その2
中央線を乗り継ぎ大月に行くまでに一時間半。そこから定期通行便のバスを待つのに一時間。最後にバスで揺られてエルトニアへ入国するのに三十分程度。結局東京駅からトータルで三時間もかかったのだ。なんというアクセスの悪さ。東京に出ていくたびにこれなのだから本当にやってられない。
ただし今日は、リーヴェルキャンパスまで赴く前に一旦先約があるのだ。連絡バスをリーヴェル国境警備所にて途中下車し、そのまま警備所の建物に併設されている事務所へと足を向けた。車を降りてこの近辺を歩くのは、最初に大月からリーヴェルに移送されたとき以来となる。外務省管轄と聞いたこの事務棟は川崎さんが現在勤務している地点であるらしい。日本国の大使館がリーヴェルに置かれていない現状では、この国境警備所が実質の大使館としての役割を持っているとのことだ。
建物内部の様子は、エルトニアへの窓口たる国境警備所ほどではないにしろ綺麗な感じだ。人員自体はそれほど多くは無い様子だけど、設備の様子から見るに後々在エルトニアの日本国民に対する支援の場としての役割が期待されているのだろう。
そんな受付にて話を通し、藤沢さん共々ロビーの長椅子で寛ぎつつ待つこと数分。エレベーターホールの方から川崎さんが早歩きで姿を現した。
「お疲れ様です。うちの研究室の藤沢共々参りました」
「急なお呼び出しになりすいません。今日は少々込み合った話なので、私たちのデスクへご案内します」
川崎さんと僕の双方で頭を下げあって簡単に握手をする。たぶんリーヴェルキャンパスにおいて他のどのメンバーよりも僕は彼と接する機会が多いはずだ。お偉いさんになったわけでもないのに外務省の役人とここまで繋がりがあるだなんて、不思議な縁もあったものだ。
そのまま彼の後についてエレベーターを上がった。一つ上のフロアは、受付の階とは異なりオープンな事務スペースではなく人けのない廊下が続いていた。そのため若干殺風景な雰囲気を感じる。部屋ごとにつけられたプレートに目を通してみると、下のフロアと比較してより小さい単位の部署の名前や個人の役職名が書かれていた。しかし部署そのものは小さくても、ここにある各部署の母体は文部科学省や外務省、ひいては警察庁など大御所どころがいくつかみられた。実質的な大使館という、この建物の役割に恥じないラインナップだ。
そんな廊下の最奥部に、今回の目的地が存在した。「外務省人物交流室 エルトニア国境出張所」と銘打たれた部屋の扉に川崎さんが手を掛けた。
「どうぞ、お掛けになってください」
名前そのものは特殊でも、その内装についてはごくごく一般的なオフィスの域は外れていない。エルトニアらしさを微塵も感じない、完全な役所の一部署といった風貌だ。川崎さんの後に続いて何名かがデスクワークをしている後ろを抜け、部屋の片隅に置かれた談話スペースの長椅子に腰を下ろした。
「藤沢さんですね。以前にお会いしていますが、改めまして。外務省人物交流課の川崎義春と申します。本日は急にお呼び出ししてすいません」
「ええと、私は国立東都工科大学の藤沢レナです。平塚と一緒にということですが、どのようなご要件でしょうか」
簡単な挨拶を終わらせたらさっそく本題だ。川崎さんから何らかの話を聞かれることはこれまでにも何回かあったが、こういった場所に呼び出されて、さらには自分以外の人間を同伴でというのは経験にない。よっぽどの事情があるのかもしれない。
「単刀直入に言います。昨日、日本国政府はエルトニア王室より一つの依頼を受けました。それは、十年程前に消息不明となった一人の王女の捜索です」
「――えっ?」
もう見なくても分かる。隣で藤沢さんが完全に思考停止状態となった。不意打ち、そう表現するほかは無いタイミングだ。
「伺った話なんですがね、エルトニアと日本の空間的な接点は、この国境警備所以外にもあるみたいなんです。そのため極めて稀ですが日本の物が此方に流れ着くことがあるようです。それについては平塚さんが良くご存じでしょう」
「……そうですね。僕は特異点と呼んでいますが、空間的に不安定な場所は確かに存在します」
川崎さんの言う通り、そのような箇所については確かによく知っている。なんたってその特異点を漂流物の発見情報から見つけ出し、そこで無理やり空間転移の術式を展開して現代日本に帰還した身なのだから。
「そのような不思議な場所で、一人の王女が神隠しに会われたそうです。国同士で交流を持ち数年、ようやく今になってその情報が我々に伝えられました」
淡々と喋る彼とは対照的に、藤沢さんの表情は固まったままだ。この内容では、さすがに助け船は出せそうもない。
「そして私たちはその話が伝えられる前からある程度は調べていました。藤沢さん、貴女はエルトニア出身ですね」
「……ええ、その通りです」
もはや質問ではなく事実を確認するような様子の質問に対し、藤沢さんはこわ張った口調で答えた。これまで彼らがそれを明るみにしていなかったのは、単純にそれが必要な情報ではなかったからなのだ。藤沢さんの出自にボロがないだなんて、さすがに日本を舐め過ぎていた。
「そう、それだけならば何ら問題は無かったんです。しかしお恥ずかしいことながら、我々は貴女がエルトニアの王女とまでは認識しておりませんでした」
恐らく、前々から藤沢さんの出身については調べを付けていたのだろう。しかしエルトニア出身であるという以上の情報については調べておらず、今回向こうの王家から話を通されて初めてその事実に至ったということか。
「……その様子ですと、平塚さんは前から把握はしていたようですね」
「ええ。彼女は身分の回復は目指しておらず、うちの大学において他の学生と同様勉学に励んでおります。それを見て判断したうえで、僕は守秘していました」
彼女を庇えるとすれば、その一点についてしかない。僕という人間は藤沢さんの出自どころか昔の身分などすべてを把握しておきながら、関係者各位に全く報告をしなかった。藤沢さんが仮に責められるとするならば、それを隠蔽した僕も共犯も同様だということだ。
「ああ、ご心配には及びませんよ。別に身分を隠していたからどうこうって訳じゃありません。それに今更国籍が云々というつもりも無いですよ。ただ、我々としても今後藤沢さんがどのように生活をしていきたいのかを直接伺いたく思いましてね」
見ているこっちが心配になるくらいどんどん顔面の青くなる藤沢さんに気を利かせてか、川崎さんは少しおどけたように空気を濁した。いつの間にか僕らの前に置かれていた麦茶を彼女の前に差し出すと、ようやく動転から立ち直った藤沢さんがコップを受け取り一気にあおった。
「……それで今後、というのは……」
「貴女はエルトニアの王女であり、そしてエルトニア王室は行方不明の王女について此方に情報を求めてきました。もし貴女がエルトニア王家に戻りたいのであれば我々も全力でサポートしますが――」
「――それはっ!! それだけは……」
川崎さんの言葉を遮り、藤沢さんが弾かれたように叫んだ。そして焦燥に駆られたように目を開き、近くにあった僕の手をぎゅっと握り締める。握り締められた手の甲から小さな震えが伝わる。彼女の心の中まではさすがに伺い知れないが、王家への復帰というキーワードに何故かかなりの抵抗感を覚えているのは間違いないだろう。
「すいません、取り乱してしまって……ですが私は、少なくとも今は王家への復帰なんて、全く考えてはいません」
少し俯きながら彼女が絞り出すように言った内容は、弱弱しい口調ながら川崎さんの提案を真っ向から否定するものだった。そして藤沢さんは口を堅く噛みしめ、僕の手をより一層強くつかんだ。
「……分かりました。我々は貴女の意志を一番に尊重します。王室側には真摯に捜索しますとだけコメントを送るところに留めますよ」
そんな彼女の行動に若干面食らった様子の川崎さんは、苦笑いしつつそう返してきた。一見すれば川崎さんと藤沢さんの温度差に面食らってしまうだろう。しかしそれほどまでに、藤沢さんの中ではエルトニア王家に復帰するという行動に対して抵抗があるのだろう。無論理由については分からないがその根は深そうだ。
結果として、川崎さんたち外務省が王室側に提示する内容は、日本国主導により国内において行方不明の王女の捜索を開始したという文言のみとなった。もちろん藤沢さんに関する情報は全て秘匿し、彼女の気が変わるまでそのまま触れずにいるという約束も川崎さんと交わす。
少しばかり肩の荷が下りたのか、藤沢さんの表情は先ほどよりも柔らかいものになっている。話が始まったときのこわばり様ったらもう見ていられなかった。そんな彼女にとってみればクリティカルな話が終着したのだからこそ、こんな変わりようだ。その気持ちは分からんでもない。
しかし安心するにはまだまだ早すぎる。ホッとした様子の藤沢さんとは対照的に、僕の顔はむしろかなり険しいものになっているだろう。藤沢さんの件を秘匿することが決まったのは良かった。そしてだからこそ聞いておかなければならないことがある。
「川崎さん、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「……ええ、答えられる範囲であれば何なりと」
川崎さんからも笑みが消えて、そろって真面目な顔つきで向き合う。どうせ彼も何を聞かれるかなんてわかっているのだ。状況がいまいち読み込めていない藤沢さんは僕たちを交互に見ているが、これは彼女に関するとても重要な話なのだからよく聞いていてほしい。
「では遠慮なく。本件、なぜエルトニアと国交を持ってから五年も経過した今になって話題が上がったのですか?」
王室側から日本政府の依頼内容は簡単なものだ。神隠しに会った一人の王女に関する情報の収集。恐らく高い確率で神隠しの転移先となっているであろう日本、そこの政府に行方不明者の捜索を依頼するのは全く不自然じゃない。
「よもや五年間、日本がエルトニアからの信頼を得られなかったわけじゃあないでしょう。今になって王室側がこの話題を出した、その理由は何だと思われますか」
仮にエルトニア王室側が過去に神隠しで行方不明となったヘレナ・ヴィクトリウス・エルトニアの転移先が日本国だと辺りを付けており、尚且つ捜索することを諦めていなければ、普通に考えて日本と国交をもった直後に話を通すはずである。しかし現実には、国交樹立から五年というタイムラグが存在する。それは一体何なのか。
「……それは、我々も測りかねているところではあります。昨日にその話を受けてから、各部署と連携して以前に同様の依頼を受けていなかったか確認をしましたが、記録上には残ってはいませんでした」
「ということは、話が出たのは本当に昨日が最初ということですか」
そこまで言うと、川崎さんは周囲を確認しつつ声のトーンを少し落とした。まだ外部には話してはいけないことを伝えてくれるのだろうか。
「ここだけの話ですが……その依頼を我々に伝えてきた使者は、ライル殿下を支持する一派にいるそうです。偶然かもしれませんが、この王女関連の話を打ち出したのは彼の派閥である可能性があります」
ライル殿下。その名前を聞いて少しだけ眉を顰める。彼こそが、エルトニア大学教育計画の支障となりうる大学否定派のトップだ。彼の名前が出てくるたびに、何らかの面倒ごとが此方に舞い込んでくる気がしてならない。
「そして私見になりますが、今回の一件も我々に向けた妨害工作なのかもしれません」
「……今回も、ということはこれまでにも何件かあったのですか?」
そう聞いてみれば、露骨に川崎さんは表情を歪めた。仕事柄だろうけど普段から笑顔を絶やさない彼が眉間に皺を寄せるだなんて、一体どんなことをされているのやら。
「例えばそうですね……以前シンポジウムのスケジュールをお送りしましたよね。開催場所は新キャンパスの大会議室となっていましたが、あれは元々エルトニア王立騎士学園の大広間を貸し切って行う手筈だったんです」
折角の晴れ舞台だ。国内でも有数のエルトニア王立騎士学園内で開催したほうが、確かに交流イベントとしては適していると思う。しかし現実には、それは達成できなかったのだ。
「しかし最終的に決定する寸前、向こうから一方的に断られましてね。詳細については一切なし。恐らくどこかからか横やりが入ったのでしょう。細かい物であれば他にもまだありますよ」
小さなものを上げればまだまだあるぞと、川崎さんは苦笑いを浮かべた。こちらまで上がってこない話の裏で、彼らのような運営サイドにはかなりの負担が来ているようだ。となれば、川崎さんの言う通り今回の一件も何らかの妨害工作の一種であるという可能性も考えられる。
「藤沢さんの件については、それとなくで良いので注意を払っていただければと思います。この一件がこの後どう転ぶかは、我々も分かりません」
「……分かりました。現場の人間として、最大限に気を付けようと思います」
とうとう僕だけではなく藤沢さんまでも、大学計画とエルトニア間の絡まった空間、その中心部へと否応なく組み込まれつつあった。このまま身動きが取れなくなってしまうのか、それとも雁字搦めになる前に抜け出せるのか。未だ藤沢さんに握り締められたままの手に伝わる力が、俄かに大きくなった。




