第三話「秒読み!! 大月左遷までに残された時間」 その1
「……なんと言うか、すごくコメントに困る説明会だった」
大学近くのカフェテリアで魂が抜け落ちた様子でしんみりと話すのは、前世の僕こと平塚准教授だ。4人席の反対側に腰掛けるのは僕と藤沢さん。僕以外は双方ともにどんよりとした雰囲気を纏っており、それほどまでに先ほど聞かされた話が重かったことを示している。
「藤沢にしてみれば一応は帰郷という形なんだろうけど、そう簡単な話じゃないだろう」
「身分を隠していなきゃ下手すりゃ政界ががたつきますよ……以前レイに聞いていたとはいえ、実際に自分の耳で話を聞いたら結構くるものがあるわね」
「本当大変だよな……って、おいレイ!! お前まさか前もって話を聞いていたのか!?」
こうも微妙な空気が漂っているのは、僕たち3人が先ほど参加したとある説明会に原因がある。レシルがリーヴェルに帰還してからおよそ1週間後の今日、とうとう壮大なる大月キャンパスの秘密が計画の参加者全員に知らされたのだ。
「うん、先週の木曜日に外務省の方から個別に聞かされたんだ。妹と再会するついでという形でだけどね。担当者の人から口外しないように言われたから申し訳ないけど黙っていたんだ」
「妹って……ああ、たしかレシルティアという名前の。そう言えばさっきの説明会で人物交流が始まっているって聞いたけど、その関連か?」
「そうみたい。本当は藤沢さんにも黙っているはずだったんだけど、妹の存在がばれちゃってね……」
僕と藤沢さんの秘密を知っているのは、身内の人間では平塚先生くらいだ。およそ1年前のこと、研究室見学に訪れた藤沢さんの髪の毛を目撃した平塚先生は顎に手を当てて何かを考え始め、設備や研究内容の説明を終えてホッと一息をついた僕と藤沢さんを教授室に拉致して色々と問い詰めてきたのだ。僕の事情を把握していた平塚先生は、藤沢さんの淡赤紫の髪の毛がただ染めているだけには見えなかったようだ。最初はどう誤魔化そうかと思っていたが、あっさりと藤沢さんが本当のことを話してしまったために、秘密を共有する人間が3人になったのだ。
そんなこんなでエルトニアの存在を前もって知っていた先生は、質疑応答時間では呆然とする参加者の中で際立って烈火の如くバンバンと質問をぶつけまくった。やれ治安は大丈夫なのか、現地住民の同意はとれているのか、研究設備はどうなっている、というか研究する時間はあるのか、果てはそもそもこのリーヴェル新キャンパス計画に学術的な意義が存在するのか等々。質疑時間のおよそ3分の1を平塚先生のマシンガン質問が占めていたような気がする。
「しっかしなあ、今回の計画の学術的な位置づけが言わば科学技術の布教だろ? こりゃあ相当重い話だよ」
「僕もそう思うよ。それに学生が致命的に足りていない。これじゃあ少なくとも最初の2年くらいは研究室活動は上手く回らないんじゃないかな」
事実、教授昇進を順調に進める平塚先生や、助教として一歩目を踏み出すことになった僕にとってかなり重たい話である。研究時間がどれ程取れるのかはまだ分からないが、業績をアピールしていかなければならない僕たちにとって、研究活動が滞りなく行えるのかどうかは死活問題となってくる。
川崎さんから話を聞かされた当初は故郷を見据えてどうしようかなどと少々甘く考えていたが、数日ほど経ってからこれってかなりのいばら道なんじゃないかということに気が付いたのだ。そうなってからは大変だった。日々ひたすら死んだような顔を晒す僕を心配して話しかけてくれるラボ面もいたが、秘密にしなければならない情報のために平気を装わなければならなかったのだから。
「いくら大学からの評価が新キャン事業で上がるつったってなあ、そもそも研究者として株を上げられなきゃ話にならない」
「助教としての一歩目からトン詰まりじゃ笑えないよね。藤沢さんも来年はちょっとキツイ年になりそうだよ」
「ええ……来年修士一年生の学生って、明言はされなかったけど名簿を見たら私だけじゃない。授業は本キャンに行かなきゃならないし……東京とリーヴェルを往復することになるのかしら」
実質大月と本キャンの往復とはいえ、1週間の中で通学場所が国を跨ぐって凄いことだと思います。
各々がそれぞれ胸の内に今回の計画への壁を抱えてしまっているというのが実情だった。エルトニアが初耳というわけではない僕たち3人でさえこの有様なのだから、急に異世界行というとんでもない話を聞かされた面々はもう心臓が止まるんじゃないかという勢いで混乱していることだろう。
おそらく辞退を願い出る教員や学生もいるだろう。明確なリターンは給料アップに加えて未知の国へ赴けるということだが、それを得るためのリスクが高すぎる。そういった層に対して政府の実行委員会はどういった対応を取るのかは分からないが、せめて頓挫だけはして欲しくはない。
「難しい計画だけど、仮に辞退者続出で計画が火の車という事態になると困るんだよね。役人に僕の身の上がばれているから辞退出来ないし、苦しくなるとしわ寄せをくらうのは間違いないよ」
「……そういえばお前の名前欄、なんだかミドルネームっぽく平塚・ラスティレイ・礼二ってなっていたな。思わず吹き出しそうになったけど、そういう事情があったのか」
僕に関して言えば逃げ出すという選択肢が端から用意されていないため、選ばれてしまったことには頑張って職務をこなすしか道が無い。一応ながら、今回の計画においてはある短期的な目標が提示されているため、少なくともゴールも見えない中で足掻き続けると言ったことは無さそうで安心した。
「まあ先が見えないという訳でもなさそうだしね。とにかく目指すはプレゼンの成功か」
プレゼンの成功。簡単には言ってみたものの、これの成功というのもかなりの鬼門だろう。それなりに学会で発表した経験がある僕でも、これほど特殊で特異なプレゼン発表はやったことがない。
その理由は明確だ。僕たち研究者の専門性に富んだ研究成果の発表相手が、専門知識の欠片も持ち合わせていない相手なのだから。それも高校生に大学へ興味を持ってもらう、もしくはまだ小さな子供に理系を目指してもらうきっかけとなるようなスピーチなどではない。未だ日本との交流に疑問を持っている貴族を対象とした、こちらに否定的な印象を持っている人間に科学技術の素晴らしさを伝えるという超難関プレゼンである。
* * *
先ほどの合同説明会は、異世界行を知らされて大半の参加者が呆然となっている中で淡々と司会者が説明を進めていくという非常にシュールな様相を呈していた。大体は事前に川崎さんに説明されていた内容であったが、所々先日は聞いていなかった情報もちらほらと散見され、僕は両隣に座る平塚先生や藤沢さん共々一字一句聞き逃すまいと前を見据えていた。
そんな中で説明会もおよそ中盤も過ぎて、まだ仮段階なのだろうが新キャンパス計画の今後の指針について話題が移った。
「今後の展望を見据えて、まず開校からおよそ4か月後の8月5日に、エルトニアの皆さんを招いたプレゼン発表を計画しています」
大教室の一番前で喋るのは、今日の合同説明会の司会者を務める男性だ。スケジュールと大きく称されたスライドの中には、彼が言ったように来年度の8月の欄に発表会の旨が記載されていた。
「このプレゼン発表は、我が国の科学技術の素晴らしさを伝えるまたとないチャンスです」
指定された時期は、幸いなことに平塚グループとして参加している学会の発表会とは被っていなかったはずだ。しかしまたとないチャンスと言われても、そもそも大学計画が沸き起こる前に初歩的なプレゼンについては行っていると思うのだが、専門家たちによる発表というものは初めてなのだろうか。
「皆さんが普段参加されているような学会ほどの専門性は求めてはおりません。何故ならば、オーディエンスとなるエルトニアの方々はほとんどが理学に関しては素人だからです」
素人という言い方が少々どうかと思う点もあったが、確かに僕の記憶の限りではエルトニアの科学事情は現代日本と比べて大きく後れを取っていたはずだ。
蒸気機関で工業が一気に前進し、照明灯がランプの炎から電球へと移り変わり、空気中の窒素を化学的に肥料へと変換する。そんな各分野の爆発的な進化も昔の話で、今や目を向けているのは大空のその先だったり、はたまた1ミリなんて目じゃないナノスケールの世界等々、この世界の科学者の研究は飛躍に飛躍を重ねている。
その一方でエルトニアがある世界は摩訶不思議なエネルギーである魔力とやらが存在し、生まれながらに魔法技術を持った者が持たない者を統率する構図だ。庶民が魔法技術の恩恵にあずかるには高価な魔石が必須であるが生活基準の向上に一役買っており、魔術の研究が各国の総合的な豊かさに結びついていると言っても良かった。
「リーヴェルでの生活や講義等を通して、日本との違いなど見えて来るものがあると思います。全く知識のない相手に対してのプレゼンは難しいでしょうが、なんとか乗り切っていきましょう」
* * *
「ああ、例の中間活動報告会って奴か」
平塚先生はコップに残ったアイスコーヒーを一気に飲み干し、やや苦々しい表情で口を開いた。普段先生と会話するなかで時折エルトニアの話題が上る時があり、彼も向こうの世界の事情については断片的にだが把握している。その知識の中には、エルトニア周辺諸国では魔法技術がデカい顔をしており科学技術の発展はほとんどないということも含まれている。
「相手に専門的な知識がない、それだけだったら別に大学入学希望者への研究テーマ説明みたいな感じでできるんだがな……」
「多分そんな簡単には行かないだろうね。どういう層が来るのか僕もあまり把握できている訳じゃないけど、事前に聞いた話じゃこのプレゼンは大学設立反対派の貴族も対象にしているとか」
僕の言葉に、平塚先生は難しい顔を浮かべてこめかみに手を当てた。先ほどの担当者の話では向こうの生活の中でどのようなことを纏めて発表をすればいいのかを考えてくれとのことだが、果たして開校から4か月やそこらで科学技術が発達していない場所に適したプレゼンを全員が構成出来るのだろうか。
「結構難しいわね……私たちの研究テーマは太陽光発電だけど、そもそも太陽光をエネルギー源に使いますといってどこまで通じるかはわからない」
「原理はともかく最近の小学生も太陽電池は知ってるよね。だから多分言葉の壁がある程度解消されている以外は、言葉は悪いけど未開の地にプレゼンしに行くのと何ら変わりはないんじゃないかな」
常識が通用しないというのは、大変さで言えば言葉の壁に匹敵するのではと僕は考えている。
今のところ頭の中で思いついている大きな障害の一つが、僕の研究分野がどういう点で既存の魔術よりも優れているのかを伝えるかである。流石に自分の研究分野であるわけで、既存の研究成果からどのような進歩を遂げているのかはすぐにでも説明をすることが可能だ。
そして現代社会における自分の研究の立ち位置も客観的に十分分かっているつもりである。今後の人間社会にどのように役立っていくのかなんて、今まで幾度となく論文に記してプレゼン発表もしてきたのだ。
しかし今度のプレゼン発表対象はエルトニアの方々だ。科学技術が進歩していないのはただ遅れているというわけではなく、そのような技術が無くても世界が回っているからということもあるだろう。そうした中で最先端の科学技術が向こうの世の中でどのように生かせるかなんて、説明をするのはかなり難しいだろう。それこそ初歩的な蒸気機関だったら彼らの社会に組み込むのも困難な話ではないだろうが、なまじこちらの世界でも最先端な技術なわけだから良さを分かってもらえるまでが茨の道だ。
「それだけだったら何とかなるけどよ、相手は此方に好印象を抱いてないと来たもんだ。こりゃあ相当重い話だな」
「まあ、先生が重い言っちゃいけないでしょ。平塚グループの中では最年長になるわけだし、経験も豊富だし」
「都合がいい時だけ年下宣言するな。それにお前は向こうの国の常識も知っているんだから、もっとお前の存在を推して行っても良い気がする」
頼むぞ助教、と先生に頭をワシワシと撫でられる。隣に座る藤沢さんも生暖かい笑みを浮かべており、元は自分の発言が原因とはいえ双方から年下扱いされているように感じる。
好き放題人の頭を弄繰り回した義父は少しだけ調子を戻したようで、ずっと浮かべていた難しい表情が今は引っ込んでいる。全員が飲み物を飲み終えたことを確認した彼は、お盆を持って立ち上がった。
「まあ今は目先のことにも目を向けなきゃな。レイは博論、藤沢は学論があるんだから。ここまで来て受理されなかったら笑いも出ないから頑張れよ?」
「……そうだね。いくら悩んでも博士号が取れなかったら皮算用だ。藤沢さんもこれから数か月、気合入れて行こうか」
「勿論よ。私も大学5年生になる気はないわ」
時間帯としては昼下がりか。店の外に見えるのは夏場に比べて大分穏やかになった日の光と、それに照らされて明るく輝くいちょうの黄色い葉っぱだ。今日は土曜日だけれども、この大事な時期ではそうそうのんびりもしていられない。説明会明けのぼんやりとした頭はこの場で一応リフレッシュすることも出来たし、このまま夜まで研究室で頑張ろう。
「俺はこのままラボに戻るが、お前たちはどうするんだ?」
「僕も研究室に向かうよ。色々と迫ってきているし、せっかく頭の中も切り替えられたことだしね」
「一緒に行きます。今日中に1個くらい実験が出来そうですし」
結局カフェテリアを出た僕たちの足は、全員いつもの校舎の方角に向いていた。1週間前と比べると急に冷え込んだ空気が首筋に吹きかかり、思わず鳥肌が立ってしまい首をすぼめた。最近の天気予報を見ていると、これからどんどん移動性高気圧に覆われて朝方の気温が低くなっていくようだ。からりとした風に吹かれて視界から消えていく葉っぱたちの向こう側に、僕の学生生活の終わりを垣間見た気がした。