第十一話「決戦!! ファンタスティック・アカデミー!」 その1
「パイプ椅子は横10縦5を二列、中心の通路は幅2メートルでお願いします。それと後方の長机ですが――」
今まで内輪の会議ですら数回しか使われてこなかった大会議室が、ようやくその本領を発揮する時が来たのだ。地面は一面高級感漂う赤紫系統が映える軟らかめのタイルカーペットで覆われており、廊下や実験スペースどころか通常の会議室とも一線を画す雰囲気を漂わせる。内装だけ見れば、会議室を飛び越えてもはや講演ホールといって差し支えないほどの立派さだ。
階段状となっている部屋の前方部には小型の机付きの座席が何列もずらりと並び、それでも賄いきれない参加者多数の場合に備えて後方の空いたスペースには予備のパイプ椅子軍団を並べてすらもいる。そして大部屋の後方上部にある投影室からは、前方の巨大なスクリーン周辺に向けて試験的に映像やらスポットライトが投射されている。本気十分と言えるこの大会議室は、本キャンパスにある記念講堂とも何とか渡り合える設備の筈だ。
「平塚さん。椅子の個数が若干足りていのですが、どうしましょうか」
「背に腹は代えられません。二階の小会議室から拝借しちゃいましょう」
ただ部屋の規模が大きな研究会の開催に対応していても、装備全てが完全無欠というわけでもなさそうだ。椅子の不足分を知らせてくる他研究室の学生に、すぐさま普段使いの小会議室からかっぱらってくることを提案した。
新キャンパス開校からあっという間に時間が流れて、今は8月の第一週だ。日本に比べて湿度が低く涼しいエルトニアにいると気が付きにくいが、暦の上では夏も真っ盛りである。そしてこの大学の一大イベントである中間報告会、通称ファンタスティック・アカデミーはもう明日に迫っているのだ。
事務系の人たちが費用の捻出や事前参加登録者への連絡を行ってくれている裏側で、僕たち現場の人間もせっせと会場設営に忙しく動き回っている。更には当日参加者に配布する予定の資料や要旨集を印刷する別動隊が、コピー機室を占拠して冊子づくりに追われているはずだ。このキャンパスの助教以下全メンバーを集結させた、まさに集団戦といって過言ではない。
「壇上じゃなくて後方が照らされています。照明の番号と位置をもう一度確認してください」
天井からの照明灯が見当違いの場所に向けられているもの、この部屋に慣れた人間が未だ皆無であることが大きな理由だ。今のうちにある程度装備に慣れておかなければ、いざ本番になった時に対応が難しくなる。
現場指揮は当然のように僕が任されていた。まあ助教どころか全メンバーひっくるめて一番若いのだから、年功序列社会の中じゃ矢面にも立たされるので仕方がない。それにこうして思考の多くを費やして大きな物事にあたるというのは、もちろん大変である一方で余計なことを考えている暇もなくなるという意味では助けにもなっていた。
『銀髪の日本人は、ライル殿下に関する事情を知っているはずだ』
つい二週間前に、エルトニア王国立魔法騎士学園の学生から言われた言葉だ。その彼がライル殿下に近しい場所にいることから考えて、でたらめの話ではないものと推測される。それから二週間の間、彼の言葉はふと気を抜いた時にはいつも頭の中をゆっくりぐるぐると巡り廻っているのだ。
銀髪の日本人など、僕を除いて存在などしない。つまりは、一連の殿下による妨害工作の根源には、僕の存在が何かしらかかわっているのだ。考えたら当然の気もする。このプロジェクトに参画している日本人研究者のほぼすべてが、プロジェクト前にはエルトニアなどという異世界国家の存在なんて欠片も知り得なかったのだ。何かの切っ掛けがあるとすれば、その発祥元は自ずと限られてくる。
特に僕は、件の人物とは少なからず顔を合わせている。彼の立ち上げた大学見学会以外にも、レシルと共に街を散策していた時や、闘技会に顔を見せた時など、数えればいくつか上ってくるのだ。
「藤沢さん。椅子については引き継いどくから……そうだね、冊子の方のヘルプに回ってくれるかな?」
「……あっ、えっと……はい、分かりました」
やや疲れた様子で収納スペースからパイプ椅子を持ち上げようとしていた藤沢さんを呼び止めた。どことなく心ここにあらずという感じで、顔色もやや悪く目つきについても何時もの覇気がない。川崎さんから王女捜索の話を聞かされてからというものの、彼女の調子はあまりよろしくないように見受けられた。可能ならば休んでもらいたいところだが、彼女の性格からして他が働いているときに休んでいると余計にストレスを貯めかねない。より負担の少なそうな仕事に回すことが、今できる精一杯だった。
快活ではない様子で大会議室の外へと向かう彼女を見送る。そう、藤沢レナという人間も、僕と同等かそれ以上にエルトニアという国家に深くかかわっている一人である。そしてこの数日間ライル殿下関連で自分自身の行動を洗い出している最中、一つだけ気が付いたことがあった。それこそが、彼女についてのことだった。
僕とライル殿下が言葉を交わしたその場には、大抵の場合藤沢さんも居合わせていた。そして彼の心境が大きく動いたと推測される大学見学会の最中には、殿下は藤沢さんと言葉を交わしていたはずだ。
会話内容はなんてことは無い、実験の様子について二三聞いただけであっても、会話をしたという事実には変わりない。今まで大学全体とライル殿下の関わりについてを見ていたから気が付かなかったが、僕自身の身の回りにのみ特化して注目したら、臭い点がいくらか見つかったのだ。
僕と藤沢さんで比較してみたら、彼女の方が余程殿下との関係性は深い。妹が彼の同級生であるという以外に特段のつながりが存在しない僕と比べ、彼女は腹違いとはいえ同じ血を引いた姉弟という深い関りがある。ライル殿下が大学計画について別の視点を向ける切っ掛けが僕であり、そしてその理由が藤沢さんであるとしたら――
「粗方照明周りの調整は終わりましたよっと。そういえば平塚君、今日は黒いカツラ被ってないんやね。藤沢さんの真似は止めたん?」
「……僕も四六時中使ってるわけじゃないですよ。今日は内輪でしか集まりませんし。そっちが一段落しているならば、プロジェクターのテスト照射もやっちゃいましょう」
考え事を一度中断し、こちらの銀髪を指さして首を傾げる先輩助教を適当にあしらいつつ、彼の後をついて教授連合から渡されたメモリーカードをポケットから出した。この中には彼らの作成したスライドショーがいくつか入っており、色合いやら明るさをチェックするという仕事も頼まれているのだ。
「あ、ちょうど良かった。それ俺も一緒にやらせてくれるか」
そしてタイミングを見計らったように会議室へ入ってきた平塚先生が、壇上のプロジェクターを操作しようとした僕たちを呼び止めた。教授陣の中で彼は自分の目で確かめたいからとスライド確認の仕事を投げてこなかった数少ない人間である。
「いえいえ、ウチ等でまとめてやっときますよ。平塚先生の手をわざわざ煩わせるのは悪いですから」
「こういうのは自分の目で見た方が安心だ。そもそもこの部屋のプロジェクター自体他の奴とは規格が違うから、正直あまりあてにはしてない」
確かに先生の言う通り、ここの装置は運転させたことなど数えるほどしかない。それに言われてみれば、確かに色合いについては普段使いの部屋のものと比べてやや異なるという気がしないでもない。下手すりゃ図が消えると危惧する先生の通り、自分の目で見て確認するのが一番の安全策であるのは間違いではないのだ。
まだ正午前にもかかわらず、半分以上の仕事が片付いているのだ。少なくとも現場については、明日に向けた準備は至極順調に進んでいる。
* * *
僕がここ数日黒カツラを被ったりしているのは、さっき先輩の助教に言われたように大方藤沢さんの真似である。この国では酷く重要な意味あいを持つ赤紫色の髪の毛を隠す、彼女にとってみれば最重要の装備だ。すっぽりと彼女の髪を覆ったその姿を見て、僕はずっと確信していた。彼女を王族の一人と見間違える人間なんぞ、これでただの一人もいない。9年前に失踪した王女なんて、顔そのものが成長で変化した上に髪の色まで違うのだから、誰も気が付きやしないだろう。
――本当に? 本当にそうなのか?
そう自問自答をし始めたのは、恥ずかしいことについ最近になってからだった。事態がこうなるまで、僕は藤沢さんという存在が持つこの国における特殊性を全て失念していたと言っても過言ではなかった。この世界において彼女の特殊性を知っているのは僕や平塚先生だけであるという考えが、前提になってしまっていたのだ。
確かにそこら辺の一般人は騙せるだろう。大月駅からエルトニアキャンパスへ向かう往復バスの窓際において、カツラを被った藤沢さんを配置してもそれが9年前から行方不明になっている王女であると見抜く通行人は皆無に違いない。だがそれが彼女と以前から関係があった相手、それも王族相手ならばどうなのか。
「つまり平塚さんは、ライル殿下が既に藤沢レナさんの正体に気が付いていると考えているのですか」
「……ええ。つい最近になって彼が王女捜索なんて話を出してきたのも、依頼というよりも藤沢さんに対してプレッシャーを与えることが目的なんじゃないかと思うんです」
トイレ近くの談話コーナーで、川崎さんは少々難しい顔をしながら僕の話を聞いていた。色々と考えがごちゃごちゃになったところで、話せる人間を捕まえられたことは非常に幸運である。
運のいいことに、仕事が一段落してトイレ休憩に行こうと廊下に出たところで、ちょうど大月-リーヴェル関所からこちらに出向いてきている川崎さんを見つけたのだ。彼は何か重大な用があって訪れていたわけでは無く、大学側の事務課と共に事前登録者の名簿や人数について確認作業をしていたのだという。帰りがてらに会場設営の様子でも見ていこうとしたところを、ちょうど捕まえたというわけだ。
「まぁあり得ない話ではないとは思います。私もそう考えたことはありますしね。ただそれにしちゃあ目的と一連の行動が一致していないとは思いませんかね」
「……それって、最終的なゴールがヘレナ・ヴィクトリウス・エルトニアの王女復帰であるとすれば、行動が遠回り過ぎるということですか?」
「ええ。もし目的がそれで、そして私がライル殿下だったとします。即日本政府に直談判して、身柄の引き渡しや最低限直接の面談を試みますね。真綿で首を絞めるにしろ、今のままでは先に真綿が切れてしまう」
僕のような政治素人の考えることなんて、当の昔に川崎さんは考え付いていたようだ。そして彼の言う通り、彼の言う通りライル殿下の行動は回りくどすぎるというのは同感である。直接的な行動に出れば王女奪還まで僅かに数ステップで済むにもかかわらず、結果として未だにずるずると引き延ばされていることになるのだ。
「まあ仮にそうだったとして、単に彼の手筈が遅すぎたというわけでも無いでしょうがね。反対派貴族を纏められた際には、割とすぐに我々はバックへフォルガント家を持ってくるカウンターで対抗した訳ですし。警戒するに越したことはないですが肩の力をちょっとばかりは抜きましょう。私が平塚さん達に王女捜索関連の話をしてから今日まで、特に何もないでしょう?」
少なくとも川崎さんの見解としては、藤沢さんの正体が露見しているにしては相手側の行動が遅すぎる。よってまだ秘匿できている可能性が濃厚、ということだろう。まあ言われてみれば、王女奪還という目的を達するためにわざわざ大学計画の反対派をまとめ上げるだなんて、少なくとも僕たちへのプレッシャーにはなるかもしれないけど、直接打にはなかなかならない選択だ。
「何にせよ、明日でまずはひと段落です。二週間くらい前から反対派と目される貴族までも報告会へ参加表明を出し始めましたし、順調なことこの上無いですね」
「……それは良かったです。本当に」
おそらく、あの時の青年が本当に仲間を率いて参加を呼び掛けてくれたのだろう。彼らは頭ごなしに大学計画をぶっ潰そうという過激派などではなく、こちらと話し合いをするだけの懐の深さは持ち合わせている。そういう層が来てくれるというだけでも、エルトニアにおける僕たちの立ち位置を深く考えるいい機会になることだろう。
「一応気がかりなのは、ライル殿下に近しい人間の参加登録者は未だゼロということですね。先々週に平塚さんが言っていた、反対派が一筋縄じゃないってのはあながち間違いじゃ無さそうですが……無論、我々も何かあれば十分バックアップしますので、最低限身の回りに気を配って頂ければ後はなんとかします」
そう言いながら立ち上がった川崎さんは、ふと廊下の先に視線をやった。
「そういうわけなので、藤沢さんにも安心するようにとお伝えください。また何かありましたら、何時でもご連絡ください」
「……ええ、分かりました。お忙しいところお時間頂きすいません」
僕たちの方に視線を向けて小走りで近づいてくる、長めの黒髪の女性。疲労を見かねて体力勝負じゃない仕事箇所に出向させていた藤沢さんその人だ。やや険しい表情から察するに、僕と川崎さんが話している姿を見てまた何かあったのではないかと考えているのだろう。
彼女がこちらに着くよりも早く、川崎さんは出口の方へと向かっていった。彼もまた、明日に控えていろいろな仕事を抱えているはずだ。この場にいる人間は、概ね普段以上の忙しさに悩殺されている人間ばかりなのだろう。
「あれ、川崎さん帰っちゃった? もしかして何かあったんじゃないかって思ったんだけど……」
案の定か、不安げにこちらに尋ねてきた藤沢さんはまた新たな困難の到来を予感していたらしい。別に川崎さんは厄介事の使者というわけじゃあない。ただ、彼がわざわざ顔を見せに来る時には、大体何らかの問題が起きているというだけの話である。
「……いんや、ただの世間話。明日のことについてちょっとだけ雑談してただけだよ」
少し息切れ気味の彼女に対して、敢えて変なことは何もないよとオブラートに被せて誤魔化した。ただでさえ最近疲れ気味の彼女に、これ以上心労を積み重ねてほしくはない。それにしても改めて近場で見たら外見だけでも結構な疲れ具合だと見て取れる。目の下の隈もそうだし、なんとなく全体的に血色も悪そうに見える。
「それと、川崎さんから伝言。王女捜索の依頼について、特に何も問題は無いそうだよ。だから、少しは安心しても良いんだよ。最近、ずっとつかれっ放しでしょ」
そう指摘してみれば、露骨に気まずそうに彼女は顔を反らした。
「い、いえ……そんなことは」
「そんな立派な隈を拵えて何を言うか。あの平塚先生も心配していたくらいだ。昔に得意でもない魔法の練習をしまくってぶっ倒れた時の僕よりも酷いよ。ちゃんと食事を取ったり寝ているんだろうね?」
「――心配をかけて、ごめんなさい」
何らかの言い訳でも考えているのか数秒間押し黙っていた藤沢さんは、観念したようにそういう風に返してきた。しかし謝罪をされてしまうとこちらの立つ瀬がない。なんなら彼女がそこまで心配するループに陥るのを止められなかった僕に非があるのだ。
「君は悪くないんだから謝罪はダメです。これからお昼でしょう? 今日は全部奢ってあげるから、ちゃんと沢山食べること!!」
「……ええ、そうね。じゃあ平塚先生にこれでもかってくらい奢らせてやるわ」
いつもの調子が戻ったように笑顔を見せた藤沢さんを見て、少しだけホッとした。時折敬語を喋れーとかもうちょっと敬えーとかはふざけて言うこともあるけど、やはり普段の彼女の様子が見ていて一番安心するのだ。少しくらい小生意気な様子が、藤沢レナという人間にはピッタリなのである。
* * *
そして翌8月5日。第一回日本エルトニア科学技術シンポジウム "ファンタスティック・アカデミー"の開催日。僕たちの大学計画にとって最初の勝負の、万全の準備と共に迎え撃つべき瞬間がやってきたのだ。エルトニアキャンパスのこれからを左右するたくさんの人の意志と共に、僕が最も危惧していたライル殿下の一つの決意を添えて。




