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その4

「……それで、結局ここで待つのね」

「出待ちなんて僕は選手用の出入り口の場所も分からないんだから出来ないし、ならばよくみんなで使う場所で待っていた方が良いんだ」


 噴水広場の人の入りは昼間に訪れたときよりも幾分かはやわらいでいるように見える。噴水脇のベンチにも空席が見られたのが幸いだった。


「でもレシルちゃんはこっちに来れるかしら」

「来てくれることを願うよ。まあ少し待って来ないならばレシルも忙しいってことだろうから僕らも帰ろう」


 レシルの試合が終わった後、僕たちは熱気が覚めやまない観客をかき分けて一足先に闘技場を後にしていた。今日一番のイベントであろうライル殿下の一戦が終了しても、この後もまだまだ試合が残っている。お陰様で闘技場に混雑が集中しているため、ベンチに座れる程度にこちらは空いているようだった。


「……何やってるの?」

「情報収集。紙媒体のようにかさばらないし容量もあるし、こんな逆光でも読める。新型タブレットの強みだね」


 横から顔をひょっこり覗かせてこちらの手元をのぞいて問いかけてくる藤沢さんの表情は、どこかげんなりとしたものであった。せっかくの休みの日、それも外出先で分野の情報誌なんぞに目を通すなという意見も分からなくはないが、立場が学生の身じゃなくなるとそうも言ってられなくなるのが悲しいところである。


「まさか読みたいとか? これ藤沢さんの分野にも近いし、なんなら貸すよ」

「流石に今は結構よ……いや、別に勉強が嫌いって訳じゃあないし、ちゃんと読むときは読んでいるし……」


 冗談交じりのこちらの提案をいつも通りバッサリと否定したと思えば、急にしどろもどろになりながら弁明のような言葉を並べていく藤沢さん。視線も明後日の方向へ向けているし何かあったのだろうかと考えてみること数秒、なんとなく状況が掴めてきた。


 今でこそこんな感じで妹関連で一緒に出掛けたりなど友達同士ともとれる行動をしているけれど、その実僕は助教で彼女は学生なのだ。少なくともゼミ関連では完全にこっちが教える側で藤沢さんは教えられる側である。彼女にしてみれば、助教がわざわざ勧めてきたものを無下に取り扱ったに等しい状況なのだ。


「んじゃ後で教えるよ。というかこっちも冗談だからそこまで本気にしなさんなって」

「うん、その……ありがとっ」


 藤沢さんは少し恥ずかしそうな様子でプイっとそっぽを向いてしまった。少々いたずらが過ぎてしまったかもしれない。苦笑いを浮かべつつも、内心で少しだけ反省をする。

 教職員と学生という立場になった今、僕としても相応の距離感は大切であるとは感じている。ただ、現代日本において互いに唯一の同郷出身者で、そして秘密を共有し合えた良き友達でもある。こっ恥ずかしくてとてもじゃないが彼女の前では言えないけれど、藤沢さんは平塚先生と並んで色々なことを話せる大切な人だ。だから少し距離を置くべきだという理性的なところとは裏腹に、今まで通りの関係を続けていきたいとも思ってしまう。


「……なに?」

「いんや、別に何でもない。レシル遅いなーってさ」


 僕の名誉にかけてこの内心は探らせるわけにはいかない。ジトッとした藤沢さんの視線をどうにかやり過ごしつつ、ベンチの先に続く学園への通路へと目を移した。特段寝不足というわけではないが、何も考えずにボーっと一点を眺めていると段々と自分が起きているのか寝ているのかが曖昧な感じになってくる。


「……さっき騒ぎ過ぎたから疲れたみたいだ。なんだか眠くなってきた」

「あんだけバカ騒ぎした後にそんな小さな文字見てるからそうなるのよ。ちょっとだけでも寝てたらどう?」

「ボクも疲れたし、みんなで昼寝も悪くはないけど……」


 とうとう出てきたあくびに思わず頭を押さえる。どうにもこの体は眠気というものに強くはないらしい。もう二十年近くも前の話だから詳しいところは覚えていないけど、自分が真っ当な平塚礼二だったころと比べると日中眠気が訪れない生活を送るのに必要な睡眠時間は多くなっている気がする。

 それに以前よりも疲れが眠気へと直結しているのも困り者だ。もちろん個人差はあるだろうが、僕は睡眠という点で日本人とエルトニア人の遺伝子レベルの違いを身をもって証明しているのかもしれない。


 しかし藤沢さんのお言葉に甘えて目を閉じること数秒後。いくら疲れていてもここが屋外だからなのか、眠気が増大するようなことはなくむしろ周囲の音がより敏感に聞こえてきてしまう。そんなモヤモヤとした感覚の中で、ふと背中に小さな刺激を感じた。まるで指の先でツンツンと突っつくような刺激。寝ていても良いよと言った舌の根も乾かぬうちに藤沢さんがちょっかいを掛けてきたのだろうか。


「でも労わりの言葉の一つくらいは欲しいかな」


 そんな刺激と共に背後から聞こえてくるその声色は、毎日己の口から出てくる自分の声と非常に良く似た響きを伴っている。眠気で頭の回転が極端に落ちていたならばまるで自分自身の声と誤認してしまいそうなそれは、紛れもない我が妹の物に違いが無かった。


「気配消して後ろからニュルンと近付くのは止めようか。それと……お疲れさま。しっかりと見届けたよ」

「……ありがとう。これで殿下をパパッと倒せていたらもう少し格好はついたんだけどね」


 振り向いてみれば、ベンチの背に手をつくレシルが苦笑いを浮かべていた。近くでこうして見る僕にとって普段通りの彼女の姿は、つい先ほど凛々しくも冷たい雰囲気を纏って乱舞していた氷の剣士とはどうにも重なり辛い物がある。


「レシルちゃん、いつの間に……」

「本通りは人が多いから裏道を通って来たんです。レナさんも、ボクを待っててくれてありがとうございます」


 そのまま僕の隣に腰をおろしたレシルは肩にコテンと頭を乗せてきた。サラサラとした銀色の長髪が首筋を撫でるのが結構こそばゆい。髪質や色は自分も似たようなものだけど、それが自分のものではないというだけでここまで感じ方が変わるというのだから不思議なものだ。


「……思えば兄さんの前であそこまで魔法を使ったのはすごい久々だったね」

「僕がこっちに居たころの話だから、六年は開いている。でもそんなに経っているのに、僕の中でのレシルの魔法のイメージは一緒に氷魔法でかき氷を作っている姿がまず思い浮かぶんだ。本当、よくここまで磨き上げて来たね」


 当時は本妻の兄弟達を盗み見ながら見様見真似で覚えた氷の魔法を使って、大きな霜柱を作ったり小さな氷の家を作ってみたものだ。未知の技術に興味を惹かれて色々と試していた僕と、それに引きずられるようにして僕の魔法をたどたどしく真似していたレシル。僕たち兄妹にとって、始めの内は魔法なんてただのお遊びの道具に過ぎなかったのだ。


 しかし気がつけばレシルの魔法の技術は見る見るうちに成長を重ね、使用人か誰かがこっそり報告をしたのか知らないが、彼女の才能は父上ことフォルガント家主人の耳にも入るようになった。そしてあれよという間に彼女は魔法を使う者のエリートコースを歩み始め、その玄関口であるエルトニア王国立魔法騎士学園への進学を決められたときには、彼女の魔法はもう僕の把握出来る範囲ではなくなっていた。そして月日が経過しての今日の試合だ。なんともまあ凄まじい進化を遂げていたものである。


「……ねえ。兄さんは、僕の魔法怖い?」

「そりゃあ怖いに決まってる。特に外界から何かするでもなく物体が超低温になるってもう熱力学に反しまくりだし――って冗談だからそう深刻そうな顔しない」


 再会してからは取りあえず僕の方のわだかまりは解消出来たとは思うが、彼女の方の深層ではまだまだリハビリが必要なのだろう。彼女が日常で接する人間がどう思おうが、僕自身が彼女を怖がるだなんてあり得ない。いつかはこんな軽い冗談を言い交せるような仲へと持っていきたいものだ。道端の毛虫をさてどうやって処分してくれようかという視線を僕へと向ける藤沢さんを何とか視野に入れないようにして、一瞬悲しげな顔を浮かべかけたレシルの手をポンポン叩く。


「何にせよ僕はレシルのことを怖いだなんて思うわけがない。ところでレシルの方はこっちに来ても大丈夫なのかい?」

「ボクの学年の試合はさっきので全部終了したし、先生にも許可は取っているから平気だよ」


 先生というのは、おそらく昨日会ったノーリスさんのことだろう。昨日あそこまで一生懸命にレシルを探し回っていた彼女のことだから、レシルの試合の最中も多分目を離すようなことは無かっただろう。そしてレシルがここにいるってことは、試合後の最低限の反省などは済ましているはずだ。血気迫る様子で走り回っていたノーリスさんが、眼前でレシルの逃亡をおめおめ許すだなんて到底信じられない。


 昨日の話しぶりを思い出すに、彼女なりにレシルのことは気にかけているのだろうと思う。レシルの外出許可を出しているということは、彼女から見てレシルがやらなければならないことは粗方終わってるものだろう。色々考えて行き着いたのは、要はこの後レシルを学外に連れ出しても問題は無さそうだということだ。


「んじゃみんなでカフェにでも行こうか」

「そうね。さっきの模擬戦とか近況とか、色々話すこともあるでしょ」


 立ち上がって小さく伸びをする。高々十数分しか座ってはいないのにポキポキと体が鳴るのは如何なものかとは思うが、日常で体を動かすことが稀な完全なるもやしっ子となった今じゃあもうしょうがないと割り切るしかない。いくら容貌が似ているとはいえ、レシルと自分じゃあ身体能力が段違いなのだ。

 さて、カフェと言ってみたは良いけどどこに行こうか。何時ぞやのレシルと待ち合わせで使ったところも良いし、バスの窓からも数軒ほど良さそうな場所は見つけてある。今日はなんとなく隠れ家系の店よりは明るい雰囲気の喫茶店が望ましい気がする。そうすれば通り沿いのオープンテラスの店とかが良いかもしれない。そんな風にどうしようかと頭を捻る傍らで、藤沢さんはベンチに腰かけたまま一点を見つめていた。


「……どうしたの?」

「向こうの方が妙に騒がしくて……ほら、アレ見て」


 ずっとレシルの方を見ていたため、藤沢さんが指差している学園への通路には全く気を向けてはいなかった。確かに言われてみれば、通りの方から聞こえるざわめきは混み具合から判断すると妙に話し声の大きさが大きい気がする。一旦気になりだすと解明したくなるのが理系の性である。よく目を凝らして何が起きているのかを眺めようとしてみても、通りの方へ集まった人だかりで何にも見えやしない。


「もしかして今日の試合が全部終わったのかしら」

「……予定じゃ試合はまだ続くはずです」


 レシルの言うとおり、今日の試合のスケジュールは夕方近くまで組まれていたはずだ。それに別段人が増えた訳ではなく、もとからここら辺にいた人々が集まって妙に騒ぎ立てているようだ。首を捻ること数秒、そもそもこれから学園の出口へ向かおうとしている僕たちにとっては特に関係がないということに気が付いた。


「たしかに気にはなるけど、僕らこれから外に行くんだしほっとこうよ」

「わざわざ首を突っ込むことでもないか。ゴメン、足止めさせちゃったわね」


 手元に開いたままのタブレット端末を操作して、味気ない小さな文字の羅列を仕舞いこんで別のウィンドウを呼び出す。このところほとんどの週末にこうやって外を散策することが相次いでいることだから、せっかくだし自前で地図を作ろうとして頑張ること数日、行った店の場所とその種別のみを書いたすごく簡単な地図が出来上がりつつある。


 レシルと藤沢さんの二人に見えるように画面を傾けてみると、どちらも驚いたような表情を浮かべながら地図へと目を向けた。藤沢さんは大方わざわざ時間を割いてこんな地図を作っていたのかなんて驚き半分呆れ半分といった心境なのだろう。一方でレシルはそもそもタブレット端末が見慣れない物なのだろうから地図だけでなく他の部分のしげしげと観察している。恐る恐る画面に触れたり、スライドさせてみたりといった様子が非常に初々しいし、可愛らしく思う。


「……結構書いているみたいだけど、チラシの略図レベルね」

「黙らっしゃい。見て分かればいいんだよ、分かれば」


 たしかに縮尺や道の形は滅茶苦茶かもしれないけど、少なくとも今まで行った店や見かけた店がどの配置にあるのかくらいはなんとなく分かるはずだ。他の研究グループも巻き込んでグルメマップを作ろうと呼びかければ、もしかしたら結構な有志が集まるかもしれない。一人でここまでやれるんだから、複数名でやったら商業レベルのものだって夢じゃないはずだ。そもそも施設運営課とかがこういうマップを率先して作らないのが良くないのである。


「このメモ帳すごいね……ええと、ここって前にボクが紹介したとこだね。それでこっちは――ッ!?」


 多分レシルにとってはこのタブレット端末が生まれて初めて触れる家電製品になるのだろう。たしかに見た目だけじゃあなんだかすごいメモ帳に見えないこともない。しかし彼女は興味深げに地図を眺めていたのはホンの数秒で、いきなりタブレット端末を放り投げるのじゃないかというほどの鬼気迫る様子で背後を振り返った。


「――ごめん、ちょっと時間かかりそう」

「どうしたの? 知り合いでも通りかかったのかな」

「知り合いといえばたしかにそうだけど……」


 彼女が視線を向ける方向は、さっきまで藤沢さん共々何があるのかなあと眺めていた、また試合が続いているこの時間帯には少々不思議な人だかりである。どうにもさっきよりざわめきは大きくなっているが、だからといってレシルが剣呑な目つきをするほど特別何かが変わったかといえば、少なくとも僕にはそんな気配は感じられない。


 藤沢さんとこっそりとアイコンタクトを交わしてみるが、彼女もレシルの変貌に対してさっぱり何もわかりませんという感じのようで、ふるふると小さく首をふった。ここまで警戒心を露わにするなんて、一体何が表れたというのか。あてずっぽうで言った知り合いが云々という問いかけに対して否定はしなかったところを省みるに、あまり仲が良くない人間がここにやってくるのだろうか。


 もしかしたら昨日お世話になったノーリスさんかなあと思ったが、それでもここまで警戒心を露わにするのには少々不自然なところがある。しかしそんな疑問は、まるで海を割って進むが如く、人の群れの中を何の造作もなく歩みを進めてこちらに近付く人影によって氷解した。


「王族相手の闘技後というのに挨拶ひとつ無く足早に立ち去ったから何かと思えば……なるほどな」

「……単に殿下のお連れの方々に遠慮をしてのことです。ただでさえ多くの方に取り囲まれているので、会釈をする程度に留めさせて頂きました」


 遠目に見ても良く目立つ赤紫髪に長身のコントラスト、それに加えて剣呑な視線がこちらに向けられているのだから、一瞬でも視界の端に映れば否が応でもライル殿下の存在に気付かされる。レシルの言にもあるように、今日の彼は一人で歩いているのではなく、両脇やその後ろに数名の人間を引きつれて、こちらに向かってきているようだ。殿下自身の服装はそこまで過剰なものではないが、その脇に居る数人の若い女性たちといえば、金持ちの娘ですと言わんばかりの煌びやかな装飾品を身に纏って周囲に晒していた。

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