第七話「乱入!! 緊急キャンパス見学会」 その1
「おかしい……こんなことは許されない……」
「これでも頑張った方なんですよ。それとなく難色を示しても、これ以上遅らせることは出来ませんでしたし」
背広というものは何でこうもゴワゴワとした肌触りなのだろう。最後にこれを着たのは開校式にさかのぼるが、式典の後研究棟へ戻る前に寮で普段着に着替えてしまうくらい、僕はスーツというものが苦手である。だが百歩譲ってスーツを着なければならないことは許そう。新卒社会人の身だ、明日から背広遵守になったとしたら、不満に思うことはあっても文句を口に出そうとは思わない。それに現状は、服装の指定なんて目じゃない事態に飲み込まれているのだ。スーツがどうとかなんてそれに比べりゃ軽い。
「……説明役に僕が選ばれた基準というのは、エルトニア人だからですか?」
「ええ、やはりエルトニアの常識を知っているというのは大変心強いですからね。この計画に携わって精々二年の私よりも、平塚さんの方がこちらの勝手を知っているでしょう」
新校舎の入り口前で僕と並んで立っているのは、今日もビシッとスーツで決めた川崎さんだ。詳しい年齢は知らないが、彼は見た目から判断すればまだ三十に行ってるかも怪しいような風貌だ。しかし妙に様になっているところは、流石は役人さんといったところか。
周囲には黒服にサングラスを重ねたゴッツイ方々が並んで立っている。まだこの校舎を本拠地としてから日は浅いし、そこまで校舎に馴染んだわけでもない。しかしボディガードがザラッと並んだ壮観なロビーに対してちくはぐさを感じる程度には、僕もここになれたというわけか。
「詳しいっていっても、王都については知識でしか知りませんよ。当時はこの街からかなり離れたところに住んでいましたし……」
「構いません。それにこちら側に魔石を使わなくても会話が通じる人がいるというのは、それだけで大きな武器ですから」
どうにも僕が助教として採用されるに至れたのは、おそらく学術的に価値のある人材として選ばれただけではなく、異世界に大学を作るなんて言う奇想天外な計画において役に立つ存在として見られたせいもあるのだろう。
純粋に研究者としてこの道を志した身としては少しばかり思うところはあるが、立場が上手く働いたと思えばむしろ好都合でもある。だが対外イベントがあるたびにメインを張らなければならないとなると、そうも言ってられない。
「……別に看板教授というわけじゃないのに、この手の対外イベントに結構な頻度で表に出るというのは、少々居心地が悪いですね」
「そうご謙遜なさらずに。むしろその若さで助教就任なんですから、もっと胸を張ってもバチは当たりませんって」
それとなくあまりこういう対外行事でメインを張りたくないと漏らしてみても、川崎さんはこちらの本心を知ってかしらでか小さく笑いながら流してしまった。なんとも攻略の難しいものである。
開校から第二週の今日、午後の最終コマまで担当授業が無い僕は本来ならば実験室にこもって作業をしているはずだった。やる事は山ほどあるし、それなりに順調に研究を進められるような結果もこの数日間で連続して出ているから、出来ることならば今すぐスーツをそこらへんに脱ぎ捨てて己の実験台に逃げ帰りたい。
しかしそうも言っていられない状況だ。なんたって今日は、今後の異世界大学計画に関わりかねないような緊急で重要な要件が入ってしまったのだから。
「おさらいなんですが、今日視察に訪れる面子について確認してもよろしいですか?」
「ええ、まだ少しだけ時間にも余裕がありますからね。まずは商業大臣のトロス卿。早い話が、エルトニア王国の官僚さんです」
川崎さんが手帳を確認しながら話を進めていく。地方に住んでいると中央政権についての知見がなかなか入ってこない。だから数年前までエルトニアの地に暮らしていたというのに、商業大臣という名の役職があるだなんて恥ずかしながらこの一件で初めて知った。
「そして彼らの配下が数名。いわゆる秘書とかの下級役人だそうです。他にも他の大臣の部下がチラホラと散見されます」
「……結構な大所帯ですね」
「人数にしてみれば全員で10名程度ですよ。おおよそゼミの見学で一度に捌ける人数の最大値くらいでしょう。そう考えれば肩の荷も落ち……ませんよね」
全然肩の荷は伸し掛かったままである。軽く頭を振ってみせれば、川崎さんも苦笑いをしながらため息を吐いた。
彼ら役人にとっても今回の視察は寝耳に水の情報であると聞いている。僕に関して言えば、当日訳の分からない偉そうな肩書の人間相手に説明をして半日時間が瞑れるだけではあるが、川崎さんたちはいきなりの要求をしてきた視察団側に対して何とか日にちの折り合いをつけたり大学側への説明をしたりで、かなりの負担があったのだろう。そう考えれば単純に面倒だなんて愚痴も吐いてはいられない。
「それと最後に大物です。エルトニア王室第二王子、ライル・フランシス・エルトニア殿下。いやー、こんな大物がやって来るなんて大変ですよ」
「本当に、ほんっとうに同感ですけど、かなりぶっちゃけましたね」
「彼がいなければいきなり予定をこじ開けるのは無理ですって通せましたが……まあ、そういうわけで緊急の視察団ということです」
少しだけ見せた本当に参ったというような表情から察するに、かなりの圧迫交渉だったに違いない。今日の一件が片付いたら缶コーヒーの一本でも奢ってあげよう。
おさらいした通り、先日緊急のメールが届いた時に感じていた悪い予感は見事に的中してしまった形だ。まさかメールにある王族ってライル殿下のことなんじゃないか、なんて藤沢さんと話していた矢先に事実だと聞かされて、僕たちは二人揃って口をげんなりと開けてしまったほどだ。
いつ僕とレシルの感情が爆発炎上してもおかしくはなかった雰囲気の中でライル殿下と会話を交わして、見事耐え忍んで事無きを得たのがほんの数日前のことだ。明らかに僕を含めた日本人に対して良い感情を抱いてはいない彼がやってくるだなんて、果たしてどう対処をすればいいのか見当もつかない。願わくば彼の側から積極的に喧嘩を吹っかけてこないことを祈るばかりだ。
「それで視察ルートですが、基本的に学生の授業風景、それと研究フロアの実験室風景だけですね。授業の担当教員は浜松教授、それと見学予定の研究グループには平塚准教授が率いるグループも入っています」
「浜松先生はベテランだから何の問題も発生しなさそうですね。僕のグループも、急ごしらえとはいえ形にはなりました」
平塚グループに視察が入る懸念としては、身分を隠しているとはいえ肉親の者である藤沢さんが所属していることと、構成員三人が全員先日殿下と顔を合わせていることくらいか。後者は火の手がなければ懸念ではなくなると思いたい限りだ。
「おいでなされたようです」
「……本当ですね」
正面ホールに並ぶ黒服の皆さんが、急に慌ただしく動き始めた。静かだった空間はいつの間にかバタバタとした空気へと変化し、しきりに小型の無線機で連絡を取る人の姿が目に入る。通信は隣に立つ川崎さんにも届いているようで、小さなマイクとイヤホンで外部と何かの連絡を取りあっているようだ。
無線機もマイクも持っていない僕は、なんだか周囲から取り残されてしまった感がある。色めきたった周囲に合わせた行動が出来ないし、だからといってへんに行動をして川崎さんの手を煩わせるわけにもいかない。最終準備段階へと入ったこの一団の中で、何もせずに突っ立っているというのは非常に居心地が悪いが、ここはグッと我慢をするしかない。
「――了解しました。では彼を連れていきます……さて、もう視察団は新校舎の目と鼻の先です。行きましょうか」
一度大きく深呼吸をする。黙っていると、いつもよりも刻みが早い胸の鼓動が明確に知覚出来てしまう。
「……分かりました」
意識をして同じ側の手と足が前に出ないように歩きだし、特に理由もなく腕時計へと目を向ける。そろそろ一限目の授業が開始し、各研究グループも本格的に一日の実験を始めだすような時刻だ。まあ今日に限っては訪れるであろう高貴な見学者のための最終準備でもしているのであろう。
「平塚さん、大丈夫ですか?」
「え、ええ……昔っからここぞという場面じゃあがり症なんです」
なんとか緊張というものを忘れるために色々なことを考えてはいたが、結局何を思い浮かべようと最後に残るのは緊張感なのだ。今まで幾度も大きな発表会で講演をしてきたが、助教昇格の今になっても緊張感というものは毎回付きまとってくる。何度も経験している学会でこれなのだから、言うなれば大学の顔として外国の官僚と顔を合わせるだなんて緊張するなという方が無理がある。
開け放たれた自動ドアの向こうから、まだ肌寒さの残る空気が容赦なく全身にふりかかる。いつの間にか額や首筋に湧き出ていた汗が冷気と混じって強烈な寒気を捻出し、元々の震えとの相乗効果でもはや風邪で大熱出したかのような感覚が全身に走った。春の日差しも雲の切れ間から微妙に照らすに留まり、着なれていない背広に温かさは期待できない。せめて手袋あたりでも着けていれば良かった。
しかしそんな寒さに長く耐える間もなかったようだ。新校舎へと続くなだらかな下り坂の頂点に数名の人影が見えた瞬間、周囲の黒服の男性方が一斉に姿勢を正した。
一団の先導を務めるのは、まさに騎士といった格好の人物だった。護衛か何かだろうか、街中で写真を見せたら十人中の十人が騎士ですと答えそうな格好の方々が目に入る。一応生まれはエルトニアだけども、こんな人たちが先導を務めるご一行を迎えた経験はあるわけもなく、既に尻込みしてしまいそうだ。そして段々と見えてくる視察団と思わしき方々。少なくとも僕のような身分の人間は袖を通したことがない服を纏った人たちが、護衛の騎士の間から見え隠れしている。
「……本当に大丈夫ですか?」
「気合です、気合」
そんなに今の僕は顔面蒼白のゾンビなのだろうか。気を落ち着かせようと深呼吸を繰り返していたのが、川崎さんにしてみたら過呼吸で死にそうな状態に見えたのかもしれない。一応こう見えても立派な平塚流緊張解除術である。前世から続けていて、割と効果は期待できる筈だ。
深呼吸の回数が優に二桁回数を突破したころには、既に視察団の表情が視認できるまでに接近していた。そしてその先頭を歩く、肩章やらなんやらで飾り立てられた軍服を着こなした赤紫の髪を持った青年が、明らかに僕に目を向けているのも分かってしまった。
「見られてますね」
「見られてますよ」
視線をこちらに向けずに川崎さんがぼそりと呟き、僕もなるべく顔を動かさないように小さく返した。川崎さんも気付いているということは、ライル殿下が僕に視線を向けているのは自意識過剰による気のせいではないということか。
黒服に黒髪で一行を出迎える役人に混じって銀髪頭がいたら、そりゃあすぐに見つかるだろう。目を逸らしたい、でも逸らせばなんか因縁つけられる気がする。
ある程度一団が近付いたところで、川崎さんが彼らを出迎えるべく歩き出した。小声で「行きますよ」と話す彼の後を、緊張で固まろうとする足に鞭を打ってなんとかついていく。気分は団体客を前にした温泉宿の女将見習いだ。視察団側も、先頭を歩く護衛の騎士が横に退いて、ライル殿下のすぐ後ろを歩いてきた壮年の男性が大股で近づいてきた。地面につきそうなほど長いローブに、なんだか無駄に高級そうな青いスカーフと、見るからに位が高そうだ。
「おはようございます。日本国外務省の川崎義春です」
「エルトニア王国商業大臣のヴェルト・ゼバスティン・トロスだ。本日はよろしくお願いするよ」
川崎さんと、トロス卿と名乗った男性が握手を交わす。年齢だけ見れば親子といっても差し支えないくらいの開きがある。ここで抱く感想としては的外れかもしれないが、改めて川崎さんが若くしてすごい環境で働いているという事実に驚いてしまう。
「ニホン国の最新鋭の研究が行なわれている場所だ。殿下も楽しみにしていなさる」
「まあ期待はしている。エルトニア第二王子、ライル・フランシス・エルトニアだ」
ライル殿下も合わさって簡単な挨拶を交わす三人だが、それも束の間にライル殿下の視線が僕へと向けられた。
「ほ、本日の司会を担当させていただく、国立東都工科大学の平塚礼二です」
「ヒラツカ……? まあ良い。よろしく頼む」
一瞬ライル殿下の顔に怪訝そうな表情が浮かぶ。思い返せば、先日彼と顔を合わせたときには単にラスティレイと名乗っていたからそのためかもしれない。考えようによっては、まるで偽名を名乗っていたようじゃないか。思わず寒気が背中を走るが彼は特に追及することもなく、小さく胸をなで下ろした。
「皆様、本日は国立東都工科大学エルトニア校へようこそいらっしゃいました。本日の見学会は私川崎義春と、こちらの平塚礼二で進行させていただきます。本日はよろしくお願いします」
トップ同士の挨拶が粗方済み、川崎さんが参加者全員に向けての挨拶を始めた。先ほどまでは苦笑いをしながら大変だと言っていた姿からは一変し、穏やかな笑みを湛えて丁寧なお辞儀を見せている。いくら若くても流石は役人といったところか、纏う雰囲気をこうもササッと変えられるなんて隙がない。名前を呼ばれた僕も、川崎さんと共に参加者一同に向けて頭を下げる。
「それでは、さっそくですが見学会に入らせていただきます」
その言葉と共に、新校舎の自動ドアが開いた。普段は入構証をかざしたうえで近付かないと開かないようになっているのだが、今日は特例の演出なのだろう。
川崎さんが先導するように入り、参加者一同の先頭をライル殿下とトロス卿が続く。どうやら今回の見学会には護衛として黒服のSPさんの他にも、エルトニア側の騎士も同行するようだ。参加者一同が全員入ったのを確認してから最後に校舎に入ろうとする僕の横を、背の高い騎士が並んで歩き始めた。
「若い司会者君。君はここの生徒かい?」
「……いえ、生徒ではなく、むしろ教える側です」
「そうか、それはすごい!! ニホン国では君のような歳でも先生になれるのだな!!」
そして歩き出してから間もなく、予期せぬ相手から妙にフレンドリーなハスキーボイスで話しかけられて思わず変な声が出そうになったが、なんとか持ち直す。騎士というのだから寡黙でダンディーだと勝手に思い込んでいたが、少なくとも顔の上半分が隠れた鎧に身を包む彼ないしは彼女は違うようだ。
「ええと、そういう訳でもないんですよ。それに教える側に回ったのは今年からです」
「じゃあタマゴというわけだな。まあ今日は少々難しいかもしれないが、頑張れ、少年!!」
妙に勢いがある人だ。性別はどちらかは分からないけど、すごく爽やかな体育会系っぽく感じる。人のことを少年と呼ぶのは少々いただけないが、ここまで好意的に褒められてあまり悪い気もしないというのが本音だ。
しかしこの騎士さんの言う"難しい"とは一体何なのだろうか。途中の神妙な口調の意味を一瞬考え込みかけたが、川崎さんの催促するような視線を感じてすぐに歩調を速めた。




