第二話「襲撃!! 迫りくる銀色の影」 その1
「論文投稿の目途がついたな。これが終われば後はもう博論に向けて準備をするだけだ」
「筆頭の一般論文じゃ、卒業前の最後かラス2になるだろうね」
夏は過ぎてさあ秋だ。研究活動に勤しんでいると時間が過ぎるのはあっという間で困る。
例年には無いレベルの猛暑がだらだらと続いた結果、十月に入ったにもかかわらず一向に秋っぽい爽やかな空気が訪れていない。第二の故郷が避暑地としても知られるような夏場も涼しい場所であり、そんな場所でぬくぬくと育った貧弱ボーイの僕はこの夏冗談抜きで死にかけた。軽い脱水症状のせいで意識を朦朧とさせながら自販機で買った飲み物で命を繋いだ回数は一度や二度じゃない。
茹だるような暑さを久々に体験した四年前の夏場は本当に危なかった。どうせ氷魔法で体を涼しく保てるから平気だとタカを括っていた僕が直面したのは、前世の状態から気温湿度共に数段のパワーアップを遂げた煉獄だった。ヘタに魔法を使おうものならさあ大変、大した効果が望めないのに意識だけはかなりの集中力を必要とされるから逆に頭が熱くなってくる始末だ。
いくら周囲の空気が多少涼しくなろうと照り付けてくる光は防ぐ事など出来やしない。銀色の髪の毛が太陽光を反射してくれるかなとも思ったが、そんな事は全く起こらず。そして少し風が吹いただけで冷気のコーティングが生暖かく湿った空気に置換されることを知った僕は、日本の夏をなめていたことを思い知らされた。
「しかし博論か……ここまで長かったよ。先生はもう何年も前に通り過ぎた道だろうけど、なんか不思議な気分にさせられる」
「そうだよな。お前は俺が修論を出すよりも前に分岐したんだから。まあそんな気張るなよ」
目の前に座るは我が分身こと平塚准教授。今自分のやっていることが、もう一人の自分が既に十年近く前に済ませていることなのかと思うと、どうにもすごく出遅れている感じがしてならない。
精神年齢は一緒だし、僕と彼は准教授と一学生という立場にありながら互いを対等な関係と見ることが多い。そんな僕を鏡に映したような存在の彼は、大学での研究に関して言えば間違いなく僕よりも先輩なのだ。十二年間異世界で過ごしたことによるブランクは相当大きく、大学院に入ってからここまで出来る限りの勉強や研究を続けてきても彼に追いつくなんていうのは夢のまた夢の話だった。
「……敵わないよ、本当に」
「そら、もっと俺に対抗心を燃やせ燃やせ。知識のアドバンテージじゃ俺に分があるけど、お前はまだ若いんだからいつかは俺も超せる時が来るかもしれないぞ」
そしてこういう時に限って彼は少しだけ先輩風を吹かすのだ。自分と同じ性格を持っている彼のことだ、茶化す感じではなく心から追い抜かしてみろと思っているのだろう。
「そうそう昨日発表されたようだが、助教内定おめでとうな。こればっかりは俺もお手上げだよ」
「……うん、ありがとう」
そう、彼の言うとおり僕は大学の用意した助教という非常に狭き門をくぐり抜けることに成功したのだ。こればっかりは現状で僕が先生に鼻高々になれる要素かもしれない。彼も彼で三十前半で准教授になるという脅威の出世速度なのだが、卒業当初は博士後研究員として下積みしていた時期があったとか。
つい昨日発表された内定者一覧表の中に平塚礼二という名前を発見した時は、思わずドデカい声を張り上げて拳を突き上げたものだ。論文や実験に追われる日々の中で、大学の最高司令部みたいな偉い人たちが集う中で面接をさせられたり選考書類に気を焼いたりしていたため、その努力が報われて軽くハイになったのである。
「昨日はテンションが突き抜けて、隣部屋の藤沢さんに何事って問い詰められるくらい大声で騒いじゃったよ。アパートなのに配慮が足りなかったね」
「……そういえばお前藤沢の隣に住んでいるんだったな」
「僕が住んでいる隣に去年の暮れごろ彼女が越してきたんだ。まるで僕が彼女をストーカーしてるような言い方は止めようよ」
僕が住んでいる古アパートは、日が差し込まないとか見た目がボロイとかの理由が積み重なって家賃がかなりお手頃な優良物件だ。去年の暮れごろにお隣さんだった学生が内定を得ることが出来た自分へのご褒美とか何とかで引っ越していったことで空き部屋になったそこを、藤沢さんは見逃さなかった。
特に親交もなかったがお隣さんが居なくなるのは少し寂しいよねとラボ面に話したおよそ数日後、隣の部屋に引っ越し業者の人が来ていたから新しい隣人に挨拶でもしようかと思って赴いてみたら、驚いた様子で僕と目を見合わす藤沢さんの姿があった。どうやら孤児院の卒業目安年齢の十八歳を超えた彼女は、大学近くに家賃的な意味で優良物件だった我が本拠地に空き部屋が出来たことを知り、これをきっかけにお世話になっている孤児院を出て移り住んできたようだ。
「そういうことだから、僕の方がアパート歴は上だよ」
「まあそれは良いんだけどよ、お前たちは二人とも来年には新キャンパスの方に異動だからな。彼女も一年後にすぐ引っ越しじゃ落ち着かないだろうに」
「僕らは縁が無かったからよく知らないけど、孤児院出身ってのは色々大変なんだろうさ。いくら大学から奨学金をもらってるとは言えども、孤児院にお世話になりっぱなしというわけにもいかないだろうし」
王女としての華やかな生活から一転して、彼女は孤児院で暮らす外国人の子供となることを余儀なくされたようだ。
現代日本に転移してからすぐ平塚先生の保護を受けることが出来た僕には到底分からない苦しみもたくさんあっただろう。面と向かっていう事は無いが、いきなりの転落人生からここの大学の優等生として返り咲いた彼女を僕は本気で尊敬している。
「……ちょっと考えなしだったな。それはともかく、来年春から大月だから準備はしておけよ。俺も実家のことを何とかしなければなぁ」
「まあ確かに実家から大月は毎日通勤するにはキツイよね。もしかして家を引き払うの?」
「親父たちがすでに山形の方で生活基盤を固めてるから今更戻ってこいなんて言えないさ。だからといって建て壊すのは惜しいし、一応は借家という扱いにしておくよ」
彼の今住んでいる家は、当然生前の僕が暮らしていた家の事でもある。昔懐かしの家が取り壊されるんじゃないかと思った僕は、借家という形でも残るということにホッと胸をなで下ろした。
「新規で寮の建築も行っているそうだ。あと言い忘れていたけど、来週の土曜日に新キャンパスについての説明会があるから予定を開けておけよ。戻る時に藤沢にも伝えてきてくれ」
「了解。じゃあ失礼しました」
投稿予定の論文プリントを脇に抱え直すと、僕はパイプ椅子を部屋の脇に戻しながらまだ少し暖かい空気で満たされた廊下へと出た。
大月に出来上がったという噂の未知なるキャンパス。その実物を見たという証言は聞かないが、来年から運用するとなるとさすがにもう形として出来上がっていないと厳しいだろう。まさか風景と同化していたり、山々の地下に隠し作られている訳じゃないだろうか。
そんな怪しさいっぱいの新キャンパスに、この研究室から赴くことになった人間は悲しいことに平塚准教授に僕、そして藤沢さんの計三人だけだった。当初は随分薄情だなあと思ってはみたが、そもそも平塚先生が担当している学生にしか大月に行くか行かないかの選択権は与えられてない訳だし、その中でも残るという他に就職を選択する学生もいる訳だから仕方が無い。教授の異動というのはかくも大変なものなのである。
* * *
「藤沢さん、ちょっと良いかな」
先生から言われたことを伝えなければと学生室に戻ってみれば、藤沢さんの姿は無い。コアタイム中なのだから実験中だと思って実験室の方へと向かってみると、少々宜しくないことを藤沢さんが実行しようとしている現場に遭遇した。
「あ、ええと、先輩どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもないよ。君は今一体何をしようとしていたのかな」
彼女は少々慌てた様子だが、僕は気にした風もなく問い詰める。彼女が今やろうとしていたことは、これから科学者として生きていく際に決して許されない行為であるからだ。
「……その、加熱炉を使おうとして」
「違うよ。別に今言いたいのは加熱炉がどうこうした話じゃない」
彼女がオーブンの蓋に向けていた手を少し強引に引っ掴む。普段なら顔を赤くして怒る彼女だろうが、今は自分がしようとしていたことを見つけられたことに気が付いているようだ。何を言ったらいいのか分からず顔を青くする彼女の手を解放すると、僕は深いため息を吐いた。
「僕が怒っている内容は分かるよね。周りに人が居ないから言わせて貰うけどさ、君は今魔法を使おうとしていただろう?」
実験室に入った時に手が仄かに赤く光っていたのを僕は見逃さなかった。人の姿を見てすぐに術式を引っ込めたようだが、見間違いで済ますと後々取り返しのつかないことになるかもしれないから厳しく言わなければならない。
「多分内部の温度を早く上げたかったんだよね。だから焔術なんて使おうとしていた」
「……機械を傷つけないようにやる自信があったから、少しだけなら平気と思って……」
「平気じゃないッ!! もし不慮のミスで機械が壊れたらどうするんだ!? それに実験器具や試料が駄目になるだけならまだしも、火災になったら取り返しもつかないんだぞ!!」
なるたけ事の重大さを分かってもらうため、強い口調で僕は彼女を叱りつけた。
後ろには装置の取扱説明書が置いてあり、最低限構造を理解した上でことに及ぼうとしたのだろう。しかしいくら取説とは言えども機械の構造全てが網羅している訳じゃないし、炉の内部を加熱したつもりが隠された回路まで焼け焦げるおそれもある。
そもそも制御外の外的要因で機械を扱うということそのものが危険な行為だ。最近じゃリスクアセスメントに優れた実験器具が多くあるが、変な使い方をすれば一瞬でただのガラクタになるという事実は昔とそれほど変わっていない。
しかし難儀な話である。そもそも普通の人間だったら自分の力で機械の内部だけを温めようなんて出来るはずも無いことは思い立ちもしないだろう。しかし彼女や僕はそれが出来てしまう。だから僕たちは普通の人間以上に研究者倫理を理解する必要があると思っている。
「それだけじゃないよ。仮に魔法を使って実験が上手くいったとして、君はどう記録につけるんだい?」
「ええと、それは……」
「書けないよね、オーブンにサンプルを入れて魔法も使って加熱しましたなんて。誰でもしっかり再現できる実験じゃなきゃそもそもやる意味なんて無いよ」
現代日本に復帰してから大学院に入る間、平塚先生に言われた事がある。まだ初対面の頃に先生の前で熱い煎茶を魔法で凍らせたことがあったが、当初はすごいと喜んでいた先生も入学が近付いたある日僕に忠告してきたのだ。
「絶対に実験へ魔法を持ち込むな。僕も入学前平塚先生に硬く約束をさせられたよ。むしろ君が此処に入ってから半年もの間言ってなかった僕が悪かった」
「その、ごめんなさい!! 魔法を使おうとしたのは今回が初めてで、その……この機械の予定表で次の予約までに終わらすには魔法を使うしかないと思ったから……」
藤沢さんが視線を向ける先には、壁に張り付けた装置の使用予約表が張り付けている。それを見てみると、確かに今日の夕方ごろから使用予約が入ってるじゃないか。ていうか予約者は僕だった。昨日予約したというのにすっかり忘れてしまっていた。
「遅れるならばそう言ってくれれば良いよ。僕の後に予約を入れてる人も居ないし、別に実験が明日に伸びたって構わない。だからもうこういう事はしないようにね」
「……わかったわ」
随分と萎れてしまった彼女だが、やはりこれは言わなければならない事だった。これが初犯というのが本当に幸いだ。とにかく今はしっかりと反省してもらおう。大月の寮については別に今言わなければならない事でもないのだし。




