントさんについて少々お話があります」


 我が妹はじーっと何かを言いたそうに僕に視線を向けている。今まで散々相手にされていなかったうえに、そそくさと急いで学生室に戻ろうとした僕に不満を抱いたのか。続けざまに新情報を頭から浴びせられたために、情けないことに彼女について少し気を回せなかった。

 そう言えば彼女はたしか東京見学会に参加をしていたんじゃなかったか。久しぶりの再会ということで話したいことも山々であり、他の参加メンバーと合流をする前に少しだけ時間が欲しい。


「それより前にちょっとすいません。妹は東京見学会の途中ですよね? 他のメンバーの所に合流する前に少々時間を頂けますか?」

「構いませんよ。むしろお話というのはその件に関してですので」


 その件とは一体何事だろうか。少しだけ疑問が浮かぶが、一転して嬉しそうな笑顔を浮かべる妹を見ているとなんだかどうでも良くなってくる。


「既に見学会の参加者はエルトニアに帰国しており、フォルガントさんだけが日本に残っていますからね」

「……えっ」


 さて一体何を語りあおうか。時間は限られているわけだしまずは近況報告でも、などと考えていた僕の頭は、川崎さんの放った言葉で現実へと引きずり戻された。


「い、いやそれってどういうことですか? 妹だけ特別なスケジュールを組んでいるとか?」

「そういうことになります。勿論本人の希望によるものですよ」


 良かった、ハブにされた訳じゃあ無いんだな。そういうこととなれば、あまり時間に気を使わずに話せるかもしれない。ホッと安心しながら担当者も柔軟な人間だなあと感心していると、川崎さんは含み笑いを浮かべながら妹に視線を向けた。何事かなあ思っていると、ずっとしゃべらずに僕達の話を聞いていた妹がおずおずと口を開いた。


「兄さん。今回の見学会ではボクは相当無理を言ってある2つの要望を通してもらったんだ」


 少し恥ずかしそうに話し始める妹の姿は、僕を絞殺しかけた時のような快活さではなく、まだ小さい頃に僕の後を着いて回っていた時の雰囲気を思わせるしおらしさを感じさせる。その様子に僕は懐かしさを感じるとともに、彼女を一人にしてしまったことへの罪悪感もチクリと胸を刺した。

 いつの間に妹の一人称がボクとなったのかが凄く気にはなるけど、僕はできるだけ柔らかい笑顔を浮かべながら、優しい口調で口を開いた。


「……本当企画を立ち上げた人たちは柔軟な人達なんだね。それで、要望っていうのはこの会談のことかい?」

「それもそうだけど……もう一個はね、一日帰る時間を遅らせて兄さんの家に泊まらせてほしいって言ったんだ」

「そうかぁ……えっ」


 なんか今日は不意の発言に驚いてばかりな気がする。

 顔を少し赤らめながら僕の反応を小動物のように伺う妹の姿に顔がだらしなく崩れてしまいそうになる一方で、彼女が発言した内容が結構とんでもないんじゃないかと僕の理性が冷静な判断を下す。貴族の娘である彼女が滞在するにはどうかと思われる汚部屋だし、そもそも妹とは言えども外交上かなり気を使わなければいけない人間を泊めるとなれば相当な警護が一緒に着いてくるんじゃないか。


「平塚さんの存在へと行きつくことが出来たのは彼女のおかげですし、我々としても彼女の意見を尊重したいのですよ。久しぶりの再会なのでしょうし、丁度良い機会じゃないでしょうか」

「今日はよろしくね……兄さん」


 だがこれ程期待した顔を浮かべる妹を前にして、喉元まで上がってきていた反論の言葉はすごすごと消え去ってしまった。

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