その6
「……一市民に対し、また随分と厳重な処置ですね」
視線の先にいる相手は、とてもではないが普段の状況では軽口の一つも叩けないような存在だ。しかし今の自分自身の状況をかえりみたら、皮肉の一つでも言ってやらなければ気が済まない。仮にも他国の一般市民である平塚礼二という若い男一人にする処遇としたら、この状態は歪にも程があるものだった。
川崎さんたちに別れを告げた後、一体どのような聴取をされるのかと思っていたら、小部屋はおろかまるで要人との会談を行うのかというほどに立派な部屋へと連れてこられたのだ。ご丁寧に、川崎さんたちの視線から外れる王宮の建物内部で後ろ手を縛られた状態で。両脇を無言で歩いていた兵士がその部屋の扉を幾度がノックをし、短い返答の後にゆっくりと開ける。その先に居たのは、この一連の面倒事を引き起こした張本人だった。
「……一市民と言ったな? 生憎、何処の国においても王女の失踪に関与した人間はそういう呼ばれ方はしない」
人払いを済ませたこの広い部屋には、僕とライル殿下の二人しかいない。窓辺に立ちながら嘲笑するような声色で話す彼と、部屋の中央部に置かれた質素な椅子に座らせた状態で後ろ手を縛られた僕が、お互いの視線を交差させる。彼の配下の人間に根掘り葉掘りあることないことを言われるのかと思っていたらこの有様だ。
「レイジ・ヒラツカ。否、ラスティレイ・フォルガント。お前がこの場所にいる理由が何だか分かるか?」
「……ええ、分かりますよ。ヘレナ・ヴィクトリウス・エルトニア。否、藤沢レナ。彼女に関する話でしょう」
僕の座る椅子に向けて、彼は一歩ずつ近づいてきた。これまでいつ彼の表情を見ても浮かんでいた無表情な貌が、今にも崩れそうな歪んだ笑顔で上書きをされていた。どこかで見覚えのある、仮面のような笑顔。それに、とてつもなく嫌悪感を抱く。
「そうだ。もはや多くの民の記憶からも消え失せようとしていた私の姉、ヘレナだ!!」
この広い空間の中に、初めて聞く彼の大きな声が響く。電車一両よりも奥行きのある大部屋の中、ライル殿下は僕の元へとゆっくりと足を進める。
「十年前、我が国は幼かった第二王女が行方不明になるという失態を演じ、同時に文武共に才覚のある優秀な血族を失った。現王は、彼女が失踪してから丸一年、多大なる報酬金を用意して捜索を行った。嘘か真かも変わらぬ情報にすら褒美が与えられ、三日に一度は第二王女を称する赤の他人が面会に訪れた始末だ」
揚揚と、彼の言葉はまるで流れ出した水のように淀みなく続く。僕が己の才覚の無さに失望し、剣と魔法の世界で生きる道を諦観していたその頃。フォルガント家の統治領から離れたこの王都リーヴェルで、ライル殿下の言うような騒ぎが起きているということは、あくまで伝手でしか聞いたことはなかった。
「素性も分からぬ怪しげな情報屋が報酬を受け取る、だがそんな日々も長くは続かない。一年が経過した頃、情報料と称した資財の垂れ流しは批判を集め始めた。そして批判の立役者たる私の兄、第一王子の説得に応じた現王は、一年間の捜索を打ち切った。国としては一概に間違った判断ではなかっただろう。だが彼らが私の姉を見捨てたことに変わりはない!!」
その叫びと共に、彼は荒々しく地面を踏みつけた。広い空間に大きな音が響くとともに、踏みつけた足から溢れ出た魔術由来の火花が飛び散る。絨毯を焦がし、すえた臭いが辺りに漂う。まるで癇癪を爆発させるような行動は、いつも一歩引いたところで無感動さを纏っていた彼の姿と重ね合わせるのが困難なほどだ。
「……そのまま時が過ぎ、誰も彼女のことを再び捜索しようなどとは言いださなかった。事実上後継者が一人脱落し、周囲の人間の動きも安定したことも大きいだろう。だがそれでも私は、私だけは探し続けた。心のどこかではもう見つかることは無いだろうと思いながら、しかし希望だけは捨てなかった」
足元に付いた煤を払落しながら、彼は再びこちらに向けて歩き出す。もし手が後ろで縛られていなかったら、腕を伸ばせばギリギリ届くかという距離で、ライル殿下は僕の顔を見下ろしていた。不自然なほど平たんな声色が頭上から降り注ぐ。
「なんという幸運だ。街並みに紛れた、二ホン国との交流で訪れた渡来人を何の気なしに見てみれば、まさかそこで姉上の姿を見つけるだなんて。だが、同時に私は運がとても悪かったのだろう。ラスティレイ、十年来に見た彼女の中に私は何を見たと思う?」
いつの間にか能面のような薄ら笑いを浮かべながら、彼はそう尋ねてきた。僕がライル殿下と初めて会った時、その場には藤沢さんもいた。日本人の一人として僕たちに溶け込み、そして第二王女としての態度はおろかエルトニア人としての片りんすらも隠し通そうとしていた彼女の姿。それはまるで、あたかも彼女が彼女自身の過去に向き合ってはいなく――
「あの人は、姉上はッ!! このエルトニアを、そしてこの私を、素知らぬとばかりに過ごしていた!! あの人の目は、この国に向いてはいない!! 二ホン国を、そしてお前を見ていた!!」
自分の状態を知るよりも、息苦しさの方が先に訪れる。椅子に両手を縛られたままの僕の胸倉を、彼は勢いよく掴み上げていた。腰が浮き、椅子の後ろ脚までもが地面を離れ、そして間近で彼の叫び声を浴びせられる。仮面のような薄ら笑いは剥げ落ち、憤怒の表情が真正面から僕を見据える。
「あの人がいなくなってから、ずっと再会を心待ちにした私への仕打ちがこれか。この私の気持ちが分かるか!?」
そう吐き棄てるように言葉を乱雑に切り、それと共に首元が解放される。そのまま椅子ごと後ろに倒れこむのではないかという反動と共に胸倉を離され、視線を彼に向けたまま小さく深呼吸をした。
「……お前たちと会った当初から、あの人の正体には気が付いていた。だが反対に、姉上は私を弟とは扱おうとはしなかった。最初は私の正体に気が付いていないのかと淡い希望も抱いた。だが、あの見学会で言葉を交わした時、名前まで名乗り上げてなお姉上は私を縁のない人間かのように扱った。完全に自身を覆い隠したのか、それともまさか記憶を失っているのか。私にはそれすらも分からなくなったよ」
だからこその急な見学会の開催だったのか。藤沢さんは、ライル殿下に遭遇した時点から彼の名前や自身との関係について忘却なんてしていなかった。その上で、一般の日本人研修者として振舞うべく知らないふりをしていた彼女は、見学会においてもその態度を貫き通したのだ。僅か短い時間でも、ライル殿下と一対一で会話をしていた藤沢さんの様子 は、決して姉弟の間柄ではなく王族と一般人の枠を出なかった。
一体彼女が自分を偽るという嘘をついているのか、それとも記憶がないことに起因する本心からの行動なのか。どちらにせよ無関係な他人であるという態度を崩さない実の姉を前にして、たとえ無表情に見えたライル殿下のその心の内は、一体何色であったのだろうか。
「……我々の大学を非難したのは、彼女の出かたを伺うためだったんですか?」
その失意を抱いたまま見学会を終わらせた彼が次の行動を起こすまでの時間はわずかだった。ライル殿下を中心とする、大学計画への反対派の集結。その時から、ゆっくりと真綿を締めるような妨害が始まったのだ。つい最近まで、彼の言葉通り、僕は完全にライル殿下は本心から大学計画への警笛を鳴らすべく行動をしていると信じてきた。しかしその全てが嘘ではないにしても、根底にある切っ掛けはそうではないはずだ。
「ああ、そうだとも。元々私自身がお前たち二ホン国に対して慎重派ということもあり、少し声を掛ければ私に群がっていた連中が意気揚々と己の立場を表明したよ。たとえ芯の部分で意見の隔たりがある烏合の衆であろうと、お前たちをけん制する分には十分だった」
何一つ悪びれる様子もなく、彼は淡々と話す。あのタイミングで彼が否定派を支持する声明を出したのは、結局のところ僕らにプレッシャーを与えるていの良い手ごまを用意するために過ぎなかったのだと。
二週間前に遭遇した大学反対派の学生が言っていた「ライル殿下と僕は完全に同じ方向を向いているわけじゃ無い」という言葉を思い出す。確かにそうだろう。あの学生のように大学の存在意義を根底から考えるような派閥が、ただそれを手ごまに使うような存在と同じ方角を向いているはずがない。
「姉上は聡明な方のはずだ。私が中核となった一派がこのような行動を起こせば、あの人も名乗りを上げて表舞台に姿を現す……私はそう信じていた」
彼の言う人物像、すなわち王族足り得る先導性、カリスマ、行動力。それらに期待をして、じわじわとプレッシャーを与えてあぶり出そうと計画を続けてきたのか。しかし藤沢さんは、殿下の考えるほど勇猛な人物ではない。あくまで年相応の若い一人の女子に過ぎないのだ。
「だが、出てきたのは姉上ではなくお前だった。フォルガント家が二ホン国の大学計画へ支持を表明したことで、やられたと思ったよ。そしてようやく私の中にある確信が付いた。今の姉上に王族足る資質は足りておらず、それはお前の存在が原因であると」
彼の金色の双眼がこちらを射抜く。無言のまま、その理由がわかるかとまるで問い詰められているような錯覚に陥る。彼女から王族足る資質が抜けて、そしてそれが僕の存在であるという根拠。そんなこと、少し考えればすぐに分かることだ。彼女と初めて言葉を交わした薄暗い研究棟のロビーで、藤沢さんが見せた表情を思い出す。あれは、ようやく同じ境遇の人間を見つけたという、単純明快なる安心感だった。
「姉上はお前に依存し、その盾の後ろで縮こまっている。これはあくまで私の想像に過ぎないが、仮に本当だとしたら実に嘆かわしい。希代の才女たる長姉のライアにも劣らぬ才覚の持ち主がそのざまか。二ホンという国での生活が、そこまで爪と牙を奪うとはな」
「……たとえ、王族としての意識が無くなろうと、それは現代日本における生活に対応をした結果です。殿下の追い求めるソレは、もはや今の藤沢さんではない」
彼の嘲笑うような口調に、今まで下手に逆鱗に触れぬよう意識をして黙っていたはずの口が勝手に言葉を紡ぎ出す。貴方の追うその姿は文字通り幻影に過ぎない。それはまさしく幻であり本人ではなく、現代日本という完全なる異世界に流れ着いて足掻き続けてきた彼女とは到底重ならない。
「彼女は、現代日本という世界で今日この日まで生き抜いてきた。たとえそれが王族足る資質を捨てることと同義でも、価値観どころか言葉すらも異なる世界を生き抜くにはそれしか無かったはずです」
それを、この人は適応ではなく劣化と切り捨てた。彼の頭の中には、未だに十年前の希代の王女ヘレナ・ヴィクトリウス・エルトニアがいる。その差異を、この人はどうしたって認めることが出来ないのだ。
「何故等身大の彼女を見ようとはしないんですか。人は誰だって変わる。境遇が変化したならば、それに対応しようとする」
「……黙れ」
低くうなるような彼の言葉も、今は敢えて無視をする。こぶしを握り締めて真正面から僕を睨め付ける彼に向けて、さらに続けた。
「今の彼女は、もはや一人の大学院生だ。少なくとも現状は、決して勇猛な意志を持った人ではない。貴方の見ている幻影は、決して今の彼女には重なりはしな――」
「――知ったような、口を利くなァ!!」
言葉を言い終わるのも待たず、彼の手が僕の顔を打ち鳴らした。脳が揺さぶられるほどの衝撃が頬を打ち、勢いを殺し切れずに椅子ごと地面へと倒れおちる。受け身も何も取れたものではなく、たとえ地面が固い床ではなく絨毯であっても、容赦のない衝撃が肩口から頭へと伝わった。だがそんな視界の歪みを起こさせるほどの眩暈の中でも、明瞭な憤怒の表情を浮かべるライル殿下の顔を睨め付ける。
「それが、貴方の本性ですね」
底知れなさを感じさせる無表情でもなく、張り付いたような歪んだ笑顔でもなく。そこには怒りで息を鳴らす一人ぼっちの若い青年の姿があった。何を考えているかも分からない、底知れぬ深さを持った第二王子はこの場にはいない。幼少期に生き別れになった姉を追い求め、理想と現実の境界に苦悩してその末に現実から目を背けた、ただの若い青年だ。それこそが十台の等身大の青年としての、彼の姿なのだろう。
「……殿下がそこまで彼女を追い求めるのならば、何故直接この場に彼女を呼ばないんですか。貴方が藤沢さんの正体に気が付いてから今日この日まで、殿下は彼女を一回も名指しで召喚はしていない。何故この僕に、彼女が表舞台に立とうとすることを阻止する猶予を与えたのですか」
そしてようやく、ずっと抱いてきた疑問を投げかけた。この質問をすることが、敢えて僕が見え透いた危険な場所であるここに来た理由の一つである。ライル殿下のこれまでの行動は、終始外堀の埋め立てに終始をしている。川崎さんをして真綿で首を締めるにしても真綿が先に切れてしまうと言わしめ、それゆえにライル殿下の狙いを誤認させたほどだ。二週間前の第二王女の捜索願だって藤沢さん本人に直接向けたものではなく、今日だって彼女ではなく敢えてその近くにいる僕をターゲットにしてきた。
結果から言って、彼の行動のすべては、彼女にプレッシャーと猶予を与えることとなった。だけど、それは彼女を強制的に王宮へ呼び寄せるものとは繋がらなかった。ただ単に藤沢さんを王宮に迎え入れるには僕のように名指しで呼び寄せればいいもを、彼は敢えてそうしなかったのだ。ならば、その狙いの根底にあるものは一体何か。
「……姉上は聡明な方だ。たとえ現状が違っていても、根底には王族の血があるはずだ。だからこの王宮にあの人が戻るときには、王族足る意志がなければならない。だが無理やり呼び寄せたところでそうは叶うまい」
そして再び彼の顔に笑顔が張り付く。あの能面のような、剥がれ落ちそうな歪んだ笑顔だ。そしてようやく気が付く。なんでこの笑顔に僕が嫌悪感を抱いていたのか。
「姉上は自分の意志でここに来なければならない。それは何時か。大学計画を護るために身を差し出すか、王室が行方不明の第二王女を探しているという声明に応えるべく参上するか。否、あの人は結局足を踏み留めた。ならば、その彼女に吹き付ける風を遮断する盾を取り外したらいい」
彼の笑顔は、僕が昔に浮かべていたものだ。自分よりもはるかに優秀な妹という存在を心のどこかで認められず、そしてだからと言って完全に距離を置くことなんて到底出来ず。そしてすべての状況を解消できるはずの、現代日本への帰還というただ一点に希望を抱き、無理やり自身の表情を笑顔にする。
「ラスティレイ。お前を失って初めて、姉上は本当の己を取り戻すだろう」
見たくないものに蓋をして、ひたすら己の望んだ物事にのみ希望を抱き続ける。彼は今、出口があるかも分からない一本道のトンネルを進み続けているのだ。引き返すことは敵わず、先に進むしかない。
「そしてようやく、第二王女はこの王宮へと戻ってくる……お前は、言うなればそのための餌だ」
そこへ来て、ようやく僕は自分の判断が誤っていたことを悟った。目の前の彼は、端から交渉や取り調べなんかで藤沢さんの表舞台復帰を狙ってなんかいなかったのだ。大学計画への反対表明から、他国の一般市民を手配するという行為まで、全ては藤沢さんが自分自身の意志でこのエルトニア宮殿に足を向けるための布石に過ぎなかった。そして最後のピースであり餌である僕は、最後まで彼の底に燃える意志を欠片すらも気付きもせず、こうして彼の目の前で椅子に縛られたまま倒れ伏している。
「お前はそこで無様に倒れて、名実共に第二王女ヘレナ・ヴィクトリウス・エルトニアが凱旋する様を見ていれば良い。姉上がここに来るまで、恐らくそう時間は掛からないだろう」
彼女がここに姿を現した後のことなど恐らく考えてもいないのだろう。ただ、第二王女が王宮へ戻ってくるという一点のみを眼に映した青年は、その歪んだ表情を段々と綻ばせながらくつくつと嗤った。




