その2
『エルトニア宮殿、正門前広場上空に到着。これより着陸態勢に入る』
騒音防止用の特殊なヘッドセットを着けて、ヘリコプターでエルトニアの空を行く一時。眼下に見る街並みは間違いなくエルトニアのもののはずなのに、視点が違うだけでこうも違和感を覚えるとは不思議なものだ。エルトニアキャンパスから王宮に向かうためには、本来であれば学園区から中心街の方に出て大通りに入らなければいけない。しかしそのような煩雑な道順はおろか、正午が近くなり混雑している各通りすらも全て無視した空路を使えば、目的地上空にたどり着くのは本当にあっという間の話だった。
「……とうとう来てしまったのね」
自分の声なんてヘリのローター音にかき消されてしまってほとんど耳に入ってこない。でも眼下から段々と自身の目に飛び込んでくる光景を目の当たりにしたら、そう漏らさずにはいられなかった。
王都リーヴェルの中心地区の更に中央を占有する、城壁と鉄の柵で周囲を覆われた巨大な一区画。百年を優に超える歴史を持った王政国家、その中枢が存在するエルトニア宮殿だ。そして嘘偽りなくその王族の一人である私にとっては、生まれ育った場所と言って差し支えはない。
ただの血族ではなく、たとえ順位は優勢では無くとも正式に王位継承権が与えられた正統一族にいた私は、その政治的な価値の大きさからか基本的に厳重な警護の元にいた。だから幼少期は外遊を除けば宮殿の中で過ごすことが多く、こうやって王宮の姿を正門の外から眺めるなんて案外経験はないのだ。
『着陸完了を確認。健闘をお祈りします』
そんな見慣れていないにも関わらず幼少期を思い起こさせる外観は、現在混沌とした様相を呈している。開け放たれたヘリコプターの乗降口、そこから見える正門の前には二つの勢力が存在していた。ヘリコプターの胴体と同じく「山梨県警察」と背中に書かれた複数人の機動隊員と、それと相対しているエルトニア宮殿の警備衛士隊。まず経験したことのないであろうヘリの風やら騒音が直撃している後者の面々は、こちらに視線を向けて目を白黒させている始末だ。
「こ、今度は何だァ!?」
衛士たちの最前列で吹き付ける風を防ぐべく顔を手で覆った一人の兵士が、こちらを見てそう叫んだ。ようやくここまで乗り込んできたのだという興奮の傍らで、そりゃあそういう反応が返ってくるよねと頭の中の冷静な部分が淡々と判断する。こっちの世界で空を飛ぶ大きな物体なんて人里にはまず姿を現さないと言われる竜種くらいしか存在しないし、その上ヘリコプター自体の奇怪なフォルムも合わさり、まさに彼らの前に表れた存在は理解の範疇を簡単に超えているのだろう。
「藤沢さん、お待ちしておりました!!」
そんな状況の中、降り立った私に真っ先に駆け寄ってきたのは、今回の一件をバックでサポートしている外務省役人の川崎さんだ。今しがた何処かに電話をかけていたのだろうか、片耳に指を突っ込んでもう片方の耳に携帯電話を押し付けていた。
「……すみません。私の出自と行動がここまで事態をややこしくしてしまい……」
「過ぎたことはしょうがありません。今は別の事に、そう平塚さんの可及的速やかな奪還に注力しましょう」
そのまま彼に手を引かれるがまま、衛士たちと向かい合うように展開した機動隊員の後方で立ち止まった。今だ声も何もかき消すほどのローター音が背後から鳴り響く中、どさくさに紛れてカツラが飛んでいかないように頭を押さえつけながら川崎さんと相対する。私の役目は、この宮殿に突入してレイを連れて帰ること。彼の言う通り、これまでの自身の立ち振る舞いを後悔するのは少なくとも今ではない。自然と握り締めたこぶしに力が入る。
機動隊員の列に切れ目が入り、その間をゆっくりと歩みを進める。正面に見えるのは、こちらを警戒する衛士の人たちとその奥に聳えるエルトニア宮殿の荘厳な正門だ。彼らを突破し、その奥の正門すらも突破する。私は、そのためにここへ呼ばれたんだ。
「平塚さんには緊急用として小型無線機を預けていますが、内部の状況は依然不明です。我々は突入準備及び王室の他の勢力に話を通している最中ですが……お気持ちを考えると非常に心苦しいのですが、藤沢さんの正体をこの場で明かすのが一番スムーズに事が進むと思われます」
川崎さんの言う通り、私の正体はこの状況ではひときわ大きな武器になる。エルトニアの王室を護るという使命を持った彼らを押し通すには、私が第二王女であるという事実が一番効率のいい突破方法だ。彼らが果たして私の言うことを信じるかはさておき、機動隊が正面から強行突破よりはよほど日本とエルトニア間の亀裂が少ないには違いない。
「ライル殿下の狙いは、間違いなく貴女の奪還です。だから本当ならば藤沢さんをそのまま差し出すなど愚行も良いところです。しかし可能な限り早く殿下に相対しなければ、現在進行中のファンタスティック・アカデミーへの妨害行為を阻止できない……最終的な意思の確認です。我々にご協力頂けますか」
彼の問いを、数秒の思考も無しにしっかりと頷いた。既に平塚先生との話し合いによって、すでに私の意志は固められている。何としてでも自分の生まれと愚弟にしっかりと向かい合い、そしてあの銀髪頭に真正面から言いたい放題言ってやるんだから。
川崎さんとしても、この問いかけは形式的な意味合いが強かったのだろう。私の肯定を受け取った直後から、具体的な計画について聞かされた。私が突入してから問題の収束にあたるまで、本当に達成できるのかどうか不明瞭な箇所もいくらかは存在している。しかし今は、唯一の砦である彼ないしは外務省を信じるほかはない。
「最後に一つ。この件で、貴女の立場は今までのままではいられなくなる。藤沢さんは、この先の立ち振舞いを、どのようにしたいのですか?」
そして、これが私の最大の選択になる。いままで見ないふりをしてきた私自身のこれからについて。もうこの問いから逃げることは出来ないし、逃げるつもりもない。何故ならその答えは本当はずっと昔に決まっていて、今までそれを口に出す度胸が無かっただけなのだから。
「そんなもの、決まってます。私は――」
私の返答を、彼はただ黙って聞き、そしてゆっくりと頷いた。賛成することも、反対することもない。外務省の役人である川崎さんの仕事はあくまでこのいざこざをスムーズに解決することだけで、私の決断についてもその是非を問うのではなく道すがらをセッティングする立場に過ぎないからだ。
そうだ。自分は関係ないからなんて風を装いながらも、まるで私のことを自分の問題のように悩み、そして気が付いたら一緒に首をかしげあうような彼とは違う。私は、人生最大の決断をおそらくその彼の前で行うことになる。レイならば、私の決定をどう見るかな。早とちりだとたしなめるか、それとも英断だと誉めてくれるかな。でもそのどちらであろうと、私は胸を張って彼に宣言するのだ。私も、あなたと同じようにこの世界へ一つの決着をつけたんだって。
「……それでは状況を開始しましょう――今しがた、本件の重要参考人が到着しました。ライル殿下へのお目通りをお願いします」
機動隊員の前方に歩き出し、声高に川崎さんが衛士たちの隊長格へと宣言をした。未だヘリコプターの姿に警戒心を隠そうともしない相手方の一団が、川崎さんの姿を鋭く睨みつける。
「王宮の御前に貴国の部隊を展開するに飽き足らず、そのような摩訶不思議な飛行機械を持ち出し、その上殿下に身元も分からぬ者の謁見を申し出るとは!! カワサキ殿、いくら貴君が二ホン国の大使であろうと限度があるぞ!!」
向こうの隊長はそんな川崎さんの言葉をにべもなく跳ね返す。確かにこのにらみ合いの中で、友好的に私の謁見が認められるわけも無い。しかし彼らがいくら反対をしようが、私はこの門の向こうにいかなければならない。いや、もはやここを突破するのは決定事項なのだ。
「そうですか。確かに詳細を話さなかった我々に非がありますね。ですが彼女は――」
私を全面に押し出していざその正体を明かそうとした川崎さんを、少し強い調子で見つめる。この先は私がやる。あなたが対応するのはここまでだ。視線にそんな意図を含ませて見ると、それを汲んだのだろうか彼は一瞬だけやれやれという様子で息を吐き、その直後にイヤに芝居染みて仰々しく頭を下げてきた。
「――そうですね。ここは私が出張るところではありませんか、"殿下"」
敢えて目立つように、私に対してふかぶかと頭を下げ、そして向こうにぎりぎり聞こえているかという音量で"殿下"と口ずさむ。その明らかな態度の変化に、向こうの一団もいぶかしむような様子を見せてきた。この瞬間から、私の王族復帰は始まっているのだ。もう、肩書も無いただの大学院生への後戻りなんか出来ない。
「……ここまでの案内、感謝します。エルトニアの兵士の皆様、再度お願いします。エルトニア王国第二王子、ライル・フランシス・エルトニアへの面会を希望します」
私は今この瞬間から、自分の在り方を今までの物とは変えるのだ。徐々に近づく私の姿に、衛士たちは一層警戒心を強めたのだろう。部隊の面々がここは通さないとばかりに槍を斜めに構え、そして私の姿を鋭く見据える。無理やりに昂らせた己の心は眼前の光景に対して、高々二十歳にも満たない未成年の女一人に随分と厳重なものだなと、すごく偉そうな感想を抱いていた。そんな謎の精神的な余裕のおかげで、たぶん私の表情は妙に大物っぽい顔になっているんだろう。
「と、止まらんかッ!! 二ホン国大使ならばまだしも、一般市民の貴様が殿下に謁見しようなど、身の程を弁え――」
衛士の言葉を遮るように、ひと際強い風が背後から吹き付けてきた。ヘリコプターが一時的にここを離れるために飛びたったのだろうけど、すごくいいタイミングで風が沸き起こってくれた。容赦なく襲い掛かる突風、そしてそれに呼応して舞い上がる自分の物ではない髪の毛。耐えきれなくなって頭から飛ばされた瞬間に、私はそのカツラをつかみ取った。
「へぇ……一般市民ね」
見せつけるように、肩口に触れた己の髪の毛を片手で払う。視界の端には、これまでキャンパスの外ではまず他人に見せることなんて無かった赤紫色の髪の毛が映る。現代日本はもちろんのこと、ファンタジーな髪の毛の色が溢れかえるリーヴェルの街並みでもある一例を除いて唯一見かけることの無い特徴的な色合いだ。
「もう一度言います。ライル・フランシス・エルトニアへの面会――いや違うわね」
右手に掴む黒髪のカツラ。これまでの数か月間、これには随分とお世話になった。だからこそ、今からやることはすごく心苦しいけどパフォーマンスにはこれほどの物もない。王の血族は、赤紫の特徴的な髪色と共に、卓越した炎系統の魔術を操る。この国の国民であれば、大体知っているような当たり前の知識だ。
今まで十年以上魔法というものを扱ってこなかったとはいえ、私もやはり王家の一員なのだ。たった数日間、誰にも気が付かれないようなこじんまりとした鍛練であっても、手に持った小物を焼き付くすなど造作もない。
出力を最大限にして送り込んだ魔力は、握り締めたカツラを瞬時に炎の中に包み込んだ。風に吹かれてなびく私の髪を一様に驚いた様子で見つめる衛士に見せつけるように、私の体なんて容易に包み込むほどの大きな紅い炎が天に伸びる。しかしその炎は発動者を蝕むなんてことも無く、ひと際大きく輝いたかと思えばこぶしを握り締めると共に弾けるように立ち消え、もはや手や袖口に一片の痕跡や燃え滓も残さない。
「あ、貴女様は……」
「あの愚弟に言いたいことがあります。だからここを通しなさい。十数年ぶりに帰ってきた第二王女ヘレナ・ヴィクトリウス・エルトニアを、わざわざここで足止めする理由も無いでしょう?」
呆然とした様子でこちらに視線を向ける衛士に、私は努めて平静な様子でそう問いかけた。




